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 その後二人は、好奇心一杯の視線や、大丈夫なのか? と言わんばかりの表情。値踏みするような視線。興味なさげに見向きもしない人。何故か涙ぐんでいる人。様々な反応に出迎えられ、『銀の鬣』に受け入れられた。

 そして、今でもはっきりと覚えているのが、その夜の食事だった。ソリスが体験した記憶がないほど賑やかな食卓となった。テーブル狭しと並べられた料理の数々。次々と空になる酒のビン。笑い声が上がって、音楽が鳴って、歌って踊って喧嘩して。怒られて落ち込んで、誰かがお酒を進めて肩を組んで笑い合う。

 そうかと思えばソリスとディアナに質問しまくり絡みまくり。お酒を勧め、飲めないと分かるとジュースを勧め、食べきれないほどの食べ物を持って来て、戸惑うソリスも露骨に疎ましがっているディアナのこともお構いなく、ちょっかいを出して来た。

 それは疲れ果てて眠りこけるまで続いた。当然中には冷静な人間も残っていたが、世話など見る義理はないとばかりに酔いつぶれ達をほったらかして食堂を後にした。

 驚き疲れ果てたソリスとディアナは、こくりこくりと船をこぎ始めた頃に、タザルによって割り当てられた部屋に連れて行かれ、その記憶もないままに深い眠りに付いた。

 その翌日からソリスとディアナはタザルについて、『ウェスタ』地区のことを教えられた。

 『ウェスタ』には縄張りがあり、自分の縄張りの外に出たならけして自分から手を出してはならないと教えられた。一見秩序があるように見えるが、皆が義賊なわけではなく、普通の盗賊や犯罪者など凶悪なグループも沢山あるし、危うい均衡を保っているのだと教えられた。そして、縄張りの境目を表すものとして、それぞれの印が下げられているのだと教えられた。

 確かに、粗末な物見やぐらの様な物の上に、ライオンの横顔が刻まれた銀色の板と、とぐろを巻いた蛇の刻まれた木の板が並んでぶら下がっているのが見えた。

「いいか。ああいうのが縄張りの境目だ。あれを過ぎたら大人しくしないといけないんだぞ。ほら。お前達も外を出歩くようになったらこれを必ずつけておけ」

 そう言って手渡されたのは、ライオンの横顔が刻まれた銀色のブローチのようなものだった。

「お前らのために新しく作ってもらったんだ。失くすなよ。二回目からは金取られるんだから」

 それは凄く精巧に彫られたライオンだった。その上、裏を見るとそれぞれの名前が彫られていたが、字の読めないソリスはもっと後から知ることになった。

「いいか。それをつけていれば俺達の仲間だって証拠になる。だから他の縄張りに入っても、どうこう絡まれることはない。でも、それをしてないとただの人。何をされるか分からない。いいか。絶対に外に出るときは見えるところにこれつけとけよ。つけ忘れが心配なら常につけとけ、いいな」

 そうやって何度も繰り返し注意を受けた。

 『ウェスタ』地区は、一見すると普通の町と変わらないように見えたが、よくよく見ると建物は修繕されておらず、建物と建物の間の薄暗い場所には、おかしな目つきの人間や、たむろっている人間の存在が見て取れた。

 それも当然のことで『ウェスタ』は、町を追い出された人間や流れ者。犯罪者が暮らす場所なのだ。だが、中にはカタギの一般人も多くいる。感染症に侵(おか)された人間や、働くことの出来ない人間。収入が少なく、税金が納められない家畜以下の存在と認定されてしまった人間が押し込められている。

 それが『ウェスタ』。だとしても、町は町。舗装もされていない剥き出しの地面の道端で、店が開かれていた。食べ物や着る物。装飾品。薬や刀剣。そして、お金や化粧品。名前のなかった時代のソリスがいた場所とは打って変わって、それでも活気のある場所だった。

「あれらは大体盗品だ」

 盗賊なのか流れ者なのか一般人なのか分からないが、笑いながら行き交う人たちと会釈しながらタザルは教えてくれる。

 そう。『ウェスタ』は日陰の存在が集まる場所にも拘らず、何故か明るい雰囲気の場所だった。着ている物は少し汚れていたりするが、すれ違った女達は綺麗に化粧を施して、甘い匂いの香水までつけていた。

「住めば都ってね。慣れちまえば『ウェスタ』暮らしだって捨てたもんじゃねぇぜ。食い物も着る物も、必要なものは揃ってるし、物々交換だろうが金とのやり取りだろうが、どちらかの方法で何かしら手に入る。まぁ、商品によっては訳ありだったり盗品だったりもするが、中には正統な手順を踏んで仕入れて来る物もあるからな。毎日何かは売っている。食い物は生活必需品だからな。毎日どこかで売ってる。俺達んとこのコックもこの辺りで食い物仕入れて来てるんだぜ。たまに町まで行って大量に買い入れるときもあるけどな。

