第10話 再生 3

────16年前 カルサナス都市国家連合南西・城塞都市テーベ 南正門前 18:51 AM



「何度言ったら分かるんだ!!この都市を含め、カルサナス全域は現在封鎖されている!旅行者の立ち入りは一切認められない!!」


「こちらこそ何度言ったら分かる。俺達は冒険者だ、一晩宿に泊まれればばそれでいい。街に入れてくれ」


 高さ8メートルはあろうかという頑丈な鉄柵が降ろされた城門の前で、ミドルアーマーにロングスピアを装備した衛兵らしき門番と、フード付きマントを被った黒ずくめの3人が押し問答を繰り返していた。


「どんな理由があろうと街に入れるわけにはいかん!」


「....絶望、悲しみ。その感情がお前の中を満たし、それ故にお前は今、他所者である俺達の為を思って必死で止めてくれている。そうだな?」


「なっ...何故それを?」


 自分の心中をズバリ当てられた門番は、目の前に立つ美しい女性の赤い瞳に吸い込まれそうになっていた。そしてその女性は、首にかけられたクローム色のプレートを門番に掲げ、懐から羊皮紙のスクロールを取り出した。


「これが分かる?」


「そ、それはアダマンタイトプレート?!」


「そうだ。そしてこれが冒険者組合から正式に発行された依頼書だ、見てみるといい」


「...拝見させていただきます。”カルサナス都市国家連合・べバード冒険者組合より緊急救援要請、北東の湾岸都市カルバラーム近郊の海岸にて、未確認モンスターの目撃情報あり。これを捜索発見の後に、敵性モンスターと確認した際は速やかにこれを殲滅・駆除し、港湾の安全確保を持って任務完了とする。尚一般市民に不要の混乱を与えぬよう、本作戦は極秘裡に進めるものとする。──エ・ランテル冒険者ギルド組合長、プルトン・アインザック──」


 スクロールに書かれた言葉を口に出して読み終わった門番は、目を上げて再び女性の顔を見た。先程は口論をしていたせいで厳しい顔つきだったが、今はまるで自分を安心させるかのような優しい目で、微笑を湛えている。


「怪しいものじゃない。俺達はそこに書かれたモンスターを倒すと同時に、カルバラームに住む古い友人にも会いに来ただけなんだ。イフィオン・オルレンディオというんだが、彼女は元気でいるかい?」


「イフィオン都市長とお知り合いなのですか?!...あの方でしたら、現在はべバードに滞在中のはずですが」


「そうか。...何があった?事情を話してくれないか。俺も本当ならこんな事はしたくないんだが、君が頑なに心を閉ざしているせいで、魔法ではこれ以上君の考えが読めない」


「魔法を...なるほどそれでですか。納得が行きました。しかしいくらあなた達がアダマンタイト級冒険者と言えども、こればかりは都市長の許可がなければ...」


「この国で異常事態が起きている事は分かった。俺もカルサナスとは縁がない訳じゃない。場合によっては、この依頼を後回しにしてもいいとさえ思っている。何か助けになれるかもしれない、取り次いではもらえないだろうか」


 門番は自分よりも背が低く、華奢な美しい女性の真剣な眼差しを見て、小さく頷いた。


「...分かりました、そこまで仰るのなら。今すぐ確認を取ってきますので、この証書はお預かりしてもよろしいでしょうか?」


「ああ、構わない。頼んだよ」


 黒ずくめの三人を外に残し、門番は勝手口から街の中へ入ると鍵を閉め、中心部にある都市長の邸宅へと走っていった。そして息も絶え絶え到着すると、事情を説明して都市長と共に二頭の馬を走らせ、再び南正門へと戻る。


 勝手口を潜った門番と都市長は、黒い三人の前に立った。背の高い門番とは対象的に、身長160センチにも満たない白髪の筋肉質な老人を見て、先頭に立つ女性は目を丸くした。


「あなたはドワーフ?」


「たわけ、これでも立派な人間種ヒューマンじゃわい!!...この城塞都市テーベをあずかる、都市長のパルール・ダールバティじゃ。アダマンタイト級らしいな、お主の名を聞こうか」


「俺はルカ・ブレイズ。後ろの二人はミキ・バーレニとライル・センチネルだ」


「...ル、ルカ・ブレイズじゃと?お主があの冷酷無比なマスターアサシンと謳われた、ルカ・ブレイズじゃと申すのか?」


「よく知ってるねおじいちゃん。まあでも、そんな言われるほど大したものじゃないよ」


「まさか女だったとはな...じゃがお主、噂によると冒険者組合を追放されたと聞いておるぞ。なのにこの正式な依頼書を持っているというのは、一体どういう訳なのじゃ?」


「それは依頼の内容や危険度に寄るんだよ。こういうヤバい依頼が来た時だけ、裏の伝手を通じて俺達にお鉢が回ってくる。確かに追放はされたけど、その実は今でも冒険者組合とこっそり繋がっているってわけさ」


「なるほど...。この依頼書に書かれてあるとおり、カルバラーム近郊では正体不明のモンスターを見たという目撃情報が多発している。それを討伐するという目的も分かった。じゃがそれなら尚更、今お主らを街の中へ入れるわけにはいかん」


「何故?理由を教えて。カルバラームへ行くためには、テーベとべバードを抜けて北東に続く街道を通らなくてはいけない。出来ることなら、力づくで街に入るという事はしたくないんだ」


 その言葉を聞いてパルールの目が鋭くなったが、ルカの真剣な落ち着いた目を見て、次第に表情が和らいでいく。


「...お主らを、今ここで死なせる訳にはいかん、と言っておるのじゃ」


「それはどういう事?」


「...不治の病じゃ。このカルサナス全域で今、原因不明の死に至る病魔が蔓延しておる。神殿勢力の神官クレリックですら完全に匙を投げるほどのな...」


「その病気の具体的な症状を教えてくれる?」


「そんな事を聞いてどうする。お主が本当にあのルカ・ブレイズだと言うのなら、殺しが専門であって医者ではなかろう?」


「パルールおじいちゃん。殺す方法を知る者は、同時に生かす方法も知ってるんだよ。少なくとも、神殿の神官クレリックよりは遥かにマシな治療ができると思う。力になれるかも知れない、話してみてくれないか」


 諭すような口調で話すルカの慈しむような目を見て、パルールは今まで抱いていたイメージを大きく修正せざるを得なかった。


(ただの暗殺者に、こんな目ができるはずがない。こやつひょっとしたら...)伝説と謳われた殺しのプロ。老人は一途の望みをかけて、ルカに歩み寄った。


「...分かった。じゃがわしも詳しい事は把握しておらん。ルカ、お前が神官クレリック以上の腕を持つと言うのなら、自分の目で見て判断せい」


「街に入れてくれるの?」


「そうじゃ。だがわしは警告したぞ。この病気は伝染する。お前達三人の命がどうなろうと、わしゃあ一切の責任を持たん。死ぬ覚悟はあるか?」


「...おじいちゃん、そんな心配はいらないよ。俺達は大丈夫だから」


「何故そう言い切れる?」


「それは...秘密。もっと仲良くなったら教えてあげる」


 薄く微笑むルカを見て、パルールは大きく溜息をついた。


「...どうなっても知らんぞ。街中の神殿に案内してやる、ついてこい」


 パルールは頑丈な勝手口の扉を開けると、ルカ達三人を城塞都市テーベの中へ招き入れた。そこからしばらく東へと歩くが、広い通りには誰一人として歩いておらず、まるでゴーストタウンの様相を呈していた。それを見てルカが質問する。


「食料品店も、宿屋も武器屋もみんな閉まってる。でも家の中にはちゃんと人がいるね」


「気配を感じるか、さすが名うてのアサシンじゃな。テーベ全体に都市長令を出し、不要な外出を控えるよう全住民に伝えてある」


「いつ頃から病気が流行りだしたの?」


「症状のひどい者が現れたのは一年程前、最初にカルバラームで見つかった。そこから南のべバード・テーベ・そして東のゴルドーと、カルサナス全体へと病魔が急速に拡大していったのじゃ。神殿だけでなく、最も医療技術の進んだカルバラームの医師達も総動員して病魔の拡大を防ごうとしたが、結果は見ての通りじゃ」


「犠牲者の数は?」


「カルサナス全体の人口は50万。それがこの一年で、大人や子供も含め約13万5千人が命を落としておる」


「...ちょっと待って、たった一年で13万5千?!」


「そうじゃ」


「現在病気にかかっている感染者数は?!」


「軽い症状を訴えている者も含めて、推定20万人強と見られている。希望的観測じゃがな」


 その数字を聞いて呆気に取られるルカを他所に、パルールの目は現実を直視するかのように冷たかった。黙々と歩くパルールを見つめながら、ルカは更に言葉を継ぐ。


「...一年で人口の約三割が死亡、今も罹患している潜在的な感染者数が6割...病気の進行が早すぎる、何故手遅れになる前にもっと早く外へと助けを求めなかった?!他の国なら更に優秀な魔法詠唱者マジックキャスターや医師がいたはずだ、それを────」


「殺人狂の貴様なぞに言われる筋合いはないわ!!!.....はー、のうルカ・ブレイズよ。わしら四都市長とてバカではない。手は尽くしたのじゃ。国交のある国には全て助けを求めた。バハルス帝国、リ・エスティーぜ王国は元より、竜王国、ローブル聖王国、果ては北のアーグランド評議国から、南の空中都市エリュエンティウまでな。そしてこれから向かう神殿にいるのは、その中でも最高の腕を持つと言われている、スレイン法国で最も高名な司祭ビショップ、ラミウス・ベルクォーネという医師じゃ。我らカルサナス都市国家連合の危機を案じ、今も四都市を回り治療に当たってくれている」


 全身から悲壮感を漂わせ、覇気のなくなったパルールを見て、ルカはそっと前を歩く老人の肩に手を乗せた。


「...そうだったのか。ごめんね、別におじいちゃんを責めるつもりはなかったんだ」


「...お主は世に語られている噂とは大分印象が違うのう。これで分かったじゃろう?このまま行けば、この国はそう遠くない将来滅ぶかもしれん。悪いことは言わん、引き返すなら今のうちじゃぞ」


「何言ってるの、こんな大変な時に。行くよ、猫の手も借りたいでしょ?」


「お主が猫じゃと?...フン、笑わせる。これだけ忠告しても帰らんとは、物好きなやつじゃな。ほれ、あそこに見えるのが神殿じゃ」


 そうして向かった先、神殿の200メートル程手前にある十字路の境目に、口を白い布で覆った警備兵が二人立っていた。パルールがそこに歩み寄っていくと、手にしたショートスピアを立てて敬礼した。


「パルール都市長、お疲れ様です!」


「うむ、ご苦労。異常はないか?」


「ハッ!人通りはありません!」


「各家庭への食料及び水の配給は?」


「先程軍の補給部隊により、全て完了しております!」


「よろしい。わしと後ろにいるこの者達で、これから神殿の視察に行く。引き続き監視を怠るでないぞ」


「了解しました!それでは皆様、こちらをお付けください」


 警備兵は肩にかけた革製のショルダーバッグを弄り、中から真っ白な厚手の布を四枚取り出して、皆に手渡した。パルールは慣れた手付きでそれを顔の下半分に結び、鼻と口を覆った。その状態でルカ達の方へ振り返る。


「何をしている、お前達三人も早くそれを口に巻け」


「おじいちゃん、俺達は大丈夫だから」


「ならん!!まだ分かっておらんようじゃな。ここから一歩先は死が渦巻いておる。ましてやお前達の誰かが感染し、この病魔を国外へ持ち出すなど以ての外。それを付けぬのであれば、お前をこの先へ進ませる訳にはいかん」


「...OK、分かったよ。ミキ、ライルもその布を装備しろ」


 三人はフードを下ろし、布を顔に巻いて鼻と口を覆った。そして警備兵が道を開け、4人は再び歩き出す。道の両側に建つ大きい家屋をキョロキョロと見ながら、ルカはパルールに話しかけた。


「この中にも人が大勢いるね。ひょっとしてさっきの場所から封鎖してるの?」


「うむ、ここはテーベの三街区と呼ばれる場所じゃ。病魔にかかった者達を、神殿に近いこの街区に住まわせて隔離しておる。中には幼い子供もおるからな、看病するために家族ごと引っ越してきた家庭も多い。じゃがこれだけの措置を取っても、病に倒れる者達が後を立たんのじゃ」


「なるほど、深刻だね。そういうおじいちゃんは体大丈夫なの?」


「今のところはな。カルバラームの医師達から警告が早く来たおかげで、わし自身はすぐに対策を打った事もあり、辛くも難を逃れとる」


「そっか、なら良かった」


「だがしかし東のゴルドー都市長と、北のべバード都市長の娘が病に倒れてな。カルバラームの医師達が集中的に診ておる状態じゃ。特に娘の方はまだ幼い。頭が良く可愛い子でな、将来は次期べバード都市長とまで目されておった子じゃ。...こんな老いぼれが生き長らえて、何故あの子が犠牲にならなければいけないのか」


「...そんなこと言うもんじゃないよ。生きていれば必ず望みはある。その子だって、まだ死ぬと決まったわけじゃない。中に入ろう?」


 神殿の前で立ち止まった四人は、その建物を見上げた。高さ30メートル、横幅60メートル程の、大理石で作られた巨大な神殿だ。パルールは目の前の入口に続く階段を見据え、ボソリと呟いた。


「...ルカよ、これが最後じゃ。本当に良いのだな?この先は修羅場じゃぞ。わしはできる事なら、お主をこの中に入れたくない」


「気にしてくれてるの?」


「...お主のような若く美しい娘が病に倒れる姿を、わしは見たくない。ただそれだけなんじゃ」


「...”私”は大丈夫よおじいちゃん、ありがとう。もちろんミキとライルもね。目の前で一国が滅ぼうとしているのを、私は黙って見過ごせない。あなたはこんな私に事情を話してくれた。力になりたいの、お願い」


 その福音のような言葉が、パルールの心に響き渡った。口を布で覆っていても分かるほど、その悪魔的に整った美しい顔と赤い瞳を見上げて、パルールは深く頷いた。


「ルカ...。分かった、そこまで言うのならもう何も言わん。わしに続け」


 階段を登り、薄暗い神殿の入口に一歩足を踏み入れると、先の見えない奥から喧騒と悲痛な叫び声が木霊してきた。そのまま短い廊下を渡ると、空間の開けた吹き抜けの神殿内部が目の前に広がっている。奥域は100メートル程あり、両脇の壁面には日光と空気を取り入れるための大きな窓があるが、何故か完全に閉め切られており、しかもその上から布で覆いがしてあるという念の入れようだ。そのせいで神殿内は暗く、空気も淀んでいて衛生状態が悪いように見える。正面に目を戻すと、そこには人が通れる程の僅かな隙間を置いて、一面に無数のベッドがびっしりと敷き詰められていた。そして各ベッドの脇にはランタンが吊り下げられており、それらが神殿内部の視界を保っていた。


「うう...痛い...痛いよお母さん...」


「ゲホッゲホッ!!」


「息が...先生...息が...」


「あんた、しっかりして!」


神官クレリックの方、至急542番のベッドへ!!」


「ポーションの予備はどうした?!」


「こっちは血清だ、早くしろ!!」


「残念ですが...」


「そんな...お願いです、夫を蘇生してください!」


「いやぁぁああああああああ!!!」


 患者の苦痛に喘ぐ声、それを見守る家族の悲痛な叫び、医師と看護婦達の怒号、そして死者を前にした慟哭。それは正に死の空気であり、神殿内部は人々の狂気一色に染まっていた。


 ベッド間の通路を神官クレリック達が目まぐるしく行き交う中、ルカ・ミキ・ライルの三人はただ呆然と見ているしかなかった。パルールも苦渋の面持ちで治療の様子を見守る中、中央通路付近のベッドで患者の診察をしていた医師がこちらに気付き、足早に近寄ってきた。見ると白の神官服とは異なり、青い正式な法衣を来た初老の男性で、白髪を短く刈り込み、眼鏡をかけて首に聴診器をぶら下げた、如何にもと言う感じの長身な医師だった。


「パルール都市長、また来たのか!!ここには来るなとあれほど言ったのに、あんたまで倒れたらこの街の住人は一体どうするんだ!!」


 分厚い医療用のマスク越しだというのに、周囲の喧騒に負けない大声で怒鳴りつけ、パルールを見下ろしてきた。


「ラミウス殿、そうはいかん。テーベ都市長として、わしには市民を勇気づける義務がある」


「だからって、毎日のように来る事は...」


「わしの事は気にするな。それよりも、状況はどうじゃ?」


「...見ての通りだ、芳しくない。現在約800人を収容しているが、昨日もまた重症化した患者30人が運ばれてきた。このペースで増え続ければ、神殿のベッドはあっという間に埋まってしまう。患者を診る人手も全く足りていない」


「...ふむ、新たに区画を整備して病棟を用意する必要があるか。三街区の回診は続けているのか?」


「それは私と弟子の神官クレリックでやっている。何とか重症化する患者を抑えようと努力はしてるが、私の魔法もポーションも血清も解毒剤も、気休め程度にしか効かん。根本的な治療にはまるで至っていないんだ。長年医者をやってきたが、こんな病気は初めて見るよ...」


