第59話 あいつが飛び降りてから①

重く、暗い話を書く。読んでいただく方の中には甚だ迷惑に感じられる方もいると思う。

申し訳なく思うが、書く。


昨夜、嫌な夢を見て、寝入ってから1時間ほどで目が覚めてしまった。

夢の内容には、あいつはまったく関係無いようには思えたが、昨日があいつの命日で、好きだったチョコのお菓子を買って供えてやろう、と思っていたのに帰る頃にはすっかり忘れていたので、あいつが怒っているのかもしれない、と思った。霊感は無いと思うが自然とそう思えた。


2020年から3年が経つ。

今までは実家で一人暮らしをしていた母親が何かを供えていたのかもしれない。そう思い、次の日にはチョコを供えた。


忘れもしない2020年11月30日

その日は仕事が休みで、夕方家でゆっくりしていた。

実家の母から着信があり、とった子供から電話を渡される。少し嫌な予感がした覚えがある。

母が電話を警察に代わり、警察の話を聞いて

すぐ実家に向かう。車で笹沖から国道二号線に乗る。そわそわする。ハンドルを握る手がいつもと違う。冷静でいようと努めてはいるが頭の中では色んなことがに思い浮かんでは消えていた。

10分ほどで実家に着くと駐車場にパトカーではなく普通のセダンが停まっている。家の中には母と私服警官が2人いて1人が警察手帳を見せてくれた。

1人はスーツ、1人はジーンズとトレーナーの上にダウンのベストを着ていた。


警察の話を聞く。

実家から数百メートルのマンションの階段踊り場から人が飛び降りた。

病院に運ばれ心肺蘇生が施されたが死亡した。身元が分かるものを所持していなかったが、調査の結果、2軒の候補が上がった。

そのうちの1軒がウチだった。

遺体や衣服の特長を母に確認したところ、どうやらウチの方ではないか、ということだった。

警察二人組は家にあった写真を見て遺体はほぼあいつで間違いないだろうと思っている様子だった。

先に話を聞いていた母は思ったよりサバサバしていて落ち着いた様子だ。僕は警察に「はい」と返事をして、その時はその他のことは問わなかった。人違いではないか、人違いならあまり話を聞いても仕方がない、とも思ったし、そうして話しているうちにもあいつがひょっこり帰ってくるのではないか、と思っていた。

実家の調査が済んだら病院で遺体の確認をしてほしいとのこと。病院の救急の主任に電話するよう言われて電話をする。

警察からいくつか質問されたあと、母を車に乗せ、先導する警察の車の後をついて病院に向かう。

大きな総合病院の救急の受付の奥に入っていく。職員の人に「きれいにはしたのですが損傷がひどくて」というようなことを言われて小部屋の中に通される。

どこかで人違いではないか、と思いながら、でもこの部屋に入るときに膝が抜けるような、フッと気が遠くなるような感じがした。

対面した亡骸はあいつだった。

背面から落下したようで、敷物に多少血がついているが、ありがたいことに正面は生前のあいつのままだった。

母は何か語りかけていた。

返事はない。

僕は置いてあったイスに腰掛けた。

話を聞くのに、担当した医師の手があくのをその部屋で待った。

小一時間ほど待ったと思う。

長く長く感じた。


亡骸は、顔が青白くなっているわけではなかった。

見なれた人間が、しかしもう動かない。

ベッドに寝ているが呼吸で胸が上下することはない。

圧倒的な死がそこにはあった。

あいつの形をしてはいるが、魂というものがあるのか無いのか僕には分からないが、そこに横たわっているあいつはもう動かない、という現実が待った無しで突きつけられる。

こちらの準備を待ってはくれない。


一方で数年前からこういう予感が僕にはあった。あいつがマンションから飛び降りる夢を何度か見ていた。

目が覚めている時にもふとそれが頭をよぎることがあった。

そういうことにならなければいいな、と思っていたし、やらないでくれ、と思っていた。


亡骸を前にして、やってしまったのかという自律神経がおかしくて体温が高いようななんともいえない状態と、それとは逆にどこかでほっとした部分があった。

あいつの長い長い、辛い戦いが終ったのだ。

母が取り乱さなかったのもそのせいかもしれない。

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