2話—2 プラクティス

 ここは海上、作られた海洋の砦内のテストコースです。

 強烈な潮風を防御する隔壁に遮られてはいますが、やはりここは東の首都を一望出来る場所。

 でも今の私にとって……ここはもう一つの戦場となっています。


 八汰薙やたなぎ家の資産力とその財政面を支えるY・O・Mヤタナギ・オート・モーターグループによって開発・建造されたここは、同会社がラインナップするスポーツカーを初め――各メーカーにおけるスポーツカーの部品やパーツ開発……それらのテストのために使用されるコースです。


 さらにはテストスケジュールが無い時期に、チャンピオンシップレースの舞台に盛り込むなどして限りなく有効利用されている場所でもあります。


「お嬢様、ダンパーセットは柔らかめにセットしてます!もしトラクション不足を感じたら、随時連絡よろしくお願いします!」


「はい、詠羽えいばチーフさん!……と言っても少しブランクもありますので、軽く流して行きます!マシンの挙動は確実にデータ取りよろしくです!」


 私はすでにパドック前走行レーン上でマシン待機中――前を行くライバル達が続々コースインし、轟くスキール音がメガフロート内で反響……チーフさんの声も聞き取り難くなる程の心地よい騒音に包まれます。

 こんな時のためにインカム装備でチーフへ返答する私ですが、やはり周り――けたたましく戦場を駆ける、が放つ爆音とスキールの狂奏に刺激され……聞こえやすい様にとこちらも自然と声を張り上げます。


 同時に体の芯が沸騰する様に熱くなり――日常生活上では、自分でもこれまで体感した事のない感覚に包まれます。

 今までは習い事……時にはそれが億劫おっくうで、サボりも無いといえば嘘になる毎日。

 間違いなくその時点では、心を研ぎ澄ます戦場の空気からはかけ離れていました。

 けど――自分自身で決断し、踏み入れたここは紛れもなく競技者達が凌ぎを削る

 自身に溢れんとするアドレナリンの興奮が、否が応でもその真実を突きつけて来ます。


「カグツチ君……慣れない超微細な霊力操作になるけれど――よろしく!」


「うむ……それは言わずもがなであるぞ主よ。――全力を出し切り、あぎと殿に見せてやれ!」


「うん!ありがと!」


 霊力接続のため肩口に浮かぶカグツチ君へいつもながらの無理なお願い――けど快く承諾し、一番近いそこから全力の応援を頂きました。


 その応援に鼓舞されながら――

 一体型のフルバケットシートに6点式のハーネス――頑丈なシートベルトとも言うそれが、自分の体をしっかり固定しているかを確かめる私。

 アイドリングですら爆音を撒く愛車――しかし、凜と澄む空気に身を委ね……己がこれから駆け抜けるコースを睨め付けます。


「メインストレート――いつもはこの直線も軽く流して、コーナーは80%で魅せ重視だった。……でも、――本気のタイムアタックドリフト!」


 コーナー ――幾つものRを描くカーブで後輪をスライドさせて、逆ハンドルとも言われるカウンターステアを瞬時に当て――

 を楽しんでいた習い事――ドリフトと言う物はまずその時点で成立します。

 けどそこへ、タイムアタックと言う要素が混じると途端に難度が跳ね上がるのです。

 ただ流し、ドリフトアングルを確保するためだけのキッカケ――そのストレートを全開で駆け抜け、あらぬ速度でコーナーへ突入する……それら全てがタイムと言うを削り取るため。


 単純に言えば、タイムアタックとドリフトは相反する行為――タイムを狙えばドリフトの見栄えが劣り……見栄えを意識し後輪を派手に流せば、大きなタイムロス。

 その極限を見極めて相反する要素で高い評価を得る事こそがレーシングドリフトであり――今現在、それを披露出来るのが――


 そう……それを素敵なSP顎さんドリフトキングなんです。



****



 このドリフトレースに使用されるマシンは、レーシングカーに代表されるスパルタン極まりない内装に――純正パーツを殆ど廃した物々しいスイッチ類が目に飛び込む運転席……その領域からは少々遠ざかる。

 のイベントレースであれば、レギュレーションが存在するとは言え――マシン性能を桁違いに引き上げるドリフトイベントも多い中、宗家主催のレースで使用されるレーシングドリフトマシンは一定の制限を設ける。

 レースそのものが純粋に腕と腕との勝負と成り易い様に、との考えだ。


 宗家主催レースで使用されるマシン運転席内装は、基本純正部品に準じた軽度のカスタムに……安全を考慮して装着される乗員保護バー ロールケージが室内へ最低本数装着され―― 一体型のフルバケットシートと6点式ハーネスによりドライバーの安全が確保される。

 ただその外装に至っては、ドレスアップポイントの設定に対するいささか過度の装飾も目立つところではあるが。


 そしてその本命の一つであるR・D・Cレーシング・ドリフト・チャンピオンシップにおける予選前プラクティス。

 予選アタックまでの調整のため続々とコースインするマシン。

 トーナメント方式である所は一般的に見られるドリフトレース同様――ドリフトレースがと称される所以の一つでもある。


 その中に紛れ走る、マシンにすら只ならぬ気配を覆わせる挑戦者ドライバー――地上の戦闘機を真横に向け、弾かれる様にコーナーへ飛び込んで行く。


「路面温度高いな!タイヤのエア、もう少し下げるぞ……ピット三周目で入る!」


 ヘルメット内インカム越しに、排気される爆音に負けじと張り上げる声——八汰薙やたなぎヤンチャな弟ロウがダイナミックな動きからテールスライドを披露する。

 任務上で使用するマシンとは異なるも、車両形式は同型である孤高の4ドアクーペRX-8を駆る。

 孤高の本家RX-7に搭載されるエンジン――2ローター型 排気量654×2cc シーケンシャルツインターボを装着した純正状態からのチューンアップ……元々純正部品そのものが希少を極める世界唯一のエンジン。

