第四章 聖女と侍女の二重生活



 うららかなれ日が、ちやの広げられたテーブルの上に降り注いでいた。白磁のティーカップに、かおり高い紅茶がらめく。並べられた焼き菓子は、どれも手が込みしそうだ。

 しよくよくげきする光景に、しかしシルヴィアはげんなりとした声をあげた。

「はぁ、あいかわらず足がかりになるような情報はないのね……」

 ゆううつな青のひとみが見るのは、手元にまとめられた報告書の束だ。

 シルヴィアはひざの上に書類を投げ出すと、おぎよう悪く茶菓子をほおばった。

 アシュナードの記念式典でのそうどうから、すでに一か月が過ぎている。式典が終了し、城内から人がはけた後に調査を行ったが、犯人に結び付く手がかりは見つけられなかった。シルヴィアによりしようの被害はおさえられが、じようの力が強すぎたのだ。瘴魔の辿たどってきた道筋の気配まで、完全に洗い流してしまったため、それ以上の情報を得ることができなかった。

 そしてそれ以来、シルヴィアが瘴魔を浄化する機会は無かった。

(でも、今でもアシュナードは時々、瘴魔の残りがする。ねらわれているのよね)

 ならばと、今まで以上にアシュナードに付き従ったが、シルヴィアが同行している時には、瘴魔が姿を現すことはなかった。

(こうもこつだと、やはり私のことを意識しているんでしょうね)

 瘴魔単体で、そんな知恵が働くとも思えない。やはりアシュナードが言うように、だれか人間が、裏であんやくしているということだろう。その事実がより一層、シルヴィアのうれいを深めた。

 アシュナードもえいを増やして動いており、一人にならないようしている。瘴魔が直接襲おそってくることはないようだが、不安は消えなかった。

(せっかく瘴魔のいない世界になったのに、どうしてそんなことするのよ。それに瘴魔を悪用できるとしたら、それは……)

 瘴魔を浄化することができるのは、しゆくへんの子のみ。そして、瘴魔を人の手でぎよそうとしたら、浄化の力という、瘴魔に対するむちとなりうる祝片の子が関わっている可能性が高い。

(それに記念式典の日、ゴルトナージュすうきようの動きはあやしかった……)

 瘴魔を浄化した後は、花火などで会場がざわついていた。場が収まった頃、ゴルトナージュの姿を再び会場で確認したが、問い詰めることはできなかった、

 彼について後日調べてみると、かつてこの国の教会にけんされていた経歴があった。この地に知人やかんもあるのだろう。疑いだすと、何もかも怪しく見えてしまうのだった。

(彼が白にしろ黒にしろ、早く犯人を見つけ出したいのに……)

 犯人が誰かはまだ断定できないが、シルヴィアをけいかいしているのは間違いない。だからこそシルヴィアは外出をひかえ、りようようという名目で自室に引きこもっている。今日はバルコニーでのアシュナードとのお茶会、という形と情報交換をするつもりだったが、彼は約束の時間を過ぎてなお姿を現さなかった。それだけぼうだということだ。

(アシュナードにばっかり負担かけるのも、後が怖いのよね……)

 だが、シルヴィア自らが動き回ると、敵もしつかくし、事件解決を遠ざけることとなる。

 どうしたものかと思い悩むうち、一つのみようあん―――と思える考えにたどりつく。

(あ、つまり、私だって気づかれなければいいわけよね?)


★★★★

 

「シルヴィアおうはいるか?」

 すいの声とともにシルヴィアの自室に入ってきた男、ルドガーは視線をめぐらせた。

 光りかがやく金のかみに、はかなくもせいれんなたたずまい。聖女シルヴィアは、立っているだけで衆目を集め、よく目立つ。しかし彼女の姿は今、部屋のどこにも見当たらなかった。

「王妃はどちらに? 陛下の名代として茶会の欠席の知らせと、書類をお持ちして―――」

「ルドガー様、シルヴィア様は寝室でお休み中です。お声をひそめていただけますか?」

 部屋のすみから、眼鏡めがねをかけた、ちやぱつじよが進み出る。所作は整っており、礼の角度もかんぺきだったが、硝子ダラスごしの青の瞳は溌溂はつらつと輝き、活発そうな印象だった。

