3ー6 その旅の目的
十五年前の噴火の影響でできた、大地の亀裂だ。西の山を越えて少し行ったところにあるそれを、これまでに何度か見たことがあった。
頂を越えて険しい斜面をずっと下っていくと、切り立った崖が突然現れる。まるでそこが世界の果てみたいに。
だけど断崖絶壁の淵に立ってよく目を凝らせば、ずっと離れたその先にも岸があるのが分かる。
二つの岸は、海によって隔てられていた。
「ここからもっとずっと西に行ったところに、『砂漠の国』があるんだよ。だけど大地溝ができてから、そう簡単には行けなくなった」
まだ元気だった頃のお母さんは、向こう岸の遥か彼方を眺めながらそんなことを言った。
その横顔がとても哀しそうだったのを、なぜだかよく覚えている。
■
「僕が五歳の頃、キャラバンだった父親は、ヒルコ症の特効薬を求めて月へと向かう最後のシャトルに乗った。それが今から二十二年前のことだ」
ナギさんの話は、そんな風に始まった。
昔はこの辺りでもヒルコ症で死ぬ人がいたんだと聞いたことがある。
『砂漠の国』では、今でもその病気で命を落とす人が多いみたいだった。
「僕は十五の年に、初めてキャラバンの巡行についていった。その時、砂漠の中に打ち捨てられた宇宙船の脱出ポッドを見た。中にあったのは僕の父親の白骨死体と、ヒルコ症の特効薬だった」
それを機にキャラバンとして働くようになったんだと、ナギさんはちょっと照れ臭そうに言った。
「その巡行の時に、山羊飼いの女の子からあるものをもらった。それが……この種と
そう言って、ルリヨモギギクの種に触れる。
「十六、七年前に、東の山地——つまりこの辺りから『砂漠の国』へやってきた旅人が、種を持っていたらしい。その人は月コロニーの出身で、僕の父親と顔見知りだと言ってたそうなんだ。だけど残念なことに、僕の故郷ではこの植物は上手く育たなかった」
「月コロニーの出身って……『追放者』ってことですか?」
「どうだろう。そこまでは分からない」
いまいち掴めない話だ。
ルリヨモギギクはこの丘の上にしか生えていない花だと、お母さんは言っていた。その旅人が、ここから種を持って『砂漠の国』へ行ったということだろうか。
「……今から三年前、酷い旱魃があった。僕たちキャラバンは、食糧を確保するために普段は行かない地域にまで足を伸ばした。そしてある巨大な湖のほとりで、古びた脱出ポッドを見つけた」
「あ……あのポッドって、他の地域にも落ちてるんですね」
「うん。着地の衝撃を和らげるために、湖が落下地点に選ばれることが多いみたい。もっとも、そこから生き延びられるかどうかはその人次第だろうけどね。僕たちが見つけたポッドに乗ってた『追放者』も、骨の欠片になって岸辺に転がってたよ」
思わず、絶句した。
「たぶん自殺だったんだろう。荷物はポッドの物入れに置きっ放しだった。その荷物から出てきたのが、この二つの種だったんだ」
「……え?」
「一緒に、僕の父親宛てのメッセージが入ってた。種蒔きから二ヶ月で収穫できる小麦と、殺虫・駆虫成分を含む花。二つともコロニーで開発された新種だという説明書きがあった。日付けは今から十九年前。例の十七年前の旅人と同名の署名があった」
何だか頭がごちゃごちゃになってきた。
「あの、えっと……それって、どういうことですか?」
「うーん……月から僕の父親に向けて種を送ろうとしたその人が、最終的に自ら地球にやってきたってことかな、と思ってるんだけど」
「あぁ、なるほど……」
「僕たちはその二つの種を瓦礫の街に持ち帰って、雨季の始めにさっそく蒔いてみた。その結果、小麦は無事に根付いて、本当に二ヶ月で収穫することができた。でもこの花の方はやっぱり上手く育たなかった。乾季に種蒔きしても駄目。気候のせいなのか、土のせいなのかは分からない」
そっと目が伏せられる。睫毛の長い人だと、こっそり思った。
