▶︎ トワ
5ー6 月コロニーで再び
刑期を満了して月へと連行された後、俺は事前に聞かされた通り、火星コロニー開拓プロジェクトの緑化計画チームに加えられた。
そのチームの責任者は、なんと俺の恩師である、あの大学院の教授だった。
「トワくんが開発したルリヨモギギクの成分や構造について調べたよ。素晴らしい新種植物だ。君がこれを暗殺などのために開発したはずがない。このチームのスタッフは皆、君が不当な処罰を受けたと思っている」
元植物遺伝子学研究所員や大学院のOBなどで構成された十五人のメンバーは、俺を温かく迎え入れてくれた。
「ただし、管理府に反する意見を持っていることを決して悟られないようにと、ある方から言われている。我々はあくまで与えられた仕事を行うだけだ」
どうやらこのチームは、そうした思想の者ばかりで構成されているようだった。恐らく、その『ある方』なる人物によって集められた人材なのだろう。
ところが従来の植物が根付かなかったため、新たな品種の開発が必要だということになったらしい。
そこで奇しくも、ルリヨモギギクという完全なる新種を作り出した『実績』のある俺に白羽の矢が立ったというのが経緯のようだった。
俺には保安部の監視が付き、自宅と職場の往復以外はろくな寄り道も許されなかった。
仕事と衣食住を淡々と繰り返す日々。
そんなある日、俺は火星プロジェクト全体の担当官僚の中に、懐かしい名前を見つけた。
ルリだ。
ルリは俺が地球へ追放された後、薬学研究所を辞め、父親が決めた相手と結婚して、管理府に入ったようだった。
ある考えが俺の頭を
わざわざ小型
月コロニー管理府では、相変わらずニビ首相が絶対的な権力を保持していた。だが、メディアを通じて目にするその言動は、以前と比べて精彩を欠いているようにも見えた。
ニビの傍らには、常にルリの存在があった。彼女は父である首相の補佐をしているようだった。
だからこそ余計に、俺の帰還にルリの力が働いているように思えてならなかったのだ。
月に戻って半年が経過した頃合い、俺は上司である恩師の付き添いでプロジェクトの会議に参加した。
そこで、聞き覚えのある声の男から秘密裏にメモを渡された。
「お約束でしたので」
それは俺を地球から月へと連行した保安部の男、セトだった。
メモには、同じ建物内にある小会議室へ行くようにとの指示が簡潔に記されていた。
何食わぬ顔をして、休憩時間中に指定の部屋へと赴く。そこで俺はルリと再会を果たした。
「久しぶりね、トワ」
久々に顔を合わせたルリは、前にも増して美貌に磨きがかかっていた。
結婚生活が上手くいっていないという噂のある反面、管理府の第一線では確固とした地位を築き始めていた頃だ。美しい彼女にはファンも多かった。
「ご家族がいたんですってね」
感情のこもらない問い掛けの言葉にどう返事をすればいいのか、俺には分からなかった。
「トワには申し訳ないことをしたわ。でも、どうしてもあなたの力が必要だったの。とてもじゃないけど、他の人では代わりにならなかった」
「……やりがいのある仕事だよ」
そう答えるのが精一杯だった。
「……怒ってるわよね、当然」
「いや、それは……まぁ、強いて言うなら、あのセトって男が家族に銃を向けたことは、少しな。彼は何者だ?」
「保安省所属で、首相の下にいる立場の人だけど、
首相の派閥の中には、罪人である俺をわざわざ連れ戻して計画に加えることに反対する意見もあったようだ。
そこを植物遺伝子学の権威である俺の恩師が、火星のテラフォーミングに俺の知識が必要不可欠だと力説し、どうにか説得に漕ぎ着けた。
議論が紛糾する中での、俺の刑期満了に伴う特別措置。あの時セトの言った「退っ引きならない事情」とは、そういうところにあったらしい。
ルリは表情を固めたまま、声のトーンを落として言った。
「ところで、トワ。ジンさん、亡くなってたでしょう?」
