5ー2 青き花を揺らす風

 集会所に着くと、『山鎮めの儀』のため早めに来ていた村の人たちがいっぺんにこっちを見た。思わず、びくりと立ちすくんでしまう。

 遠慮のない視線が隣のナギさんに向けられて、あちこちから囁き声が漏れ聞こえてくる。

 どうしようもない居心地の悪さ。せっかく遠くから旅してきたナギさんに対して、申し訳ないやら恥ずかしいやらで、あたしはしゅんと小さくなった。


 儀式の準備中だったらしいカグさまが、あたしたちの方へとやってくる。


「サク、その人は?」

「カグさま、あの……『砂漠の国』から来た旅の人です」

「『砂漠の国』……だと?」


 辺りがますますざわめき立った。それに構わず、ナギさんはにこやかに挨拶する。


「初めまして、突然すいません。『砂漠の国』のキャラバンの、ナギと申します。この村のおさの方と話がしたいんですが」

「……私が、長のカグです。まだ儀式までに少し時間がある。それまでで良ければ、お話を伺いましょう」



 あたしたちは集会所内の小部屋に通された。

 ナギさんからひと通り旅の事情を聞くと、カグさまは静かに口を開いた。


「つまりあなたは、ルリヨモギギクの花が咲く土地を探して、ここまで旅をなされてきた、と」

「えぇ、そうです。あの丘の上でその花を栽培しているということを、サクから教えてもらいました」

「なるほど、事情は分かりました。……サク、村で一年間使うための薬や香を作るのに、あの花畑の全体のうちどのくらいを加工に回している?」

「えっと……あの、蕾の駆虫薬と花の粉末で、ほとんど全部刈り取ってますね……」


 カグさまは顎に触れて、小さく唸る。


「『砂漠の国』では、この村以上にルリヨモギギクが必要でしょう」

「仰る通りだと思います。ここよりも蚊が多いですから」

「そうなると、今あの丘で栽培されている分ではとても足りない。現状では花をお分けすることは、申し訳ないですが……」


 頭を下げようとしたカグさまへ、ナギさんはさらに切り出す。


「例えば、あの丘以外の場所で栽培することは? 僕の故郷の土ではうまく育たなかったんで、この村の土地だけでもどこかにお借りすることってできますか?」

「……それでも『砂漠の国』の方がここに常駐して花の手入れをするのは、互いに難しいでしょう。お恥ずかしい話ですが、こちらも住人分の食糧の生産だけでもギリギリで、それ以上のこととなると手が回らない状況なのです」

「そうですか……」


 話し合いの雲行きが怪しい。

 さっきからずっと、心臓がばくばく鳴り続けていた。

 顔を上げて、背筋を伸ばす。吸って、吐いて、静かに呼吸を整える。

 そして思い切って、あたしは口を挟んだ。


「あの、カグさま。あたしからもお願いします」

「……サク」

「母から、父のことを聞きました。十七年前に月から落とされてきた、トワという人のことを」

「あぁ……トワさんか。懐かしいな」


 カグさまが、どこまでお父さんのことを知っているのか分からない。だからあたしは、最初から順を追って説明をした。

 ヒルコ症の特効薬を求めて月までやってきた、ナギさんのお父さんであるジンさんと出会ったこと。

 ジンさんとの約束を果たすため、ルリヨモギギクを開発したこと。

 それを内緒で地球へ送り込んだことがきっかけで、月から追放されたこと。

 波乱に満ちた人生だったけど、お父さんは決して諦めなかったんだと、お母さんから聞いたばかりの話だ。


「ジンさんに再会できなかった父は、せめてジンさんの子供に花の種を渡そうとしていたんです。だから——」


 そこでふと、言葉に詰まる。

 だから?

 お父さんの意志を、果たすために?


 自分の心を問う疑念がにわかに湧いてくる。

 はたして、本当にそうだろうか。ナギさんにルリヨモギギクを渡したい理由は。

 何かが違う。そんな気がする。

 だってあたしは、ついさっきまでお父さんの存在すら知らなかったんだから。

 知らずにずっと、あの青い花をただ育てていただけだ。

 胸の奥にある正体不明の熱は、未だ同じ温度を保ったまま、ぐるぐると渦を巻きながら燻っている。まるであたしに何かを訴えかけるように。


 つい、俯きがちになる。

 意気込んでいたはずが、こんなところで揺らいでしまうなんて。


「サク、どうしたの? 大丈夫?」


 ナギさんに覗き込まれて、はっとする。

 優しい声。迷いのないまっすぐな瞳。

 胸の中が騒ぎ始める。

 遠い国の旅の人。強くて、眩しくて、憧れてしまう。だけど——


 ここへ来る道中、ナギさんが打ち明けてくれた言葉をふと思い出す。


——何か特別な力があるわけじゃない。そんな役割、馬鹿馬鹿しいと思ってたこともあった。


 自分に与えられた役割に、迷いがあった過去。


——でも、気付いたんだ。誰かの無事や幸せを願うことが、誰かの力になることもあるって。


 とくんと一つ、心臓が鼓動を打つ。

 それに呼応するみたいに、熱い何かが膨れ上がった。


 ナギさんの想いが、新しい風を呼び込む。

 あたしの頭の中で、美しく咲き誇るルリヨモギギクがざぁっと波打つように揺れている。


「あの……大丈夫、です」


 あたしはまた正面を向く。息をついて、再び口を開く。


「カグさま。ナギさんは、大地溝だいちこうを越えて、遠い『砂漠の国』から旅をしてきました。決して易しくはない、過酷な旅です。命を落とす危険だってある。それでもここまでやってきたのは、病に苦しむ故郷の人たちを救うためです」


