3ー3 死へ向かう村

 お母さんが寝付いて、自分のお昼を済ませた後、あたしは家を出て村へと向かった。

 これから、集会と食糧分配がある。

 あたしたち母娘おやこは、植物から作った薬などとの交換で、生活に必要なものを分けてもらっている。今日は感冒薬や乾燥させたハーブをいくらかリュックに入れていった。


 森を出て、川沿いを南東の方向へ進む。家から村まで、あたしの足で三十分ほどかかる。

 ちょうど中間地点の目印にしている大きな岩を通り越して、ひび割れたガタガタの道を歩いていけば、やがてぽつぽつと家が見えてくる。打ち捨てられて崩れたままの旧時代の建物と、人の住んでいる家が半々くらいだ。


 瓦礫の間を抜けて、錆だらけのひしゃげたフェンスに囲われた広場に辿り着く。

 壊れた門のすぐ横には、浄水装置付きの巨大な貯水タンクが置かれている。井戸も川も汚れているから、人の口に入る水はここまで汲みに来なくちゃならない。


 広場の真ん中にある祭壇の上には、井桁の炉が組まれていた。明日の『山鎮めの儀』のための準備だ。

 昔、あの南の山にあった大きなおやしろには、古い神話に登場する美しい女神が祀られていたらしい。

 その『山の神さま』に、どうか怒りをお鎮めください、と祈りを捧げる。年に一度、かつて噴火のあった日に合わせて行われるその儀式は、明日で十五回目になる。

 本当に神さまがいるんだとしたら、何をそんなに怒っているんだろう。毎年参加していても、あたしにはよく分からなかった。



 広場の端にある集会所の建物を覗く。村の人たちはもうほとんど集まっていた。今は確か、全部で七十人くらいだったはずだ。

 服に付いた灰を払って中に入ろうとすると、突然誰かに肩を掴まれた。


「あんた、村外れのサクだろ」


 驚いて振り返れば、そこには籠を抱えた女の人が立っていた。顔はゴーグルと防塵マスクで隠れているけれど、いつも嫌味を言ってくるシノおばさんで間違いない。


「また性懲りもなく食糧を強請ねだりにきたのかい?」

「あの……薬を持ってきました」

「毒だか薬だか知らないけど、そんなもん何の腹の足しにもなりゃしないだろ。それを食糧と替えてもらおうなんてさ。みんなあくせく働いて生活してるってのに、本当に迷惑だよ」

「そ、そんなの……」


 言いかけて、口ごもる。

 黙り込んだあたしに、シノおばさんは勝ち誇ったように言い募る。


「それもこれも、あんたの母親がカグさまに色目使ったからだろ。母娘揃って本当に嫌らしいねぇ」


 マスクの中で小さく呼吸を繰り返す。こんなことは慣れっこだ。心臓がぎゅっと締め付けられるのを、拳を握ってじっと堪える。


 その時、後ろから声が掛かった。


「何をしている」


 シノおばさんがびくりとする。がっしりした体格の男の人が、あたしの隣に並んだ。

 村のおさのカグさまだ。ゴーグルからは太い眉と力強い目が覗いている。


「カ、カグさま……」

「何か揉め事か?」

「い、いえいえ! 何でもありませんよ。ほほ……」


 シノおばさんは誤魔化し笑いをしながら、慌てて集会所の中に入っていった。

 カグさまは小柄なあたしを覗き込むように軽く身を屈めて、穏やかな声で言う。


「サク、大丈夫か」

「あ……はい」

「また薬を作ってきてくれたのだろう。気にせず入りなさい」

「……はい」


 あたしはカグさまの大きな背中に続いて、おずおずと扉をくぐる。村の人たちの一番後ろにそっと腰を下ろして、ゴーグルとマスクを外した。

 あちこちから咳が聞こえる。お母さんと同じように肺を病んでいる人も多い。


 顔をあらわにしたカグさまが、みんなの前に立った。

 白髪混じりの髪に、彫りの深い目鼻立ち。五十代半ばぐらいのカグさまは、もう二十年近くこの村を取りまとめている。


「では、集会を始める」


 心地よい低音の、よく通る声。人々のざわめきが静かになった。


「まず、つい三時間ほど前、空から『追放者』のポッドが落ちてくるのを見たという報告があった。『まれびとは神の使い』とは言うが、いつも通りこちらからの働きかけは特にしない。もし『追放者』を見かけた場合は、速やかに報告するように」


 はい、と村人たちが返事をする。

 どうやら他にもあれを目撃していた人がいたらしい。


 賓は神の使い。

 ここは周辺をぐるりと山に囲まれた地形で、余所からやってくる旅人は貴重な存在だった。だから彼らを神の使いのように歓迎したことが、そんな口伝くちづてとなって残っているんだ。

