▶︎ ミカ

3ー7 運命の出会い

 それは、あたしがまだ二十三歳だった春のこと。

 その日は朝からいつも通りだった。

 いつも通り庭の薬草の手入れをして、いつも通りカグさまの奥さんに薬を届けようと村へ行ったら、いつも通りシノさんに嫌味を言われた。余所者が勝手に村をうろつくな、と。

 うんざりするほど慣れきった、つまらない日常茶飯事だ。


 だけどいつもと違ったのは、昼過ぎにあたしの家に来訪者があったことだ。

 ノックされた扉を開けたところに佇んでいたのは、珍しい格好をした男だった。年の頃は三十歳前後だろうか。


「あの、すみません、人を探してるんですが……」


 月コロニーから宇宙船に乗って地球へやってきたという彼は、『砂漠の国』への行き方を訊ねてきた。ここ二日間ほど、この辺りを彷徨っていたらしい。丘の上の電波塔を目印に歩いてきて、あたしの家に辿り着いたようだ。


 あちこち跳ねた髪と、顎には無精髭。切れ長の目にすっと通った鼻筋。なかなか悪くない顔立ちだけど、どことなく暗い雰囲気を持った男だった。

 ちょうど二日ほど前に空から落ちてくる脱出ポッドを目にした人がいると、カグさまに聞いたばかりだ。

 彼が着ている上下揃いの作業服は、最近では新品を見かけなくなった化学繊維だろう。月から来たという話は嘘ではなさそうだった。


 そんな人がなぜ、『砂漠の国』へ行こうとしているのか。何よりも好奇心がまさった。


 あたしはお腹が空いているという彼を家の中に招き入れ、作り置きしてあったスープを温め直して出してやった。


「『砂漠の国』って、『希望の塔』のある辺りでしょ? ここからだとずいぶん遠いよ。陽の出てる時間いっぱい歩き続けたとしても、半月は掛かるんじゃないかな。西の山を越えなきゃいけないしね。きちんと準備していかないと、間違いなく途中でくたばるよ」

「そうなのか……」


 彼は疲れ切った顔をますます曇らせた。

 あたしは後ろで一つにまとめた長いおさげ髪の付け根に手をやりながら、できるだけ軽い調子で訊いた。


「ねぇ、あんたは何をやった・・・人?」

「……え?」

「罪人なんでしょ? 『追放者』って」


 彼は強張った表情のまま、しばらくじぃっとあたしを見据えてくる。その視線を黙って受け止めていると、やがて彼はゆっくりと話を始めた。


 コロニーにいた時、新種の植物を開発する仕事に就いていたこと。

 ヒルコ症の特効薬を求めて月までやってきた、ジンという『砂漠の国』のキャラバンの男のこと。

 その人との約束で殺虫・駆虫効果を持つ『ルリヨモギギク』という名の花を作り出し、地球へ送られる『追放者』の荷物にその種を紛れ込ませたこと。

 それを罪に問われ、自らも『追放者』となってしまったこと。


 彼がテーブルに置いた小さな袋には、ごま粒ぐらいの細かい種が無数に詰まっていた。要はどうにか持ち出してきたそれを、そのジンという人に届けたいという話だった。


「へぇ……コロニーじゃ、そんなことで罪になっちゃうの?」

「規律違反は何よりもの罪なんだ。コロニーで生きるには、常に品行方正であることが求められる」

「月ってもっと住み心地いいのかと思ってたけど、そうでもないんだね。そんなのあたしも追放刑になりそう。あたし、はみ出し者だからさ」


 あたしが小さく笑ってそう言うと、その男はふっと頬を緩めた。彼の纏う張り詰めた空気がいくらか和らいだ気がした。こういう表情をすると、急に柔らかい印象になる男だった。