『神の化身』と呼ばれたナギさんは、自分に願いを寄せる人々の力になりたくて、遥々旅を続けてきたんだ。

 他でもない、自分の意志で。


 それに応えたい。そう思った。


 思い出すのは、これまでの記憶だ。

 物心ついた頃から、あたしはお母さんにいろいろなことを教わってきた。


——風を見て。大地の声を聴いて。


 土を作り、水を与え、大切に薬草の手入れをした。


——顔を上げて。


 くぐもった太陽の下でも、花が開けば世界は彩りに溢れた。

 そうして毎年、あの青い波の淵に立った。


 お母さんと二人で、花々が命を紡ぐ手助けをしてきた。


 あぁ、そうだ。気付かなかっただけで、大事なものはここにあった。

 あたしが——あたしたちが、ルリヨモギギクを守ってきたんだ。


 唇が言葉を探す。芽生え始めたその想いに、手探りで触れようとするみたいに。


「……もし、あの花を、あたしと母が育てた花を必要とする人たちがいるなら……ぜひ、役立ててもらいたいんです」


 あたしにもできるだろうか。

 誰かの力になれるだろうか。


 これまでずっと、ただ生きるためだけに生きてきた。

 延々と同じところを巡るだけの終わりのない生活が、死ぬまで続くんだと思っていた。


 でも、こんなあたしにも、きっとやれることがある。


「だから、どうかお願いします。ナギさんに、ルリヨモギギクを託させてください。あたし、もっと頑張ってあの花を増やしますから」


 ぱぁっと目の前が明るくなった気がした。

 なぜだか涙が出そうだった。

 こんな風に自分の気持ちを言葉にしたのは——そもそもこんな風に思ったこと自体が、初めてだった。


 お母さんは、あたしを希望の光だと言った。

 とくとくと温かい血を送り出す心臓から、何かが溢れている。

 あたし自身の希望の光が、そこから溢れて出している。


 カグさまがゆっくりと頷いた。


「ミカとサクにとって、ルリヨモギギクは大切な意味を持つ花だ。サクの意志はよく分かった。そこまで言うなら、私としても協力したい気持ちはある」


 その言葉で、肩の力が一気に抜けた。ほっとした反動でかぁっと顔が火照ってくる。


「だが、サク。今、ミカが伏せっている状況で、ただでさえ忙しいだろう。これ以上に仕事を増やせば、サクまで倒れてしまいかねない。私はこの村の長として、そんな無理をさせるわけにはいかないのだ」

「でも……」


 ナギさんが口を挟む。


「つまり、もっと簡単に農作物を収穫できるようになれば、いろんな問題を解決できるってことでしょうか」

「あ、あぁ……その通りではあるが……」


 ナギさんは荷物から小麦の種籾の詰まった袋を取り出した。


「これはコロニーで開発された新種の小麦です。種蒔きから二ヶ月で収穫できます。『砂漠の国』でも根付いたので、恐らくここでも育てられるはずです」

「種蒔きから二ヶ月で……?」

「えぇ、この小麦のおかげで、僕の故郷では食うに困ることがずいぶん減りました。これを、こちらでも役立てられればと思うんですが」

「……小麦の収穫量が安定すれば、人々の暮らしも楽になるはずだ。花の栽培にも人手を割けるかもしれない」


 カグさまは種籾をじっと見つめて、少し考え込んでから視線を上げた。


「ナギさん、ちなみにここへ来るのに、どうやって大地溝を越えてきたのですか?」

「標高の低いところまで南下して、小舟で海を渡りました。一人なら身軽なものですよ」

「なるほど……」


 また、少し考えるような間があった。


「……では、こちらからも一つお願いがあるのですが。この地までキャラバンに巡行していただくことは、難しいでしょうか」

「うーん……西側の端までワゴンで来れば、無理と言うほどではないと思います。昔はこの辺りまでキャラバンで回っていたと聞きました。また交流が再開できるのであれば、ぜひ前向きに検討したいですね」


 カグさまが頬を緩めた。


「ありがとうございます。実はもう、この土地は限界に近いのです。降り続ける灰のせいで作物は上手く育たず、胸を病んで命を落とす者は増える一方だ。かと言ってどこかに移住しようにも、ここを離れたがらない者は多い。この先どのようにやっていこうかと悩んでいたところだったのです」

「分かります。キャラバンの巡行先でも、どれだけ不便で環境が悪くともそこに住み続けたいって人は結構いますから。魂の根ざす場所というものが、人にはあるんだと思います」


『魂の根ざす場所』。ナギさんの言葉は、いつも不思議に心に残る。


「キャラバンの件、また改めて相談させてください。今日はこれから村の儀式があるので、その後にでも」


 カグさまが席を立ったので、あたしとナギさんもそれに続いた。

 集会所の広間へと戻る廊下で、ナギさんが話し掛けてくる。


「サク、ありがとう。ああ言ってくれて嬉しかった」

「い、いえ……あたしは何も」

「思った以上に話がいい方向に進みそうだ。サクが口添えしてくれたおかげだよ」


 ナギさんが、新しい風を呼び込む。

 この先もまた、ナギさんはここへ来てくれる。

 足元がずっとふわふわしていた。何だか走り出したいような気分だ。


 だけどその時、ゴゴゴ……という不穏な地鳴りが聞こえた。

 どうしよう。噴火のこと、カグさまに伝えようか。でも、もう『山鎮めの儀』の始まる時間が迫っている。

 儀式が終わってから話をしてみよう。そう思って、あたしは歩みを進めた。

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