「シルヴィア様は陛下を待っておいででしたが、お疲れになったようです」

「そうだったか。陛下の名代としてさんを謝罪しよう。陛下は急用が入られてな。今日の夕食後に改めてこちらをおとずれるつもりだと、そう伝えてもらえるだろうか?」

「承知いたしました。こちらも主人から、言伝ことづてを預かっています。陛下にお渡しいただけますか?」

「あぁ、渡しておこう」

 手紙の表面の『陛下へ』という文字は、確かにシルヴィアの手だ。

 ルドガーは生来の仏頂面ぶつちようづらのまま手紙を受け取ると、部屋を後にしたのだった。

 

 ★★★★


「ふふっ、変装は完璧ね」

 紺色の侍女服でくるりと一回転し、シルヴイアは上機嫌じようきげんに笑った。

 以前、部屋から抜け出すために侍女のお仕着せを拝借はいしやくした。王妃がそでを通した服などおそれ多いと言われ、シルヴィアの私物となり、衣装櫃いしょうびつの肥やしになっていたのだ。

「ルドガーは私だって気づいた様子もなかったし、これなら他人にはバレないわね)

 アシュナードの腹心であるルドガーとは、幾度いくどか間近で顔を合わせ、言葉をわしたことがある。そのルドガーに、一対一の至近距離しきんきよりで気づかれなかったのだ。そう簡単に、他人に変装だと気づかれることはないはず。

 今のシルヴィアは、こげ茶のカツラを被っている。カツラは、ハーヴェイからの差し入れだ。帝国に持ってきそこねていた、細々とした身の回りの品を、ハーヴェイが衣装櫃に入れ送ってくれた。箱の隅に、以前おしのびの際に使っていた、変装用のカツラも入っていたのだ。

 こげ茶の髪に、眼鏡をかけた侍女姿。顔にほどこした化粧けしようも、少女らしい瑞々みずみずしさ、血色の良さを強調したものだ。口を開けば、年相応にはずんだ明るい口調。いつも聖女として振る舞っている時とは真逆の印象になるよう、念入りに変装―――を出していた。

「昔、お忍びで変装していたのが役に立ったわね」

 この姿のまま外に出れば、誰もシルヴィアだと思わないはずだ。

 ルドガーも、そして部屋に控えていた他のシルヴィア付きの侍女も、誰一人変装には気づかなかった。仕上がりは上々。せっかく気合を入れて変装したのだから、この姿のままアシュナードを出迎でむかえて、反応を見るのも面白おもしろそうだ。

 侍女姿のまま日課である帝国の歴史の勉強を行い、運ばれてきた夕飯に手を付ける。

 最後の一皿を片付けてしばらくすると、廊下ろうかへとつながるとびらが、ノックの音とともに開かれた。

「昼間は待たせて悪かっ――――」

「陛下、こんばんは」

 悪戯いたずらっぽく笑いかけると、アシュナードが動きを止めた。

(あら、めずらしいわね。こんなに驚いた顔、初めて見たわ)

