【カクヨム限定書き下ろし短編】侍女の時間は甘い時間



 シルヴィアが侍女じじよ扮装ふんそうするようになって、しばらくったある日のこと。

「待たせて悪かったな。この書類を、陛下へいかのところまで頼む」

 銀髪ぎんぱつの青年――――ルドガーから手渡された紙のたばを、シルヴィアは銀のぼんの上へとせた。

 たくされたのは、几帳面きちようめんな筆跡の並ぶ政務書類だ。

 近頃、シルヴィアはこういった、アシュナードへの届け物を頼まれることが増えた。

 お使いのついでに、アシュナードの部屋をおとずれ、シルヴィアの本来の仕事―――侍女に扮して城内を歩き回り、瘴魔しようま痕跡こんせきが無いか調べること―――の進捗しんちよくを、報告しているのだ。

 ルドガーに向かい侍女らしく一礼すると、シルヴィアはアシュナードの執務室しつむしつへと足を向けた。その足取りは、心なしか軽く、はずんでいた。

(ふふっ、最初はアシュナードへの届け物なんて、なんでそんな雑用を私が、って思っていたけど……)

 この国の皇帝でもあるアシュナードは、シルヴィアの夫だ。

 瘴魔の調査の進捗を知らせるだけなら、侍女として彼の部屋を訪れる必要は無い。夫婦そろっての食事の時に伝えるだけで十分だ。

 にも関わらず、アシュナードは少しでも早く調査状況を把握はあくしたいからと、侍女として動くシルヴィアをたびたび呼びつけていた。

 彼の都合つごうに振り回され、初めはしぶっていたシルヴィアだったが、今はその時間が、アシュナードの部屋を侍女として訪れる時間が、少しだけ楽しみになっていた。

 その理由は――――

「失礼いたします、陛下。書類をお持ちしましたわ」

 執務室の前でおとないを告げると、重厚な黒樫くろかしとびらが、音も無く開いた。

 途端とたんに鼻先に、ほんのりと甘い、香ばしい香りがただよってくる。

(わぁ、今日もおいしそうね)

 部屋の一角、応接セットのテーブルの上に、きつね色の焼き菓子がしが盛られていた。

 表面がつやめいているのは、たっぷりとられたバターのおかげだろうか?

 想像をふくらませつつ足を進め、部屋の奥に座すアシュナードへ書類を差し出す。

 アシュナードは書類を一瞥いちべつすると、すぐに羽根ペンを走らせる手元へ視線を戻した。

「きりのいいところまで、もう少しかかりそうだ。書類はそこに置いて、おまえは菓子でも食べて待っていろ」

「わかりましたわ」

 アシュナードの言葉に、シルヴィアは内心うきうきと従った。

 応接セットの長椅子ながいすこしかけ、甘く香る焼き菓子へと指を伸ばす。

 一口頬張ひとくちほおばると、優しいバターの甘さがほどけ、舌の上を満たした。

(う~~ん、美味おいしい。今日のお菓子も、すごく美味しいわね)

 さくさくとした生地に、歯ごたえのある胡桃くるみの粒がうれしい焼き菓子だ。

 口内に広がる幸福に、シルヴィアの頬がゆるむ。

(幸せ~。役得ってやつね)

 元々この菓子は、アシュナードの軽食用に置かれているものだ。

 近頃、アシュナードに呼びつけられることが多くなったが、彼もなかなかにいそがしい身の上だ。

 部屋を訪れても、すぐには手が空かないことも多い。そんな時彼は、菓子でも食べて待っていろと言うのだった。

(もっとも、最初は遠慮えんりよしてたわけだけど……)

 アシュナードを待つ間、手持ちぶさたなのは事実だったし、置かれている菓子は何故か毎回、シルヴィアの好みのものばかりだった。

不思議ふしぎね。陛下に私の好きなお菓子を伝えたことは無いのに、どうしてかしら?)

 偶然ぐうぜん、食の好みが似通にかよっているのだろうか? わからなかったが、貴人きじんきようされる食物の習いとして、用意された菓子は、アシュナード一人では食べきれないほどの量だった。

(だったら、私がもらっても、問題ないわよね)

 そうして舌鼓したづつみを打っていると、対面の長椅子に、アシュナードが腰かけた。

「あら、陛下、もう仕事は終わったの?」

 町娘のようなくだけた口調で、アシュナードへと話しかける。

 部屋の中には、シルヴィアとアシュナードの二人だけ。先ほど、部屋の戸を開けた従僕じゆうぼくは、アシュナードが指示を出し、部屋の外へと下がらせていた。

 侍女服を着て、アシュナードと二人っきりの時、彼はシルヴィアに、くだけた口調で話すよう求めていた。シルヴィアのこの口調は、正体をかくし行動する時のためのものだ。アシュナードは、その口調に不自然さがないか、確認したいらしかった。

(まぁ、私もこっちの方が話しやすいから、ちょうどいいんだけど)

 シルヴィアは普段ふだん、聖女らしい、ゆったりとした上品な話し言葉を使っている。

 だが実は、先ほどのような口調こそが素だ。

「あいかわらず、おまえの町娘風の口調は完璧かんぺきだな」

 アシュナードはつぶやくと、皿に盛られた菓子へと手を伸ばした。

 どうやら、書類仕事が続いていたせいで、軽食を取るひまも無かったようだ。シルヴィアからの報告を聞く前に、小腹を満たすことにしたらしい。

 きつね色の菓子が、アシュナードのくちびるへと消えていく。

 無言で咀嚼そしやくし、次の菓子を手に取り、軽い音を立てかみくだく。

(うーん、無表情。美味しいものを食べても、顔に出ないタイプなのかしら?)

