天使オチバは飛べない

雨宮彼方

プロローグ 神のみぞ寝る


 八百万やおよろずよりはるか数多の平行世界の頭上に人々が描くのはいつだって、泉湧き出る純白の極楽である。しかし胸を弾ませ高揚する死人がまず目にするのは、黒光りが鈍い鉄の箱エレベーターだ。

 何やらオカシイと天へ昇れば、広がる景色はビルのひしめく見慣れた町並み。人間の世とこれほど大差のないものか、とがっくり肩を落とす輩も多かれど、住民票の出来上がる頃にはすっかり天国に馴染んでいるというのがお約束だ。


 ところで、この天の国にひしめくはビルや元人間のみではない。




 誰が言ったか、神のみぞ知る。

 とんでもない大法螺である。


 自称・全知全能神という崇高なヴェールの向こうでほくそ笑む最も偉大なジジイは、実のところはおおよそポンコツジジイでしかない。

 気まぐれにアンチエイジングに勤しむ老人は、怠惰で高慢で、そして困り果てるほど万能であった。


 そこで神は、己に代わり世界を知る有能且つ、権威は自身の小指の爪ほどにも及ばぬ部下を想像し、創造した。


 天使である。


 彼らは率先して生みの親を崇め、下界を這う人間に存在を知らしめた。そして後々の世が訪れる頃には、主の怠慢に愕然とした天使たちは揃って悔しさの余り親指の爪を噛み潰し、ストレスによる翼の十円禿げに悩むのだ。


 ところが、天使は怒り狂って尚、神の愚行ポンコツを人間に知られてはなるまいと思わざるを得なかった。


 創造時に組み込まれた、遺伝子プログラムである。


 やがて、淫らな袋とじに夢中な全知全能煩悩神の正体を隠すは人間界のみに留まらず、天使の間にも神の素顔を知るものは一握りとなった。

 これが現在の天の国。

 愚神の行いを人間たちにひた隠す彼らは、大天使と括られた。そして隠す彼らもまた、ヴェールを纏っている。存在こそ確実なれど、姿を見たものは誰もいない。


 はずである。




 大天使の足元にやっとこさ及ぶ者がいる。


 その他の天使である。


  生まれてこのかた「失敗」という言葉を知らぬ大天使と対極にうごめく、衆人モブども。天国において人口の過半数を占める彼らは働き、遊び、怒って泣く。

 先祖が神の愚行を危惧していたことなど露も知らぬ彼らは、給料の減額に肩を落とし、なけなしのへそくりを翼のケアに注ぎ込むのだ。




 天使の中に、神─正しくは大天使─より賜った書類に沿って下界に降臨し、人間の願いを叶える者がいる。


 御使みつかいである。


 安定した職を求め面接試験に合格した彼らは、特級の状況にある人間の願いを叶えてやるべく、神が気まぐれに創造した、無数の世界を飛び回る。


 特級の人間とは、戦乱の世において天下統一を成した、片親が猿だという中年。

 あるいは、運命に見放され聴覚を失った作曲家。

 はたまた、世界終焉のその日たった一人取り残された男。

 そして、その他諸々。


 ときどき目の前に現れた御使いを神と勘違いする輩もいるが、これといって訂正もしない。我こそは全知全能の神であると鼻息荒く高らかに謳った御使いが、大天使の千里眼によって発覚した失態を曝され、笑いものとなった天然物のコントは、ここ二百年の語り種である。




 神はこたつで丸くなり、大天使は数多の世界を知りながら天使たちを総べ、天使は歌え踊れの愚か者。

 誰が言ったか、神のみぞ知る。


 天使が汗を流し血を吐いても果てのないこの世は、神が知るには狭すぎる。


 全知全能の神はパンツ一丁でこう言い放ち、発泡酒の喉越しに感嘆を洩らした後に長い長い昼寝に邁進したのだった。

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