自分を自分だと思いこんでいる自分
あれは、奇妙だった。
定年退職を迎えて早一ヶ月になるが、自分の長かった刑事人生の中でも、未だに腑に落ちない事件…いや、事件性はないと判断されたが…
六年ほど前か。
その日は珍しく関東地方を大雪が襲い、交通機関が大混乱していたと記憶している。
とある、失踪事件が起きた。
事情聴取に赴き、家族に面会した際、驚いた。
手元にある失踪者の顔写真と、全く同じ顔が、そこにあったからだ。
失踪したのは、一卵性双生児の姉妹の、姉の方。
届け出たのは妹。
幼い頃に両親が離婚し、別々に育てられたが、高校進学の折、同じ高校を受験し、同じ寮に入る。それ以来両親とは離縁し、音信不通。同じバイト先で働いてお金をため、同じ大学に進学し、二人で支え合って暮らしていた矢先のことだったそうだ。
二十歳の誕生日を迎えてすぐ、姉が書き置きを残して失踪した。
一時は事件事故の両面から捜査を行ったが、全く足取りがつかめなかった。監視カメラにもそれらしき人物の姿は発見できず、目撃証言もない。
結局、書き置きを根拠として、事件性はなく、自発的に蒸発したのだ、という雰囲気のまま、本件はなんの進展もなく埋もれていった。
腑に落ちない。
姉妹は、一卵性双生児だ。
他人から見たら見分けがつかないほどによく似ていた。
髪型も服装も、まるで二人がそう示し合わせたかのように…
つまり、本当のところはどちらがどちらかを、我々警察は判断できなかったのだ。
書き置きを書いたのはどちらか。
失踪したのはどちらか。
あの日、事情聴取に応じたのは、どちらか。
もし仮に、あの日妹だと名乗ったのは姉の方で。
書き置きを書いたのは姉の方で。
自分が妹に成り代わろうとしたのなら…
無論、なんの証拠もない。ただの下衆の勘繰りだ。
定年間際、どうにも腑に落ちない事件は後を立たなかった。
曰く、自分は転生してこの世界にやってきて、自らは万能であると吹聴し、詐欺を働いたもの。
曰く、この世界は演劇の世界であると主張し、台本によると自分が殺されることになっているため、その筋書きをひっくり返すために見知らぬ第三者を殺害したもの。
このような事件を「第四の壁」になぞらえ、インターネットに「まとめサイト」なるものが作られているらしい。当初はただの野次馬だと嫌悪していたが、定年してからこっち、改めてそのサイトを見てみると、多数の有志が様々な考察を重ねており、なかなかに興味深いものだった。
そして…その中に、見つけてしまったのだ。
この不可解な事件を。
失踪した一卵性双生児の片割れ。残された妹。
だが、その妹の言動が不可解である。
本当のところ、彼女は一体どっちなのか?
そうだ。
なぜ私が彼女に疑いを持ったのか。
「…それで、昨日の夜のお話を伺いたいのですが…」
「…はい、昨日はたしか、19時43分に帰宅しました。その後20時1分に姉が帰宅しまして。20時38分に一緒に夕食を取りました。献立は豚肉の生姜焼きとキャベツサラダにご飯とお味噌汁。その後21時42分に私がお風呂に入り、姉はその後22時28分に入浴して、就寝したのは23時56分だったかと…」
「…ええと…その時間は、正確ですか?」
「…時計を見ていたので、間違いないかと…」
詳しすぎる。
「お姉さんの服装について心当たりありませんかね?お気に入りだった服がないとか…」
「はい、なくなっているのはいつも着ていた白いコートに、〇〇のベージュのカーディガン、○○のブラウスと〇〇のスカート、タイツは黒で、下着は〇〇のピンク色の上下です。」
「…あー、その…」
「私達は基本おそろいの服だったので、間違いないかと…」
詳しすぎる。
彼女は、姉のことに詳しすぎる。
これが、私が彼女は妹になりすました姉なのではないかという疑いを持ったきっかけだ。
自分のことなら、食事の内容や下着の種類だって把握できる。
だが…それにもまして奇妙なのは、自分のことに対してであっても、詳しすぎることだ。時刻は分単位で正確に即答し、数日前の服装や出来事についても彼女は詳細に答えてみせた。
逆に…他人が観察しているからこそ、把握できることもあるのかしらん。
そんなことを、思い出しつつ読み進める。