 元々、アシュナード用に置かれた菓子であるから、彼の好物ではあるはずだ。

 だが、アシュナードは嬉しそうな顔を見せるでもなく、黙々もくもくと菓子を口にしている。

 そんな彼を見つつ、シルヴィアもまた、皿に盛られた焼き菓子を頬張った。

 さくさくとした食感と甘さを楽しんでいると、自然と笑顔になる。

 いつもは聖女らしく清廉せいれんに、感情を表に出さないようにしているが、今は「町娘らしく」振る舞っているのだ。美味しいものを食べる幸福を、素直すなおに表情に出してもいいはずだ。そう思い、頬を緩めていると―――――

(あ、笑った) 

 アシュナードがこちらを見て、わずかに目を細め微笑ほほえんでいる。金の瞳がとろりとした光を帯び、蜂蜜はちみつのように甘い。いつものとげだらけの笑いとは違う、ささやかな、でも嬉しそうな笑顔だった。

(………そんな風にも、笑えるのね)

 ―――――あの笑いは、自分に向けられたものではない。

 アシュナードもまた菓子を美味しいと感じて、表情に出たにすぎないはずだ。

 なのに、甘い。ふわふわとして、むねが高鳴る。口の中の菓子より甘さを感じたのが、シルヴィアにも不思議だった。

「私だって笑うぞ?」

「あ……」

 心の中だけで呟いたはずが、声に出ていたらしい。

 アシュナードの笑顔が深くなる。ただし、先ほどまでのやわらかなものと違い、からかうように唇がゆがんでいる、

「目の前で、悩みなど何も無さそうな能天気な顔で、菓子を頬張ってる奴がいるんだ。つられて笑ってしまうものだろう?」

「失礼ね。美味しいものを食べたら、笑顔になるのが自然でしょ」

「あぁ、そうだ。その通りだな。だがな、頬をえさふくらませる小動物を見て笑ってしまうのも、自然なことだろう?」

だれが小動物よ」

 言い返しつつ、ふと、思い出の欠片かけらが、意識のはしへと立ち上った。

(そういえば昔、このお菓子、ラナン君と一緒に食べたな)

 町娘に扮装し、ラナン君と二人で、買い食いをした時の話だ。

 シルヴィアが菓子を差し出すと、ラナン君は小さくかじり――――

『このお菓子、とっても美味しいです!!』

 口元を緩ませ、こちらを見上げるラナン君。瞳をかがやかせ、小さな両手で焼き菓子を持つ姿は、どんぐりを持つ小動物のようで、とても可愛かわいらしかった。

 その笑顔は、少しだけ先ほどの、アシュナードの顔と似ているような気がして―――

「うわっ!?」

 唇に感じる、甘い感触かんしよく

 アシュナードが机越しに腕を伸ばし、唇に焼き菓子を押し付けていた。

「な、なにするのよ陛下?」

「……私といるのに、他人のことを考えるな」

「へ? 今なんて、ってわっ!!」

 聞き返そうとすると、口の中に焼き菓子を押し込まれる。

 声を出すのをあきらめ、焼き菓子をかみ砕いていると、アシュナードが意地悪げに笑った。

「そうしていると、やはり、リスのようだな」

「むっ」

 人の口に菓子を突っ込んでおいて、なんだその言い分は。

 反論したいが、焼き菓子を飲み込むのが先だ。

 いそいそと口を動かし、いざ唇を開こうとする。だが、今度はアシュナードの指が、直接顔へとれてきた。

「動くな」

 低くささやくと、アシュナードが指をすべらせた。

 指先が唇をかすめ、心臓しんぞう早鐘はやがねを打つ。

 思わず固まっていると、アシュナードが顔を寄せ、間近でこちらをのぞき込んできた。

(な――――――――!?)

 訳が分からず、アシュナードの金の瞳を見返す。

 見つめあっていたのは刹那せつなか、どれくらいだっただろうか?

 アシュナードがかたの力を抜くように息を吐き、そっと身を引いた。指先についた菓子屑かしくずを、皿の上へと落とす。シルヴィアの頬についていた菓子の欠片を、取ってくれたらしかった。

(だ、だとしても何で、あんな近くに顔を寄せてきたのよ⁉)

 もしかして、他に菓子屑がついていないか、確認してくれたのだろうか?

 どちらにしろ、心臓に悪いことこの上なかった。

「も、もうっ、やめてよね!! そんな子ども相手にするような仕草、いきなりびっくりするじゃない!!」

「子どもあつかい、か。昔は逆だったのにな」

 アシュナードの呟きは小さく、シルヴィアに届くことは無かった。



 ―――――アシュナードの呟きの意味、そして彼がかかえる思いをシルヴィアが知るのは、もう少し先のことになるのだった。



 

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