夢見た存在

1

 足取り軽やかに、葉月は僕の腕を引いて歩いた。華奢な体格から想像していたより、彼女の力は強かった。


 「ハルは最近どうなの? 高校生活とかさ」


「僕はあんまり変わらないよ。相変わらずだ」


「えー? 相変わらずってことはないでしょ。青春、謳歌してるんじゃないの?」


「どうだか」


 自分でもどうだかわからないので、うやむやに答えた。深雪や立夏と仲良くやっているのも一種の青春なんだろうが、きっと葉月が聞きたいのはそういう話じゃないだろう。


 「相変わらずだっていうなら、私に代わって、一人くらい仲良い人が増えててもおかしくないんじゃない? むしろ増えてなかったら、立夏君くらいしか友達いないでしょ」


「立夏だけってことはないよ」

僕は少しだけムキになって言った。

「文化祭で仲良くなった人だっているんだぞ? 神無木さんなんか、今もクラス同じだし」


「神無木さん……って誰だっけ?」


「クラスで作った映画、観ただろ? あれの置いていかれる女子の役を演じてたのが神無木さん。脚本とかスケジュール管理とか設営とかで関わってね、それから仲良くなったんだ」


 「ふぅん」

葉月は不服そうな顔をしていた。目を細めて、僕の顔を見つめる。

「女友達、ね。うまくやれてるの?」


「今じゃ話もできてない。クラスに馴染めたみたいで、彼女、他のクラスメイトたちと仲良くやってるよ」


 葉月はそれを聞くなり、「ああ、そう」と顔を背けてしまった。

「じゃあ、いよいよ立夏君だけじゃない」


「そんなことないって」

同じことを言わされた。


 「いるよ、友達。君の知らない人だから、言わなかっただけで」


「どんな人?」

葉月は素早く振り返った。関心の眼差しが、ブレずに僕を捉える。


 「小野深雪って女の子。正直、立夏よりも仲良い相手だ。クラスじゃいつもつるんでいるんだけど、この間はついに、僕の休日の散歩にまでついてきた」


「へえ、デートじゃん」

葉月は悪戯っぽく笑って、僕を指差した。


「そんなんじゃないよ。もっと気楽な、ただの散歩さ。小野はわざわざ電車で一時間くらいかけて来たみたいだけど」


 「好かれてるなぁ、ハル」

葉月は僕の腕をぐっと引き、顔を間近にして僕をからかった。


「僕も、流石に好かれ過ぎているような気もする」

僕は苦笑いを浮かべて、葉月に賛同した。


「だけど、悪い気はしないよ。彼女はいい人だ。素敵な感性を持っている」



 深雪の写真を見たい、と葉月がねだるので、僕はスマホのカメラロールから適当な写真を見せた。だいたいは去年の遠足で立夏が撮ってくれたやつだ。

 立夏は自ら遠足委員となり、遠足の実施場所をとある山に選んだ。以前、映画撮影で訪れたのと同じ山だ。立夏お得意の撮影スポットだからか、遠足の写真はどれも非常に写りがいい。


 「これこれ、この人が小野」

満面の笑みでピースサインを向けた深雪を、拡大してみせた。


「おお、けっこう美人さんじゃん。かわいいというより、イケメンって感じだけど」

葉月は、深雪の写真に興味津々だった。僕の腕から手を離し、スマホを取り上げてまじまじと見つめている。


 「あっ」

顔の辺りを見ていた葉月が、なにかに気付いたようだった。顔を上げて、僕に画面を見せてきた。


「耳に鉛筆乗っけてる。日曜大工みたい」


 「ああ、それか」

僕は葉月に説明する。

「その写真では持ってないけど、小野、よくスケッチブックになにか描いてるんだよ。耳にかけてるのは、それに使う鉛筆だ」


 「絵を、ねぇ。その子、どんな絵を描くの?」


「さあね」と僕は答える。

「見せてくれないんだよ、彼女。いっつも隠されちゃうんだ」


 「へえ」

それを聞いて、葉月はスマホに視線を戻した。


「……どっかで見た気がするんだよね」

ぽつりと、葉月が呟いた。


 「誰かに似てる?」


「そんな感じ。うーん……」

葉月は、深雪の顔を凝視する。


「どっかで会った?」


「それはない……と、思う。だって私、そんなに人と会わないから。本屋さんにも、お客さんあんまり来ないし」


 それから、彼女は思い出すのを諦めて、僕にスマホを返した。



 「小説」

僕はそう切り出した。

「まだ、書いてるんだね」


 「どうかな」

葉月は頷かなかった。

 「やっぱり、ダメかもしれない。私には、書けないのかもしれない。」


「おい、待てよ」

ぞくりと、背筋が凍るような気がした。

「どうして、そんなことを」


 「さっきの、読んだでしょ。全部じゃなくとも」

葉月は、顔を背けたまま言う。


「わかるよね。私の小説を知っているハルにならわかるよね。あれは違う。


 ああ、そうだ。

 あれに書かれた事柄にばかり衝撃を覚えていたけれど。

 、あの物語は。


 「思ったことを正直に言おう」

ためらいがあったが、僕は口を開いた。


「あれは、君の信念を元にした小説じゃないな? みんなが憧れるような青春——、それを書いているものじゃない。きっと、君自身のために書いた小説だ。君がそれを小説と認めないなら、たぶん、日記かなにかに近いものなんだろう」


 「そう」

葉月は呟いた。


「そうだ」

その声が、徐々に勢いを増す。


「そうだよ」

彼女は振り向いた。目を見開いて、口は裂けそうなほど大きく開いて。


「そうなんだよ。私はイフの日記を書いただけ。あれを書いただけなんだ。あれ以外なにも書けないんだ! もうあれしか書けないんだ! 自分を守れないんだ! あれを書いていないと、どうにかなっちゃいそうで! あれがないと生きられなかった!」


 頬に涙を伝わせて、葉月は叫んだ。

 辺りには誰もいなかった。気付けば住宅街を出て、僕たちは古びた公園にいた。


 「どうにかなっちゃいそうだった。大変だったんだよ、ずっと……」

葉月の表情は、追い詰められた者のそれだった。狂気の入り口に手が届きそうな顔だった。


 「でも——」


 でも——。


 「それでも生きていてよかった。今まで待っていてよかった。君にまた会えてよかった」


 そんな葉月が、たまらなく愛おしかった。

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