5

 「マジで? 泉先生、先生辞めたのかよ」


昼休みの廊下で、立夏は大げさにリアクションを取った。行き交う生徒が、いっせいに彼の方を見る。


 立夏は咳払いを一つして、真面目なトーンで言った。

「じゃあ、これからあの人のこと、なんて呼べばいいんだよ。泉氏?」


「親しみを込めての『みのりさん』、だってさ。フリーのカウンセラーになったから、人との距離を縮めたいらしい」


「フリーのカウンセラー、ねぇ。ハル、未だに佐々井さんのこと引きずってんだろ? カウンセリング受けてきたか?」


「余計なお世話だよ」

僕は顔をしかめて、立夏を小突いた。



 「お、なんの話してるんだ?」


「うおっ!?」


突然、深雪が僕の背中にに飛びかかってきた。彼女の腕が、後ろから僕の首を締める。不意の一撃に、僕と立夏は目を見合わせる。


 「昨日の話だよ、小野。みのりさんのこと」

深雪の腕を引き剥がしながら、僕は答えた。


 「ああ、ハル、そうだったな。小野とデートだったんだっけ? 佐々井さん一筋じゃないのか、お前?」


「デートじゃないし、小野が勝手についてきただけだ」


 僕が否定するのに重ねて、深雪が立夏の発言に食いつく。

「佐々井さんって、誰? ハルに彼女でもいたのか?」


「いんや、実らずに終わった恋、青春の遺産ってとこだな」


得意げに言う立夏を、僕は強めに小突いた。だが、深雪はお構いなしに話を続ける。


「片想いってところか。ハルのことだから、なかなか素敵な恋をしていたんだろうな。もっと聞かせてよ、沖田。いろいろ知ってるんだろう?」


両手で僕を牽制しながら、立夏は深雪に答える。


「夢見る男——いや、男らしくはなかったけど。ハルは夢を見ていた。こいつが惚れた相手は保健室登校でね、教室に顔を出すことはなかったんだ。だからハルは、佐々井さんのいる教室を妄想していた。本人同士の進展は、結局ほとんどなかったんじゃないか?」


 にやにやと笑う立夏の腹を目がけて、僕はとうとう拳を放った。


 「別に、それが悪いとか言ってるわけじゃないだろ」

立夏は拳をパシリと受け止め、にやけたままそう言った。


「事実を言っただけだよ。いずれ、深雪には話すことになるんだろうしさ」


 「そうそう、私はそういうの素敵だと思うよ? 空想と現実が交錯した白昼夢、ってね」

深雪が立夏に便乗する。


「正直、俺は呆れてるけどな。ヘタレのくせに、いつまでも引きずっててさ」

立夏の方はそう言って、ため息をついた。


 「へぇ。ハルのこと、そんな風に言うんだ。ハルの感性を悪く言うやつは許せないなぁ?」


立夏の言葉が、深雪の機嫌を損ねたらしい。今度は深雪が拳を構える。


 「ハルのことになると、すぐこれだ」

立夏は深雪の拳を、そっと下ろさせた。


「ハルへの崇拝もほどほどにしとけ、小野。思ってるほどすごいやつじゃないからな」


「私がどう思おうが自由だろう。いくら昔からハルを知ってるからって、君にとやかく言われたくはないな」



 立夏と深雪の間に、険悪な空気が漂う。お互いに不敵な笑みを浮かべているが、その腹の底は計り知れない。


 やがて、深雪はきびすを返し、僕の腕を引いてその場を立ち去った。その去り際、背後で立夏が「一途過ぎるのも、考えものだな」と呟くのが聞こえた。

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