第5章 永遠に巡る命の環
▶︎ サク
5ー1 引き継ぐべき意志
知らなかった。あたしのお父さんが『追放者』だったなんて。
ちょうど昨日、空から落ちてくる脱出ポッドを目にしたばかりだ。十七年前、お父さんもあんな風に落とされてきたんだ。
この家で、家族三人で暮らしていた。
その様子を思い描こうとしたけれど、上手くいかなかった。
湿気を含んだ空気の中に、話の余韻だけが漂っている。
ナギさんが呟くように言った。
「トワさんに、会ってみたかったな。父のことを聞きたかった」
「そうだね……三人で、ジンさんの子供に会いに行こうって、約束してたから……もし、トワがここにいたら、喜んだはずだよ」
お母さんがどんな気持ちで
長く話をしていたお母さんは、さすがにちょっと疲れたみたいだった。ぜいぜいと呼吸が荒くて、苦しそうだ。
「お母さん、大丈夫? 少し休んだ方がいいよ」
「うん、大丈夫……久々に、あの人のことを思い出したよ。いい男だったんだ……あたしには、勿体ないくらいにね」
「どうして今まで教えてくれなかったの?」
「だって……ちょっとでも口に出したら、それに縋っちゃいそうだったから。いつ帰ってくるのか、本当に帰ってくるのか……そればっかり考えて、気がおかしくなりそうで……」
お母さんは哀しそうに笑った。きっと今までずっと、その約束を心の奥深くに留めてきたんだろう。
お父さんが月に連れ戻されてから十四年。気持ちの拠り所にするには、時間が経ち過ぎている。
だけど、一緒に暮らそうというカグさまの申し出を断ったお母さんは、まだ心のどこかでお父さんの帰りを待っているんじゃないだろうか。
「まだ小さかったあんたと、二人で残されて……辛いことも、たくさんあった。でもね——」
優しい眼差しが、あたしに向けられる。
「月は姿が見えない日でも、確かにそこにいる。サク、あんたがいたから……あんたがあたしの、希望の光だったんだよ」
「お母さん……」
ぐっと涙が込み上げてきて、あたしは洟をすすった。
お母さんが苦笑しながら言う。
「やだ、泣かないでよ……あんたも、昔っから泣き虫だね。あの人に、そっくりだよ」
「だって……」
「思い出話は、ここでおしまい。さぁ、顔を上げて」
『顔を上げて』。
それは今まで何度も耳にしてきた言葉だった。泣き虫で、すぐ下を向いてしまうあたしに、お母さんがいつも掛けてくれる魔法の言葉。
でも本当は、お母さんが自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。
顔を上げて、前を向いて。暗い気持ちに囚われてしまわないように。
元気だった頃のお母さんを真似て、ぴんと背筋を伸ばしてみる。
たぶん、あたしがやらなきゃいけないことがあるはずだ。正体の分からない熱を持った気持ちが、胸の奥に湧き出している。
あたしはナギさんに視線を向けた。
「あの、ナギさん。ルリヨモギギクのことなんですけど」
「うん」
「えっと、できればお譲りしたいんですけど……あの花は、村に提供することで食糧と交換してもらってるものなんです。だから、あたしが勝手に決めていいのか分かりません。一度、村の
「そうだね、サク、それがいいと思うよ」
お母さんも頷いている。
カグさまはきっと、ナギさんの事情を分かってくれるはずだ。
「ナギさん、村まで案内します。一緒に行きましょう」
今日はこれから『山鎮めの儀』だから、どのみち村へ行かなくちゃならない。身支度を整えようと、あたしは席を立った。
その時また、ゴゴゴ……と小さな地鳴りが響いてくる。
「あ……」
「地震……」
「え? 地震?」
あたしとお母さんが同時に反応した。ナギさんはきょろきょろしている。
「最近、ほんと多いね……ちょっと、気掛かりだよ。十五年前を、思い出す……」
「……噴火?」
「そう」
お母さんが、真剣な眼差しであたしを見た。
「念のため、用心して……噴火の前には、長めの地鳴りと、大きな地震が来る。空気も……いつもと違う、震え方をする。あんたには、分かるはずだよ」
「えー、分かるかなぁ」
「大丈夫、きっと分かる。少しでも変だと思ったら、身を隠せる場所に、建物の中に入るんだよ……用事が済んだら、すぐ戻っておいで」
「うん、分かった」
十五年前、お父さんは火山礫に当たって怪我をしたんだ。もし打ち所が悪かったら、その時に死んでいたかもしれない。
あたしが頷くと、お母さんは頬を緩めてふわりと微笑んだ。
「さぁ……気を付けて。行ってらっしゃい」
「はい、行ってきます」
頭にぽんと手を置かれる。こんな風に見送ってもらうのは久しぶりだった。
あたしはナギさんと一緒に家を出て、村へと向かった。
雨はいつの間にか上がっていた。空を覆っていた灰は洗い流されて、傾きかけた太陽の姿がはっきり見える。念のため、ゴーグルとマスクは着けたままだ。
通い慣れた村への道を、ナギさんと並んで歩いていく。
あたしは何だかふわふわしていた。誰かと一緒にここを通るのも、ずいぶん久しぶりな気がした。
「サク、『山鎮めの儀』って何をするの?」
「供物を焚き上げして、山の神さまに祈るんです。噴火しませんように、噴煙が落ち着きますようにって」
