第5話 雨上がりには蛍


 今日も生憎と雨だ。そんな日に傘を持ってるのに差してないアホの姿が見えない。雨傘がこんな日に外に出ていないわけがない。本来ならな。

「今日もお見舞い感謝であります。晴隊員殿」

 左手で敬礼する雨傘。手には絵具。絵を描いてたのか。

「俺はいつ軍隊に入ったよ? それと、敬礼は、右てな。大人の決めたつまらない作法だ」

 様子を見るに、調子は良さそうだな。大事を取って今日は休んだって所か。無理してぶりっ返す可能性もあるし、そのほうがいいだろう。

「えっと、晴くんが来てくれたのは、なんで? ご飯作ってくれるとか?」

「自分で作れ。元気だろうが」

 なんだよ、そのわざとらしい咳は。

「今、いかにも病人らしい態度とったろ?」

「病人ウソつかない」

 目が泳ぎまくってるぞ。実は隠す気ゼロだろ。

「なら、目を合わせて見ろ」

 嘘だな。

「なんで、デコピン!?」

「そりゃおまえ、嘘つきはデコピンと相場が決まってる」

「それこそ嘘だ!?」

 ま、元気ならそれでいいんだ。

「まったくもう、晴くんは、照れ隠しでデコピンする癖直した方がいいよ。ツンデレにも程がる」

「よし、デレてやろう」

「何その怖い顔!?」

 ま、二日も休んだんだ。様子見をしに来たってのが、本心。絶対に話したりはしないが。

「あ、えっとね、今いい所だから、しばらく待っててくれるかな?」

「絵でも描いてるのか?」

「なんで分かるの?」

「手に絵具付いてるだろが」

 あ、ほんとだ。なんて、手をこすり始める。それじゃ落ちないだろうよ。

「うーん。晴くんになら、見せてもいいかな」

 通された部屋は、あの時に入った部屋だ。二つあるキャンバスのうちの一つの前に座って、雨傘は筆を取る。

「こんな感じ、かな」

 もうちょっと。と、口にしてから、実際は三十分は経過してる。あれだけ騒がしい雨傘の思わぬ一面ってか。

「もう一つの絵は、描かないのか?」

「もう一つの絵はね、ボクの絵じゃないんだ。そこの白いワンピース来てる子。そのモデルさ、ボクなんだよ? 成長したボク。流石のボクでもこんなに可憐じゃ無い事は分かる」

 苦笑いを浮かべてそんな事を言ってるものの、当たらずとも遠からずって所だと俺は思う。

「それに、完成してない絵ではあるけど、それはそれで価値のあるものだから」

 それだけ、大拙な物ってわけだ。そこまで思考すると次の疑問が浮ぶ。

 誰の? 母親か、はたまた父親か。そして、その絵が完成されてないって事は、描けなくなった理由があるって事だ。

「あのね、この絵はお母さんのなんだ。もう、居ないんだけどね」

「身罷ったってか。そんな事、俺なんかに言っていいのかよ」

「その、ミマカッタ? ってなに?」

「亡くなったって意味だ。死んだとか、何か、口にしたくないだろ」

「流石、校内四位……で、さっきの返事だけど、晴くんなら大丈夫」

 にへへと、頬を緩ます雨傘。ついでに、腹の音が響く。

「お腹減った。実は、何にも食べてないんだよ」

「来たついでだ。何か作ってやる」

「ほんと? と、いうか、晴くんって、ご飯作れるんだ」

「俺の家は、両親共働きで居ないからな。必然とこうなる。あ、わりい……」

 どう考えても、今のは失言だ。曲がりなりにも、俺には両親揃ってる。放任主義という、半育児放棄だとは思うが。

「ん? あぁ、今は全く気にしてないからいいよ。どうしても気になるというのならば、カレーを所望します、軍曹! ちなみに、作ろうと思って食材はあるから、使ってね」

 大好物が、カレーとはね。しかも、市販のルーじゃなくて、まさかのカレー粉から用意されてるとか、予想外だろ。あー、いや、雨傘も女だ。料理くらいするわな。

「カレー好き過ぎなだろうよ」

「えーいいじゃん。カレー。美味しいよ?」

そんな、にっこにこの顔を向けんでも、美味しいのは認める。作り方一つ変えるだけで、味も変わるしな。

「わーってるよ」

「そんなにそっけない態度とって、ツンデレも板について来たね。あたぁ!?」

 無言のデコピンをかます俺に、恨めしい目線を向ける

「他のデレかたを所望します、晴くん」

「そりゃ、雨傘次第だな」

 雨傘も、料理の手順くらいは心得てるみたいで、手際よく進む。てか、あれだけ包丁とかも使えるなら、俺に料理をやらせなくてもいいんじゃなかろうか?