「あ、あぁ……いや、少なくとも故郷には戻ってなかったな」
「亡くなってたのよ、地球に到達した直後に。管理用マイクロチップの記録を調べたら、そうなってた」
「そうだったのか……でも、いったいなぜ?」
「ジンさんの乗っていった
「大変なこと?」
「脱出ポッド放出時の管制システムの記録が一切なかったのよ。本来なら、
俺は眉をひそめた。
「それは……故意に、ということなのか?」
「いいえ、故意ではなくて……言ってしまえば、職務怠慢ね。他のケースも全て同じだった。『追放者』は全員、ろくな安全確認もなされず適当に放り出されてたのよ。いくら罪人だからって、あまりにも馬鹿にしてる」
「……つまり、ジンさんの事故は防げたと」
「事故なんかじゃないわ。ジンさんは管理府に殺されたも同然なのよ」
その声は、恐ろしいほど冷たかった。
「……ねぇ、トワ。地球に戻りたい?」
長い睫毛の下からじっと見つめられ、一瞬たじろぎそうになる。
「あぁ、必ず帰ると約束したんだ。その……妻と」
「そう……分かったわ。すぐには難しいかもしれないけど、あなたが家に帰れるようにする」
「ルリが? そんなことできるのか?」
「
「君は……いったい、何をしてるんだ?」
先ほども、セトが「こちら側」だという言い方をした。
ルリの瞳に冷たい光が灯る。
「静かなる
その物騒な響きに、思わずぎくりとする。
「反乱軍って……大丈夫なのか?」
「えぇ、別に政権転覆なんて大それたことを企ててるわけじゃないわ。表向きは首相に従ってる。だけど今、少しずつ味方を増やしていってるの。私の支持者をね」
「支持者……?」
「管理府の懐に飛び込んでみたら、
言葉遣いこそ穏やかではあるものの、その表情は冷徹そのものだった。まるで——
「
記憶を司る脳の海馬領域が縮小すれば、アルツハイマーのような症状が引き起こされるはずだ。
薬学研究所時代にナノマシンの副作用を抑える薬品の研究開発に携わっていたルリには、何か伝手があるのだろう。
メディアで見る最近のニビ首相の様子を思い出す。傍らに寄り添うルリが、実質的に彼をコントロールをしているのだとしたら。
自分の目的のためには手段を選ばない。まるで、彼女の父親そっくりだった。
「まずは火星コロニー開発プロジェクトを成功させるのが先決よ。首相に追従してる派閥にも私を認めさせるには、それしかないの」
自らに言い聞かせているようにも思える言葉。わずかに細められた目に、妄執にも似た危うさが映っている気がした。
「法律上の決まりもあるから、あなたへの監視は我慢してもらわないといけないけど、変な手出しはさせないようにする。じゃあ、期待してるわ、トワ博士」
「ルリ」
立ち去ろうとするルリを、思わず呼び止めた。
「ルリ、君に言いたいことがある」
「……何?」
しばらく互いの視線が膠着していた。感情を欠いたようなルリの瞳を、やり切れない気持ちで見つめる。
君はまともか。そんな調子では父親と同じ轍を踏むことになりはしないか。
問い質したいことは、山ほどあった。
だが、理不尽に巻き込まれたことに対する怒りの感情は、既になかった。
胸にあるのは、どうにもできない哀しみばかりだ。
ルリがこうなる原因を作ったのは、俺自身に他ならない。今となっては、謝罪はきっと何の意味も持たないだろう。
伝えたかった言葉が、ずっとあった。
別れ別れになってしまった、あの時から。
俺は静かに口を開く。
「あの青い花が……ルリヨモギギクの花が、地球に根付いたんだ」
ルリが小さく目を見開いた。
「え……?」
「ヒルコ症予防の効果も十分だった。作物の害虫予防にも役立ってる」
「……本当に?」
「あぁ、本当だ。見渡す限りの花畑になったよ。ルリがあの時、俺に種子を託してくれたから。ルリのおかげで、地球の人々の生活は豊かになったんだ。ありがとう」
俺たちは無言のまま見つめ合っていた。
ルリの瞳が、徐々に潤んでいく。そしてとうとう一粒の涙が零れ落ちた。