「...すまんな、苦労をかける」


「何を言ってるんだ、未知の病魔と戦うために私はこのカルサナスへ呼ばれて来た。医師として、やれるだけの事は精一杯やるつもりだ」


 二人が意気消沈しかけていた所へ、そこまで聞いていたルカが話に割って入ってきた。


「患者の具体的な症状を教えて?」


「? ...失礼だが、君は?」


 艷やかな黒髪の奥に光る赤い瞳を見つめ返し、ラミウスはマスクをしたルカの顔から足元まで全身を見渡した。一切の光を反射しようとしない漆黒のレザーアーマーに黒いマントを羽織る、その怪しくも美しい女性を見て、ラミウスの眉間に皺が寄った。その表情を見たパルールが慌てて説明に入る。


「ラミウス殿、紹介しよう。こやつの名はルカ・ブレイズ。わしが連れてきたのじゃ」


「...ルカ....ブレイズ?その名前、どこかで聞いたような...」


「信じられんかもしれんがな、この娘は裏の世界で有名な殺し屋だそうじゃ。わしも今日見るのが初めてじゃから、本物どうかは分からんが」


「もう、おじいちゃんまだ疑ってるの?心配しないでも私は本物だってば」


「フン、どうだかの。大体お前のようなお人好しが、本当に人を殺せるのかどうかも怪しいもんじゃて」


 二人のやり取りを聞いていたラミウスの顔が、みるみる青ざめていく。 


「....思い出した。伝説のマスターアサシン。昔酒場で知り合いの冒険者から聞いたことがある。狙われた相手は例えアダマンタイト級でも、絶対に生きて帰れないという殺しのエキスパート...」


「と同時に、人体のプロフェッショナルでもあるのよ?」


 屈託のない笑顔で話すルカを見て、ラミウスの中で芽生えた恐怖心が幾分和らいでいった。一つ大きく咳払いをし、気持ちを切り替える。


「こ、こんな可愛らしいお嬢さんが、あの...。お会いできて光栄だ、私はラミウス・ベルクォーネ。スレイン法国出身の司祭ビショップだが、冒険者組合に所属している。各国に依頼され、病気や怪我を治すために世界中を飛び回り、研究している者だ。改めてよろしく、ルカ」


「こちらこそよろしくね、ラミウス」


「それで、患者の症状を知りたいという話だったな。とは言っても、どこから話したらいいか...人や亜人によって出る症状が異なるんだ。まず共通しているのは、風邪のような症状と高熱から始まる。その後胸が痛いと言う者や、腹が痛いという者、肩や足・首が痛いと言う患者もいた。その後期間はまちまちだが、しばらくすると一気に重症化する。吐血や呼吸困難に陥り、強烈な頭痛の後に意識を失い、徐々に体力が弱ってそのまま亡くなってしまうケースが多かった。苦痛を緩和するために麻痺毒を調合した麻酔薬を飲ませてはいるが、それでも完全に痛みが消えるわけではなく、せいぜい緩和する程度しか効き目が無い」


「ウィルス性の感染?呼吸器系に障害は?」


「ああ、罹患した者は必ずこの聴診器で調べているが、確かに気管や肺から異音がする」


「マスクをしてるけど、空気感染すると分かった理由は?」


「確証に至った訳じゃないが、カルバラームの医師たちから受けた報告と、このテーベの三街区で病気が拡大していった経路を調べた結果、恐らくは空気感染だろうという結論に至った。発症した患者の家族だけでなく、その隣室に住んでいた健常者までもが感染していたからな」


「なるほど。それで、患者の体をアナライズしてみた?」


「...アナライズ?何だそれは、魔法か?」


「え?だから、患者の体内を見る事だよ。できないの?」


「そんな便利なものがあったら苦労はせん!!私ができる事は大治癒ヒールで怪我や体力を回復させる事と、血清や解毒剤といった類の薬を調合する事のみだ」


「そうか、それで...。ありがとう、症状は大体分かったけど、実際に患者を見てみない事には何とも言えないな。一応確認なんだけど、大治癒ヒールが使えるって事は、ラミウスは第六位階まで魔法を行使できるの?」


「その通りだ。信仰系でもないのによく知ってるな。ルカ、君は第何位階まで使えるんだ?」


「ごめんね、それは秘密。これ以上周りに変な噂が立つと面倒だから」


「ハハ、そうか。無理にとは言わん。有名人も気苦労が多いな」


「ところで、この神殿の中には重症者しかいないんだよね?」


「そうだ。隔離した三街区で重症化した者は、みんなここに運ばれる。まあここに来たところで、根本的な治療手段があるわけじゃないが...」


「...よし。それじゃラミウス、この中でも比較的症状が軽い人と、一番重症化している人の二人を見たいの。連れて行ってくれる?」


「重症者の中でも症状が軽い、か。それならつい先日運び込まれた男の子がいいだろう。こっちだ、ついてきてくれ」


 ラミウスを先頭に、ルカ・パルール・ミキ・ライルの4人は、神殿の一番左端にあるベッドの列に連れて行かれた。その手前から二番目のベッドで横になる少年と、その右脇で椅子に座り、心配そうに少年を見守るマスクをした母親らしき女性が、こちらに気付いて顔を向けてきた。


「パルール都市長!それにラミウス先生、お世話になっております。あの、それで息子は...息子の容態はいかがでしょうか?息子は助かるんでしょうか?」


「...お母さん、元気を出しなさい。厳しい状況だが、息子さんの症状はまだ軽い。私も最善を尽くしてみる」


「...皆が噂しております。(あの神殿へ運ばれたら最後、もう二度と出てくる事はない)と...。分かってはいたんです、でも...それでも...ラミウス先生、パルール都市長お願いです、どうか息子を治してやってください!!」


 ラミウスの腰にしがみつき、母親は我を忘れて哀願した。この一年続いた絶望的な状況の中、(発症したらもう助からない)と誰よりも一番理解していたのは、この母親だったのだろう。しかしそれでも、スレイン法国一...いや、近隣諸国の中でも随一と名高い名医、ラミウス・ベルクォーネが目の前に立っているのだ。愛息子の危機を前にし、そこに縋らない母親がどこにいるだろうか。ラミウスと、そして彼を探し出した張本人であるパルールには、その気持ちが痛いほど理解できた。だが二人は、そんな号泣する母親に返す言葉がなかった。法衣に吸い込まれる涙の染みが大きくなる中、その奇跡は突然起きた。


「...魔法最強化マキシマイズマジック恐怖耐性の強化プロテクションエナジーフィアー


 母親の両肩に手を添えた女性の体が、淡く緑色に輝いた。その光が母親の体にも移っていく。それだけではない。周りに立つラミウス・パルール・そしてベッドで眠る少年の体までも、瞬時に包み込んだ。


 息子の死、不治の病、それによる負の連鎖、救えない命、市民への重責、国の将来、未来への絶望...そうした恐怖や罪悪感、強迫観念が、まるで悪夢から目覚めたかのように溶け落ちていった。


 椅子に座ったままの母親は何が起きたのか分からず、しがみついていたラミウスの腰から顔を離し、ただ呆然とその女性を見上げた。


「...大丈夫?落ち着いた?」


「は、はい...あの、あなたは一体?」


「パルール都市長の連れだよ。息子さんの様子を見せてもらいに来たんだ、席を譲ってもらってもいいかな?」


 母親は直感した。(この人なら、きっと何とかしてくれる。)全身黒ずくめでとても医者には見えない、赤い目をした不思議な女性。しかしその冷静な物腰は紛れもなく、ある分野で特殊な技術を極めた者のみが持てるオーラを醸し出していた。それを感じ取り、一も二もなく腰を上げて席を立つと、女性のための場所を空けた。そして母親は深々と一礼する。


「...息子を、よろしくお願いします」


「うん。まあとりあえず診てみよう」


 漆黒の女性が椅子に座ると、ラミウスにパルール、そして母親は、祈るような気持ちでその一挙手一投足を見守った、シングルサイズの狭いベッドに体を寄せると、両手に装備したレザーグローブを脱ぎさり、ベッド脇のテーブルに置く。そして薄茶色のマニッシュショートな髪をそっと撫でると、少年の耳元に顔を近づけた。


「ぼく...ぼく、起きてる?目を覚まして?」


 すると少年は、薄目を開けて声のする左側へと目を向けた。


「...ハア...ハア...だ、誰?」


「私はルカ・ブレイズ。お医者さんだよ、安心して。ぼくの名前は?」


「...ル....カ...ハア...ハア...ぼ、僕は...ハーロン....ハーロン=ベアトリックス....」


「...そうかハーロン、いい名前だね。年はいくつ?」


「...き、9才...」


「分かった。呼吸が辛そうだね、そのまま楽にしてて。おでこ触ってもいい?」


「...うん、いいよ...」


 ルカは切り揃えられたハーロンの前髪をめくり、右手の平を額に押し付けた。次に頬を包みこむように手を触れ、最後に首筋を掴んで手を離す。


「推定38度7分...熱が高いね。こんな薄い掛け布団じゃ、体が冷えるでしょハーロン?」


「...ハア、ハア、さ...寒い...震えが...止まらなくて...」


「パルールおじいちゃん、今すぐ看護婦か神官クレリックに頼んで、清潔な分厚い毛布を持ってきて。お願い」


「毛布じゃな、分かった!!」


 神殿の奥へ走っていくパルールを見送ると、ラミウスが顔を向けてきた。


「ルカ、私はこの神殿の責任者だ。薬や衣服・食料等、あらゆる必要な物資の配置は全て把握している。君の補助は私がしよう、雑用があれば何でも言ってくれ」


「だめよ、何言ってるの?ここの責任者と言うのなら、あなたは私の隣にいて。そしてこれから私のやる事をよく見て、その手順を全て記憶しなければならない。いい?ラミウス。患者が一つでも苦しいと言っているのなら、どんな小さなことでもそれは苦しいのよ。その訴えを絶対に無視してはだめ。魔法や薬に頼る前に、まずはこうやって患者と話し、体に触れて状態を確認し、本人の口から事情を全て聞くの。現にこの子は寒いと言っているのに、何で今までそれを放ったらかして、こんな薄手の布団一枚しか用意してないの?ここまでの高熱が出れば、人体は当然発汗による気化熱によって、体感温度が極端に下がる。そこから更に悪化する疾病もあるのよ? 私の言いたい事がわかる?患者の気持ちをもっと分かれと言いたいのよ!」


 その目は真剣だった。何も言い返す事が出来なかった。恐らくルカはこう言いたいのだろう。(患者を治療するのなら命懸けでやれ)と。医者以上に医者らしい、美しき孤高の暗殺者。人手不足を理由にろくな問診もしてこなかったラミウスは、素直に非を認めた。


「...済まなかった、君の言う通りだな。私には、この地に来る覚悟が足りなかったのかもしれない。そして君が見せた先程の魔法、恐らく君は私よりも遥か上の魔法詠唱者マジックキャスターなのだろう。色々と勉強させてくれ」


「言っておくけど、私は一度やると決めたら絶対にやる女よ。例えあなたがいなくたって、私一人で治療してみせるわ。やる気がないのなら今すぐここから出ていって。でも諦めないのなら、ここに残って私のする事を見てて」


「誰か諦めるものか。このカルサナスへ来て半年が過ぎたが、テーベ・カルバラーム・べバード・ゴルドー...この四都市の住民は、今では全て私の患者だ。君とこうして出会えた事も、きっと私に取って大きな転機となるだろう。よろしく頼む、ルカ」


「よし。...ちょっと強く言い過ぎた、ごめんね」


「気にするな。君の言っている事は間違っていない、心優しきマスターアサシンよ」


 話が一段落すると、パルールが毛布を抱え駆け足で戻ってきた。


「あったぞルカ、干したての毛布じゃ!分厚いものがなかったから、とりあえず3枚ほど持ってきたぞい」


「十分よ、ありがとうおじいちゃん」


 ルカが受け取ろうとすると、横からラミウスが割って入り、代わりに毛布を手に取った。


「私がかけよう。雑務は全て引き受ける、今から私は君の助手だ。治療に専念してくれ」


「ラミウス...分かった、じゃあお願いね」


 ベージュ色の毛布を広げ、掛け布団の上から3枚を被せると、ハーロンはホッとした表情を浮かべて笑顔を零した。


「ハア...ハア...あ、ありがとうラミウス先生...それに...ルカ...お姉ちゃん...あったかいや...」


「気付くのが遅れて済まなかったハーロン。欲しいものがあったら、これからは遠慮せず何でも言ってくれ」


「は...はい、ラミウス先───ゲホッゲホッ!!」


 ハーロンが激しく咳き込むのを見て、ルカは中空に手を伸ばし、アイテムストレージの中から透明のデキャンタとコップを取り出した。


「ハーロン、お水飲むでしょ?」


「...うん...喉が...乾いた...」


 ルカはコップに水を注ぐと、右手でハーロンの背中を支え、ゆっくりと上半身を起こした。そうして支えたまま、口元にコップを持っていく。


「さ、飲んで。ゆっくりね」


「...ありがとう」


 コップを傾けて少しずつ口に注ぎ、ハーロンはそれを飲み込んでいく。氷で冷やしたかのような冷たい水が、ハーロンの荒れた喉と胃袋を潤していった。そして飲み終わったコップをラミウスに手渡し、再び横にさせて布団を掛け直す。ハーロンは不思議そうにルカを見つめた。


「ハア...ハア...このお水...何?...川の水じゃ...ないね...すごく...美味しい...」


「これは無限の水差しピッチャーオブエンドレスウォーターというマジックアイテムから生まれた水よ。雑味のない清潔な水だから、安心して飲めるわ。いくらでもあるから、好きなだけ飲んでね」


 ベッドに身を寄せて優しく頭を撫でると、フローラルな香りがハーロンの体を包む。その場違いとも言える空気に癒され、ハーロンは再度質問を返した。


「...ルカお姉ちゃん、魔法詠唱者マジックキャスターなの?」


「そうよ。お姉ちゃんね、これからハーロンの体を治すために、どこが苦しくて、どこが痛いかを詳しく知りたいの。一番最初に具合が悪くなった時の事を、教えてくれる?」


「...一番...最初?...まず、鼻水と咳が...止まらなくなって...風邪かと思ったんだ。薬草を煎じた薬を、母さんに作ってもらって...飲んでたんだけど...全然良くならなくて...」


「そうなる前に、何か変なものを食べたり、いつもと違う場所に行ったりした?」


「それは...してないよ...病気が流行ってるから...街の外に出て...べバードにも...遊びに行けなかった...でも道場には...毎日通ってたよ...」


「お母さん、この子の咳が止まらなくなったのはいつ頃から?」


 ルカはラミウスの隣にいる、ベッド脇の端に立っていた母親に鋭い目線を向けた。母親はそれを見てビクッと体を震わせる。


「え、ええ、一ヶ月ほど前からですが」


「熱が出始めたのは?」


「咳が止まらなくなってから、二週間ほど後です」


「道場というのは何?この街の中にあるの?」


「は、はい。この子は父親の後を継いで、将来カルサナス軍に入りたいという希望がありますので、テーベの練兵場に通い剣術を習わせていました」


 しかしそこで母親の声を聞いたハーロンが、突然目を宙に漂わせた。


「...母さん?...母さんがそこにいるの?」


「ラミウス先生の隣にいるよハーロン、心配しないで」


「違うよお姉ちゃん、そうじゃない...ハア、ハア、だめだ母さん、こんなところにいちゃ...病気か...病気か感染ってしまう!!」


 ハーロンがベッドから起き上がろうとしているのを見て、ルカは慌てて胸を押さえつけた。


「だめよハーロン!...動いちゃだめ、じっとしてなさい」


「でも...でも、母さんが...!」


 ハーロンの動揺が収まらない事を受けて、ルカはマスクの下で大きく溜息をつくと、母親に目を向けた。


「...お母さん、彼はこう言ってるけど、どうする?三街区に戻るかい?」


「嫌です!!...いいハーロン?私は病気か感染ったって構わない。あなたが死ぬ時は、私も一緒に死ぬわ!あなたの病気か治るまで、母さんは絶対にここを離れたりしない!!」


「...母さん...」


 ハーロンが諦めて脱力したのを見て、ルカは胸から手を離し頬に手を添えた。


「いいお母さんだね。彼女のためにも、君は早く病気を治してあげなくちゃ。それには、どうやって病気が悪くなっていったかを知る必要があるの。ハーロン、お姉ちゃんに協力して?」


「ゲホッゲホッ!!...わ、分かったよ...ごめん、ルカお姉ちゃん...」


 それを聞いてルカはハーロンの右腕を摩り、左頬に手を添えて目を見つめた。病気の感染をまるで恐れていないルカの様子を見て、ラミウスとパルールも負けじと一歩ベッドに歩み寄る。


「謝らなくていいのよ、いい子ね。咳が出て熱が出始めた後は、どんな感じだった?」


「うん...体がものすごく...だるくなってきて...咳が続いたせいで...息もつらくなってきた...そしたら一週間後くらいに...口の中に血の味がするようになってきて...唾を吐いたら、やっぱり血が混じってた....もう起き上がれなくて...母さんに看病してもらいながら...ずっとベッドに寝てたんだ...」


「そこで3週間が過ぎたんだね。その後は?」


「...母さんがすぐに...神殿からお医者さんを呼んできてくれて...魔法をかけてもらったんだけど...少し良くなる程度にしか...ならなかった...その次の週くらいに...急に胸の奥と喉が...ズキンと痛み出して...息をするのもつらくて...ラミウス先生に診てもらったら...そのまま神殿に運ばれたの...」


