6
「小野、なんだその手は。話が違うじゃねぇか」
救護室のすぐ外に、立夏がいた。立夏はひどく苛立った様子で深雪に詰め寄った。
「話が変わったんだ」
不機嫌そうな立夏を、深雪は面白がっているようだった。
「しかし、待ち伏せとは趣味が悪いね。薬で眠った私たちをここへ運んだら、君の仕事はおしまいだろう? 終わったら葉月の面倒を見ててくれないと……」
「だから話が違うっつってんだ。小野、お前、ハルに運ばれたんだぜ。シアター前で待ってたら、小野をおぶったハルが出てきたもんだから、びっくりしたっての。それから佐々井さんは今お手洗いだ」
「——は?」
深雪から、素っ頓狂な声が出た。
「話が違う。ハルが? ありえない。あれはハルに効くってことで先生からもらった薬。ハルが起きているはずがない! だよな、ハル。君は眠っただろう? 私は先に寝落ちしたから知らないけど!」
呆れた。
「深雪、それ全部聞いてない。説明してくれ」
深雪は笑って誤魔化そうとしたが、僕が繋いだ手を離そうとしたら、観念した。
「すまない、ハル! こうなるはずじゃなかったんだ!」
深雪は——それから共犯者の立夏も——すべてを話した。
ペットボトルの水に、みのりからもらった眠気の出る精神安定剤を混ぜていたこと。立夏が眠った僕を救護室へ運ぶ(ついでに深雪を回収する)予定だったこと。救護室に葉月を呼び出し、僕と葉月を二人きりにするはずだったこと。
「なのに、俺がお前らを回収する前に、お前が小野を救護室へ運び出しやがった」
「そしてフラれるはずだった私は、君の彼女になってしまった。フラれちゃえば、こんな信用を失うようなことをしても平気だ、ってつもりだったのにさ」
また呆れた。
「深雪さぁ」
ため息をつくように、僕は声を漏らした。
「もうちょっと自分を肯定しような。僕はそんなことで君を突き放したりしないから」
「でも、不安だったんだよぉ」
彼女は涙目で訴えた。らしくもない。
「犯罪まがいのことまでしてたしさあ……」
まあ、深雪の言うことももっともだ。普通は許さないし、怖いし、引くし、信用も失う。
「でも、佐々井さんのためだったわけだろ? だったら許すに決まってるじゃん。一年半も観察していて、そんなこともわからなかったのか?」
「そうは言うけど、不安なものは不安だっ——」
「はいおしまい! ちゃんちゃん! めでたしめでたし! 僕はすべてを許しました!」
強引に話を打ち切った。勢いに乗せられて、深雪は口をつぐんだ。
「次、立夏の件。僕が深雪を運び出したせいで、予定が狂ったって?」
「ああそうだ」
お前のせいだ、と言わんばかりに立夏は答えた。
そこで、僕は白々しく、こう言った。
「それ、見なかったことにしてくれないか?」
「はぁ?」と立夏は声を上げた。当然の反応だ。当然だから、気にせず続ける。
「身に覚えがないんだ。けど、反省してるしさ。とりあえずなにもなかったってことで」
「反省している人間の言葉じゃねぇな。ちゃんと説明しろや」
立夏が圧力をかけ始めてきたその時、深雪自ら僕の手を離れ、「ストップ」と立夏の前に立ち塞がった。
「そう責め立てるな、沖田。私を救護室に運んでくれただけだろ? なにも悪いことはしていないじゃないか」
「俺は説明をしろと言っているだけだ」
「言いたくないことを言わせる必要はないだろ」
立夏はまだなにか言い返そうとしていたが、やがてその緊張はため息として吐き出された。
「わかったよ。ハルの彼女様がそこまで言うんなら、これ以上はやらねぇよ」
それから、僕に向かって「いい彼女を持ちやがったな」と吐き捨てた。
それからは、また何事もなかったかのように、四人でグリーンシティを満喫した。ちょっとだけ、深雪からの接触が増えたが。
いろいろ楽しんだ中でも、やっぱり一番素敵だったのはプラネタリウムだ。朝の時点で深雪目をつけていたが、これが本当によかった。
初め、その巨大なドームの中は真っ暗だった。はぐれないようにか、葉月は僕と腕を触れさせていた。僕は反対の手で、深雪の手を握っていた。
パチン、とスポットライトが一つ点いた。僕たちよりずっと高く、柵で囲われた小さな足場に、一人のキャストがその光に照らされる。
「みなさん、こんにちは!」
はっきりと、そして丁寧に、一人一人に届くような発音でそのキャストは挨拶した。女性の声だった。観客の何人かが、「こんにちは」と返した。特に深雪はノリがよかった。僕もつられて「こんにちはー!」と声を張り上げた。
「元気のいい挨拶、ありがとうございます」
女性は言った。
「今回みなさんを幻想的な夜空の元へとご案内させていただきます、ガイドの天岸と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
遠目からではよく見えないが、女性は頭を深々と下げたようだった。