 あたしはテーブルに肘をついて両手で頬を包み、軽く首を傾げて彼を見た。


「ね、名前教えてよ」

「……トワ」

「トワ、ね。あたしはミカ。薬草師のミカ」

「薬草師?」

「うん。薬効のある植物を育てて、薬を作ってるの」

「薬を……?」


 あたしは立ち上がり、本棚から古くて分厚い植物辞典を引っ張り出してきた。それをぱらぱらめくって、あるページを探し当てる。


「あった、『ヨモギギク』」


 黄色の花とのこぎり状の葉を持つ植物のイラストに、細かな字で解説が添えられていた。


「種蒔きは四月か九月が最適。開花は七月から九月。……へぇ、服用すると毒になるのか」

「そう、この新種には花以外の部分に強い毒があるんだ。誰かが誤って口に入れないように気を付ける必要がある」

「この花の胚珠に、シロバナムシヨケギクとヒルメヨモギの成分を含んでるってこと?」

「そうだ」


 その二つの植物のページも探してみる。

 シロバナムシヨケギクの粉末は、作物の虫害対策なんかにも使われていたらしい。

 ヒルメヨモギは、ただ一つヒルコリア糸状虫に効く薬草だったと、過去に父親からも聞いたことがあった。


「駆虫成分の方は作用としてはそこまで強くない。でも、まだ発症前の、寄生虫が幼虫のうちに飲めば効果があるはずだ」

「へぇ……ね、もし良かったら、この種あたしにちょっと分けてよ。この辺でもヒルコ症に罹る人はいるからさ」

「あぁ、もちろん」


 トワはあたしが出してきた小皿に種を分けてくれた。骨ばっていて、しゅっと長い指。手先の器用そうな男だと思った。


「実はこの花、まだ天然の土で育てたことがないんだ。殺虫効果を試す生物実験も爬虫類と両生類に対して行なっただけだし、駆虫効果に至っては数値を確認しただけだ」

「そうなの? それはますます面白そう。でも『砂漠の国』へ持ってくなら、せめて蚊に対してちゃんと効果があるか確かめてからの方がいいんじゃない?」

「確かに……」

「まぁ、あたしもどんな花が咲くのか興味あるし、ちょっと育ててみるよ」


 トワはあたしをじっと見つめて、小さく微笑んだ。


「……ありがとう」



 それからトワは少し休憩した後、「他に人の住んでいる場所はないか」と訊ねてきた。あたしが村への行き方を教えると、彼は丁寧に礼を言って去っていった。


 だけどなぜか、陽の暮れないうちにまた戻ってきた。


「あれ、追い返されちゃった?」

「いや、そういうわけじゃないんだが……」


 最初に出会った村人に声を掛けたら、ずいぶん怯えさせてしまった。

 カグさまの家に案内されて事情を話したところ、多少の水と食糧は分けてもらえたものの、『砂漠の国』へ行くにはとても足りず、村に留まれるような雰囲気でもなかった。

 それで、ひとまずここまで引き返してきたんだと言う。


 まれびとは神の使い。

 村にはそんな口伝くちづてがあるけど、あの村人たちが月から追放されてきた得体の知れない罪人を歓迎するとは想像しづらかった。


「カグさまも奥さんが病気で大変だしね。他の人たちも、そんなに感じ良くはないよね」

「……申し訳ないが、とりあえず一晩、この森で野宿させてもらっていいだろうか」

「え、野宿するの?」


 改めて、トワのことをまじまじと見る。

 疲れ果てた顔。だけど、健康な働き盛りの男。

 あたしはふと考え付き、ぱんと手のひらを合わせた。


「ねぇ、こうしない? トワがそのジンさんとやらを探しに行く準備を手伝うから、代わりにあたしの仕事を手伝ってよ。しばらくこの家に寝泊まりしていいからさ」

「えっ? いや、それは……」

「名案じゃない? 何か問題ある?」

「ある。大ありだ。女性の独り住まいなんじゃないのか」


 トワは何だか動揺しているようだった。

 あたしは両目をすぅっと細め、唇の端をにぃっと吊り上げてみせた。


「ふーん。あんた、あたしを襲う? まぁ、あたしは全然構わないけどね」

「……いや、襲わない」


 ふふ、と軽い笑みを零してから、あたしは表情を戻し、肩をすくめた。


「じゃあいいでしょ。あたしの父親も、二年前にヒルコ症で死んだの。それからずっと男手がないから、あんたがいてくれたら助かるんだけど」


 トワは少し悩んだ後、おずおずと首を縦に振った。


「……それじゃ、ジンさんを探しに行くまでということなら」

「よし、決まりだね。よろしく、トワ」




 トワに居候を勧めたのは、何も純粋に人助けの気持ちからじゃない。

 もし彼が本物の凶悪犯で、油断した隙に突然豹変して乱暴にり殺されたとしても、別に構わなかった。

 そしたらあたしはそういう運命だったんだと、ただそれだけのことだからだ。


 いつ死んだところで、この世に未練なんか何一つない。あたしは常日頃からそう思っていた。

 それどころか、死ぬまで続くこの下らない日常を早く誰かがめちゃくちゃに壊してくれないかと、心のどこかで待ち望んでいた。

 そのくせ自分で終わりを選ぶなんて大それた真似は到底できない、あたしはただの臆病者だった。


 トワと出会ったことで、あたしの人生は確かに大きく変わった。

 そう、これっぽっちも期待していなかった、この時点では想像も付かなかった未来に繋がる、運命の出会いだったんだ。

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