「今はどう?胸と喉以外に痛いところはある?」


「...か、体の節々が...痛いよ....」


「分かった、ありがとうハーロン。もうしゃべらなくて大丈夫、今診てあげるからね」


 しかしルカはハーロンの頬に手を添えたまま、何事かを考えている様子だった。それを見たラミウスが、心配そうに顔を覗き込む。


「ルカ、どうした?何か気がかりな事でもあるのか?」


「...いや、あなたの言った症状とハーロンの言葉を総合すれば、感染経路は呼吸器系でほぼ断定ね。ウィルス性の肺炎?でもこの世界でそんな伝染性の病気は聞いた事が...」


 そしてルカは何かを思い出したかのように、母親へと顔を向けた。


「お母さん。この子がトイレに言った時、血尿が出たという話は聞いた?」


「け、血尿ですか?...いえ、この子からはそういう話は聞いていませんが」


「...そう、ならいいんだけど」


 しかしその言葉を聞いたラミウスが、ハッと思い出したかのように顔を上げた。


「...待てルカ!末期重症者の中には、確かに血尿が出ている患者がいたぞ」


「!!...まさか」


 ルカは咄嗟にハーロンの顔を見ると、額に手を置いて掛け布団をめくりあげ、腹部にも手を添えた。


「ハーロン、目を閉じて。これから魔法で体の中を診てみるからね」


「...うん、分かった....」


「...体内の精査インターナルクローズインスペクション!」


 するとハーロンの全身にスキャン走査線のような青い光が無数に交差し、頭から足の先まで広がっていく。ルカは目をつぶり、脳内に流れ込んでくるステータス情報と侵された体内の映像に集中した。約1分間ほどその状態が続いたが、突如ルカは大きく目を見開き、ハーロンの額と腹部に添えた手をわなわなと震わせた。


「そんな...嘘でしょ?...これが重症者の中でも....軽いほうだって?...こんなの...感染のバッドステータスで起こる症状じゃない...」


 冷や汗を流すルカの横顔を見て、ラミウスとパルールが詰め寄った。


「どうしたルカ?!今使った魔法は一体何だ、何を見た?!」


「おいルカ、しっかりしろ!!ハーロンの体に何が起こっているというんじゃ?!」


 その声を聞いてルカはハーロンの体からそっと手を離し、頭を優しく撫でた。


「....肺胞の一部が壊死して...肺の中に空洞が出来ている....苦しいはずだ、これじゃ....」


「な、何だと?!そこまで呼吸器系の内部が見えるというのか?!」


「...それだけじゃない。その壊死した肺胞の空洞が膿んで全身に毒が回り、喉と右首筋のリンパ節にも転移して化膿している...危険な状態だ。ラミウス、患者のカルテはつけてる?」


「ああ、もちろんだ。ここにある」


「そのバインダーを貸して」


 ルカはアイテムストレージからペンを取り出し、書かれた症状に二重線を引くと、今自分が見た詳細な病状を新たに上書きし、ラミウスに返した。そして左手を伸ばし、ハーロンの右首筋に手を触れて筋肉の隙間を指で軽く押さえる。


「ハーロン、ここも痛いよね?」


「つッ!!...う、うんお姉ちゃん、押されると痛いよ...」


 まるで見えているかのように診察するルカを前に、ラミウスは言葉を失った。パルールはハーロンの頭を撫でるルカの悲壮感漂う表情を見て、焦燥しながら声をかける。


「そ、それで、治るのかルカ?!」


「...さっきも言ったけど、この一連の症状は通常の感染という状態異常ではあり得ない。確かに今の魔法でこの子の状態は感染という事が分かったけど、魔法が効くかどうか....でもやれるだけの事はやってみる」


 そう言うとルカはハーロンの胸に両手を添えて、魔法を詠唱した。


魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック病気の除去ディスペルディジーズ


 ハーロンの体が強烈な緑色の光に包まれる。その圧倒的な魔力量を感じ取り、ラミウスは一歩後ろに後ずさった。


「こ、これが病気の除去ディスペルディジーズだと?!一体どれだけの魔力を込めたと言うんだ?!」


「黙ってラミウス。あなたも司祭ビショップなら、これくらいの魔法は使えるでしょ?」


 やがてハーロンの体から光が消えると、ルカは胸に添えた右手だけを額に乗せて、再度体内の精査インターナルクローズインスペクションを唱えた。そしてハーロンに顔を近づける。


「...やっぱり。感染が残ったままだ」


「...差し出がましいようだが、病気の除去ディスペルディジーズは私も試してみた。しかし一向に効果が現れず、失われていく体力を回復する事しか出来なかった。君が今したように、位階上昇化で膨大な魔力量を込めてもだめなら、もはや効き目はないだろう」


「それなら一つずつ試していくしかない。大前提として、まず体に回った毒と膿を取り除く事が最優先よ」


 そしてルカは深く息を吸い込み、再度意識を集中する。


魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック毒素の除去ディスペルトキシン


 再度ハーロンの体が淡く緑色に光り、全身を包み込んでいく。すると僅かながら、ハーロンの顔に血の気が差してきた。ルカはすかさず体内の精査インターナルクローズインスペクションを唱え、臓器の状態を確認する。


「...よし!肺と喉、リンパ節に溜まった膿が消えた。炎症も緩和してきている。感染は消えてないから、根本的な治療にはなってないけど...」


「しかしこの血色、確実に改善に向かっているんじゃないか?息も整ってきているように思える」


 ルカは顎に手を添えてハーロンの表情を見つめ、何かを決意したように大きく頷いた。


「...やるなら毒素が消えた今しかない。これから壊死により傷ついた肺の組織と喉、リンパ節の細胞を復活させる」


「そ、そんな事が魔法で可能なのか?」


「ラミウス、私のやる事をちゃんと見てて!体内に毒素が残った状態で内臓の組織を治すと、却って毒の周りが早くなってしまう恐れがある。私の使う魔法の手順をしっかり記憶して、いい?」


「わ、分かった!」


 ルカはハーロンの胸を押し包むように両手で押さえ込むと、目を閉じ息を吸い込んだ。


魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック損傷の治癒トリートワウンズ!」


 (ボッ!ボッ!)とルカの両手に青白い炎が宿り、それがハーロンの体内に吸収されていく。それと同時に、ハーロンの体内から激しい炎が燃焼し、ベッド全体を包み込んで天高く舞い上がった。その炎はベッド脇に立つラミウス・パルール・母親までも巻き込んでいく。3人は恐怖のあまり咄嗟に後ろへと飛び退いたが、ルカがそれを強く制止した。


「逃げないでラミウス!!この炎は大丈夫だから、しっかり見てて!」


 それを聞いてラミウスとパルールは辛うじて踏みとどまり、恐る恐る青白い炎に手を触れてみた。驚いた事に、ルカの言う通り全く熱を感じず火傷もしない。二人は顔を見合わせ、炎の中へと一歩足を踏み入れて再びベッド脇に戻るが、周囲のベッドにいた患者と家族達がその炎を見て怯えだした。


「ひいっ!!」


「な、何だ?!一体何が...」


 火事と勘違いした神官クレリックと看護婦、それに他の列にいた患者の家族達がベッドの回りを取り囲むが、その炎の中心で一心不乱に祈りを捧げるルカを見て、何が起こっているのか把握できず神殿内は騒然となった。


 やがて青白い炎が少しずつ収束し、ルカの掌に集まっていく。押さえた体の上で燃える小さな赤い炎を手で受け止め、ルカは(フッ!)と吹き消した。その後すぐさま右手を額の上に乗せて、再び体内の精査インターナルクローズインスペクションを唱え、臓器の状態を確認する。それを見たルカの目に少しずつ光が宿った。


「ふう...。壊死した肺の空洞と、喉・リンパ節の損傷はとりあえずこれで塞がった」


「おお...!」 


「治ったんじゃなルカ?!」


「...違うよおじいちゃん。感染のバッドステータスは消えてないし、各部にも僅かに炎症が残っている。時間を置けば、またいずれは元に戻ってしまうかもしれない。私がいまやったのは、単なる応急処置に過ぎないよ」


 額・頬・首・脇の下と各部に触れて、ルカはハーロンの頬に両手を添えた。


「ハーロン...ハーロン?ひとまず終わったよ。具合はどう?」


 薄目を開けてルカを見つめていたハーロンは、一筋の涙を零した。


「...ルカお姉ちゃん...嘘みたいだ....楽に...楽になったよ...ありがとう...」


 子供の口から出た本音。ラミウスとパルールは目を見開き、驚愕の表情を見せた。そして息を呑み回りを取り囲んでいた神官と看護婦、看病するために来た他の家族達も、ハーロンの一言を聞いて勝ち鬨のように思わず声を上げた。


『うおおおおおおおおー!!!』


 しかしそれを聞いたラミウスが、怒号とも取れる大声で皆を窘める。


「バカモン!!!静かにせんか、ここは神殿だぞ!!治療中だ、皆ベッドに戻れ!!さあ行った行った!!」


 見物人は一斉に黙り込み、蜘蛛の子を散らすようにその場を離れた。それには構わずルカはハーロンの頭を撫でて、優しく言葉をかける。


「ハーロンごめんね、実はまだ完全に治った訳じゃないの。熱も下がってないし、病気も体に残ったままだから、また悪くなってしまうかもしれない。今痛いところはどこか、正直に教えてくれる?」


「...息は楽になったよ。でも、胸の奥がまだシクシク痛い感じがする。あと膝とか肘とか、節々がまだ痛い。でも、ルカお姉ちゃんが魔法をかける前よりかは本当に楽になったんだ」


「...そっか、まだ肺の炎症が残っているせいよ。本当はこの魔法は使いたくなかったんだけど、疼痛の緩和もお医者さんの務めだからね。もう一つだけ魔法をかけるけど、いい?ハーロン」


「...とうつうのかんわ?どういう魔法なの?」


「簡単に言うと、体の痛みがなくなる魔法。これから治療を進めていくためにも、かけておいたほうがいいと思うの」


「...うん、いいよ。お姉ちゃんがそうした方がいいっていうなら、僕何でも信じる」


「ハーロン...。この魔法はね、十四時間だけ効き目があるの。それを過ぎるとまた痛くなってきちゃうけど、その時はお姉ちゃんがまた来て魔法をかけてあげるからね」


「分かった、僕がんばるよ。こんな病気に負けたりしない」


 ルカは微笑むと、ハーロンの頭と胸に手を乗せた。


「...魔法持続時間延長化エクステンドマジック痛覚遮断ペイン・インターセプト


 (キン!)という音と共に、ハーロンの全身を銀色の球体が覆いつくす。その中でハーロンは目を瞬かせていた。そして光が消えると、ルカを見て目を丸くする。


「...ルカお姉ちゃん、何したの?全然...全然痛くなくなっちゃった...」


「言ったでしょ?一時的に痛みを取っただけよ。明日にはまた痛くなってるから、絶対に動いたりしちゃだめよ?」


 ハーロンは夢でも見ているかのように茫然とルカを見つめ返し、その目に涙が滲んでいく。そして布団を剥いで起き上がると、ルカの上半身に抱き着いて胸に顔を埋めた。


「おっとと!...こらハーロン?動いちゃダメって言ったばかりでしょう?」


「...ルカお姉ちゃん、すごいよ。こんな魔法を使えるなんて...ほんとに、ほんとにありがとう。僕もう、だめかと思ってたんだ。この病気にかかった人はみんな死んじゃうし、僕もそうなるんじゃないかって思ってすごい恐かった。でも...でも....お姉ちゃんが来てくれて....」


「...ハーロン、簡単に生きる事を諦めちゃだめ。私もハーロンの病気を治すために絶対諦めないから、二人でがんばろう?ね?」


「うん....」


 顔を離したハーロンの涙をマントの裾で拭うと、ルカはサラサラとしたハーロンの髪をそっと撫でた。そして次の行動を見て、ハーロンを含めラミウス・パルール・母親は驚愕する。


「ふー。いい加減息苦しいし、もうこれは要らないね」


 何とルカはハーロンの目の前で、顔に巻いた布の結び目を解いてマスクを取り払ってしまったのだ。


「お、お姉ちゃん?!だめだよ、そんな事したら病気が感染っちゃう!!」


「おいルカ?!」


「お主、死にたいのか!!」


 それと同時にミキ・ライルも同様にマスクを外してしまった。呆気に取られる4人だったが、ルカはラミウスとパルールに微笑んで返した。そしてそのまま、ハーロンを抱き寄せて左頬にキスをする。


「...私は大丈夫よハーロン」


「...お姉ちゃん?まだ間に合うよ、早くマスクを───」


「お姉ちゃん達はね、病気にならないの。そういう体質だから」


「でも───」


「ハーロン、お姉ちゃんを信じてくれるんでしょ?だったらこれも信じて。ね?」


「ほ、本当に?」


「本当よ。私は君を治さなくてはならない。死ぬような事するはずないでしょ?」


「...わ、分かった!僕信じるよ!」


「いい子ね。さあ、横になって」


 ルカはハーロンの背中を支えると、枕の上にゆっくりと横たえさせて毛布を掛け直した。そして席を立つと、母親がベッド脇に恐る恐る歩み寄ってくる。


「...ハーロン?」


「...母さん、ごめんね心配かけて」


「...ああ、ハーロン!良かった、良かった!!うう...」


 母親は横になるハーロンを抱き締め、いつ止まるとも知れない涙を流し続けた。そして体を離すと、椅子の脇に立っていたルカの両手を握りしめる。


「ルカ先生!息子を...ハーロンを救っていただき、心より感謝します」


「お母さん、まだ治った訳じゃない。ハーロンがベッドから動かないよう、しっかりと見ててね」


「わ、分かりました」


「それじゃハーロン、また明日来るから、それまで大人しくベッドで寝てるのよ?」


「分かった。待ってるよルカお姉ちゃん」


 ルカ・ミキ・ライルがベッドから離れて通路に出ると、ラミウス・パルールも後に続いた。


「ラミウス、次はこの中で一番重症な患者の所へ案内してくれる?」


「分かった。最も重症な者は右列のベッドに並んでいる。こっちだ」


 薄暗い神殿の中をついていくと、後ろを歩いていたパルールがルカに声をかけてきた。


「...ルカよ、お主は暗殺者なのであろう?なのになぜあのように人を癒す奇跡的な技を身に着けておるのじゃ?わしにはどうしてもお主らが悪人とは思えん。お主のハーロンに対する慈悲深さには、むしろ聖人とすら思えるほど善良な心を感じたのじゃが」


 するとルカは首だけで後ろを振り返り、パルールに寂しそうな目線を投げかけた。


「....おじいちゃん、さっき私の事を殺人狂って言ったよね。...でも私だって、別に好きで人を殺しているわけじゃない。ちゃんと自分の目的があって、そのために手段を選ばないというだけよ」


「その目的とは何じゃ?」


「....きっと言っても分からない。この世界の住人であるあなたには、ね」


「まるでお前が他所の世界から来たような言い草じゃな。...まあよい、いずれ話す気になったら、わしでよければ話を聞くぞ?」


「...フフ、じゃあそのうち甘えちゃおうかな」


「...つくづく不思議なやつじゃな、お主は」


 お互いに笑顔を向け合うと、神殿の右奥にあるベッドの列に辿り着いた。そしてその神殿入口近くにある一番手前のベッドに、その患者は眠っていた。体は2メートル程と大きく筋肉質な青色の体をしており、鬼のような禍々しい顔ながら、胸の膨らみから女性と判別できる亜人・守護鬼スプリガンだった。4人がベッド脇に立つと、ラミウスが説明する。


「この患者だ。先ほどのハーロンのような症状に加えて、特に彼女は背中と腹部に激しい痛みを訴えていた。ここまで来ると、純度を二倍にした麻酔でも効果がない。吐血も幾度となくしており体力の消耗が激しく、私と神官クレリックで懸命に魔法で処置を施したが、今では喋るのがやっとという状態だ。そしてルカ、先ほど君が言っていた通り、この患者からは血尿が出ている。参考になればいいのだが」


「分かった、すぐに診てみよう」


 ルカは守護鬼スプリガンの額に手を乗せて、目の前に顔を近づけた。


「待たせたね、私の顔が見える?しゃべれるかい?」


「...ヒュー.....ヒュー....痛い....苦しい.....もう....殺して.....お願い.....」


「諦めちゃだめよ!私が来たからにはもう大丈夫。ラミウス、この人の名前は?」


「ペペ=ブラドックさんだ」


「聞こえるペペ?私はルカ・ブレイズ、新しく来た医者だ。もう少しの辛抱だよ、痛みを取ってあげるからね!」


「...喉も....痛い....水も....飲めない....効かない....薬は....もう....いや......」


「大丈夫、何も飲ませたりしないわ。使うのは魔法だけよペペ、安心して!」


 事は緊急を要する。感染のせいでスタミナも消耗しきっており、非常に危険な状態だと判断したルカはそれ以上質問せず、額と腹部に手を乗せて魔法を詠唱した。


体内の精査インターナルクローズインスペクション!」


 感染のバッドステータスに加えて、大量の傷んだ臓器映像がルカの脳裏を駆け巡る。それを見たルカの顔から血の気が引き、表情が次第に険しくなっていった。


「....何これ....全身に毒が回ってボロボロじゃない!さっきのハーロンとはまるで比較にならない...ここまでひどくなると言うの?!」


「ルカ、私に何か手伝える事はあるか?」


「ラミウス、カルテの用意!これから私が言う症状を書き写して」


「了解!」


「...肺胞の壊死、胸膜炎、首・肩・脇・肘・計4ヶ所のリンパ節化膿及び炎症、腎臓の化膿出血...血尿はこのせいね。腹膜・鼓膜も炎症を起こしてるわ。このまま行くと膀胱も危ないかもしれない。全部メモした?!」