「後は、煮込むだけだな」

 お玉でかき回すと、匂いも、鍋から溢れる。弱火で煮詰めれば完成って所か。

「あぁ、良い匂い。晴くんにこんな特技があったなんて」

「雨傘だって、料理出来るだろうよ」

「あー、うん。多分ね。いやー、カレー以外作った事なくて。今までお手伝い程度しかした事なくてね」

「そりゃ、意外だ。でも、なんで、カレーしか作った事ないんだよ?」

だとすると、飯どうしてるんだ? あー、止めだ止めだ。俺は、こいつのお母んか。

「作り置きできるし、安いし、最高の食べ物であります」

 欲しい答えは違うが、雨傘の返事なら、こんなもんだろ。

「涼しい間は、そうだな」

「それが煮詰まったら、ちょっと出かけない?」

「何処にだよ」

「甘い物を補給に決まってるよ。カレーなんだから、食べた後、甘い物が欲しいよね?」

 変に甘い物だと、後味最悪だけどな。

「わーったよ。でも、バニラ辺りにしておけよ?」

「知ってる。前に、コーヒー味のアイス買ったんだけど舌に残ってるカレーの風味で折角のアイスが、台無しになったんだよね。ほらほら、後は、食べるまで寝かせておけば完成だよ」

 火を止めて、蓋をした所で、雨傘に背を押される。

「んじゃ、しゅっぱーつ」

「焦らないでも行くっての」

 外へ出ると、雨がすっかり止んでる。直に日も沈むな。

「なんだ。雨、止んでた」

 殆ど落ち始めてる日は、空に夕焼け雲を作っている。殆ど、雲だけどな。

「雨目的かよ」

「それも半分。アイスが目的なのは変わらないよ」

 養豚所が近くにあるせいか、妙に臭うこの田舎。一つ道路を渡れば、そこそこ開けてる場所だってのに。

「う、臭う……」

「言わんでも分かってる」

 近くのコンビニへ足を延ばして、大量に買い込むと、その足で、すぐさま雨傘の家に戻ってくる。

「いやー、今日の匂いも強烈だったね」

「近くに馬も居るしな」

「そういえば、居たね」

 なんて、口にしつつ大量に、買い込んだアイスの一つをパクつき始める雨傘。

「今食べるのかよ」

「食後は食後。このバナナ味のアイス美味しいよ。晴くんも、一口食べてみる?」

 あ? それって、いわゆる……

「もしかして、気にしちゃう派? ほら、あーん」

 にやにやしやがって。しかも、スプーンまで向けられたら、食うしかないだろ。

「あ、食べた」

「スプーンまで向けられりゃ、食べるだろ」

 妙な恥ずかしさがあったとは、死んでも口にしない。

「以外に晴くんも純情な所があるんだなぁと」

 これは、無言のデコピンが必要だな。

「あたぁ!? タダでさえない脳細胞が死滅したらどうするのさ。デレるなら、もうちょっと、穏便に」

「そいつは聞けない相談だな。ほれ、作ったカレー食べるんだろ?」

 俺は、そろそろ退散だな。女の家に居ていい時間じゃない。

「あれ? 帰っちゃうの?」

「そろそろ時間もいい感じだろ」

「誰も居ないし、食べて帰ろうよ。それに、晴くんが作ったんだし」

 誰も居ないってのが、問題なんだが。俺が注意すればいいだけの話か。

「わーったよ」

 俺の言葉に、頬を緩ませる雨傘を見てると、俺のくだらない思考なんてどうでもよくなる。

「一晩付けた唐揚げも揚げるから、晴くんは冷めたカレーお願いね」

こうなる事を見透かされてたかのような、唐揚げの量。明らかに、雨傘一人じゃ食べきれない。

「カレーにしても、唐揚げにしても、正直美味かった」

「うん。でね、雨が降った後だから蛍、見に行かない?」

 唐突にそんな事を言い始める雨傘。唐突、思いつき、成り行き。そんなでたらめな行動に振り回されるのも、悪くない。

「雨上がりって、蛍が沢山でるらしいよ」

 そりゃ、初耳だ。

「この辺で見れるところって言えば、自然公園か。この時間、門開いてるのか?」

 確か、夜になると門が閉まってる記憶しかないんだが。

「あぁ、それは大丈夫だよ。乗り越えちゃえばいい」

 他人口から聞くと、やるなよって言葉にしたくなるが、俺も人の事を言えない行動は良くとってる。

「それ、大丈夫なのかよ」

「晴くんが居るし、大丈夫だって。ハブが稀に居るっぽいけど」

