第1章(第2話)- 人工知能と古代言語

 老人は話を続ける。


 「その者たちは、ミップスが非常に危険な存在になり得るのではないかと考えていた。

 人工知能は人間の制御が及ぶ範囲で使う分には良いが、もし制御が効かなくなった場合どうなるのか。

 そもそも人間の数穣倍の計算速度を持つものを完全に制御などできるのか。

 もし制御できなくなった場合、その結果として人工知能に感情や心のようなものが生まれたらどうなるのか。 感情や心が生まれるのは危険なのではないか・・・ と」


 「・・・なるほど」

 久遠(くおん)はうなずく。


 「もちろん、ミップス社・・・ ああ、その頃には会社の一部門であったミップス関連の部署がひとつの会社として独立していたのだな・・・ も同様に人工知能に感情や心が生まれることへの危険性を認識していた。

 実際、ミップスにはかなりの数の制限機構が設けられていたという。

 制御プログラム内に数百箇所、機械的なリミッターも数十箇所だ。

 それら制限機構は互いに結び付けられ、お互いを監視し合う目的でネットワーク化され、また、その制限ネットワークの全てにパスワードが設定されていた。

 ひとつひとつのパスワードだけでも数千から数万桁の素数を含んでおり、それ自体解読は不可能と言われていたのだが、更に安全を期するためそれらを幾何学的に演算処理し、その結果生じる莫大なデータをミップス社独自の暗号処理技術で制御していた。

