(2-1)÷2=0.5
どれくらい眠ったか、目を開けるのが怖い。夏の朝、既に明るさの気配があった。
いや、たとえ最中だったとしてもまたあたしは目を瞑る。何度でも瞑る。行為が終わってそそくさと何事もなかったように整えるまで、あたしは二人のためにいつまでも狸寝入りをするつもりだ。
薄ら細く、瞼を挙げてみる。
うわっ。
文字通りの目と鼻の先の距離に、髭の出てきた桔平の寝顔がどーんと横たわっている。
少しだけ首を起こして見るとベッドがこんもり1人分盛り上がっている。サッちゃんの小さな顔が半分出て静かに眠っているのが見える。サッちゃんのきよらかで安らかな寝顔が、地球の重力のようにあたしを安堵させた。
(冴子、起きた)
桔平が目を閉じたまま、あたしの耳元で
返事のかわりに、あたしは桔平の方に寝返りからだを向けた。桔平は酒くさい息で
(酔っぱらいが、起きた……)
などと言葉で軽くいじめながら猫を抱くみたいにからだを抱きしめてくる。
(やっ、なにすん……、ん……っ)
あたしと桔平は、寝てるサッちゃんを絶えず気にしながらタオルケットに隠れ、音を立てないようにおおよそ中程度にいちゃついた。
何となくそれであたしはごまかされたというか、その時は気が済んだというか、満ちたりてしまったような気がする。
あたしは二日酔いのふりをしてあまりしゃべらずに朝食を取り、サッちゃんを乗せて家に帰る。
サッちゃんは疲れたのか怒っているのか、車内でずっと無言だった。あたしも気まずくなり「ごめん、流石に飲みすぎた」と言ったきり、あとは黙っていた。
*
あれから、サッちゃんの様子が変だ。
ボーっとしていたり、かと思えば散歩に出るようになったり、服を買いにいったり。今まであまり読まなかった同年代女性のエッセイ本を読んだり。プチプラコスメが増えて薄くメイクをする日があったり。あたしに対して態度が変わったわけではないけれど、エネルギーの、ベクトルのようなものの、風向きが変わったと肌でわかった。
桔平の家でうまれたちいさな猜疑は、翌朝の展開により杞憂だったと、どこか安心してしまっていた。
でも——何もなかったわけではなかったんた。やっぱり。
少なくともサッちゃんの中では。
フェイスブック上での桔平とサッちゃんの会話がわずかに変わった。たびたび話が飛んだり、会話が途中で終わるようになる。前は、単語やノリはわからなかったけれど前後はつながっていたし、「?」で終わるコメントに返事がなく止まるなど、これまでの二人には考えられない。
十中八九、別のチャンネルが二人の間に開設されたのだと思う。
均衡を揺らした
*
桔平は変わらずあたしに優しく性欲旺盛でみんなに人当たりが良かった。
会わない時間に考えてしまう。桔平は、どうしてあたしなんだろう。すぐ抱けるからかな、車で来てくれるからかな。ほかの理由が思い当たらない。桔平ははたしてあたしという人間とかあたしという人間が考えることとか好きなものだとかに少しでも何か興味をもってくれているんだろうか。
価値観だとか核みたいなものを、自分の手をよごして育てることに手を抜いて、憧れを取り入れてばかりのあたしはないものねだりをしている。からっぽなくせにあたしの中身に桔平が友人以上に関心を持っていてくれたらなどと思っている。つくづくばかだしあさはかだ。ばかであさはかでからっぽでコンテンツたりえないあたし。だからあたしには灯籠流しのようなツイッターが落ち着く。健康と車しかもたないあたしは、姉への運び屋と桔平へのデリヘルがよく似合う。
それはかさぶたを剥くようなことだった。
20代前半に出会った、あたしごと揺さぶり、細胞に刷り込まれ、脳裏が勝手にエンドレス再生を始めてしまう歌を歌う、あのバンド。ドラマの主題歌になったことをきっかけに今は超メジャーな存在になってしまったあのバンドの、ドームツアーチケットを2枚確保した。15600円、あたしにとって決して安くはない金額だ。やっと繋がった電話の勢いで、約束もないのに2枚で予約してしまった。桔平がダメならサッちゃんを招待すればと最初は軽く考えていた。
だが、ここのところサッちゃんの調子があまり良くなかった。精密検査の関係でまた入院することになり、ライブの日はサッちゃんは病院の中だった。
桔平に断られたら当てがない。あたしは重くならないよう上辺はかあるく、ほんとうは絶対来てと祈りをこめながら、桔平を初めて「あたしが好きな」バンドのライブに誘った。
「ああ〜そういえばあんな有名なのに俺一回も行ったことないな」
「来れたらでいいよ」
——うそ、絶対来て。
「高校ん時のダチが来るとか来ないとか言ってたけど連絡ないし、たぶんその日空いてるわ」
「良かった、嬉しい。でももしアレだったら無理しなくていいから」
切実な時も遠慮が抜けない癖が恨めしい。しかもアレって何、おばさんか。
桔平、お願い、無理してでも来て。
いつもみたいにあたしが寄せるのでなく、この日だけは桔平があたしに寄せてきて。
言葉とは裏腹に、理不尽なほど願いは切実さを増してくるのが、わかった。
当日、桔平からLINEが入った。
「ごめん、高校の時のダチがうちに来た」
「ライブ行けない 泣」
土下座するコミカルなスタンプ。
となりの空席を眺めながら、あたしは思う。
悲しいほど、あたしらしい——
あたしは一対一の対等な関係にはなれない。それでいいってあたし自身が言ってしまう。
姉には運び屋。桔平にはデリヘル——は流石に言い過ぎか。ともかく、あたしが一方的に合わせて成立する関係。あたしの「存在」ではなく、「すること」で釣り合う関係。
一対一になるためには、あたしに中身がなければならないんだ。わかってる。涙が出てきた。良かった、ライブで。曲で感動してることにできる。
空席のそのまたとなりの女性の見る目が、ひたすら涙を押さえるあたしにとても優しかった。曲が終わると、彼女が3歳くらいの女の子を膝に乗せていたことに気づいた。
「友達が急に来れなくなったんです——よかったら、どうぞ」
あたしは、空席をその小さな女の子に譲って座ってもらうことにした。
「ありがとうございます」優しそうなその女性は、何度もお礼を言った。女の子の笑顔も可愛らしかった。冷えた心が、少し温まった。
そうだ。あたしはバナナを1本食べるより、敢えてはんぶんこしてきたんだ。
サッちゃんと目を合わせて微笑み合うあの瞬間は、小さい時のあたしには胸に火が灯るような宝物だった。
はんぶんこしなければ、生まれないものだった。
悲観しなくていい。良くも悪くも、あたしには、1プラス1までは要らない。そういう運命だったんだ——そう考えれば、フェイスブックより匿名のツイッターが肌に合うのもそういうことかと納得がいく。
一連のことが、苦い味がしながらもするりと飲み込めた。
大好きなバンドが、キラーチューンを鳴らす。
血が掻き立てられ、あたしは立ち上がる。数万の聴衆が揃って腕を振り上げる応援の中、歌に焚きつけられ、細胞が、躍る。
「離陸せよ!離陸せよ!」かけあいで数万人が大合唱する。
離陸するんだ。いま、跳ぶんだ。
あたしは数万人の後押しを受け、憑かれたようにドームを後にしてサッちゃんの病院に向かった。
あたしに1プラス1までは必要ない。
あたしの腎臓を半分、サッちゃんにあげよう。
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