どこでも強制脱出非常口
ちびまるフォイ
自分のために逃げてきてくれる人
「はぁ、仕事行きたくないなぁ」
ぼやきながらも体は会社に到着してしまっていた。
これから始まる仕事を想像すると憂鬱な気分になる。
すでに遅刻しているからなおさらだ。
ふと、壁を見ると非常口マークがついた大きな扉が見えた。
「あれ? こんなところに非常口なんてあったっけ」
昨日まではごく普通の、何の変哲もない壁だった。
こんな場所に非常口を設置したところで、災害時の脱出用としては不十分だ。
興味本位で開けてみると、壁を越えて外に出ただけだった。
会社の裏口に出たことで勇気がわいたのかそのまま帰ることにした。
上司からの連絡がこないかビクビクしていたものの、
特に何も言われることなく、大好きな地下アイドルの平日応援にのめりこめた。
「超絶かわいいよーー! みあちゃーーん!!」
地下ライブを終えて外に出ると、すっかり暗くなっていた。
「さて、帰るか」
「あれ? 田中じゃん」
帰ろうとした矢先、思わず振り返ってしまった。
昔、同じ高校出身の男が手をひらひらさせていた。
「こんなところで会うなんて偶然じゃん」
「あ、ああ……」
「せっかくだし、そこらで飲みいかね? いいだろ?」
「いや俺は……」
「なんだよぉ、なにか用事あんのか? ないだろ?
あっても友達の誘いなんだからなんとかしろよ」
このまとわりつくようなしつこさが苦手だった。
こいつの言う友達は「自分が好き勝手使える人間」を指している。
逃げたい。
と、心で思ったとき、道路の中央に非常口が見えた。
さっきまでなかったのに。
「ご、ごめん!!」
振り払うように非常口のドアを開けた。
ドアを開けた先には、同じ道路につながっていた。
後ろを振り返ると、同級生の姿が見える。目もあった。
「ま、いいか」
けれど、学生時代のような無理強いをすることなく去っていった。
「いったいなんなんだ……? どうして急に……」
家に着くと、玄関には母親が立っていた。嫌な予感がする。
「あんた、今日どこにいってたの!?」
「仕事だよ、仕事……」
「近所の佐藤さんが、あんたがまたあのライブハウスに行ったの見たんだって!
仕事もしないで、売れないアイドルを応援するなんて何考えてるの!」
「みあちゃんを売るために、俺が応援してるんだよ!」
「そんなの知らないわよ! 今度仕事クビになったらどうするの!」
いつもの説教分岐ルートに入ってしまった。
めんどくさいなと思ったとき、目の前にまた非常口が現れた。
ドアを開けると、母親のすぐ横を通り過ぎて行った。
でも、親は引き留めることなく、何事もなかったかのように台所へ戻っていった。
「す、すごい……! この非常口から出れば、どんな嫌なことからも逃げられるんだ!」
さらにいいことに、非常口から出れば相手には「逃げた」と認識されない。
人間関係にヒビ入れることなく逃げることができる。
「思えば、最初に会社から逃げた時に何も言われなかったのも
この非常口を使ったからなのかも」
これを使わない手はない。
翌日から非常口はフル活用された。
めんどくさい会社からは非常口で脱出。
わずらわしい付き合いは非常口で脱出。
口うるさい親空も非常口で脱出。
何から脱出しても、非常口を利用する限り怒られることは無い。
思う存分、自分の時間をアイドルみあちゃんのためにねん出することができた。
「みあちゃーーん!! 今日のライブも最高だったよーー!!」
「みんなありがとう。それでね、今日は大事なお知らせがあります」
来た。ついに俺の応援と援助が実を結ぶ瞬間が。
晴れてみあちゃんはこの地下を出て華々しいデビューをし、世間からも認められ――
「私、アイドルを辞めることになりました」
「えっ……」
もっていたサイリウムが床に落ちた。
「事務所からもうこの路線じゃ難しいって……。
それでグラビア写真集とかそっち方面を提案されたんだけど、
私はそういうの嫌だから……アイドルを辞めて普通の女の子に戻ります」
「そんな……」
こんな現実があっていいのか。
自分の生きる意味だった推しアイドルがいなくなるなんて。
受け止めきれない現実を感じた時、目の前に非常口が見えた。
違和感は感じたが、もう迷わずにドアを開けて脱出した。
さっきまで感じていた絶望感はすっかり消えたが、引退という事実だけは残った。
「だ、ダメだ……非常口は意識させないようになるけど、
事実そのものから脱出できるわけじゃないんだ」
みあちゃんの引退は残ったままだった。
家に帰ると、いつものように仁王立ちした親が玄関に立っている。
「あんた、またあのアイドルにお金使ったのね!