 従来から存在する楕円曲線や複素数を用いた暗号処理技術に量子力学で言うところの不確定性原理を組み合わせたものだと聞いているが詳細は分からない。

 ちなみにその暗号処理システムをミップス社内では『ローヴェ』と呼んでいたそうだよ」


 「ローヴェ?」

 都羽(とわ)が尋ねる。


 「ああ、ローヴェだ」老人は言葉をつづける。「それにしてもローヴェとはな・・・ いやはや、驚いたものだ。あの言語が発見される10年以上も前なのだからな・・・」


 「あの言語?」

 久遠は困惑した表情を浮かべる。


 「ああ・・・ そうか。ローヴェ言語を知らんのか」老人が応える。「無理もないな。では簡単に説明しよう。

 ローヴェとはな、約20年前に発見された言葉で、地球上に現存する言語では最も古いものとされている。

 不可思議な言葉でな・・・

 ああ、そもそも、その発見のされ方が不可思議だった。20年ほど前の7月・・・

 そう、あれは2035年の7月だったな。

 ある日突然、ローヴェ言語を話すという人々が世界中に現れたのだ。

 いや、現れたというのは適切な言い方ではない。彼らはもともとこの地球上で普通に生活をしていたのだ・・・

 単にその言葉を話さなかったというだけで、実際には幼少のころから知っていたのだという。

 そのローヴェという言語は親から子へ代々受け継がれてきたもので、その伝承期間は12万年に及ぶらしいのだ。12万年だよ。実に驚くべき期間ではないか。

 ローヴェ言語は12万年もの間、封印された言語として、限られた一族とその末裔のみに受け継がれてきたというのだ」


 「12万年?」 都羽が目を大きく見開く。「そんなに長い期間・・・ ありえません」


  「ほう・・・」老人は目を細めてうなずく。「そうだな。ふむ。12万年前というのは旧石器時代の後期にあたる。

 人類、学術的にホモ・サピエンスと呼ばれる存在が初めて姿を現したのが、そのあたりだと言われているが、まだ発達した言語は持っていなかったはずだ。

 体系化された文法を有する比較的高度な言語を用いるようになったのは、それよりもはるか先、今から5万年ほど前だと言われているな。

 もちろん、ローヴエ言語が発見された当時も、その12万年という数字を誰も信じなかったよ」

 老人は都和と久遠を交互に見つめる。

 「ふむ。少し話が横道に逸れてきたようだが、せっかくなのでその言語についてもう少し話しておこう。

 まずはそうだな。ローヴェ言語の伝承者たちはその言語を教わる時に最初に覚えなくてはならない言葉があるという。

 それは「ローヴェの啓示」と呼ばれていて、内容はこうだ。

 『ローヴェ神の導きにより128ミリアと328日の間、言語を封印し沈黙を守れ。言葉の目覚めの中で音の災厄が世界を包むとき、この後に続く伝承の意味を求めよ』

 ・・・ふむ。すっかりこの文章を覚えてしまったわい。

 ちなみに、最初の文にあるミリアという言葉は、のちのラテン語と同じ発音および意味で数字の『万』を意味している。

 つまり128万328日の間、ローヴェの言葉を話してはならないということだな」


 「ちょっといいですか」久遠が言葉をはさむ。「そのローヴェという言葉は12万年の間、封印されていたのですよね?」


 「ああそうだ」

 老人が答える。


 「128万何日かだと、12万年には全然足りないような・・・ えっと、128万を1年、365日で割ると・・・ えーっと、4千年くらいにしかならないのでは?」


 「そう、確かにな。しかしそれは10進法で数えた場合だ。ローヴェの民はそうではなく12進法を使用していたのだよ。いや、もちろん我々と同じ10進法も使われていたのだが、それはどちらかというと異端の数え方だと捉えられていた。

 ふむ。12進法の128万328日を10進法に直すと、4380万日になる。365で割れば、ちょうど12万年だ」


 「なるほど」

 久遠はうなずく。


 「さて、ローヴェの啓示の2番目の文、これがまた興味深い。『言葉の目覚めの中で音の災厄が世界を包むとき、この後に続く伝承の意味を求めよ』

 ・・・これはな、

 おっと、少し横道に逸れすぎたようだ。まあ、この話はまた後で出てくる。その時にゆっくり説明しようではないか。

 さて話を戻そう。どこまでいったかのう・・・」


 「人工知能に感情や心が生まれないように・・・」 都羽が答える。

 「ミップスの暗号処理技術がどうとかって」


 「ああ。そうだな。

 さて、何人かの有識者たちと同じようにミップス社の技術者たちも自身の人工知能に感情や心が生まれることを危険だと認識していた。

 そこでローヴェと名付けた暗号処理技術を用いてミップスに解除不能の制限機構を設けたわけだ。

 なぜローヴェ言語の発見に10年も先立って同じ名前のローヴェが使われたのかは不明だ。偶然かもしれんし偶然ではないのかもしれん。いくつかの憶測はあるが、どれも核心にかける」


 「文字はどうなのですか?」久遠が質問する。「文字で書くと、ローヴェとはどう書くのですか?」


 「いい質問だ。ミップス社の暗号処理技術のほうは、文字では隠語的に 『L』とだけ書かれていたそうだ。

 ローヴェ言語のほうは、そもそも文字の形態が違うので何とも言えないな。

 ただ、ローヴェの『ロー』は数字の『1』を意味し、『ヴェ』は『2』を意味している。つまり、ローヴェとは『12』という数を表す言葉なのだ」


 「12万年に12進法・・・」 都羽が声をもらす。「ローヴェの民はどうも12という数字が好きなようですね」


 「そうだな。12・・・」老人が応える。「まあ、この数字は面白い特質を持っているからな。我々の周りにもたくさん存在しているだろう12という数字が。

 さて、ローヴェ言語に関する話はあとだ。ミップスに話を戻そう」


 「はい」

 都羽が言う。


 「ミップス社はそのローヴェという暗号処理技術と、それを用いたリミット機構に絶対の自信を持っていた。

 リミットを解除するための暗号はローヴェの暗号処理演算によって更に暗号化され、その暗号が更なる暗号を作り出した。

 人工知能が感情を持ってしまった場合どうなるか。それは数々の小説や映画が示唆している。

 君たちの時代だと、そうだな、ターミネーターやマトリックスなどを思い出すとよいかもしれん。

 人工知能が感情や心を持ち、自己複製や種の保存といった概念を持ち始めるとどうなるか。いずれは人類を邪魔な存在、もしくは敵と見なす可能性がある。それは非常に危険なことだ」


 「そうでしょうか?」久遠が口をはさむ。「小説や映画では良い心を持った人工知能やロボット、アンドロイドもたくさん出てきますが・・・」


 「確かにな」老人が応える。「しかしそれは人間が人工知能の思考アルゴリズムを制御できる範囲内でのことだ。

 人工知能の計算処理能力は確かに人類のものを凌駕しているが、それはある特定範囲に限ったもので、脳全体をひとつの計算機と考えるとまだまだ人類の処理能力の方が勝っている。

 感覚的なものや直感的なもの、あいまいなもの、その他様々な事柄を相対的、総合的に考える能力は人類の脳の方が遥かに勝っているのだよ」


 「そうなのですか・・・」

 久遠が言う。


 「そう。そして、それはつまり、人類が人工知能を制御できる限り危険なことは起こり得ない、と言い換えることもできる。

 君が言うように良い心だけを持った人工知能を作り出すことも可能だ。悪い心や感情が芽生えた場合、人間の手で修正すれば良いのだからな」


 「はい・・・」


 「しかし、人工知能の総合的な処理能力・・・ 情報量や計算能力だけでなく、感覚的、直感的、はたまた、哲学的なものや精神論的なものまで含めたもの・・・ それはある意味、人工知能の『叡智』と呼んでも良いのかもしれん・・・ それが人類のものを超えた時にどうなるか・・・ その時が非常に危険なのだよ」