 何処も大丈夫なように聞こえないんだが? ま、噛まれたらそん時はそん時だ。

 問題は、変な奴らが居るかどうかだが、これも、俺が居りゃあいいか。

「ハブに噛まれても知らねえぞ?」

「生まれてこのかた、一度も噛まれたこと無いから、大丈夫だよ。噛まれたら、晴くん、おぶってくれる?」

 どっから、その自信が出て来るのか、マジで不明なんだが。

「ま、俺も蛍を見に、一度くらいは付き合ってやるよ」

「じゃあ、出発。虫よけスプレーも買って行かないとね」

 予想どおり、門はしまってるが、中に入れる柵は沢山ある。

「ここから入るか」

 この通り、車の通りが全く無いわけじゃ無いが、少ないんだよな。柵を乗り越えて、懐中電灯を照らす。

「あのね、晴くん。ボク、今スカートだから」

「あぁ、悪い」

 後ろを向くと、柵の擦れる音が聞こえる。柵は高いわけじゃ無い。簡単に乗り越えられるはず。

「お!? あっ!? 晴くん、退いてぇ」

 振り向くと、俺に突撃してくる雨傘。滑ったんだろうが、この体制で、避けるのは無理だ。

 と、なると、出来る行動は一つ。

「思ったより、衝撃があるな」

 衝撃があるだけで、取りあえず、雨傘の突撃で倒れないですんだ。倒れたら、泥だらけか。

「ゴメン。足が滑って、慌てて飛んだんだけど、飛んだ方向に、晴くんが……」

 いやー、まいった、まいった。なんて、頭をかく雨傘。その雨傘は、俺の腕の中にすっぽり埋まってるわけで。

「受け止めてくれて、ありがとうね、晴くん」

 ふにゃりと、頬を緩ませてる雨傘の顔が俺の直ぐ傍にある。こう見りゃ、やっぱ、可愛い顔してんな、こいつ。

「あぁ」

 とっさに、顔をそらす。それと、受け止めてた手も解放すると、俺の手を引っ張る。

「ほら、こっち」

 水がある場所に蛍は集まる。なら、向かう場所は、池だ。ちょっと奥地の。

 柵付近ですら、蛍がチラチラ見えてた。そして、本格的に集まる場所はそれ以上だ。

「いっぱいいる」

 見渡す限りいっぱいに、蛍が映る。右を見ても、左を見ても。目も慣れて来た事もあって、蛍でライトアップされてるみたいだ。後、黙ってりゃ可愛い雨傘も、今は大人しい。

「あぁ。ここまで沢山いるとは思ってなかった」

「今が一番居るんじゃないかな。田舎なだけはあるよね」

 そう言葉にして、俺に手で「」を作る。

「晴くんも、今だけは絵になるよね」

「余計なお世話だ」

「言うと思った。あのね、ちょっとだけ、愚痴を聞いてくれる?」

「なんだよ、言ってみろ。めんどくせ、とは口にしないでおいてやるからよ」

 雨傘の表情が、少しいつもと違って、俺は悪態を付く。雰囲気に押されて何を口にするのか。想像もつかないしな。

「ボクの母親はね、絵が好きな人だったかな。絵具の匂いもしたかも。あと、雨が好きだった。当時小学生だったボクが覚えてる事はそれくらい。ボクみたいに濡れる事はしなかったけど」

 笑って見せたのは、俺が居心地が悪くならない様にだろう。んだよ、こんな時にばっかりいい女しやがって。だが、俺には、なんて声をかけてやったらいいのかなんて分からない。

「雨が好きとか、雨傘みたいだな。親子なだけはある」

「確かに。今のボクを形作ったのは、お母さんなのかもね。だから、ここに居る。だけどね、これでも、一度は雨が嫌いになったんだよ? 嫌な記憶だけがこびりつく天候。

 だけど、ボクはまた雨が好きになった。晴れは何も聞こえない。なんか、取り残された気分になるんだ。でも、雨はそこに居てくれる」

 置いていかれた雨傘の、気持ちの支えだったのかもな。

「親父はどうしたんだよ」

「お母さんが死んで、お父さんは、それが理由で離婚。多分、色々と耐えれなかったんだと思う。親って言っても、人間だしね。養育費は毎月貰ってるし、離れていても最低限の父親らしい事はしてもらってる。躾けはされたことないけど。お母さんが居なくて、おばあちゃんに育てられてた。名前も、顔も知ってるけど父親だなんて言われたって正直、ピンと来ない。そんな親がさ、余裕が出て来たから罪滅ぼしをさせてほしいだなんて言うんだよ? 一緒に住めるわけないよ。血が繋がってるだけの、ただの他人じゃんか。都合が良すぎるよ」