「ああ!大丈夫だルカ!」


「今すぐ全身の膿を取り除くわよ。魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック毒素の除去ディスペルトキシン!」


 ペペの巨体が緑色に発光して毒を取り除いたが、その直後全身が痙攣してショック状態に陥り、てんかん発作のような症状を呈して、ベッドの上で突如暴れだした。そして口から大量の吐血が始まる。ルカは懸命に押さえ込んだが、まるで力の抑制が効いていない守護鬼スプリガンの怪力に弾き返されてしまう。咄嗟に背後に立つ二人に鋭い声をかけた。


「ミキ!ライル!!彼女の手足を押さえて、早く!!」


『ハッ!!』


 ミキが上半身を押さえ、ライルが両足を鷲掴みにして強引に押さえ込んだ。そしてルカは先ほど外したマスクの布切れをペペの口に詰め込んで、舌を噛み切らないように処置する。やがて5分もすると痙攣が収まり、ルカは口に詰め込んだ布を取り去った。


「ペペ、あともう少しよ。がんばって!体内の精査インターナルクローズインスペクション!」


 ステップバイステップで、一つ一つ状況を確認しながら確実に魔法をかけていく。先ほど吐血したのは、肺と胃に溜まった血が上がってきてしまったのだろう。汚れた血は出してしまった方が良いと考え、全身の炎症が沈静化したのを見計らい、ルカは重ねて魔法をかけた。


魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック損傷の治癒トリートワウンズ!」


 ペペの全身が青白い炎で燃え上がり、ルカはその中で目を閉じ全力で魔力を注ぎ込んでいく。ミキとライルも炎の中で手足を掴みながら、万事に備えてベッドの周りを取り囲む。薄暗い神殿の中に映るその3人の姿は、何かの召喚儀式を行う魔導士のようでもあった。


 そして炎が沈静化し、ペペの胸の上に浮いた小さな黒い火を掌に乗せると、ルカはそれを吹き消した。先ほど口に詰めた布で、ペペの口回りと体についた血を拭い去り、ルカは再度体内の精査インターナルクローズインスペクションを唱えた後に、ペペの目を覗き込む。


「ふー。終わったよペペ、具合はどう?」


「...ハー....ハー...ハー...い、痛みが....和らいだ...息も...できる....苦しく....なくなった....」


「大分体力を消耗したね、今回復してあげる。魔法最強化マキシマイズマジック約櫃に封印されし治癒アークヒーリング


 ペペの額と腹部に乗せられた手が発光し、瞬時に全身を青白い球体が覆いつくした。そしてペペの体が微細振動し、ウォークレリックの聖なる波動が体内に流れ込んでいく。そして光は収束し、ペペの体力はフル回復した。それを体で感じ取り、信じられないと言った様子でペペは横になりながら自分の両手を見つめる。そして目を見開き、ベッド脇から顔を覗き込むルカに視線を移した。


「...あ、あんた....一体何者だい?この病気を治しちまうなんて」


「ペペ、まだ治ったわけじゃないよ。体のあちこちが痛むでしょ?」


「そりゃまあそうだけど...さっきまでに比べたら天国みたいなもんさ」


「そっか、なら良かった。まだ熱もあるし、時間を置くとまた炎症が始まるかもしれないから、今のうちにもう一つ魔法をかけとくね」


「ま、まだ何かするのかい?」


「大丈夫よ、ただ痛みの取れる魔法だから。今日はゆっくり寝たいでしょ?」


「あ、ああ」


「...魔法持続時間延長化エクステンドマジック痛覚遮断ペイン・インターセプト


 銀色の光球に包まれると同時に、体中の痛みが瞬時に消え去った。それを受けてペペ=ブラドックは、幻を見ているような目でルカを見る。ラミウスが取ってきた三枚の毛布を受け取ると、掛け布団の上から覆い被せて肩に手をおいた。


「寒いでしょぺぺ。あったかくして今日はゆっくり寝てね。明日また見に来るから」


「...ま、待ってくれ!」


 ベッドを離れようとしたルカの手を咄嗟に握り、ぺぺは引き止めた。ルカは再度ベッドに顔を近づける。


「どうしたの?まだどこか痛い?」


「違うよ、そうじゃなくて...ルカ先生、あたい...もう諦めてたんだ。こんなに苦しいなら、いっその事殺してくれって何度も何度も医者に頼んでだ。それをあんたは、亜人のあたいにこんなすごい魔法を使ってくれて...ありがとう、ありがとうよルカ先生。生きる元気が湧いてきたよ」


「その言葉が聞けて私も嬉しい。でもぺぺ、まだ油断しちゃだめよ。今は魔法で痛みが取れて元気に思えるかもしれないけど、明日になればまた痛みは復活する。とにかく病気が治るまでは絶対安静よ、いい?」


「...この国で今、何かとんでもない事が起きてる。亜人としてじゃない、同じ女として頼む、ルカ先生。他の人間種ヒューマンや亜人達も助けてやっておくれよ。みんなとても苦しんでる。自分がこの病気で死にかけて、本当に身にしみてよく分かったんだ」


「...分かった、最善を尽くしてみるわ。だから今は休んで、ぺぺ...」


「頼んだよ...頼んだよ、ルカ先生...」


 その目は必死だった。守護鬼スプリガンの目から溢れ出る涙をマントの裾でそっと拭うと、ルカはベッドを後にする。患者の前では笑顔を絶やさなかったルカだが、通路に立ったその表情は遠くを見つめ、暗く静かに影を落としていた。その横顔を見たラミウスとパルールは心配になり、隣に寄り添って声をかける。


「どうしたルカ?最も重い重症者を治療したというのに、浮かない顔だな」


「わしも驚いて声も出んかったわい!何をそんなに落ち込んでいるのじゃ?」


「...違うのラミウス、おじいちゃん。さっきのぺぺの症状、あれではまるで....」


「...まるで、何じゃ?」


 パルールは地面に目を落とすルカの顔を覗き込むが、雑念を振り払うように大きく首を横に振ると、再度二人に向き直った。


「...あり得ない。断定するには他の患者も見て、病状の統計をもっと集めないと。ラミウス、これからこの神殿内にいる全員を診察して治療するわ」


「な...全員だと?!800人以上はいるんだぞ?!」


「構わない、これは時間との勝負よ。でも私だけでは手が足りない。ミキ!今の私の治療は見て覚えたわね?」


「ハッ!全て心得ておりますルカ様」


「よし、ミキは左列の軽症者から治療していって。カルテを付けるのを忘れずにね。私は右列の重症者から始めていくから」


「了解しました」


「パルールおじいちゃんはミキを手伝ってあげて。ライルは患者にかける毛布の手配、ラミウスは私と一緒よ、いい?」


「分かった!」


「かしこまりました」


「了解だ、ルカ」


 そして二人の主治医を迎えての一斉治療が始まった。ルカと同じくミキも患者から詳細を聞き、段取りに沿って治療した後にカルテをつけていく。ライルも手早く毛布を患者たちに与え、ルカに続くラミウスもしっかりと助手を務め、全ての患者を治療するのに6時間を要した。そして神殿内から患者達のうめき声と悲鳴が消え、約一年ぶりに静寂が戻ってきた。


 患者の家族達も、懸命に治療を続けたルカ達5人に感謝の言葉を述べ、ルカもそれに笑顔で答え、皆を励ました。診察のため神殿に残るラミウスを残し、ルカ・パルール・ミキ・ライルの4人は神殿の外に出た。


「ライル、地獄酒出して」


「ハッ、こちらです」


 中空のアイテムストレージに手を伸ばし、中から直径50センチ程の大きな樽を取り出すと、ルカに手渡した。そして蓋の栓を外すと、左手に地獄酒を注ぎそれを両手に擦り込んだ。それを見たパルールが不思議そうにその様子を見つめる。


「おいルカよ、手に酒なんぞ塗ってどうするつもりじゃ?」


「おじいちゃんもこれで手を消毒して。ミキ、ライル、あなた達二人もよ。地獄酒のアルコール度数は高いから、これで患者に触れた手を殺菌できるかもしれない。私達は平気だけど、おじいちゃんに病気を移したくないからね」


「そ、そこまでは気が付かんかったわい。分かった、わしの手にも酒を注いでくれ」


 四人が手を消毒し終わると、パルールはルカ達三人に顔を向けた。


「さて、もう夜更けだ。皆疲れたであろう、今日はわしの屋敷に泊まってゆけ。食事も出すぞ」


「それは助かるね。深夜一時か...じゃあお世話になろうかな」


「お前達なら大歓迎じゃ。この三街区を抜けてすぐの中心街に屋敷がある。こっちじゃ、ついてこい」


 永続光コンティニュアルライトの街灯が深夜の街路を照らす中、10分ほど歩くと中心街に入り、ややすると大きな3階建ての家屋が見えてきた。木造りの頑丈な扉を開けて四人が邸宅内へ入ると、マスクをした三十代ほどのメイドが出迎える。


「お帰りなさいませパルール様。遅いお帰りでしたね」


「うむ、後ろにいるこの者達が神殿の患者を治療してくれてな。ここに泊める事になった。客間の用意は整っておるか?」


「もちろんでございます。お食事の準備も出来ておりますよ」


「そうか、夕食もまだじゃったからな。ルカ、お主も腹が減ったであろう?」


「へへ、実はペコペコでさ」


「うむ。では夜分に済まないが、早速食事の支度に取りかかってくれ」


「かしこまりました」


 マスクを外したパルールを先頭にルカ達は屋敷奥のリビングに案内され、大きな10人掛けの木造テーブルにある椅子に腰掛けた。するとパルールが部屋脇にあるラックから、二本のワインボトルと小型の樽を取り出してテーブルの上に置き、4つのグラスを並べる。


「食事が来るまで一杯やらんか?疲れも取れるぞ」


「いいね、ありがとう。でもそんな気を使わなくても大丈夫よおじいちゃん」


「遠慮するでない、ほんのささやかな礼じゃ」


 パルールはコルクスクリューで栓を抜くと、ルカ・ミキと自分のグラスに並々とワインを注ぎ込んだ。続いて地獄酒の樽を開け、ライルのグラスにも酒を注ぐ。


「ライルとやら、お主はこちらの方が好みであろう?」


「ああ。済まんなパルール都市長」


 そして4人がグラスを掲げると、パルールは三人の顔を見渡した。


「...わしは、今日目の前で起きた事が未だに信じられん。フラリと現れたお前達三人の暗殺者が、我が都市テーベの神殿にいる患者達の悲鳴を消し去り、苦しみから解放してくれた。特にルカよ、わしはお主に謝らねばならん。ずっと疑っていた。何よりお主のその人柄、患者達を慈しむ姿勢、これが本当にあの伝説のマスターアサシンなのかとな。じゃがお主が暗殺者であろうがなかろうが、そんな事はもうどうでも良い。お主は門の前でこう言ったな、(殺す方法を知る者は、同時に生かす方法も知っている)と。その力があのラミウスをも超える力だとは思ってもみなかった。...お主は立派な医者じゃよ、ルカ。このテーベのために力を尽くしてもらい、ありがとう、そして済まなかった。ほんの僅かでも疑ってしまったわしを、許してやってくれ...」


 パルールの目から熱い涙が零れ落ち、それを見たルカはグラスを手に席を立つと、マントの裾で涙を拭い去り、老人の隣に寄り添って肩を支えた。


「いいのよおじいちゃん、気にしないで。今日初めて会ったばかりなんだし、疑うのは当然だよ。ひとまずテーベの死者増大は回避されたんだし、辛気臭い話は無しにして今は飲もう?ね?」


「...ああ、そうじゃな。ルカ、そしてミキ・ライルよ、感謝する。乾杯」


「乾杯、おじいちゃん」


(キン!)と二人はグラスをぶつけ、四人は酒を仰いだ。ルカが席に着くと、メイドが銀製のトレーに皿を乗せて四人の前に料理を運んできた。


「お待たせしましたパルール様、お客様。どうぞお召し上がりくださいませ」


 その料理を見て、ルカの目が輝く。


「すごーい!これビーフシチューだね?」


「カルサナス産の牛フィレ肉と野菜で作ったシチューでございます。お代わりもございますので、いくらでもお申し付けくださいませ」


「ありがとう!いただきまーす」


 ルカ・ミキ・ライルがスプーンで角切りの牛肉を一口頬張ると、三人共驚愕の顔を見せる。


「んんー美味しい、肉がとろとろに柔らかいよ!」


「...この野菜とスープのコクも素晴らしいですわね」


「美味いな、これは」


 食事に夢中になっている三人を見て、パルールもビーフシチューを口に運んだ。


「このカルサナスは広大な土地を有しておる。四都市を挟んだ中心部に巨大な牧場があってな。そこで牛や豚・鳥などを飼育しておる。その回りにある広い畑では、様々な種類の農作物を育てて収穫している。更に海に面したカルバラームでは新鮮な魚介類も獲れるからな。それらを周辺国家に輸出して、国が成り立っている。自然の恵みに囲まれているのが、このカルサナス都市国家連合という訳じゃよ」 


「そうなんだ、道理で美味しいわけだよ」


 そして4人は食事を摂り終わり、ルカはワインを飲みながら腹を摩っていた。


「いやー、お腹いっぱい!ご馳走様おじいちゃん」


「喜んでもらえたようで何よりじゃ」


「明日は他の街も診て回らないといけないし、今日はもう寝ておこうかな」


「...その事なんじゃがルカ、お主の力を見込んで一つ頼みがある」


「何?頼みって」


 パルールは一気にワインを飲み干すと、改まった様子でルカを見た。


「神殿に向かう途中で少し話したと思うが、ベバード都市長・テレスの娘とゴルドー都市長のメフィアーゾという者が、かなり重篤な状態に陥っておる。明日この二つの街に行き、二人を優先して治療してほしいのじゃ。どちらもこのカルサナスに無くてはならない存在、今命を落とさせるのはあまりにも不憫なのでな」


「いいよ、分かった。でも私も魔法に使う精神力を回復させるために、少し長く眠らないといけないから、明日の昼過ぎくらいまで寝かせてもらってもいい?」


「それはもちろんじゃ。何事も体が資本じゃからな、ゆっくり休むとよい」


 そしてルカ達は2階の客間に案内された。木造の何ともアンティークな部屋だったが、20畳ほどの広い部屋に大きいベッドが丁度三つ置かれており、天井も高く落ち着いた内装だ。パルールは口髭をワシワシと撫でながらルカに笑顔を向けた。


「この部屋を好きに使ってくれて構わんからな。わしは上で寝ておるから、何かあれば呼びに来てくれ」


「うん、ありがとうおじいちゃん。おやすみ」


 そしてパルールは三階の自室で就寝し、波乱に満ちた一日が終了した。



───翌日 12:11 PM───


 パルールの好意でルカ達三人は風呂に入り、体を洗い流して装備も整え、屋敷一階のエントランスに集合して準備が整った。ルカはロングダガーの柄に手を添えて、パルールに笑顔を向ける。


「それじゃあ行ってくるね。本当なら魔法でひとっ飛びしたいところなんだけど、私達ベバードには行った事ないから、街道沿いに飛行フライで飛んでいくよ。4時間もあれば着くと思う」


「待てルカ、それならもっと早くに行けるいい手がある。わしも一緒に行くぞ」


「何?いい手って」


 パルールは右耳に手を添えて床に目を落とした。


「しばし待て。伝言メッセージ


───────────────────


『わしじゃ』


『パルール都市長か、どうした?今少し手が離せないんだが...』


『そうか、済まぬな。これからそちらに医者を一人連れて行く』


『医者?ラミウスではないのか?』


『別人じゃ。詳しくは会ってから話す。わしの屋敷に転移門ゲートを開いてもらっても良いかの?』


『...分かった、すぐに開こう』


─────────────────────


 パルールが右耳から手を離して伝言メッセージを切ると、広いエントランスの中央に暗黒の穴が口を開けた。それを見てルカは目を瞬かせる。


「すごい、転移門ゲートを使える人がいたんだね」


「そういう事じゃ、行くぞ。三人ともわしに続け」


 パルールは顔に布を巻き付けて口と鼻を覆うと、暗黒の穴を潜った。


───カルサナス都市国家連合中央 べバード 都市長邸宅内 12:20 PM


 転移門ゲートを抜けると、そこは25畳ほどの大きな寝室だった。部屋中央にあるダブルベッドの周りには、マスクを着用し白衣を着た医師らしき者たちが、5人ほど取り囲んでせわしなく動いている。よく見るとその医師達の耳は鋭利に尖っており、森妖精エルフ系の種族である事が伺えた。ベッドから一歩離れた医師達の背後には、患者の両親らしき男女が心配そうに見守っている。


 パルールはその中の主治医と見られる、カーキ色のローブを纏った女性の背中越しに声をかけた。


「イフィオン都市長、容態はどうじゃ?」


「来たか、パルール都市長。...正直言って変わらずだ。熱も下がらず、快方には向かっていない」


「そうか...」


「医者を連れてくると言っていたな、誰がその医者なん────」


 そう問おうとしたイフィオンは、パルールの3メートルほど後ろに立ち、笑顔でこちらを見つめ返す黒ずくめの女性を見て、言葉に詰まってしまった。


「...お、お前はまさか...」


「久しぶりイフィオン。パルールおじいちゃんに頼まれてね、手伝いに来たよ」


「...ルカ・ブレイズ!!」


 イフィオン・オルレンディオは手にした医療器具を放り出し、パルールの後ろに立つルカの胸に飛び込み、力いっぱい抱き締めた。ルカもそれを受け止め、イフィオンの体を抱き寄せる。


「ああ、我が友よ...奇跡としか言いようがない。このような時期に、何故このベバードへ?」


「冒険者組合から依頼があってね。カルバラームのモンスター討伐依頼は、君が出したんでしょ?そのついでに君の顔も見に来たんだよ」


「そうだったのか...」


 その様子を見ていたパルールは、目を見開いてルカの顔を見上げた。


「と、という事はやはりお主は、本物のルカ・ブレイズ...?」


「...おじいちゃん、だから私は何度もそうだと言ったでしょ?」


 胸元に顔を埋めていたイフィオンが顔を上げ、体を寄せたままルカの目を覗き込んだ。マスクをしたそのブルーの瞳からは涙が滴っている。


「ルカ...もっとよく顔を見せてくれ」


「...もう。話はパルールおじいちゃんから全部聞いたよ。こんな事になる前に、何でもっと早く私に伝言メッセージで連絡入れなかったの?」


「..済まない。この病気は人から亜人へ、亜人から人へ驚異的なスピードで感染する。お前に万が一の事があったらと思い、この地へ呼ぶ事は躊躇われたんだ」


「私は大丈夫だから。ここまでの状況を教えてくれる?イフィオン」


 ルカの背中に回した手を離すと、イフィオンはローブの袖で涙を拭い小さく頷いた。


「ああ、分かった。カルバラームの患者も含め、私の調合した上位回復薬ハイ・ポーションや解毒薬、その他あらゆる薬を試したが、延命させるのが精一杯で完治させるには至らなかった。今治療しているこの娘には最後の手段として、遥か昔お前に見せた事のある、半森妖精ハーフエルフ族にのみ伝わる薬・冥王の血ブラッドオブヘイディスまで飲ませたが、全く改善の兆しを見せない。薬と魔法の併用で体力とスタミナの消耗を防ぐのが関の山という状態なんだ」


「...だと思ったよ。少し期待してたんだけど、冥王の血ブラッドオブヘイディスでもだめだったんだね。私もテーベの神殿で重症者の治療に当たったけど、応急処置しかできなかった。魔法でも薬でも、この病気は普通の方法では完治しないと思った方がいい」


「...お前でもだめだったのか。一体どうすれば...」


 イフィオンはルカの両肩を握りしめ、床に顔を落としたが、ルカもイフィオンの肩を掴んで軽く体を揺さぶった。


「諦めるのはまだ早い。私が言いたいのは、この世界のバッドステータスとして存在しない病気という可能性があると言う事よ。まだ確証に至った訳じゃないけど、今病状の統計を集めているところなの。この異常事態を乗り切るにはイフィオン、アルケミストのサブクラスを持つ君の力が絶対に必要になる。お願い、力を貸して」


「...それは私のセリフだルカ。頼む、このカルサナスを救うためにも、お前の力を貸してくれ。冒険者組合の依頼として来たのなら、報酬はいくらでも払う」


「そんな事言っていいの? 高いよ?私」


「構わない。このままではカルサナスは滅んでしまう。間違わないで欲しいが、相手がお前でなければこんな頼み事はしない!お前でだめなら、この国はもう...」


「...大変だったねイフィオン。私に出来る事なら何でもするから、そんなに落ち込まないの。報酬の話なんか後でいいから、ね?」


「...ありがとうルカ。感謝する」


「ほら、パルールおじいちゃんにも頼まれたし、患者を見せてくれる?」


「分かった、この子だ。診てやってくれ」


 イフィオンとルカがベッドに近づくと、恐らく助手であろう白衣の半森妖精ハーフエルフが場所を空けた。ベッド脇のテーブルには何十本もの多種多様なポーションが置かれており、羽毛布団がかけられたベッドの上には、オレンジに近い金髪の女の子が横になっていた。目はしっかり開かれているが息が荒く、先ほどから交わしていたイフィオンとルカのやり取りを聞いていたらしかった。


 ルカは力なくベッドで横たわるその女の子の顔を覗き込んだ。


「やあ、こんにちは。私はルカ・ブレイズ。パルールおじいちゃんに連れて来られた医者だよ。お嬢ちゃんの名前は?」


「ハァ...ハァ...こ、こんにちは!パルール都市長のお客さまですか?このような姿でおもてなしが出来ず、大変申し訳ありません。私はカベリア...リ・キスタ・カベリアと申します!よろしくお願い致します、ルカ様!..ハァ、ハァ」


 息も荒く、顔中に脂汗を滲ませているにも関わらず、笑顔を絶やさない少女を見て、ルカを含めパルール・イフィオンの心がズキンと痛んだ。ルカは懐から白いハンカチを取り出すと、少女の汗を拭いながら返事を返す。


「...こら。子供がそんなに畏まらなくてもいいんだよ。カベリア、年はいくつ?」


「は、8才です!」


「そっか。具合が悪そうだ、すぐに診てあげるからね」


「いいえ、それには及びません!今お茶をお煎れします、少しお待ちくださいルカ様!」


 (ガバッ!)とベッドから勢いよく起き上がったカベリアを見て、その場に居た全員が血相を変えた。主治医のイフィオンが咄嗟に胸を押さえこむ。


「カベリア!!寝ていなければだめだ、おとなしくしていろ!」


「イフィオン都市長、家の蔵に美味しいべバードティーがあるんです!我が国へ来たのなら、是非初めてのお客様にも味わっていただかなければ!」


「...何を言っている、お前は重病人なんだ!!頼むから言う事を聞いてくれ、お願いだ...」


 その様子を見て、カベリアの両親であるテレス都市長夫妻も絶句する。イフィオンに無理矢理横にされたカベリアは、笑顔のままイフィオンに反論した。


「ハァ...ハァ...イフィオン都市長、何度も言っていますが私ならもう大丈夫です!それよりも、べバードの神殿にいる他の市民達を診てあげてください!」


「お前だってその神殿で隔離されてもおかしくない状態なんだ!...いい?カベリア。今日来てくれたこのルカ・ブレイズはね、私の本当に古い友人であり、私よりも遥か上の力を持った魔法詠唱者マジックキャスターなの。...もう私達では、君の体をこれ以上治せない。逆に言えば、このルカお姉ちゃんにカベリアの体が治せれば、神殿にいる人達も助かると言う事よ。べバードの民達を救いたければ、まずはカベリア自身が病気を治さなければいけない。私の言いたい事、分かるよねカベリア?」


 少女の小さな手を握りしめながら、イフィオンは言葉を作るのを止めて切々と訴えた。その必死な様相を見て、笑顔を絶やさないままカベリアは頷いた。


「...わ、分かりました。イフィオン都市長がそこまで仰るのなら。でも私は本当に大丈夫です!診てもらえばご理解いただけるかと思います。ルカ様、せっかくお越しいただいたお客様なのにお手数をおかけして、誠に申し訳ありません!」


 ルカ...そしてミキ・ライルの三人にだけは分かっていた。この年端も行かない幼い少女が、想像を絶する苦痛にのたうちまわり、心の中で絶叫を上げている事。そしてこの少女は既に死を受け入れている事を。


”短かったが、幸せな人生だった。”

────そして両親と周りを心配させまいと必死で振りまく笑顔、死を悟った覚悟の目。...子供がしていい顔ではない。こんな顔を子供にさせては絶対にいけない。


「...もういいカベリア、分かった。それ以上喋らないで」


「...え?」


 ルカはベッドに歩み寄り、笑顔を作るカベリアの額と腹部に手を乗せて魔法を詠唱した。


体内の精査インターナルクローズインスペクション

 

───予想は的中した。カベリアの体は、ぺぺ=ブラドッグ以上にズタボロの状態だったのだ。ルカの手はワナワナと震え、目から大粒の涙が零れ落ちる。その涙がカベリアの頬に滴るが、それを見て慌てたのはカベリアを含め、イフィオン・パルールと周りの医師達だった。


「...つらかったね」


「...あ、あの...ルカ...様?」


「...もういいんだよ。私の前ではもう、我慢しなくてもいいんだよカベリア」


「う...」


「痛かったろう...苦しかったろう。お姉ちゃんが全部治してあげる。必ず最後まで面倒見る。だから、”どうせ死ぬんだから放っておいて”なんて言わないで。...こんな痛いのを我慢したのに、放っておけるわけないじゃない?」


「...ひぐっ...何で...分かるの?私の心...」


「お姉ちゃんはね、人間じゃない。アンデッドなの。だから、カベリアが頭の中で考えている事も、全部読めるんだよ?...もうこれ以上嘘をつかなくていい。無理に笑わなくていい。私にはカベリアの本当の顔が、見えているから」


 核心を突かれ、少女の作り笑顔が消えてみるみる崩れていく。カベリアは頬に添えられたルカの手を握りしめ、心の絶叫を言葉にした。


「...う...ひぐっ...頭が...すごく痛いよ...お腹と背中が痛いよ...うぇぇええん...もういや...助けて...助けてルカお姉ちゃぁあん!!」


「...ここまでよく頑張ったねカベリア!今痛いの全部取ってあげるから、もう大丈夫よ。来るのか遅くなってごめん...本当にごめんね」


 ルカの腕の中で泣き叫ぶカベリア。イフィオン・パルールは言うに及ばず、実の両親でさえも知らなかったカベリアの激痛と本心を知り、愕然とする他なかった。誰も知り得なかった苦しみを見抜いたルカ、その苦しみから逃れるために死すら受け入れたカベリア、この二人に通じ合った絆に立ち入れる者は、部屋の中に誰一人としていなかった。


 ルカはカベリアに証明するため、そして一刻も早く痛みから開放するために、治療の手順を通常と逆にした。


魔法持続時間延長化エクステンドマジック痛覚遮断ペイン・インターセプト


 銀色の光球に包まれ、泣き晴らしていたカベリアの表情が(スゥッ)と落ち着いていった。そして体内の解毒・内臓の修復と治療を進め、治療を終える頃にはルカの手を握り、完全に身を委ねている様子だった。


 呆然と見つめ返すカベリアの目を、ルカは笑顔で覗き込んだ。その赤い目がユラリと輝く。


「...フフ、私は”奇跡”なんて起こせないよカベリア。ただの冒険者が、ちょっと強い魔法を使っただけさ」


「...ルカお姉ちゃん、ほんとに心が読めるんだね」


「そう、お姉ちゃんには嘘ついても無駄。まだどこか痛む?正直に」


「...嘘みたいに引いちゃった。もうどこも痛くない。ほんとだよ」


「良かった。病気は完全に治ったわけじゃないし、明日にはまた痛くなるから、その時は魔法かけてあげるからね。それまで大人しく寝てるのよ?」


「...こんな日が来るなんて、私思わなかった。...ありがとうルカお姉ちゃん。他の人たちも助けてあげて?」


「もちろんそのつもりだよ。でもその前に、君は自分の体を治す事に専念しなきゃ。いいねカベリア?」


「うん、分かった」


 ルカがベッドで横になるカベリアに身を寄せると、カベリアは自らルカの首を手繰り寄せ、そして抱きしめてきた。ルカもカベリアの頭を支え、左頬にそっとキスをする。体を離すが、カベリアはルカの左手を握ったまま離そうとしない。その状態でベッド脇に座ったまま、ルカは暗い目線を半森妖精ハーフエルフに向けた。


「...イフィオン、この子のカルテはある?」


「あ、ああ。ここにあるが」


「今から言う事をメモして」


「分かった、いつでも始めていいぞ」


「...首・両肩・両肘・両膝、計7箇所のリンパ節損傷、肺胞の壊死、脊髄カリエス、腎臓・膀胱・腸・胸膜・腹膜の異常...つまり多臓器不全、視神経・鼓膜の化膿。そして最後に...髄膜炎。以上よ」


「ちょっと待て...肺はまだ分かるが、脊髄と言う事は、骨にまで毒が回っていたのか?!全身の内臓に加えて、髄膜炎って...つまり脳を覆う被膜にまでダメージがあったということか?」


「...頭痛と腹痛、背中の痛みはそのせいよ。特に髄膜炎に関しては、あと一歩で化膿が脳へ達する所だった。...極限の苦しみだったはずよ、それこそ意識をいつ失ってもおかしくないほどのね」


「...それに加えて、リンパ節と神経の炎症...体中が...悲鳴を上げていた...」


「そういう事。持って余命5日...って所だったね、私の見立てでは。ここまで意識を保てたのは、一重にカベリアの精神力が物を言ったからだと思う。はっきり言ってこれこそ奇跡だよ」


「...つまり、私達が行ってきた治療は、全て見当違いだった...」


「...イフィオンとラミウスのせいじゃないよ。君達を責めるつもりはない。でも実際問題として、そういう事になるんだろうね」


 重い沈黙が流れた。イフィオン・パルール・テレス都市長、各々が目の前に突き付けられた現実を乗り切るため、全力で思考を回転させていた。しかしその沈黙に耐え切れず、ルカの手を握りベッドで横になるカベリアが口を開いた。


「ルカお姉ちゃん、イフィオン都市長は二ヶ月も私に付きっきりで診てくれてたの。悪く言わないであげて?」


「...分かってるよカベリア、そんなつもりはないから大丈夫。みんなが必死で戦ったからここまで生きてこれたんだ。でも今日のカベリアを診て、この病気が一体何なのかほぼ確信に至った」


「本当か、ルカ?!」


「一体何だと言うんじゃ?!」


 イフィオンとパルールが身を乗り出してきたが、ルカは二人の肩を掴んで落ち着かせた。


「最初に言っておくけど、これが私の予想通りなら、この世界には絶対に存在しない...いや、あってはならない病気だ。それを証明する為には、私が診た中で最も重症な、カベリアの血液が必要になる」


「血液?そんなものを一体何に使うんだ?」


 そのイフィオンの問いには答えず、ルカは背後で見守っていたカベリアの両親に顔を向けた。


「あなたがカベリアのお父さん...テレス都市長?」


 6:4に分けたブラウンの髪に立派な口髭を蓄えている、シルクの服を着た精悍な男は、ルカに向かって一歩踏み出してきた。


「...いかにも。都市長のリ・テレス・カベリアだ、娘を救っていただき、心より感謝する。挨拶が遅れた事をお詫びしよう、名高きマスターアサシン・ルカブレイズよ」


「わ、私は母のベハティーと申します!ルカ様、何とお礼を申し上げたら良いか...キスタは私の宝です。娘のためならこの命惜しくはありません。何なりと仰ってくださいませ」


 髪の色もカベリアに近い金髪の、目鼻立ちも似ている美しい母親までもが前に出て頭を下げた。二人を見てルカは笑顔を向ける。


「テレスさん、ベハティーさん、済まないが赤ワインを一本用意してもらえるかな。それとやかんに、陶器製のコップをいくつか用意してほしい」


「分かりました、赤ワインですね?...あなた、食器は台所から持ってきてくださいまし!」


「承知した、すぐに用意しよう」


 二人が寝室から出ていくなり、パルールは不思議そうな顔をルカに向けた。


「赤ワインなんぞ、一体何に使うつもりじゃ?まさか飲むのではあるまいな」


「違うよ、染色体を染める色素を作るの」


「色素?」


「イフィオン、ベッド脇に置いてあるテーブルを使いたいの。上に乗ってるポーションの瓶とか、全部片付けてもらっていい?」


「分かった。皆でどかすぞ、手伝え」


 イフィオンと弟子達総出で一斉に片付け終わり、テーブルを部屋中央に移動させた。するとテレスとベハティーが手に荷物を抱えて寝室に入ってきた。


「赤ワインはこちらでよろしいでしょうか?」


「やかんとコップも持ってきたぞ、これでいいのかルカ?」


「十分だよ、このテーブルの上に置いて」


 並べられるとルカは中空に手を伸ばし、アイテムストレージからカセット式のバーナーを取り出して、その上にやかんを乗せた。その中に赤ワインを注いで火をつけ、湯切り口にコップをかぶせてその下に受け皿用のコップを置く。イフィオンが訝しげな顔を向けて質問してきた。


「ワインを沸騰させて、何をする気だ?」


「赤ワイン...つまり葡萄の色素であるアントシアニンを蒸留して取り出すのよ」


「アントシアニン?何だそれは?」


「いいからまあ見てなって」


 ワインが沸騰し、湯切り口にかぶせたコップの中に蒸気が溜まると、その水滴が下に置いたコップへと落ちていく。その赤色の液体を取り出すと、ルカはバーナーの火を消してアイテムストレージに収め、やかんを床へと置いた。


 そして入れ替わりに、アイテムストレージの中からジェラルミン製のケースと、イフィオンやパルールが見たこともない、銀色をした縦長の機械を取り出した。イフィオンがそれを見て目を丸くする。


「今度は一体何だ?その...いびつな物体は。武器か何かか?」


「これは走査型電スキャニング・エレク子顕微鏡トロン・マイクロスコープ。アルケミスト・ファーマシスト専用のアイテムよ。私はファーマシストのサブクラスを持ってるから、昔趣味で使ってたの。通常の顕微鏡としても使えるけど、ポーション系アイテムの組成...つまりレシピや、毒の種類を見破る効果があるの。イフィオンにも使えると思うから、後で使い方を教えてあげる」


「顕微鏡...毒...それを使えば、カベリアの血液に潜む毒を看破できるということか?」


「さっきも言ったけど、これは通常この世界で感染する病気...つまり、ポーションや魔法で治る病気とは異質なものよ。だから毒の看破ではなく、純粋に顕微鏡としての機能を使う」


