君が電車を降りるまで
ぺる
少しだけ話そうか
車内の電光掲示板の文字が変わった。
『次は 草田病院』
草田病院というのは、近所の大きな病院だ。しかし、そんな名前の駅なんてあっただろうか。
ぼんやりとした頭で考えたって何もわからなかった。どうして僕が電車に乗っているのかも、どうして君が隣に座っているのかも。どうして電車の中に僕ら2人しかいないのかもわからないし、真っ白な光に包まれたこの電車が、どこの世界を走っているのかもわからない。
ただ一つ分かるのは、隣の君は、次の草田病院で降りなければいけないということだけだった。
「わたし、本当はアイスなんて食べたくなかったの」
がたごと揺れる電車の音にかき消されてしまいそうな声で、君は呟いた。
「ただ、貴方と一緒にお出かけしたくて」
ふっと笑った君の顔は諦めに近い色を示している。目を伏せるのは君が自身を責める時の癖だ。
「あの時、アイス食べたいなんて言わなければよかった」
「僕もアイス食べたかったから、結局出掛けてたよ」
「じゃあ、わたしが一人でアイス買いに行けばよかった」
「君、車の運転出来ないじゃないか。歩いたら近くのコンビニまで30分はかかるよ」
「じゃあ、週末に二人でおでかけしたいって素直に言えばよかったかな?」
「なかなか素直になれないのが君の可愛いところだと思うよ」
なにそれ、と君はようやく笑った。しかしそれも束の間で、君はまた顔を伏せた。
「……どうして」
「事故が起きてしまったこと?安心しなよ、向こうが信号を無視したのが悪いさ」
「どうして」
控えめな君の声が、初めて世界に抗議したみたいだった。切ない声が、君の細い喉から絞り出すように生まれる。
「貴方だけが?」
「…僕は、幸せだったよ」
電車がゆっくりと減速を始めた。
「君を助手席にのせて、のんびり車を走らせるのが大好きだった」
真っ白だった景色は、次第に見慣れた風景へと変わっていく。遠くの方に、草田病院と書かれた大きな建物が見え始めた。
「君と他愛のない話をすることが、君との何気ない日々が」
僕は君の手を握った。僕の手とは比べ物にならないくらい暖かくって、泣きそうだ。僕は、噛みしめるように言う。
「君が、大好きだったんだ」
電車が、止まった。
僕らは二人で席を立ち、扉へ向かった。
「もう行かなくちゃね」
「うん」
「一人で行ける?」
「……うん」
「それにしても、よかった」
その時、身体の奥底から何かが込み上げてきて、喉がきゅっと詰まった。お互いの頰を伝うものを払うように、降りるのを躊躇っている君の背中をそっと押した。
よろけるようにホームに降りた君。目の前で扉は悲しいくらい静かに閉まった。
「よかった。君は生きてて」
立ち尽くす君を置いて、僕だけがゆっくりと動き出す。車掌さんのアナウンスと共に、電光掲示板の文字が誰にも気付かれずに変わった。
『次は 天国』
君が電車を降りるまで ぺる @iamikura
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます