1話—4 その準備は滞りなく

 いつもの様にあぎとさんの、爆音が胸に響く送迎車両RX-7で学園前へと訪れ——私は車椅子から車体を低く構えるそれへと運ばれます。

 まぁ……ちょっとだけその瞬間が嬉しいのはテセラちゃん達——特にアーエルちゃんには内緒だったり……。


 ただでさえ――元々斜め上に跳ね上がるドアをくぐって助手席に搭乗した後も、そのドアの位置の関係上……常にエスコートされる私は何だかお姫様みたいなのに。

 私がシートベルトを締めたのを確認して——易しいSPさんの駆る地上の戦闘機が、重く響く爆音で大気を震撼させながら街道を駆け抜けます。


「時に桜花おうか嬢、あの八汰薙やたなぎの兄弟がイベントを企画しているのをご存知ですか?——近々予定しているそうなのですが……。」


「……イベント?……う〜ん、記憶に無いよ?て言うかこの地球と魔界の衝突回避がなったご時世で、それはどうかと思うんだけど——」


「……はぁ……ですよね。」


 唐突な優しいSPさんの質問に疑問で送り返す私——宗家はただでさえ今、あの大戦で被った事後処理で大変な時です。

 あのテセラちゃんでさえ、魔界側が事後処理で慌しくなる事を考慮しての帰国となったんです。


 仮にも当主となった私は、その様な状況下に楽観的な思考で胡座あぐらを掻いている訳にも行かないワケで——と言葉にしようとし……直後にあぎとさんから発せられた言葉で、お堅い思考の全部が吹き飛んでしまいました。


「——お二人の話ではあくまで桜花おうか嬢を励ますと言う形のイベントだそうで……。彼らもお嬢様がいつに無く沈んでいたのを悟っていた様です。」


「——そこで宗家関係者内での開催となりますが、R・D・Cレーシング・ドリフト・チャンピョンシップのスポット開催をと——」


「……あぎとさん……走るんでしょ?」


「って……はぁ、まあ、お嬢様がそれで喜んで頂けるのなら——」


「やったっ!あぎとさんのドリフトだーーーーっ!ド・リ・フ・トーーーーーっ!」


 爆音を撒く地上の戦闘機の音すら掻き消す勢いで叫んだ私。

 歓喜の余り助手席シートで踊り狂う私……。

 ——はいその私さん、それはもうキレイサッパリ……お堅い思考なんて遥か彼方へぶっ飛んでしまいました。

 な悪い子です、テヘッ☆


 と、思考を吹っ飛ばしながらも大事な案件があり——そちらを優先させるため、私の行動を管理してくれるSPさんへご報告です。

 ここは忘れる訳には行きません。


「あっ、でもそのレースすぐって訳じゃ無いんでしょ?だったら先にアーエルちゃん達とお茶会したいの。……アーエルちゃん、しばらく大事な任務で私達と距離を取らないと行けないみたいだから——」


 そうです——ちょうどあぎとさんのお迎えが来る直前、若菜わかなちゃんから耳にしたあの断罪天使なお友達の上司さん勅命任務。

 少しの間私達と遊ぶ時間を持って行かれると言う事で、その任務の前に三人で開催を企画してた所です。


 理事長先生からのお願いも確かにあります——けど何より、今アーエルちゃんにとってとても重要な時期と……おぼろげながらに感じています。

 彼女は私達とはまた違った、壮絶な過去の上にその人生を構築して来たと聞き及びます。

 彼女が振りまく凍りつく様な狂気は、過去の惨劇から逃れるために彼女の選んだ戦いの道——しかしその奥に眠る、心優しいあの子の本心。

 分かっているからこそ、私は裁きを行使する断罪天使の友達になったんですから。


「はい。レース開催を事前に八汰薙やたなぎの姉であるれい様へ進言し——許可を得た後、Y・O・Mヤタナギ・オート・モーターグループ本社の擁するテストコースにて開催となります。」


「——レースそのものは以前から計画していたらしく、ギャラリーも宗家関係者内にとどめますので…… 一週間以内には開催可能と思われます。」


 一週間の猶予内にアーエルちゃんとのお茶会を開催しておけば、充分間に合うと——計画が私の思考にインプットされます。

 アーエルちゃん達とお茶会の後、宗家主催のレーシング・ドリフト——お楽しみ満載で少しだけ……ほんの少しだけ、心が軽くなったのを感じました。


 そのまま重要なお役目も無い今日は、地上の戦闘機に揺られて帰宅と相成ります。

 帰るそうそう黒髪はんなりな友人へ、携帯メールを入れたのは言うまでもありません。


 けど——ある意味そのメールを入れた時から、クサナギを継ぐ私と主の裁きを代行する断罪天使の少女は……それぞれの向かうべき戦いの因果へ、歩み始めていたのかも知れません。


 そう遠く無い先……この蒼き大地地球に訪れる想像を絶する過酷な試練の幕開け——その序章であるが、足音を立てずに私達の元へ忍び寄っていたのです。



****



「言うに事欠いて、何という計画を口走っているんですか、あなた達は……。」


 宗家が擁する人工島——メガフロートイースト—1【新横須賀市】の管制室。

 各種事後処理に訪れた女性が、身内の先走った通信内容に嘆息を覚えながらも内容への対処を進めていた。


『すまない姉さん。だが、ああでもしないと桜花おうかちゃんの心が晴れないかと思って……。それにあぎとだ——相変わらずの融通の利かなさで、何でも一人で背負い込もうとする。これは彼のためでも——』