有志の考察に曰く、彼女が姉妹双方の情報に詳しすぎるのは、「台本」を読めたからではないか。そして、その台本の内容を覆すために、何かのアクションを起こした。
ただし、その台本の内容は不明。
『KTS: もし仮に台本を覆すためのアクションを起こしたのだとして…今の状態は、台本が覆された状態だということでしょうか?』
『四壁シン: 台本の内容が当事者にとって有益かどうかによるのではないでしょうか。もし有益な内容であれば、あえてそのとおりに動く可能性もあります。』
『アッコ先生: そもそも台本の通りかどうかは、誰が判断するんでしょう?監督でもいるのかな?』
『四壁シン: それはわかりませんが…でも台本通りでないからといって、誰かが咎めるわけでもなさそうですね。過去の事例でも、台本が覆されて、台本の最後に到達しても、覆ったままでした。』
『ユリユリ: 台本がチェックされているわけではないから、台本に書かれていた結末と現実が食い違っても、修正はされないということですか?』
『四壁シン: 例えば、このID-016のT4W案件ですけど、登場人物が死亡するという台本だったらしいのですが、その事件自体が消滅して全員生きてます。』
『KTS: では、永久に台本を欺く行動を取り続ける必要はない、のでしょうか?』
ここで、何か奇妙な違和感。
この「KTS」という有志の書き込みの内容。
この人は、まるで何かにすがりつくかのように、
自分の行動の是非を確かめるかのように、
台本への抵抗の仕方を求めているような。
『KTS: 助けてください。私はいつまで台本を裏切ればいいのでしょうか?』
これは、間違いなく本人ではないだろうか…?
無理は承知であった。
この「四壁シン」という管理者に仲介を頼み、なんとかこの「KTS」とコンタクトをとれないだろうか。
なんどかのやり取りの末、向こうが私のことをはっきりと覚えていたことが決め手となった。
やはり、KTSは「妹」だった。
私が何年何月何日の何時に家を訪れ、どのような会話をしたかを四壁さんに正確に説明してみせたらしい。
『あの刑事さんになら、打ち明けても構いません。』
彼女の希望もあり、四壁さんと私は、連れ立って彼女の家へと赴くこととなった。最寄り駅で待ち合わせ、あの日を思い起こさせる寒空の下を歩く。
「四壁さん、ずいぶんと若い方で驚きましたよ。学生さんですか?」
「ええ…あまり褒められた趣味ではないと思っていますけれど。
刑事さんは、どうしてこういうことに興味を持たれたんですか?」
「いやいや、私はもう元刑事です…
この事件は妙に引っかかるものがあったので、ずっと気にしていたんです…」
程なく、6年前と同じアパートにたどり着いた。
「はじめまして。四壁シンと申します。はい、ありがとうございます。」
オートロックを抜け、あの日と同じ部屋へ。
あの日のように、チャイムをならす。
ドアが開き、あの日から少し大人びた女性の顔が現れる。
「…どうも、お久しぶりです…刑事さん…その切は大変親身になって相談に乗っていただいて。今でも感謝しております。」
「いや、もう私は定年退職しまして。今日も捜査ではなく、ただの興味に過ぎないんだが…」
あの日も、今日のように少し憔悴した様子だったか。
この6年間を、どのような気持ちで過ごしてきたのだろうか。
「では、早速ですけど本題に入りますね。」
四壁さんが話を仕切り始める。
「まず確認なんですけど。あなた、台本を知っているんですよね?」
「はい。20歳の誕生日に双子の姉が死ぬという台本を、私達は幼い頃から知っていました。」
なんだって?
「どうやって台本を知ったのですか?」
「わかりません。生まれつきでしたから。私達は、生まれてから20歳の誕生日を迎えるまでの出来事を、なんとなく把握していました。」
「でも、台本のとおりにしていたわけではないですよね?そのままにしておけば、お姉さんが死んでしまうのだから。お姉さんを死なせないために、あなた達は抵抗を試みたはず。」
「…その…」
彼女の顔が一層曇る。
思い起こすと、あのときの彼女は冷静にすべての質問に即答で返していた。
今は、言いよどんでいる。どういうことだろうか。
「それを言うことで、自分が台本のとおりにしていないことがばれることをおそれているんですよね?」
…どういう、ことだ?