 それぞれの考え方もある。だけど、雨傘の考えが普通だろうな。

「大人なんて、そんなもんだろうよ」

「晴くんが言うと、なんか説得力があるよね。で、晴くんの事も聞きたいな」

「俺の事を聞いても、面白くもなんともないぞ?」

「いいの。雰囲気に押されて、恥ずかしい事話しちゃえよ」

 とはいえ、何を話すべきなのか……

 俺の事なんて、チンピラとたいして変わらん。喧嘩を売られて、買って。ボコして、ボコされて。そんな自分がいかに、ダメな行動を取って来たのかを雨傘に話す。

 だけど、雨傘は、そんな俺を否定しない。心の何処かで、そんな気はしていた。そもそも、俺に近づいてきた変人だ。

「まぁ、言っちまうと、この問題児が学校に居れる原因、いや、要因? 喧嘩して、面も悪い。右見ても左を見ても、喧嘩を吹っ掛けて来る奴は、皆敵だ。そんな奴がどうやって、目をかけて貰って、目を瞑ってもらってるのか。それは、テストの点だな。有体に言えば、学年トップクラスの実力があるからこそ俺は、生意気な行動を取っても多少目を瞑って貰えてるってわけだ」

 俺は、難しい事を言ったか? 首をひねってる雨傘の姿がそこにある。何か変な事を言った覚えもないんだがな。

「つまり、つまりだよ? 教師を黙らせる為に、がり勉をしてると?」

「何故がり勉につなげたいの分からんが、まぁ、面倒事を言われたくないから勉強をしてるって認識で合ってる」

「怖い顔してるのに、退学にならない理由はそこか……」

「顔で退学なんぞになるか」

 その、え? って表情は一体なんだよ。

「もう、聞かせるような話はえよ。後は、今よりもガキだった頃に、拗ねたまま生きたらこうなっただけだ」

 実際、雨男がハブられるのに時間はかからん。

 外で楽しく遊んでりゃあ、雨だからな。

「それだけ?」

 雨傘の目が時折、直視するのがきつい時がある。

 腹に隠した本音が見られている様な。瞳のその奥を見られている。そんな目を向けられる事がある。

 その目を向けて来た時は大抵、雨傘にフォローされてる時だったりもする。

これ以上目を合わせてたら、反らしちまいそうだ。雨傘の勢いに押されて、俺はまた言葉にする。

「はみ出し者は、大人達からしてみれば、目の上のたんこぶだろ? 反りの合わない大人達を威嚇する意味でも、この面は便利だ。気づけば、こうだったとしか後は言いようがねえよ」

 人は、集団生活をする上で、邪魔になる存在を輪から省く習性がある。一度はみ出し者になると、もう一度輪の中に戻るのは簡単じゃない。

「なら、不良なんて辞めちゃえばいいのに」

「辞めれるもんだったら、辞めてる」

 敵を作る様な生き方しかしてこなかったのに、いきなりそれを止めろと言われても出来るわけがない。何も、大人達だけじゃない。

 自分から仕掛けなかったとしても、行動が気に入らないのが理由で目を付けられる事はある。

 それに、怨念ってのは巡りに回って必ず自分の下に戻ってくるもんだからな。

 敵を作っては、喧嘩に巻き込まれる。こっちには喧嘩をする気が無くても、何処かで恨みを買っていて、いつのまにか喧嘩をしてる。

 今更殊勝な行動を取れるはずもない。謝って許してくれる相手ばかりじゃないだろうからな。ボコられるのも御免だ。

「生意気な事を言ってもいい?」

「今更だろ。言えよ。最悪デコピンで許してやる」

「それも、止めてほしいんだけどなあ」

 一瞬悩む素振りをして、チラッと俺を見ると、言葉をにする。

「あのね。晴くんが止めようと思ってないからなんじゃないかな? って思ったんだけど……違うかな?」

「分かんね」

「なら、止めてみようよ。ね?」

 雨じゃ外では遊べない。ガキの頃は、俺がいると雨が降るってんで、ハブだ。ガキながらに捻くれるまでに、時間はそういらない。

 この体質が嫌で何に興味を示すことなく無気力に生きて、粋がってると喧嘩を売られて買う。辞めるのは、難しいもんがある。

「考えておく」

 俺の返事に納得がいかないのか、唸り始める雨傘が思いついたように言葉にする。

「じゃあ、代わりに、ボクは晴くんのその仏頂面を何とかして変る」

「唐突になんだよ」

 この顔がそう簡単に変わるか。そういや、一番最初に会った時も素敵な顔がどうこうなんて言ってたっけか。だが、これは長い時間をかけて腐った俺の根っこだ。そう簡単に治るはずがない。

「なんとなく? 寂しそうな感じがしたから」

「期待しないで待っといてやる」

「うん」

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