第3章 此の花咲く闇

▶︎ サク

3ー1 丘の上の少女

 異国から来たまれびとは神の使い。

 その口伝くちづてを、あたしは少しも信じていなかった。

 山々に閉ざされたこの地にはきっと、もう旅人なんてやってこない。

 空から落ちてくる罪人をそう呼ぶには、何だかあまりにそぐわない。


 賓は来ない。神さまはいない。

 あたしたちはこの場所で、どこにも行かずにただゆっくりと死んでいくんだ。


 ■


 風が吹く。見渡す限りに広がった深い青色が、ぶわりと波打つ。その波は群れとなって、次々こっちへ向かってくる。

 まるで生き物みたいだと、あたしはぼんやり思った。

 咲き乱れる花々を乱暴に撫でて、目に見えないたくさんの塵を運びながら、風は肩で切り揃えたあたしの髪をさらっていった。膝下まである木綿のスカートもふわりとなびく。深く被った帽子が飛ばされそうになって、慌てて押さえた。


 防塵マスク越しに、少しつんとした特徴的な匂いがする。この青い花は満開間近だ。今年はいつにも増して生長が早い。

 乾季が終わって、今は束の間の春。

 この小高い丘の上から東の方向に見える、折り重なるように続くなだらかな丘陵地帯にも、荒れた岩肌の合間からちらほらと雑草が背を伸ばしている。

 あとひと月もしないうちに、本格的な雨季に入る。だんだんと蒸し暑くなって、いろんな虫が増えてくる頃だ。


 青色の花畑の真ん中からは、巨大な電波塔がにょきりと生えている。

 今はもう使われなくなった、旧時代の遺物。

 元々は綺麗な銀色だったと思われるこのくすんだ鉄塔は、同じようにぱっとしない色の空を突き上げるようにしてそびえ立っていた。

 今日も相変わらず、霞の掛かった空だ。このぼんやりした色味は、何も視界を覆うゴーグルだけのせいじゃない。

 南を向くと、歪な形の火山が目に入った。その天辺からは細い噴煙が上がっている。

 ああやって吐き出された灰が、風に乗って辺り一帯に降り続けているんだ。ゴーグルと防塵マスクなしでは、とても外を出歩くことなんてできない。今は雨の降る季節だから、多少はマシになっているけれど。


 一羽の鳥が、空の高いところを西に向かって飛んでいった。大地溝だいちこうを軽々越えて、『砂漠の国』まで渡っていくんだろうか。


 その鳥を目で追っていった先から、きらりと光るものが現れたことにあたしは気付いた。

 それは灰色っぽい薄群青の空を一直線に横切って、だんだん地面に近づいていく。そして、南の火山の麓辺りに落ちた。あの位置だと、手前にある湖に入ったかもしれない。


『追放者』か。

 何の気もなく、あたしはそう思った。数年に一回、ああして空から降ってくる。『彼ら』にとって、この地球はゴミ捨て場みたいなものなのかもしれない。

『追放者』は大罪人なんだと聞いた。犯した罪に対する罰として月のコロニーを追い出されて、地球に落とされるんだと。

 でも、そんな人の姿をあたしは一度も見たことがない。だから、あたしには少しも関係のないことだった。


 もう一度、花畑を見やる。紫がかった青い花の色や、葉や茎の擦れ合う音が、なぜだか胸の奥をざわつかせる。

 また、この季節がやってきた。

 延々と同じところを巡るだけの、終わりのない一年の営み。いったいいつまで続くんだろう。


 きっと、死ぬまでだ。


 家の片隅で伏せったままのお母さんのことを思い出す。そろそろ帰らなくっちゃ。

 葛の蔓で編んだ籠を背負い直すと、中に入ったものがかさかさと乾いた音を立てた。

 頭の部分だけを刈り取った、たくさんのルリヨモギギクの花が。

 ざわめく青色の波から目を逸らし、あたしはくるりと回れ右して、さっさと丘を降り始めた。

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