(2)
(嫌だ……。そんなのは、嫌だ)
「建物の中は全部捜したが、やっぱりいないぞ」
「一体どこに行ったのかしら」
「……っとに、いらねぇごどばりしやがる」
ディアナの姿がどこにもないと報せを聞いたソリスは、目の前で交わされる会話の全てを否定していた。場所はリビング。グィンが怖い顔をしていた。シャルレイシカが心配そうな顔をしていた。ダインが苛立ちを隠そうともしていなかった。そんな三人に取り囲まれた形で、考え込んでいるイオラインがいた。
(嫌だ。ディアナがいなくなったなんて嘘だ)
何も言わずにいなくなるなんて、今まで一度としてなかった。
全くないわけではなかったが、少なくともそのときは誰かが居場所を知っていた。
今回のように、誰も居場所を知らずに置いていかれることはなかった。
(やっぱりディアナは怒っていたんだ。あたしはやっぱり嫌われたんだ。見捨てられたんだ)
絶望に、ソリスの目の前は真っ暗になった。
突然、床が消えたような落下感がソリスを襲う。床に直接ペタリと座り呆然とする。
「お、おい。大丈夫か?」
「大丈夫、ソリス?」
立ち位置的にグィンとシャルレイシカが反射的に問い掛けて来るが、ソリスは何も見えていなかった。聴こえていなかった。明るいはずの部屋が暗かった。どこかでゴロゴロと空の泣く音が聞こえている……ような気がした。悪寒が全身を駆け抜ける。耳鳴りがする。体の震えが止まらない。
怖かった。嫌だった。
――どっかに行って、汚らわしい。
拒絶の言葉がうるさいほどに頭の中を駆け巡る。
――裏切り者
――卑怯者
虚ろな眼のタザルとディアナの幻影が責め立てる。
(あたしは、卑怯者。
あたしは、裏切り者。
だからあたしは、独りぼっち)
ザァッと、激しい雨の音が耳朶を打つ。
蘇る忌まわしい記憶。見捨てられていたときの記憶。誰も助けてくれなかったときの記憶。隔絶された世界。受け入れてもらえない自分。薄汚れた自分。皆が自分を置いて行く。誰も自分を必要としない。捨てられたもの。不要なもの。
(嫌だ)
絶対に嫌だった。また独りになど戻りたくない。知ってしまった以上戻りたくない。
怖かった。寒かった。
叩き付けて来る雨の感触が蘇る。骨の芯まで冷やそうとする冷気を思い出す。
寒い。怖い。寒い。怖い。寒い。
暗闇の中、たった独りで寒さを耐える。自分自身の体を抱く。
骨と皮だけの細い腕。ボロボロの薄汚れた服。悪臭漂う空間。光も希望も夢もない。
ただただ独りで朽ちて行く。
怖い。嫌だ。そんなのは嫌だ。
助けて。誰か助けて。置いていかないで! あたしを守って! あたしを見捨てないで!
ずっと傍にいて! ずっと一緒にいて! ここは怖い。光がない。温かくない。寒い。寒くて、怖くて、死んでしまう!
直後、異変は現実の世界で起こった。
「お、おい。何だそれ」
殆ど同時に気が付いた異変に、真っ先に声を上げたのはダインだった。
皆の見ている前で、自分を抱くような格好で座り込み、震えているソリスの周りに、オレンジ色の小さな炎が点々と現われた。それらはゆらゆらと揺れていたかと思うと、ゆっくりとソリスの周りを回り始めた。
「おい! 一体何のまねだ?!」
ダインがソリスに向かって怒鳴りつけるも、ソリスは顔を上げようとはしなかった。それどころか、ソリスを取り囲む炎の玉が数を増やした。
「まずいぞ、イオライン。この子は暴走している」
グィンが緊張を孕ませた声で忠告を飛ばせば、イオラインはすかさず指示を飛ばす。
「シャルレイシカはもっと離れていて。通常であれば君の力で抑えられるかもしれないが、暴走状態なら逆効果だ」
「分かったわ」
素直に従いリビングの外まで下がるシャルレイシカ。
その間にグィンは家具を寄せて広い空間を確保する。
「何だってこいづは、いぎなり力を暴走させでらんだ!」
はっきりとした苛立ちを声に含ませながら、グィンと一緒に家具を壁に押し付けるダイン。本当に面倒なことばかり起こす奴らだと忌々しげにソリスを見れば、炎の数は更に増えていた。
「おいおい。一体どごまで数を増やす気だ?」
苛立たしさとうんざりした感情がない混ぜになってダインの口から吐き出されれば、イオラインはソリスの正面に立って説明した。
「ソリスは今、子供返りを起こしているんだよ」
「子供返り?」
何かしらの動きがあったらすぐに動けるように、ダインとグィンがソリスの左右に距離を取って陣取る。
「ソリスはかつて、路地裏に捨てられていたらしい」
「路地裏?」
「ああ。ソリスの一番初めの記憶はそこからで、いつからそこにいたのかも、どうしてそこにいたのかも分からなかったらしい。ただ、あるとき突然、『家』に帰りたいと思ったんだ。温かい『家』に帰りたいと思った。だから、自分の家を探そうとした」
「それで、これか?」
「ソリスはね、そのとき心無い言葉や視線を沢山浴びたんだよ」
「……」
「深く深く傷ついたソリスは路地裏に逃げ込んだ。そのとき、大雨が降って来たんだ。雨を避ける場所などなかった。雨に打たれながらソリスは考えたんだ。どうしてここにいるのか。自分はどうして『家』を追い出されたのか。何故許してもらえないのか。何故『家』が見付からないのか。
沢山沢山考えた。答えのないものばかり考えた。そして、当然のように熱を出したんだ。
