2ー3 循環しない生命たち

 俺には家族がいない。『親』だった人たちの期待に、俺は添えなかったらしい。


 無理なテラフォーミングの影響か、健康な男女間であっても自然妊娠は極めて難しい。顕微授精させた受精卵を人工子宮で育成する生殖が主流となった昨今、デザイナーベビーは珍しくなかった。

 遺伝子操作してでも優秀な子供を得ようと考える親は、そうして迎えた子に対する期待値も当然高い。

 だから、寝食そっちのけで地球の『自然』のホログラム映像やデータベースばかりに没頭し続けるような『変わり者』で『扱いづらい』子供は、『不良品』なのだそうだ。


 それゆえに、俺は小学校プライマリースクール入学前の年に捨てられた。

 そういう子供は案外多い。幸いと言うべきなのか、優秀な人材を無碍にしないために、捨て子に対する教育補助制度はずいぶん前から確立されていた。

 捨て子の中でも知能検査で一定以上の数値を出した子供は、コロニー管理府下の児童養護施設で育てられる。

 管理府から必要十分な補助を得た俺は、自分の興味や適性から鑑み、遺伝子工学を学んで植物開発の道に進んだのだった。


 ■


 ジンさんが帰ると、俺はすぐ薬学研究所に勤める友人に連絡を取り、事情を説明した。


『トワ、珍しいわね。あなたが私に頼みごとなんて』


 腕時計型端末のスピーカーを通した彼女の声には、どことなく面白がるような響きがあった。


 彼女——ルリは優秀な研究者で、コロニー管理府首相・ニビの一人娘だ。

 ルリとは中等学校ミドルスクールからの縁で、学力テストの順位を競う仲だった。二人とも飛び級して大学に入り、しばらくは疎遠になっていたのだが、互いに研究職に就いたことを知り、最近は時々連絡を取り合っていた。


「調べられそうか?」

『んー……何せ地球時代の感染症の治療薬でしょ? そんなものが未だに残ってる保証はないわよ』

「ないならないで仕方がない。薬があるのかないのかだけでも早めに知りたいんだ」


 もし特効薬が存在しないのであれば、ジンさんがここにいる意味はない。早く地球に帰って、残りわずかな時間を奥さんの側で過ごした方がいいだろう。


「この件で頼れそうなのはルリしかいないんだ。力を貸してもらえると助かる」


 少しの間の後、ルリは苦笑混じりに言った。


『仕方ないわね、特別よ。植物遺伝子学研究所のエースにそこまで頼まれたらね。ちょっと時間もらうわよ』

「悪いな、恩に着る」

『いいわ。今度奢ってね』


 軽い調子のルリに感謝して、俺は通話を切った。




 ジンさんは管理府から紹介される日雇いの仕事をこなして、どうにか食い繋いでいるようだった。

 俺は何度かジンさんを夕食に誘った。それは決して同情などではなく、純粋に地球のことに興味があったからだ。


 近所にある俺の行きつけの大衆食堂の看板メニュー『人工培養牛のソテー丼』を、ジンさんは気に入ったようだった。地球ではあまり動物性たんぱく質を摂取できないらしい。安くて早くてそこそこ美味い、俺も週の半分はお世話になっている品だ。

 手軽に腹の満たせるそれをつつきながら、俺たちは様々な話をした。


 生まれた星も育った環境も違う。年齢も、ジンさんの方が十歳は上だ。それにも関わらず、一緒にいると妙に落ち着いた。

 あちこち旅して人と会う仕事をしているだけあり、ジンさんは話し上手だった。

 故郷である『砂漠の国』で拠点としていた瓦礫の街の、人々の暮らしぶり。

 激しく吹き乱れる砂嵐と、どこまでも続く砂の海の荒涼たる大地。

 不毛の乾季の厳しさと、草木を育む恵みの雨季の喜び。

 ジンさんの口から語られる地球の様子は、どんな精巧なホログラフィーよりも生き生きと脳裏に描き出された。まるで、そこに住む人たちの息遣いまで感じられるほどに。


 コロニードーム内の『一日』の経過は、地球のそれに準じていた。すなわち一日は二十四時間で、一年は三百六十五日だ。

 本来は地球の六分の一である重力は、地球と同等になるよう調整されている。この月面でも、人間が地球上に暮らしていた頃と変わりなく過ごせるように環境が整えられているのだ。

