1ー2 キャラバンの男

 瓦礫の間を縫うようにして街の中心部に戻ると、ナミが駆けてきて僕を迎えた。


「ナギ!」


 頭から被った麻のストールを押さえながら、僕とそっくりの顔に心配そうな表情を浮かべている。

 ナミの右耳で揺れている小さな赤い瑪瑙めのう石のピアスは、僕の左耳にあるのと同じものだ。


「おかえりなさい。怪我はしてない?」

「怪我なんてしてないよ。何だよいきなり」

「だってナギって、小さい頃から無茶なことばかりして、しょっちゅうどこかしら怪我を作ってくるじゃないの。それで、どうだったの?」


 そう問われて、僕は思わず口ごもる。


「……駄目だったよ。でも、休憩したらもう一回行ってくる。次こそは水が出るかもしれないからさ」


 バンダナを巻き直そうと、左手を頭にやる。しかしその手は、あ、と声を上げたナミに掴まれてしまった。


「手のひら、血だらけじゃない。あぁ、両手とも! だから古井戸なんて危ないだけだって言ったのよ」

「いちいちうるさいな。肉刺まめが潰れただけだよ。ほっとけば治る——」

「駄目よ、ちゃんと消毒しなきゃ。ばい菌が入ったらどうするの?」


 引っ込めようとした右手もナミに掴まれ、僕は両手を拘束された状態で引っ張られていく。

 僕たちのやりとりを眺めていた男衆の二人が笑いながら言った。


「ナギさまも、ナミさまには敵わねぇなぁ」

「違いない。一応ナミさまの方が『妹』なんだろう?」


 悪かったな、『兄』らしくなくて。

 不貞腐れてそっぽを向いた、その時。

 しゃん、しゃん、という鈴の音が、どこからか聞こえてきた。

 閉ざされていた家々の扉が開かれ、何人かが顔を出して口々に言う。


「キャラバンだ!」

「コウさんが来た!」


 やがて、うず高く積まれた瓦礫の向こうから、その人物は姿を見せた。

 丈の長いデザートストールに全身を包み、大きな荷物を背負った長身の男。

 一まとめにした伸びっ放しの髪が、きっちり巻かれたターバンからはみ出して肩口に垂れている。

 砂塵が目に入るのを防ぐためのゴーグルは、今は額の上にあった。

 その男が歩くのに合わせて、背中の荷物に付いたいくつもの鈴が、しゃん、しゃん、と軽やかに鳴る。胸をざわつかせるその音に、僕はほんのわずかに眉根を寄せた。


 彼は僕たちに気付くと、小さく右手を上げた。ナミがそれに応えて手を振り返す。


「コウさん! こんにちは」

「やぁ、どうも」


 コウと呼ばれたその男は、日焼けした頬を緩めて微笑んだ。顎には無精ひげが散っているくせに、薄い唇から覗く歯は白い。

 表に出てきた女の一人がコウの姿を見て、きゃあ、と歓声を上げた。


 男衆の二人が嬉々として言う。


「コウさん、いいタイミングで来たな。もう貯水池の水が尽きかけてて、どうしようかと思ってたところだったんだぜ」

「あんたのことだから、事故の話を聞きつけて来てくれたんだろう?」

「えぇ、あちこち巡行していると、いろんな話が耳に入ってきますから。水路の補修資材も積んできましたし、移動式タンクも引っ張ってきました」

「移動式タンクか、そりゃあいい。川の側に着けて水を汲んでこようぜ。確かうちの倉庫に手動ポンプがあったはずだ」

「これで水路を直すまでの間、どうにか持ち堪えられそうだな。いやぁ、助かったよ。さすがコウさんだ」


 コウは、この『砂漠の国』に住む人々にいろいろな物資を届けて回るキャラバンの男だ。昔は大勢いたらしいキャラバンの、最後の一人。

 結局、僕のしようとしていたことは全くの無駄だったというわけだ。何となく、その場に居づらくなる。


「実はナギさまが、当面の飲み水確保のために古い井戸を掘り返してみたらどうかと提案してくださったんだが、これがなかなか危ない作業でな。狭い井戸だと身体の細いナギさましか降りられないから、内心はらはらしてたんだよ」

「ナギさまに何かあったら大変だもんな」


 やめてくれ。

 僕は思わず顔を俯けた。


 良い考えだと思ったのだ。

 川はそう遠くない距離にあるとはいえ、水を汲むのに毎回この強い日差しの中を歩いていくには厳しい。街の中にある古井戸から水を得られれば、その必要はなくなるはずだ。

 しかし結果としては、僕の的外れな思いつきのせいで、ただでさえ足りていない人手を無駄な作業に割くことになってしまった。

 そもそも水路が崩落したのだって、きちんと管理する人手が足りていなかったのが問題なのだ。


 だからこそ、僕ばかりがのうのうとしているのは耐えられなかった。何かせずにはいられなかった。

 でも、いつも空回りばかりだ。

 しかも今回はそれどころか、周りに心配まで掛けていたなんて。


「何にしても、手遅れにならなくて良かった。この間までしばらく、砂嵐で車が立ち往生していたものですから」

「あぁ、今回の砂嵐はちょっと長かったなぁ。コウさんも疲れてるだろう。ちょうど昼時だし、休憩がてら飯でも食おう」


 談笑する男たちの背中から、そっと目を逸らす。ナミが僕の肩に手を置いた。


「私たちもお昼にしましょう」

「うん、そうだね……」

「でもその前に、着替えて傷の手当てをした方がいいわ。そんな汚れた服じゃ、みんなの前に出られないから」

「え?」


 ナミが呆れ顔で小さく溜め息をついた。


「今日は月に一度の集会の日よ、ナギ」

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