(3)

「うわっ!」

『イオライン!』

 見知らぬ建物の中で『タザル』が吹き飛ばされる。

(こいつが、この『タザル』の幻を消さない限り、あたしはあたしでいられない。いつも独りだと思わせられる。あたしは独りじゃない。『タザル』はあたしを苦しめない。あたしに『死ね』なんて言わない。こいつが顔を出して来るから、あたしはいつも不安になる。信じていたい『タザル』の事を信じられなくなる。疑いたくないのに疑ってしまう。こいつがいるから、こいつのせいで、あたしはいつも責められる)

 ソリスは苛立っていた。自分は独りになってしまったと言うのに、目の前の『タザル』は空色の長い髪の女に守られている。自分の元からディアナが去ってしまったと言うのに、これ見よがしに守られている姿を見せ付けて来る。

 悔しい。腹立たしい。気に入らない。

「あんたなんか、あんたなんか、消えちゃえばいいんだ!」

 怒りに眼の前が赤く染まる。突き出した両手に従って炎が飛び出す。

 空色の長い髪の女が両手を左右に広げると、空間が一瞬歪んだように見えた。

 着弾。ジュァ……と言う音と共に炎が消失。水蒸気が刹那の間視界を覆う。

 水の障壁。『水のアビレンス』。自分とは対になる『アビレンス』。

(そうか。そこまであたしのことが邪魔なのか。苦しめたいのか。

 所詮、あたしが生み出した幻影の分際で、そこまであたしが憎いのか!

 だったら、こっちだって、徹底的にやってやる。

 こんな見慣れない場所なんて、跡形もなく消してやる!)

 面白いように生み出されて行く炎の玉。

 初めて自分の思い通りに炎を生み出したとき、タザルとディアナが傍にいた。

 タザルは自分のことのように喜んでくれた。

 他の人達には内緒の三人だけの時間。秘密の時間。こっそり特訓して、好きなときに好きなように炎を生み出せたとき、いつかこの力でタザルの役に立とうと誓った。ディアナを守るために使おうと誓った。

 だが、一度自由に炎を出し入れできたからと言って、その後も継続的に生み出せたかと言うと違っていた。昨日は出来たのに今日は出来ない。三日前は出来たのに、また出来ない。上手く行かないことに苛立った。思うように出来ないことが歯痒かった。

 悔しくて泣き出したこともある。癇癪を起こして訓練をボイコットしたこともある。

 その度にタザルは見捨てることなく、根気良く付き合ってくれた。

 初めから自由に使えるものではない。ましてや子供の頃は集中力に欠けるから、必ず成功するわけでもない。力は感情によっても左右される。だから落ち着いてゆっくりやろう。投げ出したらそこで終わりだから。

 そうやって、宥めたりすかしたり、物でつったり諭したり。色んな方法でソリスのやる気を失わせないようにしていた。結果、ソリスは安定して炎を生み出せるようになった。

 そのとき、ソリスは注意を受けた。自由に使えるようになったら、無闇に使ってはいけないと。使うときは必ず火種を持ち歩くこと。そうじゃなければ炎が灯っている場所だけで使うこと。そうしないと自分の寿命が削られること。それを防ぐために力の源となるものがある場所か、媒体のあるとき以外は使わないこと。それを注意された。

 だが、今この場に媒体も炎の源もない。何もない状態で炎を生み出している。即ち寿命を削ってこの空間を破壊していると言うことになる。

 一つ一つはたいした大きさでもないし破壊力もない。だが、生身の人間が受けて大丈夫なレベルでもない。周り中燃える物だらけ。カーテンが燃え、絨毯が燃え、ソファが燃えれば炎の源は生み出せる。炎が大きく燃え上がれば、それだけ自分の攻撃力が増す。