「さて」彼女は司会を進める。
「みなさんご存知の通り、ここは新宿。東京・都心の真っ只中。プラネタリウムの力をもってすれば東京の星空も見られるのですが、せっかく星を見るなら自然に囲まれたいというもの。そこで、みなさんには、軽く時空を超えていただきます」
そんな前置きの後、そのスタッフは指を鳴らした。
すると、スポットライトが切られ、代わりにドームのてっぺんに一つ、小さな星明かりのようなものが生まれた。ブワンという音とともに、その光は輪となって広がる。
光の輪が回転を始めた。窓一つないこの部屋に、風が吹く。
おや、とその風に気を取られていると、さらなる違和感が僕を襲った。床が回り始めたのだ。
「現在、私たちは百キロ以上の距離を超えようとしています。身体に負担がかかりますので、みなさんお互いを支え合って耐えてください」
嵐が吹き荒ぶような轟音の中、アナウンスが入る。
深雪、葉月、そして立夏にまでしがみつかれ、窮屈な思いをしながら、僕はワープが終わるのを待った。
星空が開けた。
床の回転は止まり、周りが見える程度にドーム内が明るくなる。突如出現した絶景に、僕と深雪は「素敵だ」と声を揃えた。「息ぴったり」と葉月が小さく笑う。
ドームの中は、まるで山の中だった。周囲には木が立ち並び、地面にはところどころ雑草とでも呼ぶべき草が生えている。真ん中辺りで寝袋を敷けば、野宿でもできそうな風景だ。屋内ながらかすかに風が吹き、木の葉をそよそよと揺らしている。鳥の鳴き声——特徴的なものだと、フクロウの声が聞こえた。
「ここは山梨と長野の間、八ヶ岳の山の中」
どこからともなく、あのキャストの声が響く。いつの間にか、彼女は僕たちと同じ地面に立っていた。
「現在時刻は午後八時。オリオンが山の向こうへ去りゆく頃ですね。プロキオン、シリウス、ベテルギウスからなる冬の大三角形も、山の向こうへ沈もうとしています」
赤いポインターが、西の空のひときわ明るい星をぐるぐると示す。
「代わって、南の空に大きく横たわるのはうみへび座。神話ではヒュドラにあたる星座ですね。うみへびというだけあって、非常に長い星座です」
ドームには、首のあたりをくるりと巻いた、長い蛇の絵が浮かび上がった。その絵が示す範囲には、さほど明るい星はなかった。
「このうみへび座なのですが、実はあまり明るい星座ではないんですね。二等星が一つ、あとは三等星かそれよりくらい星ばかり。東京で視認するのは難しいでしょう。ですが、この自然の中であれば観測できるのです。他の星もよく見えすぎて、星座を探すのはまた難しいのですけどね」
ごうっ、とマイクが息の音を拾った。自分で言いながら、軽く笑ってしまったのだろう。ここが笑いどころだったのか、と僕はちょっとおかしく思った。
蛇の絵が消え、今度はそれより左上、三つの星を結んだ三角形が示された。
「これは春の大三角形。夏と冬の大三角形に比べればあまり知られていませんが、春の星空では見どころの一つです。うしかい座のアルクトゥールス、おとめ座のスピカ、しし座のデネボラですね」
星空に男の絵、天使のような絵、ライオンの絵が浮かぶ。
「アルクトゥールス、スピカからさらに先へゆくと、からす座という星座があります。あまりわかりやすい星座ではありませんね。このカラス、カラスが黒い理由の神話に出てくるので、興味のある方は調べてみてください」
カラスの絵も現れた。北東から南の方にかけて、星空が賑やかになる。その賑やかな空に、一本の長い曲線が引かれた。
「さて、話が少々逸れました。春の星空には春の大三角形ともう一つ、春の大曲線というものがあるんですね。ひしゃくの柄からアルクトゥールス、スピカ、そしてからす座まで伸ばしたこのラインが春の大曲線です。からす座を含まない、とうい説もありますね。他にも、おとめ座のダイヤモンド、あるいは春のダイヤモンドと呼ばれるものもあるのですが——」
キャストが言いかけた時、地面が揺れ、照明が不自然に点滅し、星空にはノイズがかかった。ズズン、という不吉な音に、僕たちは思わず身を寄せ合った。
「——そろそろ、ここにとどまるのも限界のようです。まだプレオープンですから、正式なオープンまでには時空転移の性能もアップしていることでしょうから、その時には是非お越しください。あるいは、みなさんが現地へ足を運び、満天の星空を見上げるのもいいでしょう」
星空に大穴が開いた。風が巻き起こり、地面が回り始める。
「本日はご来場いただき、まことにありがとうございました。出口は入り口と同じです。時空転移が終わりましたら、足元に気をつけてご退場ください。これからも、グリーンシティで憩いのひとときをお過ごしください」
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