第2章 瑠璃色に染む星と花

▶︎ トワ

2ー1 地球に落とされた男

 人はどのように生まれて、どこへ還るのだろう。

 地球を捨てた人類は、生命のことわりから外れてしまった。


 人はどこからやってきて、どこへ帰るのだろう。

 地球から来た旅人は、家族の元へ帰るのだと言っていた。


 人類を人たらしめるもの。

 それこそが、俺がずっと望んでいたものだったのかもしれない。


 ■


 爪先から脳天まで轟き抜ける振動が収まり、俺はようやく目を開けた。

 大気圏突入時から断続的に続いていた激しい衝撃のせいで、身体の中がめちゃくちゃに掻き回された気分だ。

 落下速度を抑えるためのパラシュートが正常に作動したのか判断する術はない。だがポッドが壊れていないことを鑑みるに、どうやら無事に目標地点へと着水したようである。


 俺の身体は今、備え付けの椅子と共に真横を向いていた。

 いつまで経っても、揺れているような感じが収まらない。不快なむかつきが臓腑に絡み、腋の下には冷や汗が滲む。

 歪みながら回る視界に意識を散らしていると、急に腹の底から悪寒がせり上がってきた。

 腰と肩を固定しているシートベルトのロックを慌てて解除し、ポッドの内壁へと崩れ落ちると、俺は堪らずその場で嘔吐した。胃が空なので、出てきたのは苦い胃液だけだ。

 吐き気の波が去っても、しばらくは手足の先が縮こまり、冷えて痺れたようになっていた。俺は鋼鉄製の壁面にうずくまったまま、呼吸が落ち着くのを待った。


 手をついて、ゆっくりと身を起こす。

 俺は椅子のすぐ足元にある物入れの蓋を開け、与えられた荷物を取り出した。そのナイロン製のリュックサックを開け、中身を確認する。

 水のボトルが三本と高カロリーの固形食糧、懐中電灯、簡単な手当てのキット、ポーチに入った寝袋。この打ち捨てられた星で生き延びるには、あまりにも心許ない装備である。

 やはり、小麦の種籾は入っていない。俺の仕出かしたことを考えたら当然だ。



 俺は背伸びをして頭上にあるハッチを開けた。ぽん、と空気の抜ける音がして、詰まっていた耳の通りが良くなる。

 恐る恐る頭を出す。初めて目にする自然の光に、強く顔をしかめる。

 見上げた『空』は、限りなく白に近い、ごくごく淡い青色だった。コロニーのドーム型の天井に映し出されていた、偽物の空のやけにくっきりした色とはまるで違う。


 すぐ側で水音がする。ハッチから身を乗り出すと、自分の乗っているポッドが水に浮いているのが分かった。

 これが『湖』か。

 どこまでも続く水面を目で追って、辺りをぐるりと見渡す。すると視界の中に、湖の上にそびえ立つような巨大な『山』が現れた。

 大気が妙に生臭い。いや、大気ではなくてこの水の臭いなのか。

 吹き付けてきた風によって、水面がさざめき立つ。その波に呼応するように、胸がざわつく。


——あぁ、俺は本当に来てしまったんだ。



 身体に荷物を括り付け、ポッドから出て湖に入った。水の臭さと冷たさに辟易しつつ、沈みそうになりながらもどうにか岸まで泳ぎ着く。

 運動は苦手だ。だが、こんなところでうっかり溺死するわけにはいかない。


 陸に這い上がり、仰向けに寝転がって呼吸を整える。

 音に溢れた世界だ。鳥のさえずりと、虫のものと思われる鳴き声と。

 嗅いだことのない天然の土の匂いが鼻先を掠めていく。加えて、青臭い匂いも。


 少し顔を動かすと、鮮やかな緑が目に入った。

 俺は思わず跳ね起き、それを凝視する。

 鬱蒼と生い茂った葉。濃い青紫色の小さな花弁。ツユクサに似た単子葉類の植物だが、研究所のデータベースで見た記憶と照合すると雄しべの数が二本ほど多い。亜種だろうか。

 その合間からは、カンゾウらしき双子葉類の植物が顔を覗かせている。地面を覆っている、白い花を持つ匍匐茎ほふくけいの植物はシロツメクサか。

 驚いたことに、それらは全て土の地面から直に生えていた。人の手を借りずとも、自らの力で根を張って群生しているのだ。


「すごい……」


 俺は思わず独り言ちた。身体の芯が震えている。歓喜の震えだ。

 から聞いていた地球の様子とはかなり違う。彼の故郷とは気候帯の異なる場所なのかもしれない。

 上着のポケットから小さなポリ袋を取り出した。そこにぎっしりと詰まった、無数のごま粒大の種子。この環境ならば、恐らく自然の土で育てられるだろう。


 俺が今ここにいる理由。

 全ての発端となった五年前の出来事を思い出す。

 地球から最後のシャトルに乗って月へとやってきた、ジンという名の友人との出会いを。

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