 命を削るのは初めだけ。それが過ぎればこっちの物。

「っな! 放火しやがった!」

「今すぐ消さないと大きいのが来るぞ」

 朱色の髪の男と灰色の髪の男が慌てて周りの炎を消しに掛かる。

「シャルレイシカ」

 『タザル』が女に声を掛けると、女が一つ頷いて力を揮う。

(でも、あたしだって負けない)

 消される前の炎を、綿菓子でも作るように掻き集めて、一抱えほどの球にする。

 『タザル』の顔色が変わった。女の顔色が変わった。

 無理もないとソリスは思う。こんなのが弾け飛んだらどうなるか。きっと無事では済まない。狭い空間で爆発したなら、自分も巻き添えを食らうかもしれないが、所詮今眼の前で展開しているのは幻影に過ぎない。幻はあたしを殺せない。

 だからソリスには迷いはなかった。いや、正直な話、迷いはあった。

 どんなに自分が憎む『タザル』の幻影だとしても、やっぱりその姿は本物のタザルと重なってしまう。幻影と言えどもタザルに攻撃などしたくはなかった。

 だが、だからこそ、ソリスは攻撃しなければならないと思った。こんな下らない幻影を二度と見ずに済むように、今ここで、片を付けなければならないのだ。だから、

「あんた達皆、消えちゃえ!」

 振りかぶった炎を解き放つ―直前、

「……いい加減にしろよ! 馬鹿女!」

 背後から激怒した罵声がぶつけられ、直後、建物を揺さぶるほどの大きな音と共に雷が落ちた。その破壊力たるや、リビングの窓が外側から内側へ弾け飛び、鼓膜が痺れて静寂が訪れるほど。建物を伝わった痺れが足元を駆け抜けた。

 何事かと顔を向ければ、朱色の髪の男が激怒していた。

 雨が窓から侵入し、容赦なく窓辺を濡らす。

 雨は嫌いだ。でも、この男は、

「あんたはもっと大っ嫌いだ!」

 全力で拒絶の言葉を吐き、炎の玉を投げつける。が、

「オラだって、おめぇのことは大っ嫌いだ!」

 向かい来る炎の塊を四分割に切り捨てると、一気にソリスとの間合いを詰めて来た。

 普通の剣で炎など斬れる物ではない。何が起こったのか刹那の間理解出来なかったソリスに、若干の隙が出来た。

「やめろ! ダイン!」

 『タザル』が叫ぶ。雷の如き金色の瞳が、恐ろしいほどの輝きを宿して眼の前にあった。

 その眼に、驚愕している自分の顔が映っている。何かを言おうと口を開いたところまでは自分で見たが、次の瞬間には視界を無理矢理外されていた。

 パン。と軽い音がした。体が右に流れた。頬を平手打ちされたのだと理解した時には、胸倉を引っ掴まれて、再び視線を合わせられていた。

 至近距離で、恐れすら抱くほど綺麗な眼に怒りを滾らせ、朱色の髪の男は言った。

「甘ったれたごど、いづまでしてる気だ! 大概にしで目ぇ覚ませ!」

「な、なに?」

「良ぐ見ろ! おめがしたごど! おめが欲しがった『家』じゃねぇのが! 冷だい雨に濡れずに済む場所が欲しがったんじゃねぇのが! なしてその場所ば自分で壊す!」

 何を言っているのかとソリスは思った。ここは自分が生み出した幻影なのだ。幻に過ぎないのだ。何故に壊すと問われれば、二度と幻に惑わされないため。

 だが、室内を見回して、ソリスは血の気が引いた。窓が割れていた。カーテンが半分燃えていた。雨が入り込んでいる。テーブルは粉々。ソファはこげて、絨毯は無残に穴が開いている。壁には黒い影が残り、時計も止まっていた。

 脳裏に、ディアナとシャルレイシカと三人で刺繍をしていたときのことが過ぎった。一生懸命作った花の刺繍を見て、ダインが『魔物か?』と喧嘩を売って来た。ディアナの刺繍を見て『綺麗なアジサイだ』とグィンが褒めて、少しディアナが照れていた。皆で騒いでいると、出かけていたイオラインがお菓子を買って戻って来て、皆でお茶をした。

