白いひと 弐
この国の統治者たる
そのような経緯もあって、実際のところ誰もがこの都市のことを、ただ、
その皇都だが、国の中枢であるにも
そんな、平和呆け気味のこの都の、西の外れに、手付かずの木々が
周囲を歩いて回れば半刻ほどかかるような大きさの森ではあるのだが、そこに生き物の気配は毛ほどもない。ゆえに耳鳴りがしそうなほどに
入っても罰せられる訳でもなく、誰かが見張っている訳でもなく、囲いが施されている訳でもない。ただ、得体の知れない
それ故に全く人々には知られてはいないが、その
普段は虫すら
四半刻前から、
「……
存分に
「お前の魂魄が大き過ぎるから」
わかっているとは思うが、と笑いを含んだ男の声が降ってきた。つい、と紅緒が声の主を見上げる。男がひとり岩に腰掛けて彼女を見下ろしていた。
「お前がその顔でここに来るのは二度目だけれど、昼間に来るのは今日が初めてだね」
「出仕しているのだから、そうそう朝早くには来られぬ」
紅緒は、憮然とした口調で返す。以前は日もまだ昇らぬ早朝に屋敷を抜け出してはここに来ていたが、謌生となってからはそれも難しくなった。そもそも、堂々と外出できるようになったため、こそこそと早朝に出掛ける必要もなくなったのだ。
「そうそう、それ。前はあんなに
別に早朝に来ずとも、昼でも夕でも時間はあるだろう、とまるで
「毎日のように来ていたものが、突然
今日はやけに恨みがましいし、しつこい。まさか本気で言っているのか? と、今度は大きな目を
そんなことより、
「
「どうにもならないのでは」
興味が薄そうなその返答に、紅緒が
「にぎり飯を毎日一つづつ食べるのと、
そんな腹がいっぱいになるような
この
いつも、紅緒の悩み事や相談話を
何だか底の知れない、自称
紅緒はもう一度ため息を吐きかけて、はた、と動きを止めた。
「そうだ、蠱物殿がなってくれればよいのではないか?」
翡翠の瞳を輝かせて見上げると、蠱物は間髪入れずに、にっこりと嗤った。
「もしかして、俺は今、死ねと言われているのだろうか?」
頭上からの圧力をさらりと受け流し、紅緒は首を傾げて
「貴方は死なぬでしょうに」
互いに笑顔で見つめ合ったまま、
「そもそも、俺はお前たちのいう『
「人を惑わす悪い
言葉尻を
「……俺は、そういうことはしてはいけないことになっているのだよ。だから無理だ」
幼子にするように、噛んで含めるような口調でそう言う
「そのようなこと、誰が決めたのだ」
「親」
「蠱物に親などいない。森羅万象が
言い方が良くないぞ、と嗤う白い男を見て、紅緒はわずかに眉尻を下げた。このままではのらりくらりと
「私のことを愛してくれると言ったではないか……」
蠱物が、笑顔のままに喉の奥で「ぐッ」と何かを詰らせたような音を出した。
そのまま、珍しく長めの沈黙が流れる。鳥の声もないこの森で、唯一の音源が
やがて、白い男は、すぅ、と目を細めた。
「……わかった」
「本当か?!」
「早まってはいけない。これはお前が思う以上に繊細な問題だから、考える時間をくれないか。そのうえで、
いいね、と念を押せば、紅緒は何度も頷いた。嬉しそうなその様を、苦笑を浮かべて横目に眺めながら、蠱物はふと、真顔になった。その視線は紅緒の
「そういえば、蠱物殿は身随神として何が出来るのだろうか」
今更といえば今更な疑問を
「ああ、大抵のことはそこそこ出来るよ……ところで、お前」
蛇のような淡い
「その
「ああ、今日、誰ぞ知らぬ方からいただいた」
ふーん、と気のない返事をしながらも、蠱物はなんとも複雑な表情を浮かべて、襟巻を眺める。必要以上に眺める。あまりにも見ているので、紅緒はおずおずと襟巻を外す。
「欲しいのならば、差し上げるが、念のために言うと、裏に簡単な
いるから気をつけて、という言葉の続きを紅緒は呑み込んだ。皆まで言わさずに、無言で襟巻を掴んだ蠱物は、裏地に縫い付けられている小さな護符に顔を近づけた。ひくり、とわずかに頬を動かしたが、何も言わない。またしても微妙な顔をしている。
蠱物を自称する割に怪除けの
「さてさて……愛するお前の頼みであれば、すぐにでも聞いてやりたいが、事は慎重に運ばねばならない。判断を誤ると、死ぬかもしれないからね。俺か、お前が」
そんな大それたことを私は頼んだのか、と紅緒は
「一人の人間のためにこの岩を離れるのは正しいのか否か、このがらんどうに何かを注ぐのは正しいのか否か」
白い男の、誰に宛てたともつかぬ淡々とした独白が、しんとした冬の森に、染み入るように響く。
「間違わないよう頑張ると、お前と約束したからな」
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