「...つまり人や亜人が持つ、血液の中にある病原体を確認するための装置なのか?」


「そういう事。このアイテムを大切に保管しておいて良かったよ。そしてその病原体だけを変色させて見易くするために、さっき赤ワインを蒸留して取り出したアントシアニンが必要になるってわけ。染色体を染めて、細胞の判別を容易にさせるためにね」


「...お前、一体どこでそんな知識...いや技術を身に着けたんだ?だってお前は元々...」


「...そうよ、この世界に来る前...つまり現実世界での私は、医術を修得していた。昔少しだけ話した事あるよね?...今この話はよそう、時間が惜しい」


「...分かった、済まない。私に何か手伝える事はあるか?」


「じゃあ、そのジェラルミンケースを開けて、中からプレバラートとカバーグラス、それにスポイトを取り出して」


 言われた通りにケースを開けたが、中に詰まった見たこともない様々な医療器具を前に、イフィオンの目は点になっていた。


「ど、どれがプレバラートで、どれがカバーグラスだ??」


「...これ。この長方形のガラスがプレバラートで、この薄い正方形のガラスがカバーグラスね。スポイトは分かるでしょ?」


「ああ、それなら分かる。了解した」


 ルカはその中から注射器とゴムチューブを取り出し、カベリアの寝ているベッドに歩み寄ると、左腕上腕にゴムチューブをきつく巻きつけた。それを見てカベリアの顔に不安が過る。


「ル、ルカお姉ちゃん、何するの?」


「ごめんねカベリア、これから病気の検査をする為に少しだけカベリアの血を取るから、ちょっとだけ我慢してね。魔法をかけてあるし痛くないから、心配しないで」


「う、うん、分かった」


 ゴムチューブを巻き、カベリアの血管が浮き出てきた事で、ルカは静脈にスッと針を指し、注射器でゆっくりと吸い上げた。意図に反し全く痛みを感じなかった事にカベリアは驚いていたが、アイテムストレージから脱脂綿を取り出すと穿刺した箇所を押さえ、素早く針を抜く。


「カベリア、血が止まるまで3分くらいここ押さえててね」


「分かった、お姉ちゃん」


 そしてイフィオンの用意したプレバラートに血液を塗付け、先程取り出したアントシアニン色素をスポイトで吸い上げて一滴垂らし、その上からピンセットでカバーグラスをかぶせて顕微鏡のステージにセットした。


 アームと倍率を調整しながら接眼レンズを覗き込み、カベリアの血液を検査していく。


 そしてルカは目的の物を見つけた。...いや、見つけたくなかったと言った方が正しいか。そのまま接眼レンズから目を離し、ショックからか天井を見上げて目をつぶる。大きく溜息をつくルカを見て、イフィオンが心配になり隣に寄り添ってきた。


「ルカ。...何を見た?」


「...嫌な予感が当たった。この世界ではあり得ないもの。いや、あってはならない病気だよ。...イフィオン・おじいちゃん・テレス、三人とも自分の目で見てごらん?」


 そう言われてまずイフィオンから接眼レンズを覗いた。そこに映っていたものは、赤く染まった細かい空気の粒子が幾重にも折り重なり、タンポポのように円形のコロニーを形成している胞子状の細胞が、いくつも塊になって並んでいる姿だった。パルールとテレスも順番にその様子を見て、三人ともがルカに向かって首を傾げていた。


「...ルカ、この丸い胞子がカベリアの血液に含まれていると言う事は、つまりどういう事なんだ?」


「知らない?...知る訳ないよね、地球でもほぼ絶滅した細菌なのに、この世界に存在するという事がそもそも異常事態なんだから...」


「...これが病原体なのか?ルカよ」


 ルカは見上げていた天井から顔を下ろし、三人の顔を真っ直ぐに見た。


「コリネバクテリウム亜目・マイコバクテリウム属...通称ヒト型結核菌と呼ばれる細菌だよ。こことは違う世界・違う場所での数百年前は、不治の病として恐れられていたんだ。この菌は飛沫感染...つまり咳やくしゃみで空気中に放出された唾液や体液から、人の呼吸器を通して爆発的に感染する。免疫力のない者が感染すると、そこから肺結核・肺外結核へと進行していく。つまり今までテーベの街の神殿で見た肺胞の壊死から始まり、そこから全身のリンパ節へ膿が転移し、更には多臓器不全・吐血・目や耳の神経系・骨の化膿にまで拡大していく。...そして私が結核菌だとほぼ断定する決め手になったのは、カベリアの症状だ。脳を覆う髄膜にまで菌が感染した髄膜炎、これは末期の結核患者に多く見られる症状だった。そしてここまで簡単に病気が進行してしまうのには訳がある。この世界には、結核菌が蔓延したという記録がない。つまり、カルサナスに限らず世界中の誰もが、結核菌に対する耐性を持っていないんだ」


 ...ポーションも魔法も効かない、この世界に取って未知の病原菌。不治の病として恐れていた病気に関する、全ての謎が解けた。少なくともパルールとイフィオンはそう考えていた。結核菌などという名前も聞いたことのない、ルカ曰く別の世界で発生したとされる伝染病が、理由は不明だがこの世界へと持ち込まれたのだ。


 そしてイフィオンとパルール、テレス三都市長は恐れた。世界中の誰もが耐性を持っていない病原菌が外の国へと漏れたなら、それはすなわちこの世界の破滅を意味する。その場にいた誰もが五里霧中に陥っていた時、横になっていたカベリアが思い出したように口を開いた。


「...ルカお姉ちゃん、”地球ではほぼ絶滅した細菌なのに”って言ったよね?地球って、お姉ちゃんが元いた世界なんでしょ?どうやって病気を乗り越えたの?」


 その問いを聞いてカベリアの目を見たルカはハッとしたが、消去法から可能性を除去しつつ、意気消沈しながら答えた。


「さっきも言った地球という星で、西暦1943年...今から593年前に、結核菌に対する特効薬が発見されたんだよ。ストレプトマイシンという抗生物質で、そこから新しい放射菌の発見・単離と共に、新種の薬へと発展していった。イソニアジド・リファンピシン・リファブチン・ピラジナミド・エタンブトールへと派生し、特定の薬に耐性を持つ結核菌に対抗して、これらの薬を組み合わせた多剤療法が行われるようになり、人類はこの病原菌を乗り越えていったんだ。でもそのどれもがこの世界では存在しない薬なの。手に入れることは正直...」


 カベリアはそれを聞いて口をへの字に曲げたが、ルカの気落ちした表情を見て負けじと対抗してきた。


「ん〜、私難しい話は分かんないけど、カルサナスが多分最初にケッカクキンにかかったんだよね?」


「そうだと思うよカベリア。私の知る限りではね」


「じゃあケッカクキンは、私達が初めてかかったんでしょ?そのケッカクキンも、他の薬に強くないんだよね?」


「...薬剤耐性ってこと?...うん、恐らくこの世界ではないと思うけど」


「それじゃあお姉ちゃん、一番最初に発見されたって言う、そのストレプ何とかって薬、作れないの?」



────作れる、素材さえあれば。

消去法から除外していた要素だった。よくよく考えれば除外する要素ではなかった。現に今、この世界で存在し得ない細菌が確認されたのだ。その他の細菌が存在しないという理由には一切ならない。ルカは目を大きく見開き、脳裏に記憶する精製手順をそのまま口にした。


「...抗生物質は全て放射菌から単離される。その放射菌は、腐葉土を多く含む土壌に生息する。この世界に放射菌が存在する事が確認できれば、魔法やスキルに一切頼ることなく、それを自分の手で分離・培養して、ストレプトマイシンを精製できる...かもしれない、カベリア」


「...やっぱりお姉ちゃんはすごい。私を助けてくれたお姉ちゃんなら、絶対何とかしてくれるって、私分かってたもん!」


「...こいつ、乗せたな?」


「乗せてないよ、ルカお姉ちゃんが勝手にやったんだもん」


「こらぁー!」


 ルカは席を立ち、カベリアのベッドに駆け寄って小さな体を抱き締めた。カベリアも大喜びでそれを受け止める。その様子をイフィオン・パルール・テレス夫妻は啞然と見守ったが、毅然と対応したのはイフィオンだった。


「そのストレプトマイシンというのが特効薬なんだな?...その薬を作るためには、何をすればいい?教えてくれ。カルサナスの全国家を総動員して対応しよう」


 ルカはカベリアが元気を取り戻してくれた事が嬉しく、勢い余ってじゃれていたが、イフィオンの真剣な口調を聞いてカベリアからそっと体を離した。


「...ああ、ごめんごめん。そうだね、じゃあまずカルサナス近郊にある森林や林から、土のサンプルを採取してきてほしい。できるだけ腐葉土の多い、栄養分豊かな土地から取ってきてほしいの。木や農作物が豊富に育つような土地からね。少量じゃなく、ある程度の量をそれぞれ確保してほしいんだ」


「森林や林でいいんだな、それなら有望な土地がいくつかある。カルバラームで植林している土地などがいいかもしれない。とにかく全て当たってみる」


「よろしく頼むね。力仕事でヘルプが必要ならライルを行かせるから。いいよねライル?」


「お任せください、ルカ様」


「分かった。ライル、必要な時は頼む」


 ルカは走査型電スキャニング・エレク子顕微鏡トロン・マイクロスコープとジェラルミンケースをしまうと、パルールに顔を向けた。


「おじいちゃん、次は東のゴルドーだよね?」


「そうじゃ。済まんな、苦労をかける」


「いいのよ、方向性も決まったし。何でもするって言ったじゃない」


「イフィオン都市長、ゴルドーに転移門ゲートを開いてもらっても良いか?」


「もちろんだ。だらしない奴だが、あいつも治してやってくれ、ルカ」


「了解。じゃあ行こうか」


 イフィオンが魔法を唱えようとした時、背後のベッドから声がかかった。


「ルカお姉ちゃん!...行っちゃうの?」


 寂しそうに見つめるカベリアを見て、ルカはベッドに歩み寄りカベリアを胸に抱き寄せた。


「夜までには戻るから。それまでちゃんと大人しく寝てるのよ?」


「...ほんとに?ほんとに戻ってきてくれる?」


 ...この子供らしからぬ強い不安。ただ事ではない。当然の事だろう、痛みに怯えているのだ。治療したとは言え、未だ結核で全身を蝕まれている事に変わりはない。今は魔法で痛みから開放されているが、カベリアはルカが診た中で最も重い症状を持つ罹患者だ。十四時間経てば魔法の効果が消え、再度全身に強い痛みが復活する。それどころか、定期的に治療を施さなければ命すらも危ぶまれる。


 ルカはそれを重々承知の上で、カベリアの左頬にキスをした。約束の意味を込めて。


「...帰ってきたら、お姉ちゃんと一緒に朝まで寝ようね。病気が治るまで、ずっと一緒だよ」


「...グスッ...ほんと?」


「本当さ。毎晩お姉ちゃんが隣にいたら、いや?カベリア」 


「ううん...いてほしい」


「その通りになるから、安心して。ゴルドーの都市長を治したら、すぐに戻ってくるから」


「...メフィアーゾ都市長?」


「そう。パルールおじいちゃんの話では、その人も病気が重いらしいから、治してあげないとね」


「...分かった、我慢して待ってる」


「...いい子ね。もう私はべバードに来たから、転移門ゲートを使用していつでも戻って来れる。待っててね、カベリア」


「行ってらっしゃい、お姉ちゃん」


「行ってくるね。ゆっくり寝てなさい」


 抱き寄せたカベリアから体を離し、ルカはイフィオンの前に立った。


「よろしく、イフィオン」


「よし開けるぞ。転移門ゲート


 ルカ・ミキ・ライル・パルールの四人は、暗黒の穴を潜った。



───カルサナス都市国家連合東・ゴルドー都市長邸宅内 14:37 PM


 部屋に着くと、そこにはカベリアの部屋と同じく半森妖精ハーフエルフの医師たち5人がベッドを取り囲み、せわしなく動いている。パルールとルカが近づくと、マスクをした男性の医師が背後を振り向き、声をかけてきた。


「パルール都市長、それにルカ・ブレイズ様ですね。先程イフィオン都市長より伝言メッセージで連絡を受けています。私はイフィオン都市長の一番弟子、アルガン・ベリアドーと申します。ルカ様のお話は私達カルバラーム住民の間でも語り草です。どうぞよろしくお願い致します」


「こちらこそよろしくねアルガン。それで、ゴルドー都市長さんの容態は?」


「...芳しくありません。特に胸と喉に痛みを訴えており、食事もろくに取れないせいで体力の消耗が非常に激しい。熱も高く脱水症状気味で、もっぱら水分と流動食で補っている状態です」


「なるほど、取りあえずは診てみようか」 


 ルカはベッドに近づき、横になる筋肉質な大男の顔を覗き込んだ。スパイキーヘアな戦士風で、年は20代後半と言ったところだろうか。


「こんにちは、初めまして。具合はどう?」


「...ゼー...ゼー...な、何だぁ?随分と可愛い姉ちゃんが来たな...野郎ばかりの医者で退屈してたとこだぜ...誰だいあんた?」


「私はルカ・ブレイズ。パルールおじいちゃんに連れて来られたのよ。あなたの名前を教えて?」


「パルール都市長にねぇ...てこたぁあんた、新しい医者か...随分と若ぇのが来たもんだ...ヘヘ、泣く子も黙るゴルドー都市長、メフィアーゾ・ペイストレスたぁ俺の事よ...よろしくなルカちゃん」


「よろしくねメフィアーゾ。でも私、これでも君よりずっと年上なのよ?」


「...ヘッ、嘘付け...どう見たって年下ってツラしてるぜ...あんまり大人をからかうもんじゃねぇや...」


「そう言ってくれるのは嬉しいから、許しちゃおうかな。ありがとう。少し体温測らせてね」


 額・首と手を触れ、シャツを捲りあげて脇の下の体温も測定するが、その熱の高さにルカは眉をひそめる。何故かメフィアーゾは顔を赤面させていた。


「お、おいおい躊躇ねえな...気安く男の体をベタベタ触るもんじゃないぜ」


「こんなムキムキマッチョな体してるのに、何恥ずかしがってんのよ。...39度2分、熱が高いのは多分喉をやられているせいだね。胸と喉以外で、他に痛い所はある?」


「...痛えってわけじゃねえが、右の背中の真ん中辺りに妙な違和感を感じやがる」


「...それって、ここらへん?」


 ルカは布団に手を入れて、該当部位を触診した。


「ああ、間違いねえそこだ。嫌な感じがしやがるぜ」


「...この位置は腎臓だね、ひょっとしたら菌が転移してるかもしれない。メフィー、これから魔法で全身を検査するから、そのままじっとしててね」


「...おい何だよその女みてえな呼び方はよ?ちゃんと名前で呼べ名前で!」


「だってメフィアーゾって言いにくいんだもん。いいじゃないメフィーの方が可愛くて」


「チッ、勝手にしろ...」


「動かないでね。体内の精査インターナルクローズインスペクション


 メフィアーゾの体内コンディションと、異常部位の映像がルカの脳内を駆け巡る。2分ほどして目を開けると、ルカはメフィアーゾの右肩鎖骨部に指をねじ入れた。


「メフィー、ここ痛いでしょ?」


「いって!...っておい何しやがる!!」


「あと、ここもね」


 ルカは羽毛布団を下げると、下腹部に手を伸ばした。


「ちょ...おいどこ触って───」


「いいから動かない!...ここよ」


 ルカは陰部からすぐ左、太腿の付け根を軽く押した。メフィアーゾの体に電撃のような激痛が走る。


「いててて!!いってーー!!!何だこりゃ一体?!」


「...やっぱりこっちの方が痛いね」


 ルカは羽毛布団をかけ直し、メフィアーゾの額に手を乗せた。後ろで見ていたパルールとアルガンもその様子を見てベッドに近づいてくる。


「もう痛い事はしないから大丈夫。アルガン、メフィーのカルテを用意。これから言う事を書き写して」


「分かりました」


「...肺胞の壊死・咽頭部の炎症・菌の腎臓への転移・右鎖骨部及び左大腿部股関節のリンパ節損傷、特に左大腿部の損傷は重度・進行レベルにより膀胱へ菌転移する危険性あり。医師の所見により、患者は肺外結核・及び腎結核と診断する。...以上」


「OKですルカ様、全てカルテに記入しました」


「よし。後日の治療にも使うから、大事に保管しておいてねアルガン」


「了解しました」


 まるで魔法の詠唱を聞いているかのようにポカンとするメフィアーゾだったが、ゴクリと固唾を飲みルカに質問した。


「おいルカちゃん...その結核っていうのが、カルサナスに蔓延する病気の名前なのか?」


「そうよ。この世界にあってはならない病名」


「それで...俺の容態はどうなんだ?やっぱり...死ぬのか?」


「君は立派な重症だよ。これから治療をするけど、それでも完治するわけではなく、あくまで症状を和らげる延命措置に過ぎない。でも病原菌が何なのか分かった以上、それに対する特効薬は存在する。今イフィオンと私達で、その特効薬を作るため素材の捜索に当たっているの。病原菌が結核だと特定できたのも、全てカベリアの協力があったからなのよ」


