2ー4 管理府首相の一人娘

 特効薬の受け取りのために夕飯の約束をした当日。雑然とした大衆食堂に時間通り現れたルリは、俺を見るなり吹き出した。


「なんで研究所ラボの作業服のままなのよ。髪もボサボサだし……相変わらずね、せっかくのハンサムが台無し」

「いや……どうにも面倒でな」


 俺は寝癖の付いた髪に触れ、肩をすくめた。そう言えば、無精髭も伸びたままだ。

 対するルリは小綺麗な私服だった。飾り気のないパンツスタイルだが、それが却って彼女の凛とした美しさを引き立てている。顎の高さに揃えられた深い栗色の髪は今日も艶やかだ。店内にいる男性客の何人かが、ちらちらとルリのことを見ていた。


「まったく、私をこういう店に誘うのはトワくらいよ」

「あぁ、ごめん……」


 尖らせた唇をふっと緩めると、ルリは俺の向かいの席に腰を下ろした。


「なんてね。普段お父さまの付き添いで堅苦しい食事会ばっかりだから、こっちの方が気楽でいいわ」


 コロニー管理府首相・ニビが一人娘を溺愛していることは有名だった。

 ルリは何だかんだ言いつつも、送迎車あしがあるからと俺の家の近くのこんな店まで来てくれている。世間のイメージとは違い、気さくで庶民的な人なのだ。


「さっそくだけど、これが例のもの。サンプルとして倉庫に残されてたのを全部持ってきた」


 ルリから手渡された紙袋には、二十個ほどの透明なピルケースが入っている。


「ありがとう。大丈夫だったのか?」

「えぇ、もう使われてない薬だし、倉庫の空きを確保するのに不要品として処分するってていにして持ち出したわ。ちょっと古いものだけど、中身を確認したら問題なく使えそうだった」

「さすがだな。ルリに頼んで良かった。本当に助かったよ」

「どうってことないわ」


 ピルケースを取り出してみると、中には白色のカプセルがぎっしりと詰まっていた。


「へぇ、これでヒルコ症が治るのか」

「体内の寄生虫を麻痺させてから、分解して体外へ排出するのよ」

「麻痺させる方の成分は、元々は植物由来だったんだよな。ヒルメヨモギの花の蕾から抽出してたっていう。分布地域が限定的だったせいで、八十年前の『原子炉爆発』の時に絶滅した品種だ」

「そうよ。やっぱり植物のこととなると詳しいわね」


 俺たちは適当に食事をつまみながら近況を報告し合った。


「トワの研究、ずいぶん注目を集めてるじゃない。ニュースで見たわよ、種蒔きから三ヶ月で収穫できる小麦」


 俺は博士課程ドクトラル・コース時代に新種の小麦の開発に成功していた。今、その実用化に向けて日夜研究を続けているのだ。


「いや、あれはまだちょっと生育が不安定なんだ。収穫までの期間ももう少し縮めたいし。世に出回るにはもう少しかかる。そう言うルリの方はどうだ? 医療用ナノマシンによって傷付いた細胞を修復するための薬剤だったか?」

「うん、そう。人体への負担がまだ大きくって。もっと副作用を軽減できればいいんだけどね」


 俺とルリとでは携わる分野が違う。

 そのため、研究内容などハードの部分には互いに突っ込み過ぎることなく、ただし研究者としての矜持や感覚などソフトの部分は共有できるという、絶妙な距離感を保てる貴重な相手だった。


