3ー8 花ざかりに毒

 あたしは村のはみ出し者だった。

 それはあたしが森の中に一人で住み続ける『余所者』で、得体の知れない薬草を扱う『変わり者』で、ついでに若くて綺麗だから。

 ……最後のは、さすがに冗談だけど。


——薬草師のわざを絶やさないように。


 死んだ父親の遺言通りにこの家で薬草師を続けていたら、父親の生前でさえあんまり村に馴染んでいなかったのが、いつの間にか決定的に孤立してしまっていたんだ。


 あたしがカグさまと関係しているなんて噂があることも知っていた。

 この頃、カグさまの奥さんは末期のヒルコ症だった。あたしはカグさまに頼まれて、痛み止めや湿布薬をちょくちょく家まで届けに行っていた。少しでも苦しみが和らぐようにと、いろいろなハーブの香を試してみたりもした。

 それがどうにも傍目には「奥さんの後釜を狙っている」ように見えたらしい。薬の効かない不治の病だからこそ余計に、わざわざ恩を売っていると取られたのかもしれない。


 馬鹿馬鹿しい。あいつらは何にも分かっちゃいない。

 あたしはともかく、カグさまはそんな人じゃない。三年前におさになった彼は、あたしに気を遣ってくれているんだ。

 あたしが、いつも一人でいるから。


 馬鹿みたい。ほんと、馬鹿みたい。

 もしカグさまが女としてのあたしを欲していたんだったら、あいつらが望むような悪女をいくらでも演じてやれたのに。


 ■


 庭に種蒔きしたルリヨモギギクは、ほんの数日で発芽した。土と水が合うのかもしれない。この調子なら順調に育っていきそうだ。


 カグさまには改めて事情を説明し、トワが我が家にしばらく滞在することを了承してもらった。

 トワはちょうど死んだ父親と似たようなひょろっとした背格好だったから、捨てられずにいた服が役に立った。

 ここでの暮らしは、コロニーにいた頃と全く勝手が違うらしい。期間限定の居候にも関わらず、トワは衣食住のあれこれや村のルールなどを積極的に覚えようとしていた。


「この村の生活は、言わば社会主義的な運営で成り立ってるんだな。村の中で全てが循環する仕組みもすごい。農作物の余剰が家畜の餌となり、家畜の糞が堆肥となる。一つの生態系が完璧に形を成してるんだ」


