5ー5 奇跡を呼び起こせ

 カグさまに近づいて作戦を耳打ちしたナギさんが、あたしの横に戻ってきた。


「サク、地震はどう?」

「だんだん強くなってきてます。さっきと同じなら、一分も経たないうちに噴火するはずです」


 また肌がびりびりし始めていた。まるで五感の全部で大地の声を聴いているみたいだ。

 もう時間がない。このままでは手遅れになってしまう。


「じゃあ、サク。さっき言った通りに」


 あたしがこくりと頷くと、淡い微笑みが返ってくる。

 ナギさんはすっと立ち上がった。そして一つ深呼吸をして、口を開く。


「ここに集う人々よ、どうか私の言葉を聴いてほしい」


 透き通った声が集会所に響き渡る。

 狼狽えてばらばらに動いていた人々が、一斉にナギさんの方へと視線を向けた。


「私は『砂漠の国』のナギ。我が故郷においては、神の声を聴く役目を賜る者である」


 それはあまりにも突飛な言葉だった。

 みんな呆気に取られて、訝しげに顔を見合わせている。

 旅人が何かおかしなことを言い始めた、と。


 集会所を満たす戸惑いの空気にも構わず、ナギさんは続ける。


「先ほどあなた方が祈りを捧げた山の神からの返事を、私が代わってお伝えしたい。だが、その前にまず、私が神の声を聴き取れるという証拠をお見せする」


 人々がざわめき出す。

 馬鹿な、こんな時に何を言ってるんだ。


 ナギさんは伸ばした左腕をゆっくりと上げていき、まっすぐ天井を指す位置でぴたりと止めた。

 波が引くように、辺りは再び静かになった。

 いったい、この旅人は何をするつもりなのか。


「程なくして、今一度の噴火が起こる」


 そう言って、ナギさんは瞼を閉じた。

 みんな動揺しながらも、固唾を飲んでじっと彼を見つめている。


——噴火が起こるタイミングを教えてほしいんだ。こっそり僕に合図して。


 それが、ナギさんから頼まれたことだった。そうすればきっと村の人たちを説得できるから、と。

 あたしは未だに半信半疑だった。本当に上手くいくんだろうか。

 でも、今はナギさんを信じるしかない。


 数秒後。地を這うような唸りを、あたしの全感覚が捉えた。

 背筋を悪寒が這い上がり、ざわりと全身が総毛立つ。

 今だ。

 あたしはナギさんの上着の裾をくいと引っ張って合図した。


 閉ざされた瞳が開く。

 涼やかな声が、それを告げる。


「——来る」


 直後。

 地面が、激しく振動を始めた。天井がみしりと鈍く軋む。

 とても立っていられないほどの揺れだった。何人もの人たちが床に倒れて、あちこちから悲鳴が上がる。

 集会所の中が一瞬にして混乱状態に陥ったその時、それはついに起こった。


 二度目の、噴火。


 轟音が、耳をつんざく。

 建物の扉が外れ、瞬間的に爆風が吹き込んだ。

 叩き付けるような凄まじい熱の塊が、肌を、髪を焦がしていく。

 その、駆け抜ける衝撃の中で目にしたものに、あたしは思わず呼吸を忘れた。


 天に向かって掲げられた左手。その手首には、淡い光を放つ赤いブレスレット。

 大地の怒りを物ともせず、泰然と佇む凛とした姿。

 長い上着の裾が、風に煽られて大きく宙に棚引いている。


 その人はまるで、翼を広げた鳥のように見えた。


 熱波が収まった頃、今度は誰もが口を閉ざしていた。

 誰もが、ナギさんを見ていた。ある人は驚いたような目で。ある人は縋るような目で。

 ナギさんは村の人たちをゆっくり眺め渡すと、普段とは違う低い声でその『言葉』を伝えた。


——即座にこの場所から離れよ。さすれば何人なんぴとも助からん——


 そして左手を胸に添え、歌うように朗々と言い放つ。


「私は『国産みの神』の化身にして、『不具の神』。『不具』は『福』に通じ、皆に幸福と安寧をもたらす者である」


 性別も年齢もない不思議な声が、爆音の残響を切り裂いて耳を打つ。


「時は一刻を争う。助かりたくば私に続け」


 絶望の闇に差し込む、一条の光のように。


「大切な者の手を取り、決して離すな。生きることを、諦めるな」


 その人は——『神の化身』は——、そして悠然と微笑んだ。


「皆に、太陽のご加護を」


 それは、どこかこの世のものではないような、気高くて清らかな美しさと力強さを湛えた笑みだった。


