2ー9 真相の渦の闇に沈む

「ルリがずいぶん世話になった・・・・・・ようだな」


 地を這うような凄みのある声。ニビはメディアでよく見かける通り恰幅の良い体格で、厳つい顔付きをした男だった。


「いろいろと調べさせてもらって驚いたよ。我が娘が君のような異分子と付き合っていたとはな。まさか五年前のあの件が、こんなことになろうとは」

「五年前……?」

「あの、ジンという男のことだ。ルリは薬学研究所に保管されていた薬品を、処分すると偽ってその男に不正譲渡しただろう。あれも立派な犯罪だ。私は彼を地球へ送還することで、その一件を穏便に収めたのだが……後から聞けば、それにも君が関わっていたというではないか」


——もう、本当にトワって……いろんなことに鈍いんだから。


 あの言葉の裏に隠されていたものを、今さら知る。

 確かに、やたらとスムーズに事が進んだと思ったのだ。


——家族の元に帰ることができるのは、間違いなくルリさんのおかげです。

——そう言っていただけると、私も救われます。


 別れ際の、ルリとジンさんの会話が蘇ってくる。俺はそれに対して、どことなく不思議な印象を抱いたはずだ。


 二人とニビとの間にあったであろう、俺の知らないやりとりを想像する。

 恐らくルリが父親にジンさんのことを頼んだ際に、特効薬の譲渡について知られてしまったのだろう。

 例え軽犯罪であっても、自分の娘の不正が何らかの形で暴かれたら、首相としての立場が揺らぐ可能性がある。だから、ニビはその原因となったジンさんの存在を例の特効薬と共に月コロニー上から消すことで、その一件を握り潰したのだ。

 結果的にそれがジンさんの希望に沿う形であったことが、彼自身にとっては幸運であり、ルリにとっては救いとなったのだろう。


「コロニーの安寧は私が作っている。私にはそれを守り抜く責務がある。この社会において、規律に反することは何よりもの悪だ。よりにもよって我が娘に不正を働くための手伝いをさせるとは、何とも許し難い」


 言ってしまえば、それは保身のために他ならない。だが、首相就任以来コロニーの治安を劇的に回復させ、高水準で維持し続けてきた男の言葉には、絶対的な力があった。

 震える唇で反論を試みる。


「……僕は決して、あなたを陥れるようなことはしていません。その事実を歪めて罪に問うことは、不正には当たらないとでも仰るんですか」

「例の小麦の件を、腹を隠して管理府のためなどとうそぶいた口で、何を言うか」

「しかし……」

「私と君とでは命の重みが違うのだ。立場をわきまえよ」


 格子越しに、凍て付くような冷たい表情で見下ろされる。


「君のような者を、我が娘に近づかせるわけにはいかん。ルリのことは忘れたまえ。あれには相応しい伴侶を用意してあるのだ」


 そう言い捨てて、ニビは去っていった。



 ようやく気付いた。俺はニビによって身辺調査されたのだ。そこで俺の行なっていたことが明るみに出た結果、愛娘をそそのかした排除すべき存在であると判断されたのだろう。

 適当な罪をでっち上げてでも俺を地球へ追放してしまえば、ルリも諦めざるを得ない。もしくは、俺のような背任傾向のある危険分子がコロニーに居座っていること自体が我慢ならなかったのかもしれない。


 俺は密輸罪など身に覚えのあるものから、テロ等準備罪など全くの言い掛かりであるものを含む十一の罪で起訴された。

 茶番のごとき裁判でどう答弁したのか、もはや記憶にもない。結果として、俺は追放刑に処されることとなった。

 例えどんな名目であっても、きっと結論は初めから決まっていたのだろうと、まるで他人事のように思った。

 ただ、恩師や工場長に迷惑を掛けてしまったことを思うと、ひたすらに申し訳なかった。



 追放刑の刑期は三年。

 左手の甲に埋め込まれたマイクロチップは、当人が生きている限り微弱電波を発する。それを月と地球との間に浮かぶ人工衛星でキャッチすることにより、罪人の生死と位置情報が常に管理される。地球で三年間を生き延びた者は、月に戻ることが許されている。


 だがそれは、まだ人類移住計画が途上にあり、数年に一本でも地球から月コロニー行きのシャトルが出ている時代に制定された法律での取り決めだ。

 例の計画が完了してしまった今、例え刑期を満了したとしても、月へ帰還するための手段はもう存在しない。

 加えて、これまでに地球で三年を過ごして月へと戻った『追放者』はただの一人もいなかった。地球へ落とされた者は、三年経たぬうちに一人残らず死んでいるということだ。


 コロニーに死刑は存在しない。

 だが、追放刑こそが、事実上の死刑に他ならないのだ。



 俺はどこで間違えてしまったのだろう。

 ルリヨモギギクを開発したこと自体は、法律上問題なかったはずだ。

 その種子を地球へ送った方法は確かにまずかった。だが、はたしてここまでの罪に問われるほどのことだっただろうか。

 だとすれば、ルリにプロポーズしたことか——と考えが及んで、激しい自己嫌悪に陥った。


 ルリを愛していた。ルリと『家族』になりたかった。

 そのことを、後悔するなんて。


 結局、俺はルリの伴侶として相応しくなかったのだ。

 コロニー管理府首相の娘に結婚を申し込むなら、完全に清廉潔白であるべきだった。

 この社会で生きるためには、定められた規律に則って行動しなければならない。そうでないものは、害悪に他ならないのだ。

 初めからルリの忠告を聞いて、正規ルートであの種子を送る方法を模索すれば良かった。例えそれに何十年かかろうとも。


 わざわざ優秀な遺伝子を与えられたデザイナーベビーでさえ、わずかでも期待から外れればあっさり捨てられる。

 なぜなら、いくらでも代替品を作り出すことができるからだ。

 俺のような捨て子のうち、知能指数が規定の数値に届かなかった者がどこへ消えているのか、考えたくもなかった。

 何かしらの理由で『不良品』と判断されてしまったら、即座に『不要品』として処分される。そういう構造の社会なのだ。


 思えば、この二年の間に反逆罪で追放された官僚たちが、本当に報道された通りの罪を犯したのかも怪しいところだ。

 これまで追放刑に処されてきた罪人たちも俺と同じだったのだろうか。ニビの作った安寧の下、コロニーを『清潔』に保つため、まるでゴミのように排除されたのだろうか。弁解の余地も更生の機会も、決して与えられることのないままに。


 いずれにせよ俺は月から追放される。この無菌状態のコロニーの中で、俺は異質なウィルスと見なされたのだ。

 自業自得、身から出た錆だ。

 幼少期に俺を見限った親の判断は正しかった。

 そう思ったらやけにおかしくて、俺は独房の中で一人、狂ったように笑い続けた。


 刑を言い渡されたあの日から、これがいずれ醒める悪夢であったらどれほど良いだろうかと、何度となく思った。

 あるいは俺の陥っている状況は何かの誤りで、暗く冷たい独房の扉が開いて再び自由を得られる日が来るのではないかと、儚い望みを抱いたりもした。

 しかしこれは紛れもない現実で、断罪の日は容赦なくやってきたのだった。

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