「...そうだ!イフィオンから伝言メッセージで聞いてたんだ。カベリアの嬢ちゃんもこのクソみてぇな病気にやられて...で、具合はどうなんだ、無事なのか?!」


「彼女はメフィーよりもずっと重症だったよ。君の腎結核とは違い、カベリアは粟粒結核ぞくりゅうけっかく...つまり全身ほぼ全ての内臓とリンパ節、それに脳までもが結核菌に侵され、激痛と戦いながら正に死の一歩手前だったんだ。今は私の魔法で落ち着いているけど、正直予断を許さない状況ね。こちらが薬を作るのが早いか、結核がカルサナスを滅ぼすのが早いか...勝負の分かれ目って所よ」


「そうか、おめぇがカベリアの嬢ちゃんを...ありがとうよ、恩に着るぜルカちゃん。あいつは将来きっと立派な都市長になる。俺なんかよりもずっと頭が切れるからな」


「フフ、随分と買ってるのね。取りあえずカベリアは小康状態だし、君も重症なんだから人の心配してる場合じゃないよ」


「...そうだったな。ほんじゃまあ、いっちょ頼むわルカ先生!」


「...全く。ちゃんだの先生だの、呼び方コロコロ変えるのやめてくれる?ルカでいいから」


「ほいよ、ルカ!」


「...体の力抜いて、楽にして。魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック毒素の除去ディスペルトキシン


 解毒・修復・疼痛除去と治療を終えると、メフィアーゾは深呼吸し、眠るように目を閉じた。そして羽毛布団の下から両腕を出し、顔の前で掌を開閉させる。やがて全身の筋肉に力を入れると、(メキメキ)という音を立てて胸筋が異常な程に張り詰めた。そして目を開き、左に座るルカの方を見る。


「フシュー。...あんたすげえんだなルカ。体調も良くなって、胸と喉の痛みも嘘のように引いちまった。...いいぞ、力が戻ってきやがった」


「こらこら、だからといって暴れたりしちゃだめだよメフィー?痛みが取れるのは十四時間だけだし、体の中にまだ菌がウヨウヨ残ってるんだから、この部屋で絶対安静だからね?」


「酒は飲んでも大丈夫か?」


「ダメに決まってるでしょ?また喉が炎症起こして痛くなるよ」


「ヘヘ、そいつぁ困るな。何か痛みが取れたら腹減ってきたわ。食う分には問題ねえだろ?」


「もちろん。栄養あるものをジャンジャン食べて」


「ありがてぇ。おいアルガン!悪いが肉持ってきてもらってもいいか?」


「そう言われると思い、用意してありますよ」


 すると下の階から医師達が様々な肉料理を運んできた。スパイシーな香りが寝室の中を満たし、その皿がベッドの上に置かれるとメフィアーゾは上半身を起こして、肉に食らいつき始めた。それを見てパルールが呆れた視線を投げかける。


「体が治った途端大食らいか、全くあやかりたいくらいじゃわい」


「うるへぇ!!この一ヶ月ろくなもん食ってねえふがふが」


「飲み込んでから喋れ飲み込んでから!!」


「...水!!」


「はいはい」


 ルカはアイテムストレージから無限の水差しピッチャーオブエンドレスウォーターとコップを取り出し、並々と注いでメフィアーゾに手渡した。その見事な食いっぷりを見守りながら、ルカは自然と笑顔になっていた。


 鳥と牛肉料理3皿を平らげたメフィアーゾは、感無量と言った面持ちで天井を見上げていた。


「...ぷはー食った食った!!久々のまともなメシだったぜ!!」


「メフィーすごい体力あるね。HPリカバリー速度も早いみたいだし、ひょっとしてCON体力特化型なのかな?」


「CON?何だそりゃ?まあ自慢じゃねえが、耐久力にかけて俺の右に出る奴はいねえぜ。何なら俺と勝負してみるか、ルカ?」


「病人相手に勝っても嬉しくないからやめとく。そういう事は体を治してから言ってね?」


「言ってくれるじゃねえか。ヘヘ、まあおめぇは恩人だ、いつか必ずこの恩は返すぜ」


「期待しないで待ってるよ」


 治療に集中していたので気づかなかったが、ぼんやりとベッドの向こうを見ると、右の壁際に巨大な両手斧が飾ってあった。それを見てルカはピンと来た。


「その戦斧バトルアックス...ああそうか!メフィーひょっとしてバーバリアンなの?」


「おうよ!男の職業クラスと言ったら、バーバリアンしかねえだろ!」


「そっか、だから体力の回復量が異常に高いんだね。バーバリアンでCON体力特化型か、ある意味理想かも」


「だろ?これでも昔は冒険者張ってたんだぜ。まあいろいろあって古巣のゴルドー都市長になっちまったが、今でも鍛錬はかかしてねえ。見ろこの筋肉美!」


 メフィアーゾはベッドの上で、見事なフロントダブル・バイセップスを決めた。ルカはそれを見てケタケタ笑いながら、このメフィアーゾという男の裏表がない性格に惹かれ始めていた。パルールの言う通り、この男を治療出来て良かったと内心思いながら、元気を取り戻した姿を見て席を立った。


「はー、面白かった。べバードに戻るから、明日また診に来るよ。ちゃんと大人しく寝てるのよ?」


「おっと!!...待ってくれルカ」


「ん、何?」


 メフィアーゾは急に真剣な表情に変わり、ベッドで上体を起こしたままルカに向き直った。


「...おめえは良い奴だ。ここまで話してみて良く分かった。俺の直感がそう言ってる。そのお前を見込んで頼みがある」


「頼みって?」


「ここからはお前の言うメフィーではなく、ゴルドー都市長、メフィアーゾ・ペイストレスとして話す。...頼むルカ、このゴルドーの神殿にいる結核の重症者達に、お前の魔法で治療を施してやっちゃくれねえか?!俺もこんなザマだ、うちの市民共を見舞いに行って勇気づける事すらできねえ。俺だけがお前の治療を受けて楽になるなんて、都市長としてありえねえんだ!!このゴルドーは市民全員が苦楽を共にする街だ。去る者は追わねえが、来る奴は絶対に見捨てねえ、それがゴルドーって街の誇りだと思ってる。報酬が必要だってんなら、こんな状況だし出せる金は多くねえが、お前の力量を見込んで最大限払わせてもらう!俺の財産はもう、カルサナスとこの街の住人しか残されてねえんだ!!頼むルカ、この通りだ!!」


 ルカがメフィアーゾの人柄に良い印象を抱いたのと同様に、メフィアーゾもルカの人格を探っていたのかもしれない。自分の体で治療を受ける事で、この街を救うに足る人物かどうかを確認した。そして今メフィアーゾは、ベッドの上で頭を下げている。読心術マインドリーディングを使うまでもなく、その言葉に嘘偽りは一切なかった。そう疑う必要もなかった。ルカが一歩前に進もうとした時、その姿を後ろで見ていたパルールが言葉を発した。


「よくぞ言った。だからこそ、その民を思いやる気持ちがあるからこそ、お前はゴルドー都市長に選ばれたのじゃメフィアーゾ。ここからはルカ達の意思一つじゃが、わしはテーベの神殿で奇跡を見た。お前のその気持ち、この慈悲深き暗殺者に伝わるものとわしは信じておる」


 メフィアーゾがその言葉を聞いて顔を上げた時、そこには首を傾げて優しく微笑むルカが立っていた。そしてゴツいスパイキーヘアの頭にポンと手を乗せると、メフィアーゾの目を覗き込んできた。


「メフィーが都市長って事、話してたら楽しくてすっかり忘れちゃってたよ。ごめんね気が付かなくて。心配しないでも、私は最初からそのつもりでカルサナスに入ったんだよ。それと私はもう決めたの。パルールおじいちゃんも、イフィオンも、カベリアも、そしてメフィーも、その回りにいるカルサナスの人達も全員助けてあげようって。一度やると決めたら、私は絶対にやり通す女よ。だから安心して、メフィー」


「...ルカ...済まねえ、この借りは必ず返す...」


「よろしくね。そうと決まったら早速行こうか。メフィーは外に出れないから、パルールおじいちゃん、この街の神殿どこか分かる?」


「もちろんじゃとも。メフィアーゾ、わしが責任を持ってルカ達を連れて行く。お前は体を治す事に専念するのじゃ、よいな?」


「...んなこた言われなくても分かってるよじいさん」


「行ってくるねメフィー」


「済まねえ、頼む」


 四人が二階から一階へ階段を降りていくと、それを悲しい目で見送り続けるメフィアーゾに、主治医のアルガン・ベリアドーが励ますように声をかけた。


「...あれが伝説の暗殺者、ルカ・ブレイズ。イフィオン都市長から話は聞いていましたが、私もこの目で見たのは初めてです。ただ話に聞いた印象とは大分違いますが...ですが彼女なら、きっと無事にやり遂げてくれるでしょう。メフィアーゾ都市長、元気を出して」


「...そういやパルールのじいさんも同じような事言ってやがったな。あのルカが暗殺者?悪い冗談だろ?」


「いいえ、これはイフィオン都市長から直接聞いた話ですので、真かと存じます。何でもイフィオン都市長は遥か遠い昔、あのルカ・ブレイズに強力な魔法を伝授された事があるそうです。あの方がただの噂を口にするはずがありませんから」


「遥か昔って...イフィオンは二百四十年生きてるんだぞ?...それにルカはどう見ても半森妖精ハーフエルフには見えねえ。そんな長寿な種族が他にいるか?」


「...ええ、イフィオン都市長も言葉を濁していましたが、言葉の端々から察するに、ルカ・ブレイズは...アンデッドかと思われます」


「...アン...デッド...あいつが?...ちょっと待て。アンデッドが何で...何であんなに人を癒やす術を使えるんだよ?性格にしたって、どう見ても普通の女だぞ?」


「ですから謎な部分が多いのです。闇に生きるマスターアサシンと呼ばれる所以ですな」


「...アルガン。お前ルカの事を、話に聞いていた印象とは大分違うと言っていたな。どこかどう違うんだ?」


「はい。何でもイフィオン都市長が初めて会った時のルカ・ブレイズは気性が荒く、まるで男のような性格だったそうです。しかし先程見た本人はとてもそうは思えませんでした。...おおらかで優しく、誰がどう見ても女性的な印象を受けました。イフィオン都市長と良好な交友関係を現在も築けている事から見ても、それは明らかかと思われます。あの方は気性の激しい輩を好みませんので」


「確かにイフィオンはそういう性格だ。...ルカとイフィオンが初めて会ったというのは、いつの話だ?」


「申し訳ありません、そこまでは。イフィオン都市長も明言されてはおりませんでしたので。ただ一つ、真かどうかも怪しい噂があります。メフィアーゾ都市長、あなたもかつて冒険者組合に所属していたのなら、聞いたことがあるのではありませんか?」


「ルカの噂だぁ?...俺はオリハルコン級だったが、そんなもん聞いたこともねえな」


「そうですか。確かに表の組合ならそうかも知れませんね。しかし裏家業...つまり請負人ワーカー達の間では、ある一つの伝承じみた噂が立っていたそうです」


「何だその噂ってのは?」


「それはこうです。”ルカ・ブレイズは人ではなく、十三英雄の生きた時代...つまり190年前より存在していた”という噂です」


「190...年...てこたぁつまり...ルカは本当にアンデッドで、更にはイフィオンが魔神と戦う直前に、既にあの二人は会ってたって事になるのか?」


「その可能性があります。確証は持てませんが、当時の生き証人であるイフィオン都市長が現在も生存し、尚かつルカ・ブレイズがイフィオン都市長の開けた転移門ゲートで姿を表したのです。噂を信じるなという方が無理な話だとは思いませんか?」


「...お前あいつの顔ちゃんと見たか?!あんなに若くて...美人で...あれのどこか190歳なんだよ?!ただの嬢ちゃんじゃねえか。そもそもアンデッドってのはおめぇ、皮膚が腐ってたり骨が見えてたりするもんだろ?どう見ても普通の女の子だろあれは!そうは思わねえか?!」


「ま、まあまあ。治療された手前信じたくないお気持ちも分かりますが、どうか冷静に。ただ一つ言えるのはメフィアーゾ都市長。あなたは伝説のルカ・ブレイズに会い、手を触れられ、魔法までかけられた。それ以前の過去を知りたければ、ルカ・ブレイズと仲の良いイフィオン都市長に聞いてみるのが一番かと思われます。同じ都市長のあなたになら、イフィオン都市長も何か話してくれるかも知れません」


「...チッ、病気が治ったらな。その時は聞いてみる。だがその前にアルガン、お前がルカについて知っている事は今全部教えろ」


「構いませんよ。知っている範囲で良ければ」


 メフィアーゾはベッドの上で胡座をかき、自分を救ってくれた一人の女性に思いを馳せながら、アルガンの話す闇の物語を聞き始めた。



───カルサナス都市国家連合中央 べバード 都市長邸宅内 3:48 AM



「こんな遅い時間に...一体ゴルドーで何をしていたんだ!!娘が苦しみだしてから、ずっと一時間近く伝言メッセージを入れていたんだぞ?!」


「ごめんテレス!ゴルドーの神殿にいた患者が予想以上に多くて...魔法をかけ続けたせいで伝言メッセージがキャンセルされていたんだ、済まない。カベリアは?!」


「ベッドの上でお前の名を呼びながらうなされている!早く何とかしてやってくれ!!」


 ルカが寝室の扉を勢いよく開けると、ベッドの上で体を丸め、苦しそうにうめき声を上げるカベリアの姿がランタンに照らされていた。


「...お姉ちゃん...ルカお姉ちゃあん...痛いよう...早く...」


「カベリア!!!」


 鬼気迫る勢いでベッドに飛び込み、カベリアの隣に足を滑らせて添い寝すると、ルカはカベリアを懐に抱き寄せた。


「ごめんね、ごめんねカベリア遅くなって!!来たよ、お姉ちゃん来たからね?!」


「や...やっと...私...頑張った...痛いの...我慢...したよ...ルカお姉ちゃん...」


「もう大丈夫よカベリア!魔法持続時間延長化エクステンドマジック痛覚遮断ペイン・インターセプト!!」


 カベリアの体を銀色の球体が覆い、痛みに耐えて強張らせていた体の力が一気に脱力して、ルカの胸に顔を埋めた。カベリアの着ているパジャマが汗でぐっしょりと濡れている事で、痛みがどれだけ凄まじかったかを把握したルカは悲しくなり、意味がないと分かりつつも汗で冷えたカベリアの体を温めようと足を絡ませた。


「...はー。とにかく...間に合ってよかった」


 ベッド脇に立つテレス夫妻の溜息が聞こえ、ルカはカベリアを支えながら左へ首を向けた。


「...ごめんねテレス、ベハティー。私とミキの二人だけじゃ、あの人数は追いつかなくて...患者が1300人もいて、治療に10時間以上かかってしまったの」


「...いや、いいんだ。私の方こそ済まない。さっきは思わず感情的になった。お前はゴルドーの住民を治療してきたと言うのに、私には何も言える筋合いはない。だがお前はこうして娘の元に来てくれた。それだけでも感謝する」


「テレス...」


「もう一人の女性はどうした?」


「ミキの事?彼女なら、テーベの神殿で痛みを取り除く処置だけをしてもらってるわ。そんなに時間はかからないから、もうすぐ帰って来ると思う」


「そうか。お前とミキと、この後ろにいる大きい男性三人の部屋を用意してある。今後はこのべバードを拠点として使ってくれ。食事や着替え等全て用意させる」


「ありがとう、助かるよ。じゃあライル、早速だけど先に休んで。私はこのままカベリアと一緒に寝るから」


「かしこまりましたルカ様。お休みなさいませ」


「部屋へ案内しよう。ライルとやら、ついてきてくれ」


 テレスとライルが寝室から出ていくと、ベッド脇には母親が一人心配そうに立ち尽くしていた。それを見てルカが声をかける。


「ベハティー、カベリアのパジャマを持ってきてもらってもいい?汗かいてるから、着替えさせて体を冷やさないようにしないと」


「分かりました!すぐお持ちします」


(バタン!)と扉が閉まり、部屋の中にはベッドで横になる二人のみ。カベリアを見るとルカの背に手を回し、イビルエッジレザーアーマーの懐に顔をうずめて寝息を立てている。


 そこへ母親のベハティーが戻り、カベリアの替えのパジャマと下着を持ってきてくれた。ルカはそれを手に取り、羽毛布団を剥いで少女の肩を軽く揺する。


「カベリア...カベリア、起きて?服着替えよう?」


「ん...起きてるよお姉ちゃん」


「横のままでいいよ、服脱がすからね」


 ルカはパジャマのボタンを外し、上着とズボンをスルリと取り去ると、パンツも脱がせて替えの下着を履かせた。横になっているにも関わらずルカは軽々とカベリアの体を片手で持ち上げ、ズボンと上着の裾も通してカベリアに新しいパジャマを着せる。そして汗で濡れた着物をベハティーに手渡した。