 神さまなんて信じていなかった。

 目の前にいるのは、遠い国から来たただの旅人だと知っていた。

 だけど。

 人々に希望を与え、救いの道へと導くもの。

 それが神さまじゃないのなら、何をそう呼べばいいんだろう。


 知らないうちに涙が溢れてくる。

 あたしにとっての大切な人。


——気を付けて、いってらっしゃい。


 帰らなきゃ。お母さんが、家であたしを待っている。


「……生きるんだ。こんなところで死ぬわけにはいかねぇ」

「さぁ、みんなで行こう。全員で助かるぞ」


 そう呟く村の人たちの目には、確かな光が灯っていた。

 さっきの爆風の影響で、床を這う炎は広間の半分ほどまで拡がって、今や壁すらも駆け上がりつつある。

 屋根や柱は、さらにみしみしと不穏な軋みを募らせていた。

 

「周りをよく見て、他の者を押さぬように。念のため、盾になりそうなものを各々持って行きなさい。また地震が起きたら、慌てずに姿勢を低くするのだ」


 カグさまに促されて、人々は素早く動き始めた。

 ゴーグルと防塵マスクでしっかりと顔を覆って、儀式の準備で余った木切れや板をそれぞれ手に取り、歪んだ扉をくぐって外へと向かう。

 最後の一人が集会所を脱出した瞬間、けたたましい破壊音が鳴った。また火山礫が屋根を直撃したらしい。ばりばりと何かが派手な音を立てていて、開け放った扉から激しく燃え立つ赤い火が見える。

 そして、その建物はついに傾いで、あっという間に炎に包まれてしまった。


「危なかった……」


 誰かが、そう呟いた。だけど、安心している場合じゃない。

 空はすっかり黒煙で隠されていた。熱を纏った塵が降り注いで、視界が霞んでいる。広場のあちこちには火の手が上がっていた。

 ナギさんは近くに落ちていた棒切れを拾って松明にし、高く掲げた。


「さぁ、行こう。あの丘の麓まで」



 あたしはナギさんと一緒に、村の人たちを先導して走っていった。

 丘の上の電波塔の天辺がマグマの赤い光を弾いている。それを目印にして、あたしの家のある森の方向へと進んだ。

 風に乗った火山礫が何度も飛んできた。たびたび地面が揺れて、足が縺れた。誰々が怪我をした、という声が聞こえた。

 それでも一人として立ち止まることはなかった。ひたすらに、ただひたすらに前へ前へと駆けていった。


 村を出て、川沿いを上っていく。

 風向きの関係か、村から離れるにつれて火山礫はあまり気にならなくなった。


 村と家との中間地点の岩を通り過ぎたその時だった。

 背後から、ゴオオオオ……という凄まじい地響き。

 振り返って目に入ったのは、世にも恐ろしい光景だった。

 南の山から、大量の火砕流が押し寄せてくる。

 それはものすごい勢いで煙の弾幕をもうもうと押し拡げながら、村を丸ごと飲み込んでしまった。


「村が……」


 塵に塗れた熱風に晒されながら、誰もがただ呆然とその様子を眺めていた。

 本当に危ないところだったんだ。脱出が少しでも遅れていたら、みんなあの火砕流に巻き込まれて死んでいたに違いなかった。



 森の入り口に辿り着く頃になると、身体に感じる揺れはほとんど収まっていた。

 立ち枯れした木々の合間に、あたしの家が見えてくる。庭のプランターの植物に灰が積もっていること以外、異変はなさそうだ。


 お母さんはどうしているだろう。さっきはちょっと辛そうだったけど、多少は落ち着いただろうか。

 お母さんも噴火直前の揺れに気付いたはずだ。きっと、あたしのことを心配している。早く無事な姿を見せて、安心させてあげなくちゃ。


 あたしは勢い込んで玄関の扉を開けた。面の部屋には誰もいない。そのまま奥へと進み入る。


「お母さん!」


 だけど、寝室に一歩足を踏み入れるなり、あたしはぎょっとして思わず後退あとじさった。


「えっ……?」


 なぜならそこには——


「……サク?」


 低い声に、びくりとする。


 そこにいたのは、あたしの名前を呼んだのは、見覚えのない男の人だった。

 切れ長の目をしたその人は、ベッドにぐったりと横たわるお母さんの手を、大切そうにぎゅっと握っていたんだ。

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