「あなたのこと、忘れた日はなかった」
この三年を、ルリがどんな気持ちで過ごしていたのか。ともすれば俺と同等、いやそれ以上の苦悩があっただろう。
そんなルリに対して俺ができることは、もはや限られている。
「……人類の未来に繋がる仕事なら、俺は喜んで協力するよ」
その頬を伝う涙を、俺に拭う資格はない。だが——
「火星に、一面の花畑を作ろう」
信じたかった。彼女の中にあるはずの心を。
共に歩くことはできなくとも、また同じ夢を見られるのなら。
ルリは自分で目元を拭うと、ふっと頬を緩めた。
「……当たり前じゃない。誰に向かって言ってるのよ、トワ」
柔らかく、それでいて勝気な表情。先ほどとは打って変わって、俺に注がれる眼差しは揺るがない光を宿している。それこそが俺のよく知るルリだった。
あぁ、きっとルリは大丈夫だ。
「さすがだな。ルリは強い」
「何よ、あなたまでそんなことを言うの?」
ルリは口を尖らせた。これまた懐かしい表情だ。
「……まぁ、いいわ。私がどこまで強くなるか、よーく見ていてよ。何か困ったことがあったら連絡して。できるだけ力になるから」
ルリは俺に連絡先を寄越すと、隙一つない完璧な、だがどこか清々しい微笑を残し、颯爽とした足取りで去っていったのだった。
それから数年は研究に忙殺される日々で、瞬く間に時が過ぎ去っていった。
与えられた役務の中で、何度か火星コロニーにも直接足を運んだ。
そこで俺はある装置のことを知った。
専用のセンサーを地中に埋め込み、地殻の変動や地質の状態を記録するというものだ。地上部の鉄塔から電波を発信し、人工衛星を介して、データを管理府のネットへと飛ばすらしい。
それは人類移住計画の中頃まで、地球でも使われていたシステムだったようだ。まだ母星の様子を観察していた時代のものだ。
もしやと思って調べたところ、俺の勘は当たっていた。
ミカと暮らしていた家のある、あの丘の上に立っていた電波塔。あれがまさしく、その一つだったのだ。
俺はルリに頼んで、あの電波塔のことを調べてもらった。
『もう実働はしてないけど、システムとしては生きてるみたいよ。予備電源の太陽光パネルが鉄塔の上部に付いてて、微弱だけど電波を拾えたわ』
あの場所にはしょっちゅう行っていたはずだが、太陽光パネルには気付かなかった。言われてみると確かに、日光を反射していたのは天辺付近だけだったかもしれない。
「それ、俺もアクセスできないかな。少しでも家の付近の状況を知りたいんだ」
『うーん、一応管理府の機密情報に当たるのよね。もう使われてないシステムだから、アクセスしてもよっぽどバレないとは思うけど』
「バレたところで追放刑なら、願ってもないさ」
『……分かったわ。また連絡する』
「よろしく頼む。……遅くなったけど、結婚おめでとう」
ルリはちょうど管理府内の官僚の一人と再婚した頃だったのだ。
『ありがとう。今度は上手くいくといいけどね』
時計型端末から聞こえる声は苦笑混じりだった。
ルリの取り計らいによって、俺は秘密裏に管理府のネットへアクセスできるようになった。
あの丘に埋め込まれた装置は地面の振動などを感知し、そのデータを微弱な電波に乗せて発信していた。それを確認するのが、俺の日課となった。
どれだけ離れていようとも、ミカとサクのことを思い出さない日はなかった。
カレンダーを見ながら、地球の季節の移り変わりや生活の様子に想いを馳せた。
ミカは元気だろうか。サクは大きくなっただろうか。早く二人をこの手で抱き締めたかった。
地球に家族を残して月へと旅立ったジンさんの気持ちが、今なら痛いほどよく分かる。
何が何でも家族の元へ帰る。その想いだけで、前を向き続けられる。
それはまさしく、俺を導く希望の光だった。
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