時空融合

塩沼 哲(しおぬま てつ)

第1章(第1話)- 全てのはじまり

- プロローグ -


 あの時の話をまだ覚えている。


 この世界に来て初めて聞いた話 ・・・ というよりも、無理やり聞かされた話だからだ。


 ・・・・・・


 久遠 ( くおん ) は目を覚ます。


 潮の香りを含んだそよ風が優しく頬をなでる。寄せては返す波音が心地よいリズムを伴って耳元まで届いてくる。

 久遠は目を開けて、頭上に広がる星空を眺める。

 満天の星。その星々の数は畏怖を感じるほどに多い。

 西の空から東の空にかけて天を横切る天の川がくっきりと見える。


 久遠は上体を起こして前方を見つめる。

 水平線間際の空がうっすらと紫色に明らんできているのが分かる。

 もうすぐ夜明けだ。


 横を向いて、すぐそばで寝ている都羽 ( とわ ) の顔を覗き込む。

 静かに寝息を立てる彼女の顔は優しく、そして平和そうだ。


 (とうとう、ここまで来た ・・・) 久遠は思う。


 この世界に来た時のことを思い出す。

 あまりにも唐突な出来事だった。

 あれから色々なことが起きた。色々なことが変わった。自分の住む世界、自分のまわりにいる人々。状況。 そして、心境。 そして ・・・ 都羽とのこと。


 もう一度彼女の顔を覗き込む。

 (ああ ・・・) 久遠は思う。(都羽はいつも強がって凛とした表情をしているけど、本当はこんなに可憐で ・・・ そして ・・・ こんなにも美しい女性だったんだな)


 時折吹いてくる爽やかな潮風がとても気持ちよい。

 久遠は明らんできた東の空に浮かぶ、ひときわ明るい星を見つめる。

 (明けの明星 ・・・ か)

 久遠はぼんやりと考える。

 (金星 ・・・ ヴィーナス ・・・ 火星・・・そして ・・・ エターニティ― ・・・)


 「ふああぁぁ」

 唐突にあくびが出る。

 久遠は背伸びをすると、そのまま身体をゆっくりと横たえる。

 都羽の静かな寝息が聞こえてくる。安らかな吐息を耳元に感じる。

 (さて ・・・ と。 もう少しだけ寝よう)

 久遠はゆっくりと目を閉じる。




 あの時の話をまだ覚えている。


 この世界に来て初めて聞いた話 ・・・ というよりも、無理やり聞かされた話だからだ。



 あれから色々なことが起きた ・・・


 思考がぼんやりとしてくる。


 そう、色々なことが起きた。世界が変わった ・・・ 自分の住む世界 ・・・ 今までの世界 ・・・ これからの世界 ・・・火星・・・ とわ ・・・ みんな ・・・ エターニティ・・・


少しずつ意識がまどろんでくる。


ヴィーナス ・・・ そう ・・・ あの時の話 ・・・ あの時の ・・・ 話・・・


あの時の ・・・





- 第1章 : はじまり -


 「これから話す事を注意深く聞いてもらいたい」

 老人が静かに話し始める。

 「信じる信じないは君たちの自由だ。しかしこれは実際に起こったことであり、今は信じられないとしても、いずれは信じることになるであろう」


 久遠は周りを見渡す。

 大広間。赤い絨毯が敷かれている。

 アンティークなデザインの白くて太い柱が天井を支えている。

 西洋の城にありがちな謁見室のような雰囲気。

 一段高くなった壇上に白髭を生やした老人がいる。話をしているのはこの老人だ。

 ローマ法王のような白いローブを着用し、手にはゴツゴツした太い杖を持っている。

 その老人の横には左右5名ずつ、合計10名の黒いスーツを着た男女がいる。


 「君たちふたりは ・・・ 名前は何と言ったかな。そう、久遠( くおん )と都羽( とわ )だったな。

 ふたりとも以前住んでいた世界ではそれなりに有名だったと聞いている。それなりに、というのはいささか失礼なのかもしれないが、音楽やダンスを愛する者たちの間ではそこそこ知名度があったのであろう。

 DJ・・・ 、クラブDJ?まあ、どちらでも良い。はっ。 そう不機嫌そうな顔をするな。

 君たちふたりはな、この世界でもやはり有名人なのだよ。それなりに ・・・ ではないぞ。大いにだ。驚くほどにな。今現在はDJとしてではないのだが、とにかく君たちふたりは有名人なのだよ。