 温かい空間だった。シャルレイシカの手伝いで、ディアナと二人で掃除もした。掃除をしながらソファカバーやカーテンの色についてあれこれ話し合ったこともあった。

 その空間が、見るも無残なものになっていた。

(あたしは、この場所を知っていた……この人達を知っていた)

 全身がざわざわとざわめいた。もしかしたら大変なことをしたのかもしれないと思い始めていた。金色の瞳の中の自分が動揺していた。

「独りになりだぐない。独りになりだぐないって言っておぎながら、なして人を傷つげるごどばりする! あんなもの人に投げ付けて、無事で済むど思っでらのが? どんだげ馬鹿なのだ! まして、寄りにもよって、イオラインさ手ぇ出すなんて、何考えでら! おめがこごさいるのだって、イオラインのお陰だべや!」

(イオ……ライン?)

 酷い耳鳴りがしていた。その名前には聞き覚えがあった。

 そしてソリスは、悪夢から眼が覚めた。

 完全に我に返って振り返る。シャルレイシカがホッとした表情を浮かべていた。

 イオラインが安堵の表情を浮かべていた。グィンが一つ頷いて、ダインが不機嫌全開で睨み付けていた。

「ご、ごめんなさい」

 ソリスは震える声で謝った。

「ごめんなさい。あ、あたし、皆に酷いこと……あ、あの、あたし」

 何を言いたいのか自分でも分からなかった。ただ、誰の眼も見ることは出来なかった。

 これできっと愛想を付かされた。自分はもうここにもいられない。タザルもディアナもイオライン達ともいられない。たった独り。本当に独りになってしまう。

 そう思うと、体中が震えた。頭の中が真っ白になった。無性にまた泣きたくなった。

 だが、ダインがそうはさせなかった。

「泣ぐな! 馬鹿女!」

「っな……」

 思わず顔を上げてダインを見れば、その瞳が戸惑うように揺れていた。

「泣いだってどうにもなんねぇんだぞ! 泣いだって、おめの相方が戻って来るわげでもねぇし、見付かるわげでもねぇんだぞ! 相手が何を思ってだってな、おめが動がなけりゃ何の変化も起ぎねんだ。一体おめは今まで何して来た? 泣いで謝って何した。何が変わった? 何も変わってねぇべや。待ってだって物事は変わんねぇんだ。待ってでも変わるのは、待つまでに色々として来た奴だげだ。何もして来ねがった人間には何も変化は起ぎやしねぇ。変えたいんだったら動げ! 欲しいんだったら奪え! 逃がしたぐないならしっかり捕まえでおげ! 盗賊なんだばお手の物だべや! 何もやらずにお膳立てしてもらおうなんて甘ったれた根性直して来やがれ! だがらおめは独りなんだね!」

「う、うるさい! あんたに何が分かるって言うのよ! 黙って聞いていれば好き勝手言ってくれて! 言葉がおかしくて聞き取れないのよ!」

「なっ! おめ、人の言葉を馬鹿にするな! 世の中の方言に謝れ!」

「知らないわよ! あたしだってね、好きで泣いてるわけじゃないのよ! あたしだって泣きたくなんかないわよ! でも、仕方ないじゃない! あたしは何も持ってなかったんだから! 奇跡が起きてディアナとタザルが傍にいたけど、いつもあたしは怖かった。なければないで欲しかったけど、手に入れてしまえば失うのが怖かった。いつもビクビクしてたのよ! 嫌われたくなくて、追い出されたくなくて、独りになりたくなくて、それで顔色窺うようになったら駄目なの? 失いたくないって思うことが悪いことなの? 初めから持っている人には分からないかもしれないけどね、なかった物を手に入れた瞬間から恐怖と隣り合わせになったあたしの気持ちなんて、あんたには分からないのよ!」

