1+1+1=3
姉は退院直後が一番元気だ。血は綺麗だし、院内リハビリで鍛えて体力は戻っているし、何より毎回「シャバに出る」解放感がたまらない、と言う。あたしは入院したことないけれど、そんなものなのかな。
姉の退院祝いに、低タンパク低カリウム低リン低塩食をアレンジしてくれる、馴染みのフレンチレストランを予約した。特別ゲストに桔平も呼んでいる。あたしの好きな人を集めて、なんだかあたしのお祝いみたいで悪いような気がする。
姉は、外食もあたしの彼氏に会うのも楽しみにしていた。当日は、し慣れないお化粧をうっすらする。それだけで素材美に磨きがかかる。これだから得だよな美人は。
あたしはコントロールカラーにファンデにアイラインにマスカラに眉マスカラにチークにと丹念に仕上げていく。造りこまれた化粧顔があたしには似合う。素材より技術。あたしはずるい。細かいところに手をかけた方が写真写りに結果が出ることを知っている。化粧にはちょっとした腕の覚えがあった。微妙なコンプレックスの賜物だ。
「写真以上の美人姉妹っスねえ。いや、なんか意味もなく緊張してきました」
桔平はそつのない褒め言葉で、ドレスアップしたあたし達に応える。桔平の服装センスも文句なし。絶妙の外し具合に、きちんと感が備わっている。あたしは少し、誇らしい気持ちになった。
姉のアンテナを桔平もすぐキャッチしたらしく話はあっという間に趣味の深みへ——これが、いわゆる沼ってやつだろうか。ちょっと意味が違うかもしれないけど。
それにしてもまあまあ出るわ、出るわ。あたしが見たことも聞いたことも触れたこともないような無数の引き出しを、二人とも持っている。お互いのたくさんの引き出しを姉と桔平はここもか、これもか、これもなのか、と時間を忘れ夢中になって引き出しあっていた。
こうなるのはわかっていたと思う。どこかでわかっていて、あたしは桔平と姉を引き合わせたんだ。そう、予定調和だ。あたしは余裕をかまして微笑む。姉のこんな顔、桔平のこんな顔、どっちも見たことない。あたしは、あたしの大好きな二人が、あたしの目の前で楽しいと思ってくれていることが、今嬉しい。心からそう思っているんだ。こういうときに置いてけぼりにしたと思わせない応答術も、あたしはもう熟知している。そう、あたしは、大人だから。
サッちゃんを置いてけぼりにして、あたしは大人になってしまったのだから。
*
姉と桔平は退院祝いの食事を機に、フェイスブックで友達登録をしあったようで、時々やりとりするようになった。
二人とも、別にあたしに隠し立てしないし隠し立てするような内容でもない。ただ、話の内容が高度すぎてあたしにはわからないだけだ。わかるのは敬語は崩さないけど、笑 とか絵文字が増えてきて仲が良くなってきている、ということだ。
サッちゃんは、もうあたしのブレーンでも半身でもなかった。SNSで、高階幸子という一人の女性として、桔平と1対1の友人関係を作りつつあった。
*
桔平とあたしは、相変わらず仲良しだ。それは、願望とか
あたしと桔平は一緒の経験を重ねる方向で仲良くなった。桔平をエクストレイルの助手席に乗せてあちこち出かけるのは楽しかった。桔平の方が珍しいもの面白いものを知っていて、あたしは桔平に合わせていくことが多かったが、不満はなかった。むしろ守備範囲にない見聞を広げてもらえるし、好きな人の好きな世界に近づけるような気がした。
同じ時を重ねてだいぶ、桔平と同じ空気を呼吸できるようになってきた気がする。あたしは、それが一番嬉しかった。
平穏な日々だった。
いや、そんなわけはない。
この平穏を、平衡を、あたしはどこかで何か不自然だと思っていたのかもしれない。不自然におだやかな水面に、
発端はあたしだ。
「サッちゃん。今度の土曜、桔平休みなんだって。 晩御飯作りに行こうかなって思ってるんだけど、一緒にサッちゃんも来ない?」
