2話ー5 ドリフト界の戦乙女

 沸き返る会場。

 観客席はその華達がコースに飛び込むまでは、歓声を以って迎えていたはずだ。


 ――だが、それは過ちであったと誰もが痛感する。

 それは眼前で繰り出されるテールスライドの狂奏が、であったから――


『――観客席……皆は見ているか?これは我々の大きな過ちだった。』


 ドリフト界における輝ける新星――やはりその言葉を聞いた誰もが、初々しき姿の華やかなデビューを想像するだろう。

 しかし今――ヤタナギグループの擁するサーキットで起きている事態は、ではなかった。

 


 三つのコーナーが左右に折れ曲がる、ストレート後のテクニカルセクション――そこを抜けた僅かな全開区間となるストレートを超えれば、低速で下るヘアピンカーブ。

 そのままさらに中~高速へ至るストレートからの高速区画――さらに複合コーナーよりヘアピン……そしてストレートからの高速コーナーを経て、メインストレートへ戻るコース。


 コースインした二輪の華は、ヘアピンとストレートを駆け抜け――タイヤのウォームアップもそこそこに、最終コーナーからメインストレートへ飛び出した。

 ――だがその時点ですでに、それがアンダー-16以下の少女の駆るマシンである事を……目にした観客席の誰もが思考の彼方へ吹き飛ばす。


「当主様!私は!」


「ハルさん……凄いなんてものじゃない!――けど、私だって負けません!」


 前を行くは、クサナギの小さな当主が駆るヤタナギ製——3ローターNAのサウンドが高周波を奏でるワイズ・ブリッド。

 その後ろ——否、運転席側ドアをフロントタイヤがかすめる勢いで横並びのスライドを見せるマシン……円城寺えんじょうじ財閥が誇るご令嬢の愛車。


 現在でも、NAエンジンに於いては最強をうたう生まれ——しかし本来ではフロントにエンジンを持ち、実質であるはずのフロントドライブ車……だがこのレースに於いてはカスタム部門でもポイント上位の奇跡の一台。

 エンジンヘッドを赤き魂で彩る、2200cc縦置きL型4気筒——FR用に当てられた心臓を強引にエンジンルームに叩き込んだ前輪駆動フロントドライブ後輪駆動リア・ドライブ仕様……インテグラ TYPE R — 98spec が小さな当主桜花を猛追する。


 互いにマシン内――聞こえる事はないが、気迫は痛いほど小さな当主の背に圧力プレッシャーとなって圧し掛かる。

 最終コーナーを抜けた二台のマシンは、まだ計測されない区画にも関わらず……はり付いたそれは、タイヤ先数十cm――タイムアタックを考慮するはずのカウンターは、


 撒き散らされるタイヤスキールと猛烈なる白煙を上げ、演じられるのは――これが中等部と高等部の少女の戦いと言われて、一体誰が信じられるだろう。

 けたたましい爆音が木霊し、今……サーキットは激闘の最中に放り込まれた。


『計測すら始まってない所からあの気合。――今までタイムを意識したドライバーが、堅実な速いドリフトでポイントを稼ごうとする中……あんなアグレッシブな、高速ツインドリフトバトル――』


『――長年MCやって来たが……こんなレーサーは初めてだーーーっ!』


 興奮のあまり身を乗り出し、MCが絶叫する様に吼えた。

 かく言うドリフトであって、タイムアタックであるこのレーシングドリフト――どちらに振りすぎても、大きなポイントロスに繋がる審査基準。

 この時代におけるモータースポーツの息吹は、この宗家が開催するレース以外では絶滅しかけていたと言っても過言ではなかった。


 ゆえのレーシングドリフトと言う競技。

 そこから様々な競技の技術カリキュラムを生み――新時代のモータースポーツ振興へ、多大な貢献をしたY・O・Mヤタナギ・オート・モーターグループ

 しかしいつしか、競技そのものが低迷を見せ始めた中現われた新星――それがドリフトキングである。


 そのキング登場は、日本の歴史上ドリフトが競技としてすら認められないであった時代――その名で一声を風靡ふうびした峠の伝説……その再来と言われた。


 だが今サーキットを駆け抜けるは、キングですら無い——キングが君臨する頂きに挑む挑戦者チャレンジャーであり……最も若き新星達である。


 ようやく計測が開始されるも、高速からのドリフトの速度はそのままストレートを駆ける疾風となり——大会でも稀に見る速度からのハードブレーキング競争……そのまま行けば、純粋なタイムアタックと化す。