「ちょうどその頃、父親がコロニーから持ち帰った特効薬がついになくなった。すると、前みたいにあの感染症で命を落とす人がぽつぽつと出始めた。前から気掛かりだったんだ。薬は数に限りがあったからね」
「そんなに罹る人が多いんですね……」
「そう……そもそも感染を防ぐことができるなら、それが一番のはずだ。この花の殺虫成分を上手く使えば蚊を退治できる。駆虫作用があるなら、感染したとしても発症前に治療できる。だから僕は、この植物の育つ場所を目指して旅してきたんだ」
ナギさんが視線を上げて、あたしを見た。
「このルリヨモギギクって花は、あの鉄塔がある丘の上に咲いてるんだね」
「はい、さっきもちょうど刈ってきたところだったんです。でも、あの花がコロニーから来たものだったなんて知りませんでした」
この出会いは偶然なのか、それとも——
ゴゴゴ……と地鳴りがする。あたしにしか聞こえない、ほんの小さな地鳴りが。それが心の奥にある何かの予感を掻き立てる。
「そう言えば昨日、大地溝を渡って北上してる時に、『追放者』の脱出ポッドが落ちてくるのが見えたよ」
「あ……それ、あたしも見ました。南の山の麓の湖に落ちていったのを。だからナギさんのこと、最初はてっきり『追放者』かと思ったんです」
あたしがそう言うと、ナギさんは目を丸くした。
「えっ……僕が『追放者』? あっははは! やだなぁ、まさか!」
「すっ……すいません……」
「いいよいいよ。いやぁ、これはいい話のネタになるね」
ナギさんはそう言って、悪戯っぽくくしゃりと笑った。屈託のない、少年のような甘い笑顔だ。
その瞬間、心臓がびっくりするほど大きな音を立てて跳ね上がった。
頬がかぁっと熱くなる。胸がどきどきと騒ぎ始めて、息が苦しい。
「それにしても、その旅人はどこへ行ったんだろう。僕の父親の知り合いなら、会ってみたいんだけどな」
「そっ……そうですね」
ナギさんはあたしの様子に気付いていないみたいだった。
平静を装いながら、その旅人のことを考えてみる。
十七年前。その人はこの辺りにいたんだろうか。知っているとしたら——
と、お母さんのいる寝室の方へと視線を向けて、ふと思い出した。
「あ、あの……すいません、実はそろそろ母の薬の時間で——」
ナギさんにお茶のお代わりを出して席を外し、いつもの手順で煎じ薬を作った。
寝室へ行くと、お母さんはベッドの上で目を覚ましていた。
半身を起こすのを手伝って、薬の入ったカップを手渡す。それをゆっくりと飲み下した後、お母さんは掠れた声で言った。
「……お客さん?」
「あ……うん、旅の人だよ。『砂漠の国』のキャラバンの人」
「え……? 『砂漠の国』の、キャラバン……?」
「そう。ちょっと訊きたいんだけど……お母さんって、ルリヨモギギクがコロニーで開発されたものだって知ってた? そのキャラバンの人が、あの花の種を持ってきてて——」
あたしはナギさんから聞いたことを掻い摘んで説明した。
だけど、話が例の『種を持って西へ向かった旅人』のことに差し掛かったその時。
「……お母さん?」
あたしは思わず口を噤んだ。
お母さんの目から、涙がぽろりと零れ落ちたからだ。
「ど、どうしたの?」
「……ねぇ、サク……そのお客さん、まだいる?」
「うん、いるよ」
「……話を、させて」
表の部屋に移動して、挨拶もそこそこに三人揃ってテーブルに着く。
「『砂漠の国』から、来たんだってね……十七年前に、ルリヨモギギクの種を持っていった旅人の行方を、知りたいんだとか」
「はい、そうです。僕の父の知り合いだそうなので。ご存知ですか? その人の名は——」
その名前を耳にしたお母さんは、そっと口元を押さえて、じぃっとナギさんを見つめた。
「……こんな、ことって……」
「ねぇお母さん、その旅人のこと、知ってるの?」
「知ってるも何も……」
潤んだままの大きな瞳が、あたしに向いた。
「サク、その人はね——」
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