「えーっ、いいよいいよ。せっかくのデートのお邪魔しちゃ悪いし」
「あたしはいつでも行けるからいいの! あたしの休みとサッちゃんの透析明けと桔平の休みが重なるのって、奇跡だよ? サッちゃん今割と元気だから、一緒に車で行って、一緒に腎臓病ディナー作って、一緒に食べようよ」
「……ありがと。そだね、元気な時ぐらい、自分から友達に会いに行かないとね」
そういえば姉は、会いに行くより断然訪問や見舞いを受ける方が多い。それはもう当たり前のこととして麻痺していたけれど、姉のその言葉で、姉は姉なりにずっと気にかけていたとわかった。
エクストレイルに食材とお酒とお茶を一杯積み込んで、助手席に姉を乗せ、あたしは桔平のアパートまでひた走る。
チャイムを鳴らすと、いつも通り、ヘンな服を着た桔平が出迎える。
「えっ。さ、幸子さんも一緒?!」
「あれ、言わなかったっけ」
「うわあ大変だ、ちょっと待ってて!」
ばたばたと部屋を片付ける音がする。掃除機をかけ、あげくにトイレまで掃除してる。もう、あたしだけだったら絶対にしないくせに。サッちゃんは、なんだか楽しそうに笑ってる。ヘンなおもちゃを桔平が踏んだらしく「プギィ」とヘンな音がした。サッちゃんが、腹抱えて笑ってる。最近見たことない顔で、笑ってる。
「腎臓病ディナー、っスかぁ……」
桔平はネーミングと、そら豆型に成型した手ごねハンバーグというあたし達のブラック加減に食欲がいまいちそそられないようだった。
「え、美味しいよね? 冴子」
「うん、うちらよく作るよね」
「食べて腎臓病に負けないようにしないとねー」
「ねー」
桔平がぽんと膝を叩く。
「ああー、野球でヤクルト戦にヤクルト飲むとか、日本ハム戦にハム食べるとか、ひょっとしてその手のことスか?」
「そうそう、そういうこと」あたし達は二人でニヤニヤした。
「よし、俺も食べて応援します。フレー、フレー、さ、ち、こ!」
あたしも言う。
「フレー、フレー、さ、ち、こ!」
サッちゃんが、笑ってる。笑った目が、ちょっと潤んでる。
「ありがと。……さ、食べましょ」
せーの。
「いただきまーす!」
3人の夕食はほんとうに楽しかった。サッちゃんは何度も「腹痛い〜〜」「もう笑わせないで! 笑わせるの禁止! ドクターストップ!」って笑ってたし。桔平が人を選ばず仲良くできる人で、底抜けにおもしろい人で、とてもとても助かった。
サッちゃんと桔平は、やはり趣味の話になるとどうしても、あたしのわからないところへ深く潜っていった。予想通りだ。
あたしは、機嫌よくウォッカにジン、ウイスキーに日本酒と強いお酒をカプカプ飲んだ。まあよく飲んだ。気持ち良かった。陽気なままだった。
浮かれて座布団を枕にゴロゴロしてたら、サッちゃんがやっと気づいた。
「冴子、今日、車——」
かまわなかった。楽しい気持ちを保ったまま、そのままあたしは泥のように眠ってしまうつもりだった。
サッちゃんの声が聞こえないふりで目を瞑りながら、ふわふわと酔った頭に浮かんだことを考える。
どうして、桔平は、あたしなんだろう?
サッちゃんじゃなくて、あたしなんだろう?
あたしが先に出会ったから?
出会ったのは、あたしが健康で出歩けるから。
それだけ?
それだけ、と言われれば、それだけのような気もする。
桔平。好きなことを好きなだけ分かち合える人がいいなら、それはあたしじゃない。
あたしと居て、ほんとうはつまんないんじゃないのかな。
サッちゃん、桔平。もしお互いが友達以上に好きになりそうなら——
サッちゃんが、桔平のことを好きになりかけているなら——
サッちゃんなら、あたしは許せるかもしれない。
そう。あたしたちは。
昔から、バナナをはんぶんこしてきたのだから——
そんな蓮っ葉なことを思いながら、あたしは深い深い眠りの底へと堕ちていった。
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