3話—5 溢れる雫は立ち上がる狼煙

『——い……行ったーーーー!?当主様が、アウトから行ったーーー!!決まったかーー——』


 その叫びは会場へ絶叫となり木霊する。

 しかし——それは直後に訪れるドラマを表した物ではなかった——


 確かに小さな当主桜花の駆るマシンが、コーナー立ち上がりでキングのアウトを脅かした。

 ——だがその強襲を……その少女の猛る猛襲を、キングは全て見抜いている。


 ハイブリッドロータリーワイズブリッドがアウトに並走するか否かの寸前——それはのアクション……キングの駆る4ローターの魔狼RX-7が僅かにテールを意図してスライドさせる。

 そう——並走ギリギリの小さな当主のマシンが、僅かに姿勢を乱す程度のプッシュ……スライドさせた魔狼のリアテールがワイズブリッドを掠る様に押し出す。


「——っ!?……くっ!!」


 まさに僅か……乱れた車体の動きは、本来の走行であればリカバリーで得点差も最小限に留められるほど——しかし今、小さな当主はナイトラス・オキサイドを発動した直後。

 暴れる駆動力がマシンを左右へと誘い——カウンターステアも虚しく、小さな当主の視線がマシンの激しく円を描くテールと共に、


『——っな!?何と……何とここで当主様がスピンっっ!?これは——この勝負の行方は——』


 レギュレーション上……スピンを喫した周のラップタイムは無効と化す。

 小さな当主が賭けた一発逆転の策は——奇しくも自らの敗北を呼び込む事となり——


『——R・D・Cレーシング・ドリフト・チャンピオンシップ特別スポット大会優勝は——やはり……やはり不動のキング……綾城 顎あやしろ あぎと!ドリフトキングは、未だ健在なりーーーーーっっ!』


 絶叫が……会場の静寂へ

 直後、凄まじい歓声が止めどなく溢れ……そこにドリフトキングの防衛成功を讃える、割れんばかりの賛美が轟いた。




 クーリングラップ……勝利を観客へ知らしめる様に、4ローターの魔狼がサーキットを一周し——観客席スタンド前へ躍り出た。

 悠然とマシンを降車するキングがその拳で天を突くと、誰とも言わず彼の為に準備されたコールを口にする。


「「「ドリフトキング!ドリフトキング!ドリフトキング!ドリフト——」」」


 その勝利は約束された物……いかなキングと言えど、手を抜いて得られる勝利など存在しないからだ。

 キングの名を死守する綾城 顎あやしろ あぎとは、ウサギ一匹狩る為であろうとも……己が全力を持って当たる獅子なのである。


 程なく——レース最後の最後でスピンを喫した小さな当主のマシンが、スタンド前へ戻り……キングのマシンに隣り合う。

 だが今しがた激闘を演じたハイブリッドロータリーマシンからは……

 ドアを開き——ヘルメットを脱ぎ捨てた小さな当主……うつむき、歯噛みする視線はコース路面へ落とされる。


 うつむいたままの少女へ歩み寄るキングの牙城を死守した獅子は、再び双眸へ当主を労わる優しさを宿し——


「もう、お嬢様はお気付きでしょう……これはレースであり、何度でも挑む事が出来る。のです。ですが——」


 そこで言葉を切る優しきSPへと戻った獅子は、薄い蒼がスポットライトで煌めく御髪へそっと手を置き——努めて労りを乗せて諭して行く。


「すでに命を散らしたあの魔導人形マガ・マリオン達——彼女達はもう、……。だからこそ、その覚悟を武士もののふとして看取った貴女は……。」


円城寺えんじょうじの御令嬢が目指した物と一緒に——お嬢様が、あの魔導人形達の想いを背負って……これからも、己が運命に挑み続けて下さい。……お嬢様が挑み続ける限り……オレは何時いつでもお嬢様をお助けして行く覚悟です。」