 ほら、そこのパンとかはあの女が焼いてるんだ。材料さえ揃えて頼めばいくらでも美味いパンが食える」

 そう言って、タザルはソリスとディアナの二人に焼き立てらしき温かいパンを奢った。

「何? 新しい彼女?」金色の髪を纏め上げたその女は、笑いながら冗談を言って、

「おお。いいだろ。お前も歳下の可愛い彼氏作ったらどうだ」

 何てことをタザルも返していた。

 良く見ると、その人も胸に小さなライオンのブローチをしていたため、ソリスが仲間なのかと訊ねると、御贔屓になった人間にも印としてライオンの小さなブローチが渡されると言うことを教えられた。即ち、『銀の鬣』お抱えの商人。と言う証。身の安全を約束されたと言うことの証なのだと言う。

 そんなことを説明されながらの散策中、ディアナは終始無言で無表情。とても楽しんでいるようには見えなかったが、ソリスは楽しくて仕方がなかった。思い返してみれば、こんな普通のこと、今の今まで出来ていなかったのだから当然だった。

 常に夢見ていたことを、今、自分はしているのだ。

 あの、雨に濡れた路地裏の細い白い世界に自分はいるのだ。普通の服を着て、温かい食事を食べながら、大勢の人の中を誰かと一緒に歩いている。一緒に笑って歩いている。

 それだけで、幸せだった。

 楽しかった。憧れていた生活が出来て、人間らしい生活が出来て幸せだった。

 その後、ソリスは字が読めないと言うことが発覚して、字の読み書きを習うことになった。その間、ディアナは本を読んでいた。『銀の鬣』には蒐集家がいて、読書好きが仲間内にいないと悲観していたその男の人を泣いて喜ばせたが、特に読んだ後感想を言うわけでもなく、次々と読み込まれて行く為、何かが違う。何かが違うと悶絶させていた。

『銀の鬣』のメンバーは、大体皆、ソリスとディアナに良くしてくれた。中でもタザルは本当の身内のように心を砕いて色々なことを教えてくれた。

 世の中には、『ヒューマイン』という地区があり、そこには貴族連中が住んでいるということ。その下に『ツール』と呼ばれている商業地区があり、そこに住んでいる人間が食べ物や着る物などを作っていると言うこと。どこの地区にもいい奴と悪い奴がいるということ。そして、どの地区にも共通しているのが、『利用するもの』と『利用されるもの』がいること。いい顔をして近付いて来る人間や、美味しい話だけをする人間は信用するなと言うこと。奥の手は絶対誰にも話してはいけないこと。本当に沢山の事をタザルは教えてくれた。それこそ、どこに行くにもタザルは二人を連れて回った。

 お陰で、付いた呼び名が『カルガモ親子』。初めこそ嫌がっていたタザルだが、はやし立てられているうちに突っ込むことすらやめ、笑って流すようになっていた。その内『羨ましいだろ』と自分達を自慢するかのように返すようになり、それがソリスにして見れば気恥ずかしくもあり、嬉しいことだった。

 そんなあるとき、ソリスとディアナはタザルから言われた。

 自分が『アビレンス』であることは誰にも知られてはならない……と。

 どうしてかとソリスが訊ねると、タザルは真面目な顔で答えた。

「ディアナも言っていただろ? その力は諸刃の剣だ。お前達を守ってもくれるが、危険も呼び寄せる。だから、絶対にバレちゃ駄目だ」

「でも、タザルは知っているよ? それに、その力を貸してくれって、初めて会ったとき言ってたじゃない」と、ソリスが言うと、

「確かに、貸してくれとは言ったが、それはお前達を助ける方便だったんだ。それ以外にお前達をあそこから連れ出す理由が見付からなかったからな。

 今だから正直に言うが、俺もどうしてお前達を助けようと思ったのか自分でも良くわからなかったんだ。ただ、お前達をあの場所で死なせたくなかった。だから、どうやってでも連れ出したかった。だから、あんな風に言ったんだが、あの時も今も、俺にはお前達を利用してやろうと言うつもりは一切ない――と言ったところで、信じる信じないはお前達次第だけどな。

 ただ、他の者に知られたらどうなるか判らない。ここの連中はいい奴も多いが、その分、何を考えているのか判らない奴らも多い。そんな連中にお前達の力のことが判ったら、どうなるか……。

 だから、いざと言うときまで、その力は絶対に使ってはならない。皆に隠し通さなければならない。ただ、ディアナはともかく、ソリスは力をコントロール出来ない。そうだな? だから、力をコントロールする訓練は必要だ」

