2ー11 光の糸を辿るように

 気付けば、辺りは静寂に包まれていた。宇宙船スペースプレーンが安定飛行に入ったらしい。

 脱出ポッド内は密閉されており、窓もないため外を見ることができない。この切り取られた空間の中では、時間の流れすらも止まっているように感じられる。鋼鉄製の椅子に括り付けられた俺は、ただただ呼吸だけを繰り返していた。


 嵐のように吹きすさんでいた感情は、今や恐ろしいほど凪いでいる。

 この先に何が待ち受けているのか予想もつかないが、何が起きてもきっと俺は揺るがない。ルリと引き離されたこと以上の苦しみなど、きっとこの世に存在しないだろうから。

 これから向かう先は地獄などではない。ジンさんがいる星だ。まだ人間が暮らしている、自然のままの地球だ。

 手にしたルリヨモギギクの種子を胸に当てる。これは、ルリがくれた最後の希望なのだ。


 俺はジンさんに会いに行く。自らの手で、直接この種子を届ける。

 何か一つでも、目標があれば生きていける。それに向かって歩いていけるはずだ。


 月から地球まで、宇宙船で約一日。落下地点は、放射能汚染の酷い大陸とは環境の切り離された島の、ある山の近くの湖だと聞かされていた。

 そこからジンさんのいる『砂漠の国』までどれほど掛かるのか分からない。きっと長い旅になることだろう。

 俺はまだ見ぬ大地に想いを馳せながら、静かに瞼を閉じた。


 ■ ■ ■


 地球に落とされてから丸二日。俺はあるものを目指しながら、森の中を彷徨い続けていた。

 鬱蒼と生い茂る樹木の枝葉に阻まれて、空も目標物もほとんど視界に入らない。土地勘も方向感覚も全くない状態で、自分が今どこにいるのかさっぱり分からなかった。

 ここ半日ほどずっと、こんな調子で迷子になっている。同じ場所をぐるぐると回っているだけのようにすら思えて、どうにも心許ない。


 俺が目印にしているもの。

 それは、小高い丘の上に立つ一本の鉄塔だ。

 あの湖の岸で辺りをあちこち眺めていた時に見つけたその銀色の塔は、沈みゆく太陽の光を弾いて眩しく輝いていた。

 今も稼働している可能性はゼロに近いだろうが、未知の自然の中にある人工物の存在は俺を酷く安堵させた。

 そんなわけで、俺はそこへ行ってみることにしたのだ。



 水を一口ずつ飲み、固形食糧をちびちびと齧って、渇きと飢えを誤魔化しながら歩いていく。どちらも可能な限り温存していたつもりだったが、共に底が見え始めている。

 土の地面からは、様々な植物が自生していた。キノコや山菜らしきものの姿も見えるが、研究所のデータベースにあったものとはいずれも微妙に相違点があり、迂闊に口には入れられない。

 森には小川も流れているが、煮沸していない水は危険だろう。俺は火の起こし方すらも知らないのだ。体力を消耗した状態で腹を下したりしたら致命的だ。


 夜が来ると辺りは真っ暗になってしまうので、休憩せざるを得ない。寝袋の寝心地は最悪で、横になっていてもあまり疲れの取れる気はしなかった。

 絶え間ない虫の声に聴覚を支配される。今にも身体が闇に呑まれてしまいそうだ。自分という存在の輪郭を、酷く覚束ないものに感じた。

 こうして見ると、月はかなり明るい。よもやあの光を頼りにすることになろうとは、何とも皮肉な話だった。


 放っておくと、頭はルリのことを考え始める。俺はそのたびにルリヨモギギクの種子を掻き抱き、これから行くべき道のことに思考を戻さねばならなかった。

 一度でも振り返ってしまったら、二度と前に進めなくなる。そんな気がしたのだ。



 夜が明けて空が白んでくると、俺は再び歩き出した。

 既に水は尽きかけていた。固形食糧は辛うじて残っていたが、血糖値が下がり、足腰に力が入らない。

 とにかく誰か人に会う必要があった。このままでは呆気なく餓死してしまうだろう。

 枝葉の切れ間から、きらりと光るものが覗く。あの鉄塔だ。

 幸い、目標には近づきつつあった。そこに人がいるという確証はなかったが、俺はその反射光を視界の端に留めながらふらふらと歩みを進めていった。


 太陽が天辺を過ぎた頃、とうとう最後の水を飲み干してしまった。働かない頭で途方に暮れていると、ふと、乱立する木々の合間に不自然な・・・・ものが見えることに気付く。

 家だ。

 俺は疲れも忘れて駆け寄った。

 家屋の手前には庭があり、様々な植物が栽培されている。

 つまり、ここには人が住んでいるのだ。

 助かった、と思った。俺はまだこの地球で生き延びることができるかもしれない。


 庭の横を通り過ぎると、かすかな甘い香りが鼻孔をすり抜けた。カミツレに似た形の淡いピンク色の可憐な花が、緩やかな風に揺れている。他の植物もハーブが多いようだ。

 ルリヨモギギクのことも訊けるだろうか。

 俺はその玄関の前に立ち、縋るような気持ちで扉を叩いたのだった。




—第2章 瑠璃色に染む星と花・了—

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