そんなにお金使ったって、付き合えるわけじゃないのよ!」
「知ってるよそんなこと。ああ、もううるさいなぁ」
非常口を心の中で求めると、目の前に現れた。
しかし、サイズは小さくなっていた。
「あ、あれ……?」
「ちゃんと目を見て話を聞きなさい!」
サイズが小さくなった非常口で今回の説教も回避したが、
肩がつかえて危うく引っ掛かるところだった。
ライブハウスで感じた違和感もやっと理解できた。
「非常口が使うたびに縮んでる……!!」
最初は門のように大きかった非常口も、今では小人の家のようなサイズになっている。
使うたびにサイズダウンするなら、きっと次が最後だろう。
それ以上はもう体が通らない。
仕方ないので、これまでサボっていた会社にもいくようになり
親の小言も付き合わされるようになり、嫌いな飲み会にも参加するようになった。
「はぁ……つらい……」
けれど、最後の1回は使わない。
使うアテをもう決めていたからだ。
「みんなーー! 今日はみあのラストライブに来てくれてありがと――!!」
ライブハウスは最後のライブにもかかわらずスカスカだった。
ライブ終了後の握手会では最後に位置付け、マネージャーのいないことを確認した。
「みあちゃん、これで最後なんだね」
「田中さん、いつも応援してくれてありがとう」
「実は君だけに話したいことがあるんだ」
心の中でこの現実から逃れたいと心から望む。
すると小さくなった非常口が現れた。
「君には見えないかもしれないけど、ここに非常口があるんだ。
ここを通れば、嫌なことや辛いことから逃げられる」
「そうなの……? 田中さんが嘘つくとは思えないけど……」
「みあちゃん、僕を信じて。一緒にドアを開けて脱出しよう。
きっと、アイドル引退からも脱出できるよ。
もう少しだけ延長して活動ができるはずだ」
非常口に向けて彼女の手を引いた。
けれど、みあちゃんは立ち止まった。
「みあちゃん……? どうして? 僕が気持ち悪いからとか?
だったら君だけでいいよ。ここにあるドアを開ければ、君は脱出できるんだ!
嫌なこと全部から逃げられるんだよ!」
「田中さん、ごめんなさい……それはできないの」
彼女は顔を横に振った。
「アイドル辞めると決めたのも自分の気持ちだもん。
そこから逃げるわけにいかないから、私は現実を受け入れるよ」
「みあちゃん……」
「田中さんの気持ちだけで十分。私は普通の女の子に戻るね」
「そっか……」
落ち込んでいると、みあちゃんは握手のブースを超えて胸に飛び込んできた。
想像すらしていなかった状況に言葉がつまる。
「み、みあちゃん……!?」
「私はもうアイドルじゃなくて普通の女の子だもん。
誰と付き合っても、もう怒られないから」
こんな幸せがあっていいのだろうか。
「ああ、みあちゃん! すごくうれしいよ! 僕頑張るから!
もっともっと働いて君を養っていくよ!! 永遠に!!」
これから自分にどんな困難があっても彼女がそばにいるなら乗り越えられる。
もう非常口で逃げ出すことは無い。
上目遣いでのぞく彼女の瞳を見つめると、
うるんだ瞳の中に自分の顔が映っていた。
自分の頭の上には非常口のアイコンが表示されていた。
「田中さんなら、みあが嫌なことからすべて脱出させてくれるよね」
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