 そしてソリスは自分の力をコントロールする訓練を、ディアナを含めて極秘で行うことになった。タザルの教え方はとても判り易くて、二ヵ月後には完全にコントロール出来るようになった。

 自分にこんな凄い力があるなんて、ソリスは信じられなかった。

 自分で自在に炎が使えるようになると、その力を使ってみたくてうずうずしたが、タザルに厳重注意を貰ったので我慢した。そうした我慢は辛かったが、三人だけの秘密を持っていることがドキドキして楽しかった。

 その一方で、『アビレンス』に詳しいタザルにディアナが疑問を持った。タザル自身も『アビレンス』なのかと。

 その疑問を持つこと自体予測していたことだったのだろう。タザルは動揺することなく、苦笑を浮かべて告白した。

 自分も昔、子供の頃に『アビレンス』だったと。突然力に目覚めてパニックになったとき、『ヒューマイン』で仕事をしていた『アビレンス』に力の使い方を教えてもらったこと。その力も、十五のときにぱったりと使えなくなってしまったこと。

 突然目覚めて突然無くなる力が何なのか知りたくて調べ物をしたこと。でも結局『ウェスタ』地区の人間が学べることには限界があること。だから、『アビレンス』そのものに関しては余り知識がないこと。でも、実用性を兼ねたことなら少なからずアドバイスできること。でも、やっぱり信じる信じないはソリスとディアナに任せると言って、タザルは笑った。

 そして、力を使えなくても生きていくために。また、力は感情によって暴走することもあるため、心身を鍛えるために、タザルは体術やナイフの使い方など、生きて行くために必要な訓練も二人に施した。

 二人の体術とナイフの扱いは、仲間内でも目を見張るものだった。

 特に、ディアナは体術が素晴らしく、ソリスは投げナイフが得意だった。

 タザルに拾われて半年後には、一対一の訓練で十回に一回は勝ちを手にした。

 これはいい戦力になると評判だった。そうやって仲間に認められることはソリスにとって幸せなことだった。そして、そんな幸せを与えてくれたタザルには言葉にしつくせない感謝の気持ちが芽生えていた。

 それは殆ど信仰に近いものだったかもしれない。ディアナ自身、直接口にしたことはないが、自分と似たような気持ちだろうとソリスは思っていた。

 実際、本当にタザルはソリスとディアナを守り続けていてくれた。

 仲間内にもいい奴と悪い奴がいる。その悪い奴代表がゴウラで、その手下に絡まれたときも、いつも助けてくれていた。

 力を使えば何とかなるとは思っても、タザルとの約束がある。きっとまだ、力を使うべき場所じゃない。隠していなければいけない時期。

 そう思って『アビレンス』のことはひた隠しにして来た。だがそうなると、体重の軽い子供が二人。腕力の弱い子供達。体術や投げナイフが得意でも、自分達以上に実戦経験のある男達に敵うわけがない。

 どうすればいいのか途方に暮れたとき、タザルはいつも助けてくれた。

 その守ってくれる姿が、ディアナとソリスの胸の内に絶対の信頼を築かせた。

 タザルがいれば大丈夫。

 タザルがいれば、ずっと幸せに暮らしていける。

 ソリスはそう信じて疑わなかった。

 ずっとずっと続くものと、信じて疑わなかった。あの、悪夢の反乱があるその日まで。

 沢山の血が流れていた。沢山の笑顔が消えて、親しかった人たちが死んだ。

 そして、ゴウラの手下によって左右から取り押さえられた血まみれのタザルがそこにいた。嫌だった。こんな場面は見たくなかった。

 ソリスは我知らず後ずさりしていた。逃げたかった。逃げ出してしまいたかった。だが、出来なかった。タザルの眼と自分の眼が合ってしまっていたから。

 色眼鏡が外れたタザルの眼。明るい綺麗な緑色の眼。その優しい眼差しが、跡形も無く消えていた。黒く濁った暗い瞳と眼が合った。

 違う。あのときのタザルの眼はこんなんじゃない!

 ソリスは頭を振って否定した。

 あのときタザルは笑っていた。あたし達を安心させるために笑っていた!

 だが、今眼の前にいるタザルは、暗い焔を瞳に宿し、憎悪に彩られた顔を向けて呪詛を吐いた。

「……お前らが約束を破ったせいで、俺は殺されるんだ。よく、見ていろ」

「!!」

 刹那、飛び散った鮮血がソリスの視界を埋め尽くし―


           ◆◇◆


「いやあああああっ!!」

 悲鳴と共に目覚めたとき、

「だ、大丈夫かい?」

 気遣わしげな男の声が耳を打ち、視界を埋め尽くした顔を見て、ソリスは大きく眼を見張った。そこには、いるはずのないタザルの姿があった。

 あたしはまだ、夢をみているのだろうか?

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