「あなた達の気持ちは充分理解しています。——全く……。」


 金属製のデスク前、回転椅子に足を組みながら腰掛け――浮かぶモニター群を睨む視線の、姉さんと呼ばれた女性。

 溢れ返る事後処理書類データを、に片付けていたその山の上へ、事案に眉根を寄せて盛大に息を吐く。

 先の地球の危機回避の折——過去の大戦の如く襲い来る試練を乗り越えた、八汰薙やたなぎ兄弟の姉であり……現ヤサカニ家裏門当主を名乗るヤサカニ れい


 戦いの折常時装備する装飾を外し、彼女としても珍しい落ち着いた紺のスーツにタイトスカート——余所行き姿には、時代に見合ったキャリアウーマン然とした雰囲気が漂う。

 そのスーツを纏う理由は防衛戦の事後処理として、諸々の件の調整も含め——国家防衛の要である防衛省へ出向いた帰りであったが故。


「——レースにおける運営はあなた方で何とかなさい。ギャラリーやゲストに関してはこちらで宗家各所へ依頼しておきます。ただし——」


 上のクールな弟とのやり取り——携帯端末を左の肩と耳に挟んだままでデータ処理を次々こなす裏門当主は、一旦その手を止め……すっとまぶたを落として告げる。


深淵オロチに関連する非常事態があれば速やかに対処する——その点だけは準備を怠らぬ様に。良いですね?」


『ああ、それに関しては抜かりは無い。恩にきるよ、姉さん。』


 プツンと途切れる通話を最後に、端末を機械的なデスクの端に置き——


「と言う事です。……急で申し訳ありませんが、ご協力願えますか?殿。」


 くるりと回転椅子を回した視界に映る人影——裏門当主と同じく事後処理のため防衛省へ訪れていた男が、苦笑と共に後輩である女性へ了承の返事を送った。


「ああ、皆に報告を入れておく。……いつもながら振り回されているな、。——しかし、幼き少女達も休まる時が無く難儀極まりない。」


 管制室の壁にもたれかかる、一見影を背負う雰囲気ながらも——それを受け入れる様な器を宿す者。

 その男は裏門当主をれいお嬢と呼称し、親しげな眼差しを送る。

 が——発した言葉にしかめた眉根からのジト目を、伝説と呼称した男へ向けながら苦言を漏らす裏門当主。


若菜わかな桜花おうか殿ならいざ知らず、私の様な者を捕まえてお嬢は控えて頂けますか?亜相あそう教導官。いえ……闘真とうま叔父様?」


 苦言に合わせ、せめてもの嫌がらせを乗せる裏門当主——しかし教導官と呼ばれた男には、さしたる影響も及ぼしていなかった。

 むしろ懐かしい昔を思い出す様な瞳を返され、が照れてソッポを向く始末。


「ははっ……君は俺達にとっては何時までもお嬢さ。猪突猛進であの大戦前の世界を背負って、親しき仲間と駆け抜けていた頃からな。」


 亜相 闘真あそう とうま——対人造魔族アンチ・バイオデビル民間協力機関の延長上である特殊兵装部門の教導官を務める彼は、かつての大戦よりさらに前……【堕ちし魔王事変】で世界を救済した伝説の一角。

 【日の都の暁ライジング・サン】の一人であり、師導学園理事長の大切な友人である。

 無造作に伸ばした黒の長髪を、額を覆う分厚いバンダナでカチあげるスタイルは学生時分から変わらぬトレードマーク。

 それでも現在50代を数えるはずの年格好は、理事長である皆樫 雪花みなかし ゆっかと同様——重なりし者フォース・レイアーへの覚醒者らしい若々しさを宿す。


 それだけに裏門当主の発した嫌みは、的外れにも取れるほどである。


将炎しょうえん沙織さおりは良いとして——流石に今回音鳴ななるにはご遠慮願うとするか……。していては、彼女のキャリアに傷が付くのも待った無しだからな。」


「——無理を言います。ではその方向で。」


 日本の伝説である者達は学園理事長を除き、いずれも宗家が定期開催するドライビングスクールで凌ぎを削り—— 一流のドリフトレーサー急の腕前を持つ。

 それはかつての大戦前の時代に必要とされた技能であり、それを備えて余ることはなかった。

 故に——と言う括りのレースへ、必然的にエントリーが決まってしまうのだ。


 かくして——小さなクサナギ当主を元気付けると言う名目の、ささやかなイベント開催が着実に進む事となる。

 同時にその当主の友人である断罪天使の少女もまた、彼女にとっての分かれ目となる試練へ突入し——少女達は、その僅かの間に訪れた暖かな思いやりに包まれた日常にて……自らの心との折り合いを付ける機会を得る事となった。


 その背後——静かに這いよる暗き闇の深淵しんえんが、恐るべき浸蝕しんしょくを開始する……それまでのささやかな日常の中で——

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