「へぇ、僕もその儀式に同席したいな。せっかくここまで来たんだし、
「……ナギさんは、神さまを信じる人なんですね」
「うーん、信じるというか……『神さま』の存在って、人が生きるのに必要があって生まれるものだと思うからさ。心に留めておきたいというか」
「えっと……どういうことですか?」
「んー」
なぜか少しの間があった後、ナギさんは「ま、いっか」と呟く。
「実は僕、故郷で『神の化身』って言われてるんだけどさ」
「えっ、そうなんですか?」
ナギさんは自分の生い立ちを話してくれた。
双子として生まれたこと。二人とも半陰陽であること。そのために街の人々から神のような扱いを受けてきたこと。
何となく、分かる気がした。
ナギさんという人の印象は、ちょっと不思議だ。上手く言えないけれど、性別とか年齢とか、そういうものから切り離されているように見える。暮らし向きが不安定な中では、そんな特別な存在に縋りたくなるんだ。
「でもね、そうは言っても何か特別な力があるわけじゃない。そんな役割、馬鹿馬鹿しいと思ってたこともあった。でも、気付いたんだ。誰かの無事や幸せを願うことが、誰かの力になることもあるって。それを『神』というものに投影してるのなら、ちゃんと意味があることなんだよ」
ざぁっと風が吹き抜けて、あたしたちの髪や服の裾を煽っていった。
「その『山鎮めの儀』も、過去の噴火の記憶を風化させないようにっていう意義もあるんじゃないかな。何年経っても、あの山は危険だと人々を戒めるために」
「あぁ……なるほど」
噴火の翌年から始まったという『山鎮めの儀』。あのカグさまが発案したことだから、ナギさんの言う通りなのかもしれない。
「噴火と言えば、サクとミカさんにこそ特別な力があるんだね。地震なんて、僕には全然分からなかった」
「いえ、そんな大したものじゃ……あたしの血筋に代々伝わるものらしくて、昔は地脈を読んで植物を探したりしてたみたいですけど……一回も役に立ったことなんてないです」
「そうかなぁ。そのカグさまって人に、地震のことを話してみたらどう?」
「でも、他の人には全く感じられないものを、上手く説明できる自信がないんです。本当に噴火が起きるかどうかも分かんないし……下手なこと言って、却って混乱させたら嫌だし……」
知らず知らずに俯いて、声がどんどん暗くなってしまう。
伝えたところで、信じてもらえなかったら。おかしなことを言っていると、みんなに馬鹿にされたら。それが怖かった。
「そっか、余計なこと言ったかな。ごめんね」
「いえ、あの……すいません……」
しばらく二人分の足音だけが続いた後、またナギさんが口を開いた。
「そうだ、ちょっと思ったんだけどさ。昨日落ちてきた『追放者』、探してみない?」
「えっ?」
「ひょっとしたらトワさんのことを知ってる人かもしれないよ。そうじゃなかったとしても、火星コロニー計画の進み具合を教えてもらったら、トワさんがいつ頃帰ってこられそうか予想できるかも」
確かに、一理ある。
でも。
これまでに『追放者』のポッドが落ちてきたのは、あたしの知る限り今回を入れて三回だ。
だけど過去二回とも、お母さんが月の罪人を探そうとする様子はなかったと思う。
たぶん、怖かったんだ。結局何の手掛かりも得られずに、がっかりしてしまうことが。
「……本当に帰ってくるんでしょうか」
そう零した声が、ぽかんと宙に浮かんだ気がした。
言ったそばから嫌になる。
ナギさんがいろいろと気を回してくれているのに。
どうしてこうも、あたしは後ろ向きなんだろう。
ぼやけた太陽の光が少しずつ弱くなっていく。
足元に落ちる影の形も分からなくなった頃、不意に微笑み混じりの声が聞こえた。
「ねぇ、サク。僕は本当に運が良かったと思うんだよ。この国に来て、最初に出会ったのがサクだったなんて」
「……え?」
思わずどきりとした。それって、どういう——
「ほら、ジンの子供である僕が、トワさんの子供であるサクに巡り会えたなんてさ。それだけでも奇跡みたいなことだよね」
「あっ……はい、そ、そうですね」
かぁっと頬が火照る。防塵マスクで顔が隠れていて助かった。
例えお父さんが帰ってこないんだとしても。そういう意味だろう。ナギさんは優しい人だ。一瞬でも勘違いした自分が恥ずかしい。
これは運命なんだろうか。
柄にもなくそんなことを考えて、心の中で首を振る。
ナギさんがこの国に来て真っ先にあたしと出会ったのは、あの電波塔を目印にしてきたからだ。
あの丘にナギさんの探していた花が咲いているのも、過去に月から落とされてきたお父さんが、やっぱり電波塔を目指してやってきて、お母さんと出会ったからだ。
運命じゃない。奇跡じゃない。
人が人を求める力で、繋がっているんだ。
だから、改めて思う。
お父さんの意志は、あたしが引き継がなくちゃいけないって。
速い鼓動が続いている。
胸の奥でざわめくこの熱が、本当は何なのかまだよく分からないけれど。
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