 改めて村を案内した時、トワはそんなことを言ってえらく感心していた。

 その感動はよく分からなかったけど、トワの目にはありとあらゆるものが新鮮に映るみたいだった。



 植物の研究者だったせいか、トワは薬草のことをあれやこれやと質問してきた。それぞれの効能から育て方、加工や調合の方法に至るまで。

 紙の書物を珍しがって、あの分厚い植物図鑑や生薬の本も熱心に読んでいた。道具の使い方も、教えたらすぐに飲み込んだ。

 自分の仕事に興味を持ってもらえるのは、何だか嬉しかった。誇らしい仕事をしているんだと思うことができた。


 ここから一時間ほどかかる西の山の中腹まで一緒に出かけたこともあった。

 そこにはシャクヤクが自生している。感冒薬の原料となるその根っこを肥大させるため、蕾を摘む作業をしに行ったんだ。

 山歩きに慣れておらずすぐにバテるトワのことを、あたしは笑い飛ばしてやった。普段から猫背気味だし、筋肉がないんだ。


 青空の下、大きな岩に並んで腰掛けて、二人でお弁当を食べた。

 楽しかった。

 弟子を取ったらこんな感じだろうか。ゆったり流れていく雲を眺めながら、たまには師匠らしいことも言ってみた。


「風をよく見て、大地の声を聴くんだよ。天候の変化や土の状態も、薬草の生育には重要だからね」

「ずいぶん抽象的だな。ミカは時々不思議なことを言う」

「そう? トワの方がよっぽど変だよ、いろいろと」


 トワはどことなく遠い目をして、軽く笑った。ちょっとどきっとする横顔だった。


「自然に対する五感の鋭さはもちろんだが、ミカはいつも楽しそうに薬草と触れ合ってる。天職なんだな」


 言われて初めて気が付いた。

 あたし、この仕事が好きなんだ。



 村ではさっそく、あたしが『追放者』の男を連れ込んでいると噂になっていた。

 トワ一人で村へお使いに行ってもらったこともあるので、彼が何らかあたしに対する陰口を耳にしていてもおかしくはない。だけど、その態度に変化はなかった。

 あたしは相変わらずカグさまの家に薬を届けに行っていたけど、そのことも特に気にしていないようだった。


 ほっとする反面、少しやきもきもした。トワはたぶん、あたしに全く興味がないんだ。

 最初に宣言した通り、一つ屋根の下に寝泊まりしていようと、彼があたしの寝床に近づいてくる気配もなかった。


 何を考えているのかいまいち表情の読みづらいこの男は、夜になると時々静かに月を見上げていた。

 家族や恋人がいたのかもしれない。そう思ったけど、敢えてあたしからそれを聞き出すことはなかった。

 追放刑の刑期は一応・・三年らしい。だけど、戻れるとは思っていないようだった。

 その証拠に、トワはコロニー時代の思い出話を何一つしようとはしなかった。まるで絶対に後ろを振り返らないと心に決めて、必死になって前を向こうとしているみたいに。



 トワがうちに来てから二ヶ月が経過して、季節はいつしか本格的な雨季に入っていた。朝と夕方に短時間、バケツをひっくり返したような雨がざぁっと降る以外は、陽射しの強い快晴の日が続いた。

 そんな中、ついに最初のルリヨモギギクが開花した。

 にょきにょきと生長したその植物は、ちょうどあたしの目の高さに綺麗な深い青色の花を付けた。


「思ったよりも早く咲いたね。こんなに背が高くなるんだ。瑠璃色の花が咲くから、ルリヨモギギクっていうんだね」


 何気なくトワの方へ顔を向けて、ぎくりとした。

 彼が酷く哀しそうな表情でその花を見つめていたからだ。


「トワ? どうかした?」

「……いや、何でもない」


 トワは小さく首を振って、取って付けたように笑みを作った。

 どうしたことか、それがショックだった。


「そうだな……遺伝子操作して作った植物だから、元々のヨモギギクとは生長速度が異なるのかもしれない。昔とは気温なんかの環境も変わってきてるだろうし」


 あたしもトワに合わせて、にぃっと笑った。


「なるほどね。それにしてもすごい匂いだよね」

「茎を切り取ったものを窓や玄関先に吊るすだけでも、虫を寄せ付けなくなるはずだ。だが、この花の胚珠に含まれる成分こそ、直接的に昆虫を殺すことができる」

「じゃあ、花の部分だけを刈り取って、乾燥させて粉末にすればいいかな」

「あぁ。それを撒いてもいいし、水と練り合わせて固めて、香として焚いてもいい」


 あたしたちは、さっそくそれを試してみた。効果は上々だった。

 家の周りに蒔いておいた粉末の上には蟻の死骸が転がり、お香を焚きしめた部屋に侵入してきた羽虫はあっという間に地に落ちた。


「駆虫薬は、他のヨモギ類みたいに蕾を乾燥させて作ったらいいかな」

「あぁ。ちなみに殺虫成分の方は人体に無害だ」

「じゃあ、それに関しては飲んでも問題なさそうだね」


 トワの言う分量の蕾を乾燥させて、とりあえず飲んでみた。そしたら二人揃って腹を下した。


「トワ……これ、本当に効くの?」

「……数値の上では」

「でも発症前の状態じゃ、実際ヒルコ症に感染していようと、この薬が効いていようと、どっちもさっぱり分かんないよね」

「まぁ、そうだな。血液検査くらいできればいいんだけどな」

「毒性の弱い花の部分ですら、こんなにお腹を壊すなんて……ツユクサの下痢止めを一緒に飲んだ方がいいかな。またいろいろ調整してみるけど、肝心の薬効はどうなんだろうね」


 あたしは少し考えて、思い付いたことを口にした。


「わざと蚊に刺されて、その直後に薬を飲むことを繰り返して、発症しなければ予防効果はありそうって考えてもいいかな。それでも確証にはならないけどね」

「でもそんなことをして、もし発症してしまったら……」

「まぁ、そん時はそん時でしょ。あたしら薬草師は自分の身体で薬を試すのも仕事のうちだからさ。それで死んだって、別にあんたのことを恨んだりしないよ」

「……だったら、その役目は俺にやらせてくれ。俺にはこの花に含まれる成分の有為性を確認する責任がある。開発者として」

「そんなこと言うなら、あたしにだって自分で作った薬の効果を確かめる責任があるよ。薬草師として」


 互いに一歩も譲らず、議論は平行線だった。

 何にせよ、まずはもっと栽培量を増やすべきだろうという方向に話が落ち着き、あたしたちはルリヨモギギクを丘の上の電波塔の袂に株分けした。

 だけどその作業中に二人とも蚊に刺されて、結局また二人してあの駆虫薬を飲むことになり、再び仲良く腹を下したのだった。



 何だかんだで、あたしたちはそこそこ気が合っていたと思う。

 ただの期限付きの同居人だったとしても、二人で過ごす世界の心地よさに、あたしはすっかり酔っていた。

 まるで身体じゅうに甘い毒が回ったみたいに。

 それが抜けたら、きっとまた欲しくなる。分かっていたはずなのに、知らないふりして浸っていたあたしはたぶん、もう取り返しのつかない病気みたいなものだったんだろう。

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