 だけど少なくともこの十数年、あたしの知る限り、旅人なんてただの一人もここには訪れていない。閉ざされた土地に暮らす住人だけで、日々の生活が営まれている。


 続いて、それぞれの持ち場の代表者が現状の報告をし始めた。


「小麦の出来が悪く、収穫が遅れてます」

「雌牛が一頭、体調を崩し気味です」

「これからの季節に向けて薄手の服を縫い始めましたが、綿の質が落ちていて生地が弱いです」


 全部が全部、暗い内容だった。みんなの表情や声にも疲れが滲み出ている。


「報告ありがとう。皆には苦しい生活を強いていて、本当に心苦しく思っている。今週の食糧の割り当てもずいぶん少なくなってしまったが、どうか了承してほしい」


 そう言って、カグさまは深く頭を下げた。


 このところ、作物の収穫量が落ちていた。それは降り続ける火山灰が土を汚すせいでもあるし、病気で働き手がどんどん減っているせいでもある。

 食糧や生活物資が村人全員に行き渡るように、生産と備蓄を一括管理しているのはカグさまだ。そのおかげで、今のところ誰も飢え死にするようなことにはなっていない。


 カグさまは村の人たちを見渡してから、少し明るい声で言った。


「明日は『山鎮めの儀』だ。今年はその供物も最小限にしようと思う。本格的な雨季が来れば、降灰の影響もマシになってくるはずだ。体調の悪い者は無理せず申し出るように。では、各自食糧を受け取って、持ち場に戻りなさい」



 食糧をもらうための行列の最後尾について、順番を待つ。

 並んでいる間、何度か小さな地鳴りと微振動があった。だけど、誰もそれを気に留めていないみたいだった。


 やがてあたしの番が回ってきた。

 リュックに入れて持ってきたものをカグさまに渡して、代わりに割り当ての作物が入った麻袋を受け取った。


「サク、そろそろルリヨモギギクの花の季節だろう」

「あ……はい、ちょうど今日から花の刈り取りを始めました」

「これから忙しい時期だな。ところで、ミカの様子は最近どうだ?」

「えぇと……相変わらず、です」

「そうか」


『ミカ』というのは、お母さんのことだ。

 少しの間の後、カグさまがまた口を開いた。


「サク、提案なのだが……もし二人さえ良ければ、うちで暮らさないか」

「え?」


 思わず、顔を上げる。カグさまは優しい目であたしを見ていた。


「村外れの生活は何かと不便だ。薬草師の仕事を続けながらでも、村の中に住めばいい」

「でも……」

「実は前にもミカにそう申し出たことがあったのだが、その時は振られてしまってね。しかし、今の状態では……。私も、二人が来てくれたら嬉しいのだが」


 薬草師の仕事は続けたままで、カグさまの家にお世話になる。そんなことをしたら、いったいどうなるのか。


——みんなあくせく働いて生活してるってのに、本当に迷惑だよ。

——あんたの母親がカグさまに色目使ったからだろ。


 さっきのシノおばさんの言葉を思い出す。ますます当たりがきつくなるに違いない。

 あたしは俯いて、ぼそぼそと返事をした。


「あの……一度、母に訊いてみます」

「あぁ。サクも大変だと思うが、決して無理はしないように。何かあったら遠慮なく言いなさい」

「はい、ありがとうございます」


 小さな声でお礼を言って、ぺこりとお辞儀をする。今週分の食糧としては確かにずいぶん軽い麻袋をかき抱いて、あたしは逃げるように集会所を後にした。



 あたしたち母娘おやこは、とても微妙な立場だ。村の人たちで分担している畑仕事や家畜の世話に、あたしとお母さんは参加していない。

 お母さんは子供の頃に薬草師の父親、つまりあたしのお祖父さんに連れられて、余所の土地からここへ流れてきたらしい。そして薬効を持つ草が多く生えるあの丘の麓に家を建てて住み着いた。

 大地の声を聴き、あらゆる植物を扱う薬草師の血筋。そのわざを絶やさないようにと、お祖父さんが亡くなってからはお母さん一人でそれを継いでいた。


 神の使いと言われるまれびとも、居着いてしまえばただの穀潰し。

 村には未だにあたしたちを余所者扱いする人もいる。

 それでも村の枠組みに入れてもらえているのは、カグさまがあたしたちの事情を理解して、あたしたちの作る薬を村に必要なものだと言ってくれるからだ。


 だけど本当は、シノおばさんが言ったことも一理あるのかも知れない。

 あたしの勘でしかないのだけれど、もしかして、とずっと思っていることがある。


 あたしのお父さんは、カグさまなんじゃないだろうか、と。


 カグさまはずいぶん前に奥さんを亡くしたらしい。奥さんが伏せっていた当時、お母さんがその看病を手伝っていたと聞いたことがある。

 その時、お母さんとカグさまの間に何かあったんだとしたら。

 もちろんそんなの、確認のしようもないことだけれど。

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