(3)

「おや? こんなところで一人でどうした? ディアナは一緒じゃないのかい?」

「!」

 裏庭の中にある東屋で、一人膝を抱えて塞ぎ込んでいたソリスは背後から掛かった問い開けに露骨に体を震わせた。咄嗟に振り返りたい衝動に駆られたが、今はイオラインの顔を見たくなかった。見てしまったら、言ってはいけないことを言ってしまいそうだった。

 それなのにイオラインは、ソリスの心情を知ってか知らずかすぐ横に座り、更に問い掛けて来る。

「朝食のときから思っていたんだけど、ディアナと何かあったのかい?」

 本当に、どうしてこの人は、こうも人の心を逆撫ですることばかり言うのだろう!

 ほっといて欲しいのに、独りでいたいと思ったのに、どうしてこう、タザルと同じ事を、同じ声で言うのだろう!

 ソリスは下唇を噛み締めて、泣き出したい衝動を懸命に抑えた。

 ソリスとディアナはいつも大体一緒だった。時には喧嘩をすることだってあった。歳を重ねればそんなこともなくなったが、小さな頃は本当に些細なことで喧嘩をすることも良くあった。両方とも子供だったから、意地になって口を利かなかったこともある。自我が目覚めて価値観が変わって来たという問題もあったからかもしれない。

 そんなとき、二人は行動を別にした。だが、ソリスは悲しかった。一緒にいられないことが悲しかった。だとしても、喧嘩中は意地を張り合って謝ることが出来なかった。素直になれず、一人で怒って不貞腐れて、誰もいない場所で蹲って、色んな不満を考えて、悲しくなって泣いていた。

 その度に、タザルが必ずやって来て、隣に座って言うのだ。

「お? こんなところでどうした? またディアナと喧嘩したのか? 今度は何だ? 話してみろ?」

 だが、子供心に見透かされるのが悔しくて、ソリスはすぐに答えなかった。それどころか、『独りでいたいのに、邪魔しないで』とまで口にした。

 せっかく心配して声を掛けてくれていると言うのに、その答えはないだろうと頭では分かっていたのだ。ただ、素直にはなれなかった。

 普通であれば怒って、いなくなっても不思議ではない。だが、タザルはそんなソリスの心を見透かすように笑って促すのだ。

「ま。話してみれば気が楽になるかもしれないぞ。内緒にしてやるから話してみろ」

 なまじ同じ声だから、嫌でもソリスはタザルの事を思い出した。挙句、

「僕で力になれるか分からないけどね。話して楽になることもあるかもしれないから話してみないかい? あ、勿論誰にも言うなって言うなら絶対死んでも他の人には話さないけど、そんなこと言われても信じられないかな?」

 などと、イオラインが似たようなことを口にするのだから質が悪い。

 ソリスははっきりと分かっていた。自分でもどうすることも出来ないほど、イオラインのことが好きになっていると言うことが。それが恋愛感情から来るものなのか、タザルに寄せていた信頼から来る気持ちなのか判らない。ただ、生きていて欲しいと願っていた人が死んだと聞かされて、その人と全く同じ人が現われて、しかも互いに面識があって、自分達のことを託し、託された間柄だということが判明していて、信じるなと言う方が無理だとソリスは思っていた。

 それなのに、そう思うことは命の大恩人であるタザルや、今の今まで世話をしてくれていた仲間達に対しての裏切り行為にしかならないと言われてしまったなら、ソリスの心はぐちゃぐちゃになっていた。

 ソリスにして見れば、タザルもディアナも仲間達もなくてはならない大切な人達だ。

 でも、それと同じぐらいイオラインやシャルレイシカのことが好きになっていた。

 好きになってはならない人達を好きになってしまった。それが悪いことだと言われてしまった。そのことが苦しくて、悲しくて、話したいけど話せないもどかしさに、ソリスは膝を握る手に力が籠もった。

 おかしい。自分はこんなにも弱い人間だっただろうか? もっと強かったはずではないか? それとも、本当の自分はこんなにも弱い人間だったのか? それだけ皆に守られて強がっていただけなのか? 皆がいることで自分が強くなったと錯覚していただけなのだとしたら、誰もいなくなった自分はただの弱虫だ。

 そんな自分は嫌だった。誰にも守られず、誰にも受け入れられず、罵られ、拒絶され、たった独りで生きなければならないなど。ディアナやタザルに出会う前の、あの蔑まれた路地裏にいた頃の自分になど戻りたくはなかった。そんなのは嫌だった。

 だが、ここでイオラインにすがり付いてしまえば、自分はディアナやタザルを裏切ることになってしまう。少なくとも、ディアナはもう口を利いてくれなくなる。夢にも思わなかった事態に陥ってしまう。それを回避するためにはイオラインには頼られない。

 どれだけタザルと同じでも。タザルが頼れと言った相手だったとしても、イオラインに頼ったら、全てを失う。イオライン達を得る代わりに、大切な者を失ってしまう。そうまでしてここにいても、きっと自分の心の空洞は埋まらない。

 それは嫌だった。どうしても嫌だった。だから理由など話せなかった。絶対に話したくなかった。それなのに、

「大丈夫。落ち着くまで待っているから……」

 独りになりたいのに、独りになりたくない。

 その気持ちが見透かされたのだろう。イオラインは、かつてのタザルがしたように、ソリスの頭を二度軽く叩いて告げて来た。

 反則だ! と思ったとき、ソリスはしゃくり上げる自分を抑え切れなかった。

 どうしてこの人は、タザルと同じことをするんだろう! そんなことされて、我慢し切れるわけがないのに!