 ・・・ ん? 何を驚いておる。

 まあ分からないのも無理はない。では順を追って説明するとしようか。


 まず結論から言わせてもらうが、この世界はある種の機械、いや、人工知能と言った方が良いかもしれない ・・・ に支配されている。

 ある種という言い方をしたのは、それが音や音楽、音響効果を生み出すシステムだからだ。


 そのシステムは ・・・ 通称 「ミップス」 と呼ばれているのだが、そいつが音楽を使って ・・・ なんと言ったらよいかの ・・・ ふむ ・・・ 薬物 ・・・ いわゆるドラッグのようなものを作り出しており、そのドラッグ ・・・ 我々は総称して 「サウンド・ドラッグ」 と呼んでいるのだが、それがこの世界を滅ぼそうとしているのだ。


 と、言っても何のことだか分かるまい。ふむ。まずはこのような世界になった経緯を話す必要があるな。


 君たちが暮らしていた50年ほど前、2010年から2025年くらいにかけて、DJは一般的に 「PCDJ」 と呼ばれる機材を使う人が増えていった時期でもある。

 PCDJとはパソコンを使ったDJスタイルのことで ・・・ ははは、これは失礼。君たちふたりに説明する必要はないな。

 でもまあ、君たちがいた2020年前後はCDやUSBメモリースティックに曲を入れて演奏する ・・・ プレイするDJが多かったのであろう。 ・・・ ほう、君たちもそうか。なるほど。しかしな、いずれにしても少しずつCDやメモリースティックは減っていくのだな。代わりにPCを使うDJが増えていくことになる。

 なに、そうムッとした顔をするな。当時はPCDJを邪道と考える者も少なくはなかったということは承知しておる。

 だがな、君たちが今使っているCD等の記憶媒体はいずれ時代の流れについていけなくなるのだよ。これは避けられない事実だ。カセットテープやMD、レーザーディスクのように消えていく運命にある。

 君たちの住んでいた世界でも、例えば ・・・ そうだな ・・・ そう、車はマニュアル車ではなく、ほとんどがオートマチック車になっていたのではないか?それから ・・・ 携帯電話ではなく公衆電話を使っている人はどれくらいいたかね。もっと極端な話をすれば ・・・ デジタル・コンピューターではなくアナログ・コンピューターを使っている人はどれくらいいただろうか。

 つまり 技術の進歩とはそういうことなのだよ。


 まあ、PCDJが主流を占めるにようになると言っても、正確にはハイレゾ音源をはじめとする高解像度のデジタル音源を使用するPCDJ派と、以前から存在していたレコード盤を使用するアナログ派に二分していくことになるのだが ・・・。

 アナログ音源には可聴域外の音も入っていることによって、感覚的にはそれら可聴域外をカットしたデジタル音源よりも高品質に聞こえる、という研究結果もあるのだよ。


 さて話を戻そう。PCDJ。これは2025年を境に劇的に変化を遂げることになる。


 それはコンピューターを使ったDJシステムとしては至極当然の結果であったのかもしれない。今考えれば ・・・ な。だが、当時としては非常に画期的なことだった。


 それは、他の電気製品や機械製品に先立ってPCDJ機器に世界初の実用化された人工知能が搭載されたということなのだ。

 なぜDJシステムが選ばれたのか、それはいくつか理由があるのだが、一番大きな理由としては、世界初の実用的な人工知能を開発したのがDJ機材の世界標準になっている日本企業であったということだろう。

 君たちならその企業がどこであるかは分かるな。


 そしてもうひとつは、脳内でイメージするだけで自由に作曲をおこなえる「BIM」という技術が注目されてきていたということだ。BIMというのは「Brain Imagination Music(ブレイン・イマジネーション・ミュージック)」の略なのだが、その技術 ・・・ その作曲技術が、当時主流であった打ち込み ・・・ いわゆる「DTM(デスク・トップ・ミュージック)」というやつだな ・・・ に代わるものとして台頭し始めていたという時代背景があった。

 BIMはそれまでの作曲方法を大きく変えたのだよ。


 BIMによって表現の幅は大きく広がった。今までシンセサイザー等で作っていた音が脳内で作成できるようになったからだ。

 人間のイメージに制限はない。その脳内イメージを音やメロディにすることが可能になったのだ。

 そして、BIMを用いて、その場の雰囲気や感情で自由に楽曲を創りながら演奏するアーティストが増えてきていたという事実もある。バンド、シンガー、DJ、ダンサー等、多種多様な形態でな。