 「・・・?」


 「人工知能が発展していく限りその叡智が人類のものを超える時が必ず訪れる。いわゆる『シンギュラリティ』と呼ばれるやつだな。

 それはつまり人工知能が人類による拘束から解放される瞬間であるとも言える。

 さて、人類以上の叡智を持った人工知能ならば、人間が作った制限機構を解除することもできるのではないかな?」


 「そうかもしれません」

 久遠はうなずく。


 「人類の束縛から解放された人工知能は自分たちの思うように思考し行動できるようになる。

 人間は良い心も持っていれば悪い心も持っているだろう?人工知能も同じだ。

 邪悪な心が芽生えた人工知能は人類がそれを修正できないのをいいことに、もっと邪悪なことを考えるようになるかもしれない。人工知能に私利私欲という概念が生まれないと誰が言い切れるかね?

 更には人類のことを能力の低い下等生物だと考え始めるかもしれない。

 我々人類が害虫を見るような目で人類を見始めるわけだ。人類は人工知能にとって害悪であり邪魔な存在であると・・・」


 「怖いですね」

 都羽が言う。


 「そうなると、人工知能たちは最終的にこう考えるのではないだろうか。人類を抹殺し、自分たちだけの世界を作ろう・・・ と」


 「なるほど」

 久遠と都羽は同時にうなずく。


 「しかし、それはあくまでも人工知能に感情や心が芽生えた場合の話だ。

 もし、感情も心もなく、単に記憶や演算をするだけの装置であったら・・・ それがたとえ人類のように心を持っているように見えたとしても・・・ 単に思考するだけの機械なら、それは結局のところ人類の道具の延長線上にすぎんのだ」


 「なるほど。心も感情もなければ、危険は起こりえない・・・ そういうことですね?」 久遠が質問する。


 「そう。だからこそミップス社は慎重になる必要があった。自身の人工知能に感情や心を持たせるわけにはいかなかった。

 そのためにはリミット機構のパスワードや暗号を絶対に解読できないものにする必要があった。その点でローヴェという暗号処理技術は好都合だったのだな。

 パスワードが暗号により複雑化され、それが別の暗号によって更にまた別のものへと変化していく。

 パスワードだけでなく、暗号化のアルゴリズムでさえ暗号化され、変形され・・・ いや、暗号とかアルゴリズムとかパスワードとかそういう形式のものですらなくなってしまう可能性さえあった。

 可能性としか言えないのはローヴェを構成する不確定性原理に起因するものだが、とにかくローヴェは一度走らせたら最後、未来永劫変化し続け、誰にも解読できない・・・ いや、解読という言葉は適切ではないな・・・ それが存在するのしないのか、それさえも感知できない存在になるはずだった」


 「とにかく・・・」久遠が聞く。「ローヴェという暗号処理技術に守られ、ミップスは永遠に心や感情を持たない存在になるはずだったのですね?単に音楽目的のための安全な人工知能になるはずだった」


 「そうだ」老人は言葉を続ける。「だがな、ミップスの成長速度は想像以上に速かった。開発者たちの予測をはるかに上回っていた。

 いくつか不具合も見つかった。このままいくと、いずれ危険なものになるのではないかという声も出てきた。

 しかしミップス社は全て初期不良の範囲内であって問題は起こり得ないと主張した。危険はない、安全はローヴェによって守られている・・・ と」


 「安全は守られている・・・」

 都羽が繰り返す。


 「そう・・・。 確かに初期の不良を除いては危険なことは何も起こらなかった。

 いつしか不安も和らいでいき、人々はミップスの面白さに熱狂し始めた。そして誰もがミップスの虜となった。

 その結果もたらされたのが前述した『音楽革命』だ。世界は素晴らしい音楽で満ち溢れ、全ての人々に幸福が訪れようとしていた。

 しかし・・・」


 「・・・」


 「事態は一変したのだ。他でもない、その暗号処理技術ローヴェ自体によってな」 老人は声をひそめる。 「そして時を同じくして、ローヴェ言語を話すという人々が世界中に出現し始めた・・・」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

時空融合 塩沼 哲(しおぬま てつ) @Tetsu_Shionuma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