 すでに優しきSPの言葉は伝わった。

 その証が慈愛の当主の頬を伝わり、止めどなく溢れ出る。

 嗚咽の中……悔しさから出た熱き雫を拭いながら、少女もまた覚悟を決めていた。

 同時に――あの日対魔霊剣アメノムラクモを落とした時の、心を覆う迷いと恐怖が霧散する。

 己が覚悟が……それを吹き払ったのだ――


 と、その小さな挑戦者チャレンジャーの姿を目にしたMCが……観客席に向け――会場を盛り上げる。


『スクリーンにはすでに、キングと当主様の総合会得点数が表示されるが――今大会はスポット開催であり……今激闘を披露した――』


……しかし、!そうは思わないか!?かん・きゃく・せきーーーーっっ!?』


 MCの叫びが引き金となり――今までキングコール一色であった会場が……もう一つの名へと変貌して行く。


「「「桜・花!桜・花!桜・花!桜・花!桜・花!桜・花!」」」


 もはや勝負も何も無い――

 一人の小さな挑戦者チャレンジャーが……これより再び日本の――そして世界の命運を背負って行ける様……小さき当主が再びその手に剣を取れる様――

 レース観戦に訪れた、宗家に関わる者達が……大歓声を以って、少女の未来への歩みを鼓舞し始めた。


「さあ――お嬢様……。」


 優しきSPが小さな挑戦者桜花の背をすっと押し――観客の一大コールを前に、クサナギの誇る当主が歩み出た。

 ――そして……小さくも強く握り締められた拳が、あたかも――

 桜花おうかコールが、一層吹き荒れる嵐の大歓声へと昇華された。


 すでにそこには、嗚咽と涙に濡れる当主はおらず……凛々しき双眸で見上げるクサナギ家現当主が天を睨め付けていた。

 ――天上より己へと降り注ぐ……過酷なる、灼熱の業に挑む様に――



****



 異例ずくめであったレーシングドリフトは、予定調和よろしくドリフトキングである綾城 顎あやしろ あぎとの勝利で幕を閉じる事となる。

 しかし――そこから何も得られぬ訳でも無く……今そのレースで見出した、得がたい経験を手にした小さな当主桜花――


 その感触を確かめるために、クサナギ家の有する荘厳なる道場へと赴いていた。


 古強者ふるつわものわざを研鑽し続けたそこへ、凛々しき静寂と共に正座にて座する少女――すでに纏う闘気は、以前の迷いを微塵も残さぬ鋭さを宿す。


「では主よ……あの戦いの成果を、皆へと披露せしめようではないか。」


 道場の入り口には、彼女の精神状態を案じていた者達――八汰薙やたなぎの兄弟と並び……優しきSPが、再び歩み始めた少女を見守っていた。


 常にその心を共にする、天津神の炎神ヒノカグツチの言葉へ首肯した小さな当主――迷いによる震えから地に落としてしまった対魔霊剣アメノムラクモを再びかざし……黒光りする鞘へと手を掛け立ち上がる。


 構えるは居合いの構え。

 刹那――慈愛の化身……あの金色の王女テセラの様な気配から一転――

 少女を包んだのは、今まで彼女が纏う事すらなかった――鞘を握る手が覚悟をほとばしらせ――


「はあぁっっ!」


 ――迷う心を凌駕した怒涛の気合が、道場を揺るがした――


 剣閃は宿となり、大気を摩擦で焼き焦がす。

 特別な技を放った訳ではない――……である。


「――見事……だな。凄まじい剣閃だ……。」


 あの八汰薙の兄シリウが、額に冷たい物を躍らせた。

 それは今放たれた一閃が、途方も無い怒気を孕んだ一撃である事――今まで彼らが見知っていたクサナギをまとめる小さな当主とは、一線を画す物である事の証明でもあった。


「あれ程の一撃――、放てるは稀だ……。―― ようやくそこに辿り着いたな……。」


 衝撃に押し黙る、八汰薙の弟ロウと隣り合う優しきSP――当然の如き涼しさを纏いながらも、内心では愛しき主の目覚しい成長に高揚を隠せずにいた。


 そして抜き放った対魔霊剣アメノムラクモを、キンッ!と響く金属音の元鞘に納め——徐ろに振り向いた小さな当主。

 彼女を案じた者達も息を飲む凛々しき双眸に、みなぎる自信を宿して。

 その向き直ったままに、蒼の片側ポニーを風に委ねながらこうべを垂れる当主。


「皆さんには、とてもたくさんのご迷惑をお掛けしました。でも……やっと前に進む事が出来ます。……ありがとうございました!」


 晴れやかに——そして凛々しく放たれた謝意が、彼女を案じた者達へ一時の安堵をもたらした。


 そう——小さな当主が口にした様に、彼女はようやく前に踏み出す準備が整ったに過ぎないのだ。

 放たれた言葉の意は時を置かずして、再び宗家に関わる者達を包んで行く。


 その訪れをつぶさに感じていた者——天津神の炎神ヒノカグツチもまた、一つの覚悟を持って……時の訪れに、己が存在全てを研ぎ澄ませて待ち受けるのであった。

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