「だって、だって、ディアナが……」

 一度言葉を紡ぎ出すと、言葉は後から後から溢れて来た。

 涙が止まらず、胸の苦しみが治まらない。しゃくり上げながら、ソリスはここに来ることになった経緯や、今朝のことなど、今まで思ったことを全て話した。

 自分が路地裏にいたこと。無意識に『アビレンス』の力を使って、放火犯と間違われて捕まったこと。捕まった先でディアナと出会い、娼館に売られたこと。ディアナが自分を庇って辛い思いをしたこと。そんなとき、タザルが助け出して『銀の鬣』に連れて行ってくれたこと。そこで仲間が出来て、『家』を与えられて、文字を教えられて、タザルの事を信頼したこと。ゴウラの反乱でタザルが捕まってしまったこと。タザルを助けるためにゴウラの命令に逆らえなかったこと。最後の仕事でタザルなどとっくの昔に殺されていると告げられて逆上し、貴族の家を壊滅させたこと。そしてイオラインに見付かり、レイデットに助けられ、ここに辿り着いたこと。ここの人達が親切で、好きになってしまったということ。そのことをディアナに告げたら、裏切るつもりかと責められたこと。裏切るなら、もう一緒にいられないと拒絶の言葉を向けられたこと。

 その全てを、言葉に詰まりながら、前後しながら、ソリスは語った。

 語る度に、ソリスはタザルやディアナと共に過ごしたときの事を思い出して、二度と戻って来ない日々を思い出して、やるせなくて悔しくて悲しくて、涙が止まらなかった。

 ふと、涙とはどこから出て来る物なのだろうと、現実逃避のように考える。

 どうして涙は枯れないのだろうかと考える。

 だが、そんなことはどうでもいいことだった。

「ねぇ、あたしは、裏切り者なの? 皆のことが大切なのに、皆のことが好きなのに、どちらかだけを選べないあたしは、裏切り者なの? もう、ディアナはあたしのこと嫌いになったの? もう一緒にいられないの? どうして皆いなくなるの? あたしが孤児(みなしご)だから? 初めから何も持っていなかったから? 過ぎたものに囲まれていたから? これは罰なの? あたしは、一体何をしたせいでこんなにも悲しい思いをしなければならないの? どうして、こんな思いをするためにあたしは生きているの? こんな思いをするぐらいなら、何も要らなかった! 何も欲しくなかった! 何も分からないままの方が良かった! あのままあの暗い路地裏で死んでいれば良かった!」

「違うよ!」

「!!」

 ソリスが全てを拒絶したとき、鋭い否定の言葉が飛んで来た。そして、ソリスは力一杯抱き締められた。

「それは違うよ、ソリス」

 イオラインがどこか怒った口調で言葉を掛けて来る。

「それは違う。僕は嬉しかった。タザルから託された君達を見つけたとき、助けることが出来たとき、本当に嬉しかったんだ。

 僕はずっと想像していた。タザルが託した相手はどんな子なのか。タザルが気に掛けている子供はどんな子供なのか。自分のことを好きになってくれるだろうか? 僕の仲間たちと仲良くなってくれるだろうか? そんなことをずっと考えていた。

 でもそれは、タザルに危険が迫ったときだ。僕のところに君達が来ることは、同時にタザルの身に何か起こったということだ。たった一度、短い間話しただけだけど、僕はタザルの事を気に入ったよ。君達の事を大切に考えている彼のことが好きになった。だから、君達には会いたいと思ったけど、そんなときが来ないことを祈っていた。

 でも、風の噂で『銀の鬣』が変わったことを聞いた。何かあったのだと察したよ。タザルや顔も名前も知らない君達がどうなったのか気になった。何も知らないから助けようもなかったからね。

 そしたら、偶然にも僕は君達を見つけた。きっとタザルが引き合わせてくれたんだと思った。だからレイデットを使って君達を見つけて連れて来てもらったんだ。

 僕は、君達に会えて本当に嬉しかったんだよ。タザルとの約束を果たせると知って安心したんだ。だから、死んでいれば良かったなんて言わないでくれ」

「だ、だって、ディアナが……」

「うん。ディアナはそれが許せないんだよね。僕達に君が取られると思ったんだよ。ずっと一緒で、ずっと同じ場所にいて、ここが自分達の居場所だと思っていたのに、結局そこから追い出されて、いつか戻ろうと思っていたのに、君が僕たちの事を気に入ってくれたから、もしかしたら、自分なんかより僕達を選ぶんじゃないかと思って怒ったんだよ」

「どうして? ディアナはいつも一緒だったのに」

「だからだよ。だからディアナは分かったんだよ。僕がタザルと同じ顔をしているから。同じ声をしているから。君が、タザルを必要としていることが分かっているから。いなくなったと言われたタザルと僕がそっくりだったから。きっと君はタザルに似ている僕を選ぶと考えたんだ。自分から君が離れて行ってしまう。それが嫌だから、言葉で縛った。

 君と同じくらい、彼女も苦しいんだよ。戸惑って、苛立っているんだよ。だから、心無いことも口走ってしまう。いいかい? ディアナは君が嫌いでそんなことを言ったんじゃない。好きだから責めたんだ。だから、君まで全てを拒絶してはいけない」

「でも、ディアナはもう、あたしとは話をしてくれない」

「じゃあ、僕がディアナと少し話をしよう。ディアナがどこにいるか知らないかい?」

「多分、書斎にいると思う……」

「そっか、ディアナは本が好きだからね」

 だが、書斎どころか『虹の架け橋』の建物の中でディアナの姿を見つけることは出来なかった。ディアナはその姿を忽然と消していた。

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