「…はい…」
「大丈夫です。台本のとおりでないことを咎めるものはいません。そのことで今からお姉さんが死んでしまうことはないはずですよ。」
そうか。
彼女は台本に背くために行動を続けている。
それは、台本に背いたことで罰を受けることを恐れているのだ。
まるで、時効を待つ犯罪者のように。
これが、私の心に引っかかり続けたものの正体だったか。
「ですから…」
後は、真実を知るだけだ。
「ですから、ぜひお二人のお話を伺いたいのですが。」
お二人?
彼女の寝室の扉が、音もなく開く。
私は目を疑った。
そこには、最初から「姉」がいたのだ。「妹」と、何から何まで瓜二つの…
「…もうこれ以上、隠す必要はないんですね…」
安心しきった様子で、姉妹は向かい合って、体を寄せ合う。
まるで、鏡に向き合うかのようだ。
事の顛末は、こうだ。
「私達は姉が死ぬ運命に抗う方法を考えました。姉が死ぬ結末で終わる台本があるのなら、姉が死んだと見せかけて、ふたりとも生き残る続きを書けば良いと。」
元々の台本は、姉が死んだところで終わり、内容の細かさも大体のあらすじが分かる程度のものだったらしい。
そこで、台本にアレンジを加え、一見台本に沿っているようで、実は台本の結末の先にどんでん返しがある。
そんなシナリオを、姉妹で必死に考え、暗記したのだそうだ。
暗記。あの異常なまでの記憶力はそれだったのか。
「結末として、姉の死を偽装することを考えました。私達は瓜二つでしたから、同じ服装をして、同じように振る舞えば周囲からはどちらがどちらかを見分けることができません。」
「そうすれば、どちらが姉でどちらが妹にもなれる。姉が死んだことにして、半分ずつ妹として生きることを考えました。」
つまり…今の彼女は、どちらも「妹」なのだ。
日替わりで外出する担当を決め、その日に起きたすべての出来事を共有する。
そうすることで、周囲からは一人の人間として認識される。
だが、それがいつまでも破綻なく続くとは思えない。
「一番困ったのは、生活費です…死んだことになっていても、生きている以上食事は必要ですし。」
「二人分の生活費を賄うために必死になって働きました。」
そんな思いをしてまで、見えない存在の懲罰を恐れ、生き抜いてきたのか。
「でも、これで今日からは隠す必要もないんだし、良かったんじゃあないかな。」
私はすっかり腑に落ちて、この場を締めようとした。
姉の死を社会的に偽装するのが困難であったため、失踪したという虚偽の届け出をだしたらしく、この件のお咎めはなんらかあるかもしれないが…
何にせよ、ふたりとも生きているのだ。めでたしめでたしだ。
一方で四壁さんはいかにも腑に落ちないという顔を続けている。
「…最後にひとつ、いいですか?」
姉妹は揃って全く同じタイミングでうなずく。
「今、どちらがどちらか、把握されてますか?」
何?
「…それが…」
「あまり、気にしてこなかったせいか…忘れてしまいました…」
周囲どころか、自分達にもわからなくなってしまったのか?
「いえ、忘れたというよりも、半分ずつ生きると決めたときから、私達はお互いがお互いのコピーとして振る舞い続けていましたから。」
「そのときに、姉妹とは別の、もうひとりの私になってしまったのだと…」
なんとも後味の悪い気分で、姉妹の家を後にした。
結局、この事件は私の胸に言い様のないやるせなさを残した。
台本を信じ、台本を必死に欺いた姉妹は。
姉の死という結末を回避したが、結果として姉妹としてのアイデンティティを失ってしまった。
それは果たして、彼女たちにとって、望ましい結末なのだろうか?
あの日のように、雪が降り始めた。
The 4th Wall .com 濱矢 裕@はんぷ亭 @dr_hiro_humpty
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