「ところでルリ、そっちの研究所に殺虫剤の扱いってないかな」

「殺虫剤? どうして?」

「いや……ジンさん——例の、地球から来た人からいろいろ話を聞いたんだが、ヒルコ症の原因を媒介する虫を駆除する方法がないらしくて」


 ルリはわずかに眉根を寄せ、再び小さく唇を尖らせた。


「うちは医療用の薬が専門。トワも知ってるでしょ。第一ここには虫なんてほとんどいないから、あったとしても倉庫にサンプルが残ってるかどうかってところじゃないかしら」

「まぁ、そうだよな」

「地球時代の大昔は、シロバナムシヨケギクっていう植物から作ったお香で吸血虫を殺してたみたいだけどね」

「シロバナムシヨケギク?」

「そうよ、どちらかと言うとあなたの専門領域じゃないの?」


 今も地球にある植物だろうか。一度調べてみる価値はある。


 その後コロニードームの消灯時刻が近づき、この日はお開きとなった。


「トワ、気を付けて早めに帰ってね。私は車があるから大丈夫だけど」

「あぁ、分かってるよ」


 夜間に不用意に外を出歩くことは処罰の対象となる。ドーム消灯後には街のあちこちで保安部が目を光らせているのだ。


「ルリ、近々また会えるかな?」


 別れ際にそう声を掛けると、ルリは長い睫毛に縁取られた目をしばたかせた。


「えっ……?」

「せっかくだし、ジンさんを紹介したいんだ。ルリには特効薬のことで協力してもらったから。すごくいい人だよ」

「……あぁ……えぇ、そうよね。私もぜひ会ってみたいわ」


 俺たちはまた会う約束をして、それぞれ帰路に着いた。



 一週間後に再会したルリは、この前よりも女性らしい格好をしていた。スカート姿を見るのは学生時代の制服以来かもしれない。


 ルリとジンさんは簡単な自己紹介をし、握手を交わした。


「薬を都合していただいたそうで、本当にありがとうございました。なんとお礼を言っていいのか……」

「いえ、どのみちコロニーではもう使わないものでしたから。お役に立てたなら幸いです」


 何度も頭を下げるジンさんに、ルリはそう言って楚々と微笑んだ。


「しかし、まさかこんなに美しい方とは。トワさんも隅に置けませんね」

「いや、彼女は中等学校ミドルスクールからの腐れ縁なんです。な?」

「……えぇ、そうね」


 ルリの返事にわずかな間があったので、何か記憶違いがあったかと思ったが、俺たちは紛れもなく中等学校からの縁だ。

 十二歳で出会い、もう十三年になる。疎遠だった時期もあるとは言え、思えばずいぶん長い付き合いだ。


 いつもの大衆食堂で、今度は三人でテーブルを囲む。

 俺の前に運ばれてきた牛ソテー丼を見て、ルリが呆れた声を出した。


「トワ、あなた……こないだもそれ食べてなかった?」

「あぁ、大体いつもこれだよ」

「本当に相変わらずね。栄養偏るわよ」


 ジンさんが口を挟んでくる。


「やっぱり、毎回同じものを食べるのはおかしいんですね。コロニーではこれが普通なのかと思ってたんですが」

「トワを基準にしたら駄目ですよ。この人、ちょっと変だから」


 割と酷い。だが、俺もさすがにある程度の自覚はあるので、反論はやめておいた。


 屈託のない笑顔のジンさんに、ルリは好感を抱いたようだった。地球に蔓延する疾病や薬草のことなど、熱心にあれこれと質問していた。

 立場も生い立ちも全く異なる俺たちだったが、三人で過ごす時間は不思議に心地よかった。これも、ジンさんの柔らかな人柄のおかげだろうと思った。


「ところで、ジンさんはどうやって地球に戻るおつもりなんですか?」


 ルリがその疑問を口にしたのは、食事も終わりに差し掛かった頃だった。

 ジンさんは声のトーンを数段落とした。


「それが……一番の問題なんです」


 月から地球へ戻る交通手段はない。管理府が保有している小型宇宙船スペースプレーンなら駅のない場所でも離着陸可能だろうが、地球の大気圏の内側は今や渡航禁止区域に指定されていた。


 重くなってしまった空気を、ルリが破る。


「一つだけ心当たりがあるの。重犯罪者を宇宙船に乗せて、地球に落としてるじゃない? あれを利用できれば……と思うんだけど」


 その刑に処されるのは、政治犯や更生しようのない凶悪犯など、コロニーの統治体制の脅威となる罪人だ。劣悪な環境の地球に直接降り立つことは避け、罪人を乗せた脱出ポッドを大気圏外から放出する、ということが行われていた。死刑の存在しないコロニーでは、それが最高刑だった。


 人類移住計画が終盤に差し掛かり、コロニーの人口密度が飽和状態となって、治安が悪化の一途を辿っていた十数年前。

 当時保安省大臣だったルリの父、現首相のニビが立案し制定した地球への追放刑は、今も重犯罪の抑止力となっている。

 ニビ政権が始まってからというもの、保安部の力が強まり、コロニー内の治安は高水準で維持されていた。


 ルリの提案に、俺とジンさんは顔を見合わせる。


「でも、どうやって……?」


 まさか、そのために罪を犯すわけにもいかない。

 そんな中、力強く頷いたのは、やはりルリだった。


「私、父に頼んでみるわ」



 それから一週間ほどの後、ルリから連絡があった。


「ちょうど一ヶ月後に追放刑の執行される件があるらしくて、ジンさんをその便に同乗させてもらえることになったわ」


 あまりにもスムーズに事が運んだので、俺は正直驚いた。ルリが父親に上手く頼んでくれたに違いなかった。


「家に、帰れるんだ……」


 地球に戻れることを伝えた時、そう呟いたジンさんの震えた声が、しばらく耳に残っていた。

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