(3)
「ほう。そいつらか、お前が仲間にしたいと言っていた子供は」
「はい」
『銀の鬣』の隠れ家。『ウェスタ』と呼ばれる無法地帯の中心部にある、三階建ての石造りの建物の最上階。そこにタザルとソリス、ディアナはいた。
人買いの元にいたソリスとディアナを助け出したタザルは、その足で『銀の鬣』の隠れ家に二人を連れて来ていた。盗賊の隠れ家と聞いて、もっと暗くてジメジメしていて、汚らしい場所を想像していたソリスだが、部屋の中は綺麗に片付けられ、光が沢山入って来て清潔感漂うものだったことに、正直驚きを覚えた。
路地裏にいた頃の自分を思い出して見て、下町の貧乏な人もそうなのかと思っていたソリスにして見れば、ある意味衝撃的な光景だった。
何色もの糸で編まれた絨毯。その模様が鮮やかだし、大きな明かり窓の前にある漆黒の机の正面にも鬣を靡かせたライオンの横顔が彫られていて素敵だとソリスは思った。
本来本棚と思しき物の中には、数冊の本と、あとは戦利品と思われる品々が無造作に並べられている。壁には綺麗な絵も掛かっていたし、葉っぱの大きな植物も飾られていた。
こんな部屋、盗賊の隠れ家だと言われなければ絶対にそうだとは思わないとソリスは思った。ただ、漆黒の机の向こうにいる男だけは別だと理解する。
何がどうと言うこともなく、ただ、怖かった。
歳の頃は二十代の後半。三十に届くか届かないかと言う見た目。
あらゆる光を吸収しつくしてしまうような闇色の長めの髪。見る者の動きを止めてしまうかのような鋭い眼光を放つ瞳は真紅。それこそライオンを彷彿させるような容貌に服の下からでも分かる鍛え抜かれた体。それらから放たれる威圧感に気圧されて、ソリスはディアナの後ろに隠れていた。そうしないと足が震えて立てなかった。
そんなソリスとは対照的に、ディアナは堂々とその男の前、『銀の鬣』の頭目であるスィードの前に立っている。怖くないのだろうか? とソリスは不思議でならなかった。
ディアナって凄い……と純粋に感動した。
「ふむ……」
机に片肘を着き、その掌の上に顎を乗せ、上から下まで視線を動かすスィード。まるで品定めをされているようで、ソリスはディアナの後ろに隠れるように再び顔を隠した。
「一人はともかく、その赤毛の娘は使い物になるのか?」
どこか嘆息交じりに発せられた言葉に、ビクリと体を震わせるソリス。
その言葉は暗に、役立たずなど連れて来るなと言う意味に聴こえた。
やっぱりあたしは捨てられるんだ!
薄々想像していた通りのことになり、絶望に震えるソリス。
だが、そんなソリスの耳にタザルの言葉が飛び込んで来る。
「当然です。だからこそ連れて来たんです。今はまぁ、慣れない場所に連れて来られたせいで気が動転しているんでしょう。落ち着けば大丈夫ですよ。大体、御頭の顔が怖いんです。誰だって初対面で睨まれたら怯えますって。
俺だって、初めて御頭の前に連れて来られたときは足が震えて逃げ出したくなってましたからね。年端も行かない子供なら尚更怖いでしょう」
何てことを笑いながら言うタザル。
そんな口を利いたら怒られるよ!
と、内心でソリスが悲鳴を上げたなら、ソリスは予想外のものを眼にすることになった。
「そうは言うが、持って生まれた顔をどうにかしろと言われたところで、どうにかなるものでもないからなぁ……。そんなに怖いか?」
自分の顔を擦りつつ、少し困ったような口調でスィードが問い掛けて来たのだ。
その困惑した顔を見たなら、ソリスは戸惑った。何故か怖いと思わなくなったのだ。
もしかしたら、見た目は怖いけどそんなに怖い人じゃないのかもしれない……。
そう思えた。何より、本当に怖い人に、こんな気軽に話せるわけがない。
タザルを見ればずっと笑顔だった。
だからソリスは、ディアナの背中から出て、おずおずとスィードの顔を見た。
直後、バッチリと眼が合ってしまい、思わずまた隠れてしまう。
やっぱり、ちょっと怖かった。
すると、どこか落胆したような、冷めたような口調でスィードは言った。
「まぁいい。そのうち慣れるだろうから気にはしまい。
で? 名前は何と言う? あるんだろ?」
と問われたなら、誰よりも早くディアナが口を開いた。たった一言簡潔に。
「ないわ」
それに驚いたのは他でもないソリスだった。当時の二人には『モーリ』と『マゼンダ』と言う名前が付けられていたのだ。それなのに「ない」と否定する意味が分からなかった。
それはスィードも同じだったのだろう。対してディアナは淡々と答えた。
商品として名付けられた『記号』など、店から出てしまえば無用なもの。だから、今の自分達には名前などない。
口調こそ淡々としたものだったが、そのきっぱりとした発言に、スィードは一つ唸ってタザルに言った。
「タザル。とりあえずそいつらの名前から考えておけ。連れて来たお前の責任だ。呼ぶ名前がないと不便だからな」
結果。ソリスとディアナは夕食の席で、『クリム』と言う名前と、『ノアール』と言う名前をお披露目された。何故そういう名前にしたのか質問が飛ぶと、クリムは『赤』。ノアールは『黒』と言う意味で、それぞれの髪の色から付けたと得意げにタザルが説明したが、ディアナの『三流』と言うたった一言のお陰で、その場が盛大な笑いに包まれた。それに対して露骨にタザルがショックを受けると、野次さえ飛んだが、その切っ掛けを作ったディアナはそ知らぬ顔をし、ソリスはただオロオロとすることしか出来なかった。
そんな二人と周囲の野次を一身に受けたタザルは、顔を赤くして、「だったら!」と、『ソリス』と『ディアナ』と言う、新しい名前を口にした。すかさず誰かがその由来を尋ねると、タザルはやけくそ気味に「昔可愛がっていたペットの名前だ!」と宣言し、誰もが唖然とした中で、「愛着があるんだからいいだろうが」と照れたような、拗ねたような口調と表情で付け加えたなら、ディアナは、
「色から付けられる名前よりはマシ……」と受け入れ、それを見たソリスは無条件に喜んで受け入れた。
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