 ちょっと得した気分になり、小さくき出してしまう。

 シルヴィアの部屋の侍女の人選は、アシュナードも目を通し関わっている。なのに、見覚えのない侍女がいたせいで、間者を疑い動揺どうようしているのかもしれない。

 うっかりさわぎにならないよう、早めにネタばらしをしようとするが――――

「きゃっ!?」

 強い力で手首をつかまれ、背中を壁に押し付けられる。

「おま、いや、あなたは――――!!」

「…………っ!! 」

 のぞき込んでくる金の瞳の強さに、言葉がついえ空回る。

 真摯しんしな瞳に、救いを求めるようなその姿。既視感きしかんを感じつつ、気圧けおされながらもくちびるを開いた。

「わ、私です陛下。シルヴィアです!!」

 口調をいつもの聖女のものに戻して言うと、アシュナードが再び目を見開いた。

「……なるほど、そういうことか」

「どういうことですの?」

「いや、何でもない……」

 珍しく、アシュナードが言葉をにごす。

 手首をいましめる力は弱められ、こわれ物を持つような、やわらかな力加減になっている。

「………まさか、と思っていたが、予想が当たるとはな」

 シルヴィアには届かない小さな声で、アシュナードがつぶやく。

 腕の拘束こうそくゆるまったすきに、シルヴィアはアシュナードから距離を取るよう下がった。

 乱れた衣服を整え、事情を説明しはじめる。

「聖女である私が出歩いていては、敵も尻尾を見せないでしょう? ですから、私は―――」

 一拍いつぱくを置き、意識を切り替える。落ち着いた聖女から、シルヴィア本来の気性にほど近い、勝気さを感じさせる声色こわいろへと。

「―――こうして侍女や町娘に扮装ふんそうして、外を動き回ろうと思うの」 

「見事な化けっぷりだな」

「おほめにあずかり、光栄ね」

 してやったりと笑う。聖女の時にはおくびも出さなかった、いたずらっ子のような得意顔だ。

 今までとは別人といったシルヴィアを前に、アシュナードは吐息といきをつくように笑った。

 おかしそうで、うれしそうで。そんな感情を隠すことも無い、自然な笑いだっだ。

(なによ、驚いた。そんな顔もできるの……?)

 彼らしからぬ柔らかな表情に、何故か心臓しんぞうが騒ぐ。鼓動こどうの理由がわからず戸惑とまどっていると、アシュナードの顔は、いつもの人を食ったみに戻っていた。

「おまえ、そちらの方が本性だろう?」

「そんな、まさか――――」

 もう一度深呼吸し、がらりと口調を切り替え、聖女らしく微笑ほほえんでみせる。 

「――――聖女であっても、市井しせいにまぎれ行動することもありましたわ。そんな時のために、訓練は欠かしませんでしたの」

「女は皆女優だと言うが、おまえは大女優だな」

「これくらい、聖女のたしなみですわ」

「……おまえは一体、聖女を何だと思っているんだ?」

「実際に今、陛下の目をあざむけたのですから、役に立ちましたわ――――それに、陛下だけでなくルドガー様や、私付きの侍女も気づかなかったわよ?」

 話す途中とちゆうで器用に声色を変えると、くるりとその場で一回転し、部屋の中を歩き回った。

 足取りは軽く、表情もくったくないもの。町娘そのものといった様子だった。

「だから、変装しての外出を認めろと?」

「えぇ、これなら文句ないでしょ? 一日中だって、こちらの口調で過ごすこともできるわ」

 自信たっぷりに胸をそらす。やはり、素に近い口調は楽だ。

 どうだとばかりにアシュナードを見上げると、視線をそらされてしまった。

「……あぁ、そうだろうな。その点については、心配はしていないさ」

「へ?」

 まじまじと、アシュナードの顔を見返した。変装の出来を認めてもらえたのは、喜ばしいことだ。だが、あまりにもあっさりと認めすぎではないだろうか?

(アシュナードのことだから、「どんな状態でも変装が保てるか証明しろ」とか、無理難題を振ってくるかと思ったのだけど……)

 それだけ、シルヴィアの変装に衝撃しようげきを受けたということだろうか?

 だとすれば、先ほどアシュナードの様子がおかしいのも説明がつくが、釈然しやくぜんとしなかった。だが、下手へたにつっついても藪蛇やぶへびになるかもだ。今はまず、変装しての外出を認めさせるのが先だ。 

「夫である陛下だって、変装を見破れなかったんだもの。十分及第点きゆうだいてんよね?」

「違う。疑ってはいたさ。以前からな。だがまさか、そんな都合つごうのいいことがあるかと、そう思っていただけだ」

「以前から? 都合のいいこと?」

 何だそれはと、首をひねる。

「一体何を言っているの? 陛下、やっぱり、なんかおかしいわよ。変なものでも食べたの?」

「歯にきぬ着せぬ言い分だな」

「そういう演技設定よ」

「………そういうことにしておいてやろう」

 アシュナードは言うと、長椅子ながいすこしを下ろした。

「おまえの化けっぷりに免じて、外を動き回るのを考えよう。ただし、いくつか条件がある」

「ありがとう、わかったわ。それじゃぁ早速、変装計画について説明するわ――――」


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この続きは書籍にてお楽しみください。


2018年9月1日発売!!

角川ビーンズ文庫

「眠れる聖女の望まざる婚約 目覚めたら、冷酷皇帝の花嫁でした」

秋月かなで イラスト/北沢きょう

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