 これは非常に面白い動きだった。色々な可能性を秘めていた。


 こういう時代背景と可能性に一早く気付いたのが、前述した日本の企業だった。

 その企業は自社の一部門で開発している人工知能を、同じ社内の一部門であったDJ機材に搭載しようと考えたのだ。

 つまり、BIMとDJ機材を繋いだシステムに、人間の数穣(じょう)倍の計算速度を持つ人工知能を付加することによって ・・・ 付加というよりは支援させるという言葉の方が適切かもしれないが、それによって新たな、そして独創的な音楽制作と DJパフォーマンスができると考えたのだよ。


 ・・・ ん?

 ああ、そうか ・・・。君たちにとって、穣(じょう)というのは少しばかり認識しにくい単位なのかもしれないな。

 穣とは10の28乗、つまり1の後にゼロが28個続く数のことだ。

 君たちがいた2020年頃は恐らく兆か京くらいしか使われていなかったのであろう。穣という言葉を知らないのも無理はない。

 ちなみに、兆は1の後にゼロが12個つく数であるから、それと比較すれば穣の大きさがなんとなくイメージできるかもしれないな。


 さて、話を戻そう。DJ機材と言っても色々なものがあることは知っている。

 でもその中でPCDJ関係の機器が最初に選ばれたのは簡単な理由だった。つまりは、人工知能はどうしてもコンピュータを経由させる必要があった、ということだ。


 さて、このBIMとPCDJ機材を接続したシステム、それはまた今まで作曲ができなかった人々にとっても素晴らしい音楽制作やライブ活動をおこなえる可能性が広がったということでもあった。

 世界中の人々がその技術に飛びついたのだ。

 音楽を聴くことを嫌いという人はあまりいないだろう。そして多くの人々が心の中では楽曲制作をしてみたいと思っているものなのだ。そして歌手や他の音楽系アーティストのように実際に活動をして生計を立てたいと思っている人はいつの時代にもたくさんいるものなのだ。


 他の機械や電気製品でなく、DJ機器、広く言えば音楽制作と演奏に関する製品に世界初の人工知能が搭載されたのは、そういった人々の願望が大きなビジネスチャンスになると考えた企業やグループが少なからずいたということだったのだな。


 前置きが長くなったが、このような経緯から2025年初頭に人工知能を搭載したBIM-PCDJシステムが世界に先駆けて日本で販売されることになった。

 それが前述した「ミップス」なのだよ。

 と言っても実際は現在の姿になるまで数度のアップグレードを繰り返しているから、ミップスの前身とでも言った方が良いのかもしれないな。

 ちなみにミップスとはアルファベットで「MIPPS」と書く。 これは「Music Intelligence Production and Performance System (ミュージック・インテリジェンス・プロダクション・アンド・パフォーマンス・システム)」の略だ。日本語にすると、音楽の知的制作およびパフォーマンスシステム、と言ったところか。


 さて、このミップス、販売されるやいなや爆発的にそのセールスを伸ばすこととなる。

 若い世代だけでなく老若男女問わず皆がこの製品を買い漁ったよ。

 今まで特に音楽関係の趣味が無かったというものでさえミップスの面白さに取りつかれ、様々な音楽制作や活動をおこなうようになった 。

 それはある意味、社会現象であったと言えよう。

 ミップスを取り巻く動きはいつしか「音楽革命」と呼ばれるようになり、世界中に独創的で素晴らしい音楽が溢れるようになったのだ。

 容易には想像できないと思うが、ユークリッド幾何学や位相論、その他の数学的概念をも音楽で表現できるようになったのだ。そして様々な物理現象ですらも・・・。

 それは音楽理論や数学にとどまらず、工学、理学、医学、経済学、心理学、哲学、果ては量子論や宇宙論にまで及んだ。

 様式美、機能美、そして数学的美しさを持った音楽、そしてそれに人の無限大の想像が加わった音楽がどれほど素晴らしいものか想像できるかね。

 それは人間の叡知をはるかに超えるものなのだよ。「地球は新しい音楽が溢れる楽園になった」と豪語するものまで現れた。

 そしてそれを誰も否定しなかった。

 地球は喜びで溢れるようになった。誰もが音楽と共に過ごす素晴らしい未来を想像した。


 しかしな、一部の人間は、このミップスがとてつもない危険性をはらんでいるものとして警鐘を鳴らしはじめたのだよ。

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