 ——当然その二人はそんな事を良しとしない。


 ブレーキングによって発生するマイナスの加速力——襲う激しい前後ピッチングは、それがコーナー進入には過ぎたる速度を物語る。

 しかしその落としきれぬ速度を、車体テールスライドと言うへ変換する二人——

 タイムアタックにおけるタイムとドリフト双方を、高次元で融合したテクニック——ブレーキングドリフトが炸裂した。


 伝説と言われるレースで、当時上位クラスへ挑んだキングと言われたレーサーが……純粋なタイムアタックレースに於いて見せた奇跡——誰もがその走りに魅了された。

 誰もがタイムを削るための、スライドを抑えた堅実なる走行——そのアウトから被せる様に、ブレーキングからのテールスライドそのままで……眼前の上位ランカーを震撼させた脅威の走り。


 その伝説を継ぐ様に現れた新たなる世代のキング綾城 顎——しかし今、その世代にすら追いすがる最も新しき世代が咆哮を上げる。


「ハルさんっ!——負けないって……言ってるでしょーーー!」


「……また前に!?……私が勝つんだ!このっ……ちくしょーーーっっ!」


 右に——そして左へと車体を振り返しながら、インとアウトへ激しく入れ替わる二台の戦闘機。

 その計測区間のタイム表示は、宙空へ浮かぶモニターへ次々と刻まれ——審査員は元より、スタンドを埋め尽くす観客の視界もジャックする。

 目まぐるしく入れ替わる様に、叩き出されるタイム——未だそれはを示す指針に過ぎない。


 だが——そこへ叩き出され、視界をジャックした速さの指針……数字の羅列を目にした観客は、歓声を忘れ息を飲む。

 そこに刻まれていたのは、タイムアタック並のドリフトスピード——未だかつてその驚愕の現実を……奇跡を体現したのはあの綾城 顎あやしろ あぎとただ一人。


『観客席よ見えているか!?これはもはや事件——いや、だっ!我らが応援していた二人の初々しき華達……そんな考えはもう、明後日の彼方へ放り投げろっっ!』


『今、この戦場を駆け抜けるのは戦士——レースと言う戦場に降り立った、二人の戦乙女ヴァルキュリアだーーーーっっ!』



****



 目指したのは優勝の一文字——その座を守護するキングの元へ登り詰める一心で、私は今まで同じドリフトスクールで和気藹々わきあいあいを演じていた友達と……全力のドッグファイトを繰り広げます。


 和気藹々わきあいあいの中では決して見られない彼女の素——本気を出した時の、冷徹にして燃え上がる灼熱の闘志をスクールで目撃する事もあった私……何時しか自分も気付かぬ内に彼女をライバルとして捉える様になっていたのです。


「ハル……さん!こんな——タイムアタックの事、忘れてるんじゃないの!?フルカウンターで!」


 私の戦闘車両のインを執拗に攻める彼女のドリフトは、完全にタイムアタックから逸脱するほどのキレっぷり——これで最速のラップタイムが記録されるなら狂気としか言いようが無い。


 けれど——その中でも冷静さを保つ私は、二度目の複合コーナーで思考の隅に蘇る姿……を彼女の赤ヘッドNAマシンインテグラに重ねていた。


「違う……。——ハルさんは速いし上手い……けど——」


 思考によぎる姿は最強に座する——彼の操るマシンは、ハルさんのマシンの動きには重ならない。

 それは決定的に違う点であり……彼女の走りが突き詰める余地がある事を物語る。


「速度を限界へ……カウンターは最小へ——」


 最強で……最速であるあの人が操るそれをイメージする。

 彼は確かに――けれどそれはではないだ。

 しかし最速のタイムを叩き出し……同時にドリフト最高得点をとりに行くあのマシンはカウンターなど当てていない――違う、当たっていないと思える程の


 それこそがあのドリフトキングがである所以ゆえん――あぎとさんの技……ゼロカウンターの四輪ドリフトなんだ。


 二度目のヘアピンを抜けストレート――その後に訪れる最終コーナー。

 周回はすでに規定の二周目ラスト……迫る最後の高速コーナー ――私は思考に刻み込まれたを実行に移す。


 最速タイムとドリフト最高得点を叩き出し――先ずは今……私のすぐ背後を脅かすハルさんを越えて行くために……!


「勝つのは――私だーーーーーーっっ!!」


 一瞬映るバックミラー ――僅かにカウンター……逆に向いていたタイヤが元に戻りかけた赤ヘッドNAマシンインテグラ

 同時に失速したそれを、ミラー後方へ置き去りにしたまま――私はラップタイム計測ラインを、今までで一番の最速で突き抜けた。

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