 ドームの天井には、地球の空を模した画像がフルスクリーンで映し出されている。それにより昼夜が区別され、人々の生活の基準となっていた。

 とは言え、『天候』に変化はない。空調システムによって気温は一定に保たれ、空気は常に清浄そのものだ。

 生まれた時から馴染んだそれらのものを、味気ないと感じたのは初めてだった。


「ジンさんの故郷では、穀物や野菜の栽培は難しいんですか?」

「そうですね……雨季には一応穀物が育つんですが、乾季を越すのが毎年大変です。上手いこと備蓄しないと、すぐに食糧が足らなくなる。ひでりの年は最悪ですね。みんな飢餓状態になります」


 淡々とした口調だったが、恐らく言葉で聞く以上に状況は苦しいのだろう。


 コロニーでも食糧問題はある。医療技術の進歩に伴って平均寿命が延び、人口は増える一方で、肉や作物の生産が追い付かないのだ。

 だがここでは、遺伝子操作によっていくらでも食糧を作り出すことができる。今まさに俺たちが食べている丼の牛肉もその一つだ。

 コロニーの食糧問題とは単に生産効率の問題であり、月の住人たる俺は本物の飢えを知らなかった。


「俺は短期間で収穫できる農作物の開発をしてるんですが、それが本当に必要なのは地球かもしれないですね」

「地球は捨てられた星です。今も残っている人たちは、それを十分承知している。だから私たちキャラバンが各地を回って、いろんなものを循環させてるんです。言わば血液のようなものですね」


 ジンさんはどこか誇らしげだった。だが、その表情はすぐに曇る。


「でもやっぱり、一番の問題は病気です。風邪を引いただけでも命に関わることだってある。薬効のある植物で治療したりもしますが、例のヒルコ症なんかはもうお手上げです」

「何か対策はないんですか?」

「タチジャコウソウというハーブから作った蚊よけの香を焚いたり、できるだけ肌を露出しないようにしたり、寝る時に蚊帳を吊ったりする程度です。それでもいつの間にか刺されてしまってることがある」


 コロニーに虫はほとんど存在しない。

 時おり地球から持ち込まれた土や入植者の荷物に紛れてきたらしきアリやゴキブリが見つかることはあるものの、それさえ駆除してしまえば他に虫の入り込む余地はなかった。全く見たことがないという人もいるぐらいだ。


 ふと、疑問が過った。


「その蚊という虫、駆除はできないんですか?」

「うーん、駆除かぁ……考えたこともなかったな。そうしたくとも、どこからでも湧いてきますからね」

「そうですか……」


 文明が潰えた地球では、ただ生きるということすら過酷なのだ。

 だがそんな死にゆく星で、今なお生活を続けている人々がいる。


 ジンさんはよく家族の話をした。

 街で一番の美人だった妻のマナ。

 五歳の双子、ナギとナミ。二人とも半陰陽の身体を持って生まれたことで、人々から神のように扱われているのだという。

 半陰陽、つまり性分化疾患は、月においては遺伝子レベルで弾かれるものだ。

 それを『神』と称して崇める感覚はナンセンスに思えたが、そうしたものに縋らなければならないような精神状況だということだろう。


「そうは言っても、あの子たちはまだまだ甘えたい盛りです。私が旅立つ時、ナギはずいぶん怒っていた。ナミは聞き分けがいいんですが、きっと我慢してたはずだ。早く帰って抱っこしてやらなくちゃ」


 ジンさんは目を細めて、あの赤い石のブレスレットに触れた。

 慈愛に満ちた眼差し。これが『父親』というものの顔なのだろう。

 ジンさんのそんな表情を目にするたび、なぜだか胸がざわめいた。

 その感情の正体を、この時の俺はまだ知らなかった。




 例の特効薬が見つかったとルリから連絡があったのは、依頼から十日後のことだった。

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