最終章 八月のファーストペンギン(後編)

 ――先天性色素欠乏症せんてんせいしきそけつぼうしょう


 生まれつき、メラニンと呼ばれる色素を体内で生合成できない遺伝子疾患だ。

 元来メラニンは、紫外線から体表面を守るために存在している。

 肌の色も、髪の色も、瞳の色も、メラニンにより様々な着色をなされるのだが……この遺伝子疾患を持った個体にはそれがない。


 そして、この通称アルビノとも呼ばれる遺伝子疾患を持って――私は生まれてきた。


 だから私には、『色』が存在しない。


 髪は白に近い金色で。

 皮膚は肌色とはほど遠い乳白色。

 そして瞳は、毛細血管の色が透過した淡紅色。


 一見した異常。

 おまけに、紫外線に対して極端に弱いので、かんかん照りの日中には外出できないし、日の沈みかけた夕方以降でも、外出の際は全身に日焼け止めを塗って対策して、サングラスも掛けなければならない。

 さらにはメラニンの有無は視力にも影響を及ぼすらしく、生まれつき視力は極端に悪い。


 だから普通ではない私は――自身にどうしようもない劣等感コンプレックスを抱えている。


 そんな私を綺麗だと、目の前の少女――夏姫さんはそう言った。

 不快感を顕わにする私に、夏姫さんはとても穏やかな口調で言う。


「気休めではありません、本心です。その髪も、肌も、瞳も――とても美しいです。もちろんそれらが、少し言い方は悪いかも知れませんが、病気によってもたらされているものであることは理解しています。そして、それによりはづきさんがとても苦労なさっていることも想像できます。ですが――それら諸問題とは関係なく、私はあなたを美しいと感じる……これは、不謹慎でいけない感情でしょうか?」

「――――」


 逆に問われ、私は閉口する。

 世の中には色々な考えがあるだろうが……少なくとも私は、夏姫さんの言葉が不謹慎でいけないものだとは思えない。


 何故なら私も――同じ感情を夏姫さんに抱いてしまっていたから。


 彼女が思い悩み、苦労してきた非女性的な外見を――好ましく、愛おしいものだと感じてしまった。

 普通ではない彼女に――恋をしてしまった。

 そうして私は――ようやく“答え”に至る。


 ――普通とは何か。


 それはきっと、ただ平均的であるということではなく、“なのだ、と。


 男は男らしく女は女らしく、といったささやかな理想から始まる緩やかな精神的束縛。

 自分は“普通”であるという虚栄、そしてその日常的なストレスがあるからこそ、“普通ではない”ものに対して嫌悪感を抱いてしまう。


 あらゆる人のあらゆる要素を平均化した“普通“という幻想。

 人は、“そうであるべき”という幻想により均一化された“普通”というイメージに――縛られる。

 完全に平均的な――“普通”の人間など存在しないというのに。


 だから私は――必要以上に美化された幻想に、ほだされていただけなのだ。

 平均を逸脱した“普通ではない”自分から目を背けたくて、“普通”という幻想に焦がれていた――。


 ただ――それだけのことだったのだ。


 突然目が覚めたように思考がクリアになる。

 雁字搦めに閉ざされていた心が突然解放されて。

 私は思わず涙を零す。


「は、はづきさん!?」


 夏姫さんが、さすがに慌てた様子で私に駆け寄ってくる。


「す、すみません! お気に障ったのであれば謝ります!」


 土下座せんばかりの勢いだったので、急いで止める。

 夏姫さんの服の肘のあたりを掴み、私は間近にその綺麗な顔を見上げる。

 それから小さく深呼吸。


 これまで私は、自分を“普通ではないもの”と扱い、それを免罪符として――色々なことから逃げてきた。

 普通とか普通ではないとか。

 そういうのはもうどうでも良い。


 ただ私は――臆病だったのだ。


 群れの中心でぬくぬくと温まるペンギンのように。

 無意識に現実から目を背けていた。

 でも――それではダメなのだ。


 それでは私は、もう一歩も前へ進めない。


 だから私は、勇気を出して現実に向かい合う。

 夏姫さんの目を真っ直ぐに見つめながら。

 ファーストペンギンのように――勇気を出して私は飛び込む。


「――あなたのことが好きです。もし良かったら、お付き合いしてください」


「――へ?」


 あまりにも脈絡のなさすぎる私の告白に――夏姫さんは頓狂な声を上げる。

 それからすぐにその言葉の意味を理解したのか、ゆっくりと顔を朱に染め上げていく。


「えっ、あ、あの、え、ちょ、ちょっと待ってください……! あ、頭が混乱して……!」

「夏姫さんのことが好きです。ものすごく好きです。ライクじゃなくてラブのほうで」

「わ、わかりましたからっ……! 少し落ち着くための時間をください……!」


 迫る私の肩に両手を置いて若干の距離を取りながら、夏姫さんは大きく一度深呼吸をする。


「……少しだけ落ち着きました。えっと……冗談とかからかっているとか、そういうのでは……?」

「ないです。本気です。本気のラブです」

「な、なんか急にイケイケになりましたけど……ど、どうしたんです、突然……?」


 夏姫さんの疑問ももっともだ。

 会話の流れから考えれば私はただの情緒不安定な三十路でしかない。

 私は夏姫さんに、これまで自分が悩んでいたこと、そしてその答えを今見つけたことをたどたどしく説明する。

 すべての説明を聞き終えてから、夏姫さんは、なるほど、と一度呟き、優しく微笑んだ。


「――ともあれ、はづきさんが元気になられたようで良かったです」


 それから佇まいを直し、コホン、とわざとらしく咳払いをして続ける。


「えっと……それで告白のほうのお返事ですが……」


 ドクン、と心臓がひときわ大きく高鳴る。

 耐精神的ショックに身構える私に、夏姫さんははにかんで告げた。


「――――」


     □■□■


 ――さて、唐突ではあるが私の初恋の物語はここまでだ。


 私の初恋が成就したのか、あるいは無残にも散ってしまったのか。

 そのあたりの判断は、読者諸兄の想像にお任せするが――いずれにせよ些末事だ。

 重要なのは結果ではなく、それにいたる過程である。

 ただ、ひとつ。この一件から学んだ普遍的な真理があるとするならば。


 恋をするのに資格なんていらない、ということだ。


 結果はさておき、その過程が楽しいかどうかも捨て置き。

 普通だろうと普通ではなかろうと。

 アルビノだろうとイケメン美少女だろうと。

 すべての人にその権利がある。


 だから勇気を出して、恐れることなく恋をするといい。


 ただし、三十路付近で初めての恋をすると、アイデンティティ崩壊の恐れがあるから要注意だ。

 できれば、若いうちに初恋は済ませておこう。


 最後に少しだけ、その後のことをお伝えしよう。


 あのあと――ほぼ手付かずだった原稿は、締め切りまえの二週間で何とか書き上げられた。

 つらすぎて泣きながら書いていたが、その都度、誰かさんに慰めてもらっていたので、そういう意味では楽しかったとも言える。


 まあ、しかし案の定というか、やはりそれでも私の本は売れなくて――。


 八月の三十路ファーストペンギンは。

 懲りもせず、純喫茶ラヴィアンローズで、特製極甘カフェラテを啜りながら、今日もまた新たな進まない原稿に苦しんでいる。

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八月のファーストペンギン 紺野天龍 @tenryu_konno

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