寒くて寒くて、でも、熱くて、何が自分に起きているのか分からなかった。
自分を守ってくれる者が誰もいない。自分を守ってくれる場所はどこにもない。
そのとき、初めてソリスは自分の力を使ったそうだ。殆ど無意識で自分の力だとは認識していなかったそうだけどね。温かかったそうだよ。とても、温かかったんだ」
「それで、何でこうなるんだよ!」
「だから、ソリスの心理状態はその頃と同じになっているんだよ」
「同じ? 確がに、外では雨が降ってらばって、別に濡れでるわげでねぇべや」
「そうだね。でも、ソリスは今雨に打たれているんだよ」
「わげわがんねぇ」
「ソリスは独りになったんだ。自分を『家』に連れて行ってくれたタザルを失い、ずっと一緒だったディアナが消えた。自分を支えてくれた大切な人間が次々と離れて行ったんだ。その絶望が分かるかい? 分かるはずだよ?」
「……」
「自分の傍に誰もいない。そのこととこの大雨がソリスを過去に引きずり戻した。
ソリスが初めて力を使ったのは冷えた体を温めるため。本当であれば、炎には水が有効だが、冷えに対して温めようとする力が強く働くのならシャルレイシカの力は逆効果にしかならない」
「じゃあどうする?」
「話し掛けてみるしかないだろ。きっとタザルはソリスに力の使い方やコントロールの仕方を教えていたはずだからね。だったら、力が暴走したときもあったはずだ。そのとき彼がどうしたのかは分からないけど、もしも僕の声をタザルと勘違いしてくれたら、きっと大丈夫だと思うんだ」
だが、それはある意味で逆効果だった。
《ソリス……ソリス……》
自分を呼んでいるのは誰?
自分の周りだけを温かく照らしてくれるオレンジ色の光に包まれて、漆黒の闇の中、ソリスはかつてのように横になり、虚ろな目で光を眺めていた。
《ソリス……ソリス……》
うるさい雨音の合間に、遠くから自分を呼ぶ声がする。
とても懐かしい声のような気がした。
誰だろう? 誰が呼んでいるのだろう? 男の人と女の子の声。
《さあ、眼を開けて。もう、大丈夫だよ……》
一体何が大丈夫なのだろう? この、頭を撫でてくれる温かい手は誰の物だろう?
《いつまで寝ているつもり……。朝ごはん、抜き……》
それは、ちょっと嫌だな……。
《嫌なら起きろ。先に行くぞ》
《デザートのプリン……残してあげない》
や、それは駄目! あたしもプリンは食べる!
ソリスは暗闇の中、はっきりと意識を取り戻した。起きた目線の先に、いたずらっ子のような笑みを浮かべたタザルと、少し呆れ顔のディアナがいた。
ああ、二人ともいる。そのことが嬉しかった。
《どうした? 何だか泣きそうな顔しているぞ?》
《怖い夢でも見た……?》
夢? そう。とっても怖い夢を見たの。でも、いいの。だって、それは所詮夢だから。
《……そう。なら良かったわね》
《じゃあ、さっさと行くぞ》
うん! と頷いて、ソリスは立ち上がった。立ち上がって、走り出した。こちらに背を向けて歩き出す二人に追いつくために。だが、転んだ。
え? 戸惑いの言葉を残して、ソリスは転んだ。
《どうした? 何遊んでるんだ?》
振り返ったタザルの眼が、笑っていなかった。
《どこまで手を掛けさせれば気が済むの……?》
投げつけられるディアナの言葉に優しさがなかった。
怖かった。二人が苛立っているのが分かってしまった。
ち、違うの。あ、足が……、足に、鎖が……。ほら、鎖が繋がってて、それで、前に進めなかっただけなの。
ちゃんと説明をしないと許してもらえない。自分がふざけているわけではないとちゃんと説明しなければ、置いていかれてしまう!
ソリスは焦っていた。これでは悪夢の続きになってしまう。何とかして二人に笑ってもらわなければ! ただその一心で説明をしたのだが、
《鎖だ? どこにそんなものがある? またそうやって嘘を吐くのか》
はき捨てられたタザルの言葉は深くソリスの胸を抉った。
ち、違……、う、嘘じゃない。本当に鎖が……
《だとしても、いい加減自分で対処する方法を覚えて。いつまで私達があなたのお守をしなければならないの?》
!!
ソリスは、呼吸の仕方を忘れた。
《お前がそんなんだから、俺はゴウラに殺されたんだ》
胸元を赤く染め、口から血を吐き出したタザルが、氷のように冷たい眼差しを向けて来る。
《あなたがいつまで経ってもそうだから、私の足手まといにしかならないのよ……》
胸から剣を生やしたディアナが、鮮血に顔を染めて、冷めた表情を向けて来る。
《お前のせいで、俺は死ぬ》
《あなたのせいで、私は死ぬ》
だからお前は、独りで死ね
呪詛の如き二人の言葉は、ソリスの心臓を刺し貫いた。
痛い、怖い、嫌だ! 独りは嫌だ! あたしを置いていかないで! あたしを嫌いにならないで! こんなのは嘘だ! 二人がそんなこと言うわけがない。
脳裏を凄まじい勢いで二人と過ごした楽しかった日々が過ぎる。
眼の前の二人は悪夢でしかない。余りにかけ離れた二人は偽物でしかない。
嫌だ! どうしてあたしを苦しめるの? 何で二人の姿で責めるの?
あんた達なんか、消えてしまえばいいんだ! 偽物のあんた達なんか消えてしまえ!
その瞬間、ソリスが纏っていた温かい光が弾け飛んだ。
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