「わがんねぇよ!」

 きっぱりと言われた。それはもう、気持ちの良いほどきっぱりと。

 あまりの素晴らしい言い切り方に、咄嗟にソリスは返せない。

 代わりにダインが冷めた目をして続けた。

「生憎オラは他人の心が読める能力も、考えでるごどを読み取る能力も持ってねぇがらな。口に出して喋ってもらわねば何もわがんねぇ。ましてや、おめどは赤の他人だ。そんな人間の考えでるごどなんてわがるわげがねぇ。

 逆に聞ぐばって、おめにオラの考えでるこどわがるが? 話そうど思えば普通に話すこども出来るのに、なしてこんな話し方を貫き通してるが、おめにわがるが? わがんねぇべ? それど同じで、オラにはわがんねぇ。わがるのは、おめにとって相方が大切な存在だったってごど。わがんねぇのは、その相方捜すためにオラ達に協力を頼まないごど。一人で無理なら頼めばいいべや。捜すのを手伝って欲しいってたった一言言えばいいべや。なして言わね? オラさ直接言えば『面倒くせぇ』ってちゃんと返す」

「は?」

「でも、イオラインなら二つ返事で捜してくれる。イオラインは約束を破らない。タザルって奴ど約束したなら、おめが頼めば力になる。それなのに、なして頼まね? 一言頼むより先に攻撃し掛ける方が楽なのが? 本当に変わった考え方しでるな」

「ち、違うわ! あたしはそんな礼儀知らずじゃない! でも、今更……」

「ほらまだ、勝手に決め付けでら」

「うっ」

 アッサリと返されて言葉に詰まる。

 だが、実際問題、ダインが言うほど簡単に頼めるものではなかった。そこまで恥知らずではないと自分では思っていた。頼むより先に、たとえ幻を見ていたせいだとしても攻撃を仕掛けたのは自分だ。イオライン達の住んでいる場所を壊したのは自分だ。そんな自分がどんな顔をして頼めと言うのだ。

「いつもそうやって待っでるがら、何もかも手遅れになる。いつでもどこでも誰かが声を掛げでくれるど思ったら大間違いだ」

「うっ」

 ぼそぼそと嫌みったらしくダインが続ける。

 分かっている。ダインの言うことは分かっている。分かってはいるが……

 チラリとイオラインを盗み見る。するとソリスは信じられないものを見た。

 胡坐を掻いた姿勢で自分を見て来るイオラインの顔が微笑んでいた。

 あのときのタザルと同じだ……。

 ディアナと遊んでいたとき、誤ってタザルの大切な置物を壊した。

 きっと許してもらえない。追い出されてしまう。

 ディアナと二人、怖くて悲しくて動けなくなったことがあった。

 どうにかして直そうと試みたが、きちんと直すことは出来なかった。二人は焦った。

 そのとき、運悪くタザルが帰って来た。硬直する二人。怒られることを覚悟した二人。

 だが、一向に怒鳴り声はして来ない。責められると思った二人は震えながら謝った。

 それでも何も言って来ないタザルを恐る恐る見上げれば、タザルは微笑んでいた。

 継ぎ接ぎだらけになった無残な置物を片手に、タザルは笑っていた。

 耐え切れずに二人は泣きながら謝った。タザルはそんな二人の頭を撫でてこう言った。

『大丈夫だよ。怒られると思って怖かっただろ。でももう大丈夫。頑張ったな』

 許されたことが本当に嬉しかった。その微笑と同じ微笑をイオラインが浮かべていた。

 許されている。

 胸にこみ上げるものがあった。目頭が熱くなった。

「まんだ、泣いでら」

「うるさい! これは違う!」

 乱暴に眼を擦り言い放つ。

 そしてソリスはイオラインの眼を見て言った。

「お願いします。ディアナを捜すのを手伝って下さい」

 イオラインは答えた。満面の笑みを浮かべて。

「僕に任せて」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る