 それを後世へ伝えるため――ヤタナギ社内において、REロータリーエンジンに関連する純正パーツの復刻版開発を行う……言わば開発車両扱いのマシン。


 そして孤高を受け継ぐ者RX-8がテストコースを駆け抜けるその後方で――


「フッ……いつもよりキレがあるなロウ……上等だ!こちらも負けてはいられん……そうでなくとも、後ろからの圧力プレッシャーがオレ達を煽り立てる!」


 そのヤンチャな弟の後方を駆け抜けるはクールな兄シリウ——だがチャンピオンシップのレギュレーション上、クールな兄が任務で使用するモンスターカーは使用出来ない。

 それに変わるマシンを用立て挑む彼のレースの愛車は、Z33 麗しき貴婦人フェアレディZ

 あのモンスターを生んだ同メーカーから誕生し、いにしえの初代型から多くのモータースポーツファンから愛されるG・Tグランド・ツーリングカー。


 レギュレーションにおいて極度のパワーアップが許されぬ今大会は、チューンナップされたV型6気筒――排気量3500cc……NAノーマル・アスピレーションエンジンでエントリーしている。


 そしてさらに後方を駆ける数台に紛れ——三人の伝説が操るマシンが、同調した様にコーナーを抜ける。

 ——であるが、それを吹き飛ばす様な三台が連なる団体走行チームドリフトを見せつける。


「なんか久々で腕が疼くわ!……それに桜花おうかちゃんに恥ずかしいとこ見せられないしね!——ちょっとリア流れすぎっぽい?ピット……次リアバネ、ソフトでお願い!」


 クールな兄と同メーカーに属するそれ。

 美しい女性の名を冠したマシン——S14 シルビアを駆るは伝説より参戦する紅一点……ウエスト—1【新呉市】の支部局長でもある亜相 沙織あそう さおり

 直列型4気筒――排気量2000cc、シングルタービン搭載の名機をベースにチューンアップする。


 さらに後続へ続くマシンは、もはやプラクティスである事が頭から吹き飛んだ様な接近を見せる二台——吹き荒れるタイヤスモークに、その接近を緩める事はない。

 女性の名を冠するマシンS14 シルビアすぐ後方——否、その真横……車体とタイヤがすでに別の動きをしているかと思う程のフルカウンターを当てながら迫るは、伝説サイドにして警察代表の叶 奨炎かのう しょうえん

 前を行く紅一点が操るマシンの後継機——同型エンジンを搭載するS15 シルビアで追う。


 そして伝説最後尾——前の二台から突如として車種が変容するが、レギュレーション上におけるパワー及び車格制限ではクリアとなったマシン。

 荒野駆ける荒馬マスタングの名を冠するアメリカンマッスルの名車シェルビー GT500が、シルビア軍団を脅かす様に伝説の殿しんがりを務める。

 クラシックカーレベルの純正パーツを、日本はヤタナギ本社に現存・製造するパーツに置き換えた心臓部――直列型6気筒 排気量2600ccエンジンをシングルタービン装着にて搭載する。


 名だたる存在が、競技者達の前に立ちはだかる中——ついにそのマシンは躍り出た。

 ピットレーンを抜け——僅かなブランクから来る感覚喪失を取り戻すため左右への振りソーイングの後、後輪が激しいタイヤスモークを上げて横滑る……この大会では最も新しい時代のハイブリッド・ドリフトマシン。

 クサナギの小さな当主桜花が駆るワイズブリッドRSが、メーカー支給654×3ccの排気量で奏でるロータリーサウンドを響かせ……プラクティスへ突入した。


桜花おうかちゃん……良い走りをする!これはウカウカ出来ないな!ピット……もう少し攻めて行く!バネ硬さを一段落として粘りが欲しい!」


「オイオイ大丈夫かオレ……!桜花おうかちゃんの走りはヤバイレベルだな……このブランクはキツイか!?」


 後方に迫る小さな当主の走りを目の当たりにする、暁の伝説の二人——若き新進気鋭に鬼気迫る物を感じ……それでもそれを楽しむ様に思考を踊らせた。


 そして……ピットから大会へ参加するほとんどのマシンがコースインを果たす中——トリを飾るマシンが最後にピットを後にした。

 そのマシンも任務とは異なるレース専用車——しかし車種は変わらず孤高の存在……だが、それより発せられる高周波を思わせるエンジンの咆哮がメガフロートの大気を震撼させる。


 実質レギュレーションギリギリのパワーを制限まで下げて絞り出す、三角型ローターの回転が……小さな当主や八汰薙のヤンチャな弟ロウの操るそれと、同様である事を忘却の彼方へと弾き飛ばすNAの雄叫び。


 仕様——573×4cc RX—7 スピリットR……現在このチャンピオンシップにおける最強の称号——

 優しきSP……綾城 顎あやしろ あぎとの駆るマシンである。


「お嬢様……この場へ一歩を踏み出したなら―― 一切の容赦は致しません!ここは私――いや…………!」


 ヘルメットバイザーの奥――いつも暖かさを湛えていた双眸が、鋭き眉根と共に獰猛なる野獣の物へと変化する。

 小さな当主を常に労わり……その心を尽くしてきた優しきSP――しかし、

 それはここが、SPの男にとっての戦いの場であり――己を世界に知らしめるための舞台であったから――

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