第60話 あいつが飛び降りてから②
あいつは僕よりも明るく、賢くて成績がよかった。小学生の時に扁桃腺が度々腫れて、それをとる手術をしたが、薬の副作用で太った時期があった。
しかし概ね朗らかだったように思う。
中学生になってバスケットボール部に入った。まじめだったあいつは顧問から部長だか副部長だかを任された。しかし部室でお菓子を食べているような同級生の部員とそりが合わず、そのうちいじめられるようになった。
成績が落ち、夜遅くまで部活から帰らなくなった。
僕は自分のことに精一杯であまり覚えていない。おかしいと思った母があいつに問うとワンワンと泣き出してこのことを話したらしい。
あいつは傷ついていた。
母は部活の顧問に話をしにいったが素っ気ない対応だったそうだ。顧問は元々あまり部活に顔も出していなかったらしい。
当時は今ほどいじめに対する対策や、いじめられた子供の心の傷に対するケアが確立されていなかった。
心の傷とか、それによるトラウマとかPTSDとか、引きこもりというものが世に広まって、そういうものが世の中の中で小さくない問題になってきているので本腰を入れて取り組まなければならない、というような流れが表面的に出てくるのはこの10年、20年あとだったと思う。
いじめられて、トラウマになって学校に行きたくなくても、当時はそれを逃がす、休ませる、という考えが一般的ではなかった。
あいつはがんばって学校に行き、バスケットボール部は辞めて別の友達が誘ってくれたソフトボール部に入った。
明るさを徐々に取り戻し、成績も少しずつ回復した。苦しかったと思う。
心の恐怖にあらがって学校に行くという、あいつなりの並々ならぬ努力があった。
あいつはなんとか高校受験をし、中学校を卒業した。
実に20年近くもあいつは苦しみながら生きた。父も母も僕も苦しみながら生きた。
父はあいつを残していくことを心残りに死んでいったし、僕も家を出て結婚し、子供が出来てからも日常のふとした時にあいつはどうなるんだろうという不安にとらわれた。
家族と笑っているその奥に常にあいつのことがあった。それはあいつを心配するだけの生易しいものではなかった。父と母が死んだあとで、あいつの面倒が見れるのだろうか、入れる施設があるのだろうか、お金はどうなるんだろう、僕が幾らか払わなければならなくなった場合家族は納得してくれるのか。
そのせいで子供の進学をあきらめなければならないことにはならないか。
もしその最中に僕に何かあったら、家族にあいつを任せるのか?いや、それは出来ない。
人の心配をせずに、金の心配ばかりで卑しい人間だと思われるかもしれないが、それが現実として自分の隣に横たわっていた時に、笑い飛ばせる人がどれだけいるだろう。
しこたま稼いでいて、お金でどうにでも解決できる、という人が世の中にどれだけいるだろう。
これだ、という解決策は自分には無かった。
時計の針が少しずつ進み、遠い先の不安がやがて現実味を帯びていくんだろうなという、不安が常に僕の横にぴったりとくっついていた。
中学生のほんのわずがなひねくれた仲間意識のようなものが、共通の一人の標的を作ることで大きな力をもったような感覚を感じて、その相手の人生を後々まで狂わせる。
あいつをいじめたバスケットボールの同級生の1人は保育園から同じだった子なので僕も顔が分かる。
その子が巨大ショッピングモールのおもちゃ屋さんで働いている。
子供の誕生日のプレゼントを買いに行ったときに気付いてしまったのだ。
向こうは気付いていないだろう。
面接では「子供に夢を」とかなんとか言ったかもしれない。その同級生はあいつのことを覚えているだろうか。あいつの十何年にも渡る苦しみに思いを馳せたことがあるだろうか。
暖かな部屋で家族と子供の誕生日を祝っているかもしれない。
恋人と南の島に旅行にいくかもしれない。
孫に囲まれながら幸せに死ぬかもしれない。
自分のやったことの顛末を知らないまま笑って暮らすのか。
その子をみる度にお前のせいで大人になれなかった人間もいるんだ、と思ってしまう。
聖人君子のように許すべきなのかもしれない。しかし、自分には出来ない。復讐する術はない。しかし一生そのバスケットボール部の、あいつをいじめた人間達を許すことはないだろう。
中学を卒業したあいつは高校に進学した。ここでいじめてきた子とは離れ、仕切り直しをして高校では上手くいってほしいと家族全員が願っていた。しかし進学した先にあいつをいじめた人間がいた。
もっと離れた、同じ中学校の同級生が1人もいないような学校に進学すればよいと思うかもしれないが、少し回復したと言っても、1度弱りきり、疲れ切ったあいつにそんな遠くの学校に通う気力は残っていなかったと思う。
あいつはその人間の視線や会話が怖かった。1度おさまっていたトラウマはいとも簡単に現れ、あいつは高校に通えなくなった。
それからの症状は以前より悪かった。それでも親はねばり、病院に連れていき、対話を続けた。
あいつは大検を合格して高校を卒業したと同等の資格をとり、大学に進学した。
並々ならぬ努力だったと思う。
この間の親の苦労も大変なものだった。いつまで続くか分からない心配を抱えることほど辛いことはない。
かくして進学したと大学に再びあいつをいじめた人間がいた。あいつの心は壊れてしまった。
2度立ち上がったあいつは、3度目にとうとう立ち上がれなくなった。
それからは酷いものだった。よほどの恐怖だったのだろう。小学生時代の明るさは微塵も無くしていた。家から出れなくなった。人と話すことが怖かった。簡単なことが出来なくなり、自分の未来を悲観していた。
あいつが亡くなって、部屋を片付けているとメモ帳が出て来た。
最初の頃のものは日記のような体もあったが、文章はどんどん稚拙になっていった。
晩年のものは1頁に数文字書いてあるだけ。
漢字も減り、不安からか同じことを繰り返し書き留めたりしている。最後は小学1年生ぐらいの文章や文字だった。
いつか脳が萎縮してきている、という診断を受けていた。
驚いたのはかなり早い時点から「死にたい」というようなことが書かれていたことだ。
そこから高校に進学し、大検をとり、大学に受かった。
生をふりしぼって生きたと思う。
不安にかられ、ペンやメモ帳やシャンプーやボディソープは同じものを何個も何個もストックしていた。手を洗い出すと何分間も洗い続ける。手が荒れても洗い続けた。トイレに数十分、入浴は何時間もかかった。洗髪が出来なくなり洗面所で母親に頭を洗ってもらうようになった。
父親が亡くなり母と二人暮らしをしていた。
年老いた母は自分のことをしながらあいつの世話をしていた。いく先が不安だったことだろう。
俺に面倒をかけたくない、とも思っていたと思う。
それであいつが亡くなった時に、少しホッとしているように見えたのだろう。
遺体の確認をした時に「やったんだな」と思った。
あいつは長い長い戦いに決着をつけて苦しみから解放された。
「次は幸せになれよ」と強く強く思った。
次は幸せになれよ
次は幸せになれよ
次は幸せになれよ
地元に30年以上暮らしてるのに1人ぼっちの俺の友達は亀 @nichirai
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