「ありがとうベハティー。あとは私が寝かせるから、夜も遅いしもう寝てくれて大丈夫」


「ルカ様、ご面倒をおかけします。お休みなさいませ」


「お休み、また明日ね」


 母親が寝室を出ていくと、ルカはカベリアの胸に手を置いて魔法を唱えた。


「...魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック毒素の除去ディスペルトキシン


 解毒・内臓の修復と定期治療を終えると、ルカはベッドを抜けて上下のレザーアーマーを脱ぎさり、黒のYシャツと白のパンツ一枚の姿となってベッドに再び潜り込んだ。


 それに気づいたのかカベリアが寝返りを打ち、ルカの腰にしがみついて胸に顔を埋めてきた。先程のレザーアーマーと違い固くないので、カベリアは胸の中で深呼吸している。


「...こら。起きてるでしょ?」


「...うん」


「寝れない?」


「...違うの。こうしてると安心だから」


「お姉ちゃんのおっぱいがいいの?晒し巻いてるから、ちょっと固いよ?」


「全然平気。...お姉ちゃん、すごくいい匂いがする...」


「...そういう事か。これはね、香水かけてるんだよカベリア」


「...何て香水?」


「フォレムニャック。竜王国で売ってる香水だよ、知ってる?」


「...竜王国は知ってる。私も...この香水欲しい」


「香水はもっと大人になってからだよ」


「何で?」


「カベリアは、何も付けてなくてもいい匂いがするもの」


「...この匂いのほうがいい」


「そっか。じゃあカベリアが大人になったら、この香水プレゼントしてあげる」


「ほんと?」


「ほんとだよ。お姉ちゃんは嘘つかない」


「...約束...したからね」


「うん。...ほら、もう寝ないと。お姉ちゃんも明日は大変だから」


「...分かった。お休み、ルカお姉ちゃん」


「お休みカベリア...」


 MP消費による疲労もあり、ルカはカベリアの頭を抱きながらすぐさま熟睡に落ちた。しかしそこからしばらくした時だった。ルカは胸に圧迫感を感じ、熟睡から覚めようとしていた。浅い眠りだったが、その時耳に子供のすすり泣く声が飛び込んできた事を受けて、ルカは一気に目覚め周囲を見渡した。すると胸に抱きつき、嗚咽を堪えながら泣き伏せるカベリアがそこにはいたのだ。


 ルカは咄嗟に体を離し、少女の即頭部を掴んでグリーンの瞳を覗き込んだ。


「カベリア?!どうしたの、どこか痛いの?!」


「...うぇぇええん、怖いようルカお姉ちゃぁぁあん!」


「どうしたどうした、よしよしお姉ちゃんが隣にいるから怖くないよ!」


 カベリアを抱き寄せ、背中を叩いてあやしながら左腕の金属製リストバンドを見ると、午前6:07を示していた。二時間近くしか睡眠を取れていないことになる。窓を見るとカーテンが閉め切られているが、外から薄っすらと日の光が差してきていた。胸にしがみついて泣き続けるカベリアの背中を摩りながら、そっと耳打ちする。


「怖い夢でも見たの?」


「...うん」


「どんな夢?」


「...体中が痛い夢」


「そっか...」


 肉体の痛覚を遮断しても、夢で痛みを感じてしまうのでは意味がない。これでは睡眠も取れず、カベリアの体力が奪われていく一方だ。ルカは最悪記憶操作コントロール・アムネジアを使用して、痛みによる恐怖の記憶を改ざんする事まで視野に入れたが、結核による疼痛が物理的に完治していない以上それは所詮付け焼き刃だと判断し、最終手段として取っておく事にした。応急処置として、ルカは両腕でカベリアを抱き寄せると魔法を詠唱した。


魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック恐怖耐性の強化プロテクションエナジーフィアー


 横になるルカとカベリアの体が、眩しい緑色の光に包まれていく。少女の中で渦巻いていた激痛に対する強い恐怖が、幻でも見ていたかのように溶け落ちていく。驚いたカベリアが胸から顔を離して見上げると、そこには悪戯っぽい笑顔を湛える一人の夜叉が、眠たそうな目で自分を見つめ返していた。


「これでどう?カベリア」


「お姉ちゃん...怖いの、消えちゃった...」


「良かったね。もう一眠りしようか」


「うん...でも私、あんまり眠くなくて」


「大丈夫、お姉ちゃんが寝かせてあげる。取っておきの子守唄があるのよ」


「...子守唄?」


「そう。聴きたい?」


「うん...聴かせて」


 カベリアが再び胸に顔を埋めると、ルカは少女の小さな頭を優しく抱きかかえた。(スゥッ)と肺に空気が流れ込む音が聞こえる。そしてルカは吐息を吐くように唱え始めた...長大なる魔法の詠唱を。その声は、あまりにも透明すぎた。カベリアの全身に鳥肌が立ち、しかしそれと相反するように体中の力が抜けていく。耳から鼓膜を通り、眉間の奥に語りかけてくるような優しい旋律。快楽中枢に直接訴えかけるような聖なる波動。カベリアのためだけに捧げられた鎮魂歌、その言霊を聴いた少女の体は強大な魔力の渦に包まれ、そして悪魔に魅入られた子供の如く守護されていた。


────────────────



・・・When the evening falls,And the daylight is fading,

(夕陽が落ち、昼の光が消えていく)


From within me calls,

(心の奥から呼ばれる声がする)


Could it be I am sleeping?

(私は眠りの中にいるの?)


For a moment I stray,Then it holds me completely

(彷徨う瞬間にも、夕闇につつまれていく)


Close to home, I cannot say

(家に帰るの、何も言わずに)


Close to home feeling so far away...

(家に帰るの、心は彼方に...)



As I walk the room there before me a shadow

(部屋にはいると、目の前は別世界の影)


From another world, where no other can follow

(誰もついて来られない道が広がる)


Carry me to my own, to where I can cross over

(手を引いて、ここから抜け出したいの)


Close to home, I cannot say

(家に帰るの、何も言わずに)


Close to home, feeling so far away...

(家に帰るの、心は彼方に...)



Forever searching never right, I am lost in oceans of night.

(夜の海に失くした心を永遠に探しましょう)


Forever hoping I can find memories

Those memories I left behind...

(忘れていた思い出に、その幻影を追い求めて...)


Even though I leave will I go on believing

(信じるままに旅に出てみたら)


That this time is real , am I lost in this feeling?

(今度こそ本当に、この気持ちを捨てられる?)


Like a child passing through, Never knowing the reason

(無邪気に振舞う子供の様に)


I am home, I know the way

(家に居残るの、理解してるわ)


I am home , feeling oh...so far away….

(家に居残るの、心は彼方なれど.....)



─────────────────


 ルカの放つ強烈な母性に揺さぶられ、顔を埋めた黒いYシャツに涙が染みを作る。耳を撫でる優しい歌声、柔らかい肌、心地良い香りに包まれて、次第に瞼が重くなり、意識が遠のいていく。その中でも止まらない、胸が締め付けられるようなこの思い。カベリアはそれをそのまま口にした。


「...ルカお姉ちゃん...私の事...好き?」


「...ああ、大好きだよ」


「...おや...すみ...お姉ちゃん...」


「お休み、カベリア...」


 かつてない安寧が訪れる。聖女の腕に抱かれながら、少女は深い眠りに落ちた。




─── 12:55 PM ───



(....カ.....ルカ、おはよう.......起きてくれ)


 体を揺すられてルカはハッと目を覚ました。懐を見るとカベリアが寝息を立ててぐっすりと眠っている。肩に乗せられた手の先を見ると、カーキ色のローブを着てマスクをしたイフィオンが、笑顔で顔を覗き込んできた。


「ん...おはようイフィオン、今何時?」


「正午過ぎだ、よく眠っていたな。起こして済まない」


「もうそんな時間か...いや大丈夫、起きるよ。今日はべバードとカルバラームの患者達を診てあげないと」


「...済まんなルカ、苦労をかける」


「いいのよ。ミキとライルを見なかった?」


「あの二人なら、このべバードの神殿へ治療に行くといって、テレス都市長と出ていったぞ」


「そっか、助かる。カルバラームでの治療が終わったら、私も追いかけるか。今支度するからちょっと待ってて」


 腕枕で寝るカベリアをそっと仰向けにすると、起こさないようにベッド脇へと腰掛けて立ち上がろうとしたが、イフィオンに引き止められた。


「待てルカ、その前にいい知らせがあるんだ。お前達が昨日ゴルドーへ行っている間、私の弟子達を総動員して、お前に頼まれたカルサナス各地にある森や農場・計六ヶ所の土壌サンプルを集めさせた。カルバラームにある私の研究所に全て集めてあるから、向こうへ行ったら是非一度確認してみてほしい」


「早いね、もう取ってきたの?」


「私の弟子三十名は、その大半が転移門ゲートを使用できる。短時間でカルサナス全土を回ることも可能だからな」


「それは頼もしい。思ったよりも早く事が進みそうだ。早速カルバラームへ向かおう」


 ルカは中空に手を伸ばし、アイテムストレージから替えのYシャツと、イビルエッジレザーアーマー一式にエーテリアルダークブレードを取り出し、全身に装備してマントを羽織った。


 そしてベッドを振り返り、その上で眠るカベリアの胸に手を当てた。


魔法持続時間延長化エクステンドマジック痛覚遮断ペイン・インターセプト


 カベリアの体が銀色に輝き、その魔力の圧に気づいたカベリアが薄っすらと目を開けた。ルカはその顔を覗き込む。


「おはようカベリア。ごめん起こしちゃったね」


「おはようお姉ちゃん。...出かけるの?」


「そんな不安そうな顔しないの。これからイフィオンの街に行ってくる。今魔法をかけ直したから、今日の夜二時までは痛くないからね。それまでには必ず帰ってくるから」


「...分かった。昨日はごめんねお姉ちゃん、あんまり寝れなかったでしょ?」


「カベリアと一緒に寝てたら、お姉ちゃんもぐっすりだったよ。大丈夫」


「良かった...気をつけて行ってきてね」


「ありがとう。カベリアもちゃんとご飯食べて水飲んで、ゆっくり寝てるのよ?...ベハティー、カベリアをよろしく頼むね」


「もちろんですルカ様。娘の事はお任せください。何卒お気をつけて...」


「よし、行こうかイフィオン。私が転移門ゲート開けようか?」


「いや、私が開けよう。昔お前が来た時とは街も大分様変わりしてるからな」


「OK、お願い」


転移門ゲート


 イフィオンを先頭に、ルカは暗黒の穴を潜った。



───カルサナス都市国家連合北東・カルバラーム 市街地中央・ペデスタル噴水広場前 13:27PM


 転移門ゲートを抜けて光が差した時、ルカはその光景を前にして我が目を疑った。広大な中央広場を中心にゴシック建築・ビザンティン様式の建物が放射状に立ち並び、森妖精エルフの技術が結集したであろう壮麗な街並みは一枚の絵画の様に美しく、幻想的な雰囲気を醸し出していた。ルカはそれを見て呆然とする。


「...あの小さかった村が、こんなに大きく...」


「フフ、お前にこれを見て欲しかった。今から180年前、お前達三人が初めてここへ来た時は名もない小さな村だった。だがここは大陸の最北東、海に面している。豊富な海産物の宝庫だ。港を作り、漁業の発展に伴い亜人や森妖精エルフの入植者も増え始め、開拓して徐々に街を拡大させていった。今ではカルサナス都市国家連合でも最大の港湾都市・カルバラームとして繁栄を遂げている。...ここに来るまでの180年間、この街の利権を巡り幾多も戦乱の火種があった。それを尽く平定し、今まで平和が保たれてきたのも、お前が昔私に授けてくれた強大な魔法の力によるものだ。感謝する、ルカ」


「そんな、別に私は何も...」


 戸惑いを見せるルカの両手を握り、イフィオンは真剣な眼差しで赤い瞳を見つめ返した。


「...私は神を信じない。だが見えない何かがお前を再びカルサナスへと導いてくれた。...このか細い手に、かつての魔神をも遥かに超える強大な力が秘められている事を、私は知っている。ここはお前の街だ、ルカ。何も気負いせず、自由に振る舞ってくれていい。そして願わくば、カルバラームの民達もその力で救ってやってほしい」


「お、大袈裟だってイフィオン。お礼なら私達三人をカルサナスに入れてくれた、パルールおじいちゃんに言ってね。...でも私も嬉しいよ、こんなにも立派な街に育ってくれて。早く神殿に行って、重症者達を楽にしてあげよう?」


「...ありがとう。神殿はこっちだ、ついてきてくれ」


 噴水広場から街を南西に下り、街路を歩いていく。通りはまばらだが人も歩いており、その全員がマスクをしている。生鮮食料品店や雑貨店もいくつか開き、そこで物資を買い込んでいる様子だった。


「テーベみたいに区画を封鎖してないんだね?」


「ああ。市民には感染対策を徹底させているからな。知っての通り、結核の感染者が最初に発見されたのはこのカルバラームだ。我々の懸命な治療にも関わらず、その者は二ヶ月を待たずして亡くなってしまった訳だが、その後似たような症状を持つ住民が急増した。私と弟子三十人が感染経路を調査した結果、恐らくは空気・飛沫感染の類だろうと推測し、街全区画に都市長令を出して不要不急の外出を控え、国外への渡航は一時禁止とし、外出の際はマスク着用を義務付ける事で、感染者数は一定数抑えられた。しかし時すでに遅く、その二ヶ月の間に発症していない保菌者がテーベやべバード・ゴルドーへと出てしまっており、カルサナス全土での爆発的な感染を阻止することが出来なかったんだ」


「なるほど、この街の人達が結核菌のキャリアか。国内外からの入国を禁止している以上、潜在的な感染者が重症化する前に、何としてもストレプトマイシンを完成させる。神殿の治療が終わったら、すぐイフィオンの研究所に行って準備を始めよう」


「分かった。神殿まではもうすぐだ」


 やがてテーベ・ゴルドーと似たような作りの巨大な神殿前まで着くと、入口の階段を上りながらルカが訪ねた。


「収容された重症者の数はどのくらいなの?」


「約六百人程だ。他の街に比べれば大分抑えられている」


「了解、それなら私一人でも何とかなるね」


 中へ入ると、他の街と変わらず薄暗い神殿内部だった。正面には縦に六列のベッドが奥まで並んでおり、イフィオンの弟子と思われる半森妖精ハーフエルフと神殿の神官クレリックが、協力して患者の治療に当たっている。


 両側面の壁を見上げると、テーベの神殿と同じく窓は閉め切られており、その上から遮光カーテンが塞いでいるのを見て、ルカは声をかけた。


「イフィオン、今すぐあのカーテンを取り外して、日の出てる内は窓を開けて空気を入れ替えるようにしてもらってもいい?」


「構わないが、大丈夫なのか?菌が外に漏れるような事があっては...」


「結核菌は紫外線...つまり太陽光に弱い。室内の殺菌にもなるし、清潔な空気に保っておけば患者の回復も早くなる。それに飛沫感染だから、あんな高い位置まで菌が飛ぶ事もないし、その点は心配要らないよ。昨日ゴルドーの神殿に行ってきた時も同じ指示を出してきたから」


「なるほど、分かった。すぐに取り掛からせよう」


 左右全ての窓が開け放たれ日の光が射すと、横になる患者とその家族達からどよめきが上がったが、室内で回診する医師達が声を張り上げて皆に説明して回り、殺菌の為という意図を把握すると落ち着きを取り戻していった。


 イフィオンが助手として付き添う形で、ルカは右列のベッドで眠る重症者達から治療を開始していった。患者達はイフィオンの顔を見ると安心し、皆が勇気づけられていた。ルカの手により、瀕死の患者が次々と回復していく様子を見て、神殿内にいたイフィオンの弟子達がベッドの回りに集まり、ルカの一挙手一投足をメモに書き写して収めている。


 順調に治療は進み、右列最奥部のベッドに辿り着いた時だった。その患者に近寄った時、ルカは何かの違和感を感じた。ベッドを覗き込むと、そこには森妖精エルフにしては珍しい頑強な体格ながら、線の細い長髪の男が目を閉じて眠っていた。ベッド脇には何故か、ミスリル製と思われるロングソードが白い鞘に納まり立て掛けてある。二人の気配に気づき、その男は薄っすらと目を開けた。


「...ハァ...ハァ...イ、イフィオン都市長?な、何故またここに...神殿には来るなと、私があれほど申し上げたではありませんか...!」


「そうは行かない。今の私はこの神殿の責任者だ。お前も含め、他の患者達の治療もある」


「しかし!!...うっ...ゲホッゲホッ!!」


 無理に起き上がろうとした反動で男は激しく咳き込み、口で手を押さえたが、そこから溢れ出る程の吐血を掛け布団の上にこぼしてしまった。イフィオンが慌てて男の肩を支える。


「動くな!斯く言うお前も重症なんだ、大人しく寝ていろ。...今日は私の友人を連れてきた。彼女の治療を受けるんだ、いいな?」


 イフィオンが背中を支えながら寝かしつけると、男はその隣に立つ女性に目を向けた。


「ハァ...ハァ...失礼だが、あなたは?」


「私はルカ・ブレイズ。イフィオンの古い友達よ、安心して」


「...ルカ...ブレイズ? ...イフィオン都市長、ま...まさかあなたが以前話していた伝説の暗殺者というのは、この女性の事だと?」


「そうだ。この世界で勝てるものはいないと言ってもおかしくない存在、それが彼女だ。遠い昔、魔法の教えを受けた際に幾度となく戦ってみた私だからこそ理解できる。彼女こそが最強だと私は信じている」


「そんな、大袈裟だよイフィオン。今の君が本気を出せば────」


「”本気を出せば、君なんか何時だって一撃で殺せる。死ぬ気でかかってこい” ...お前の特訓中の口癖だったな、ルカ」


「...まあね。そのくらいしないと上達しないから。昔の話はやめにしない?」


「フッ、そうだな。あの時があったから今の私があるんだ、他意はない」


 その話を聞いて、男は信じられないと言った様子で目を丸くしていた。師弟のように話す二人の美しい女性を見て、男の心はどこか和み、次第に脱力していった。ルカはアイテムストレージから白い布を取り出し、男の口周りに付いた血を拭ってあげた。


「そういう訳で、よろしくね。君の名前は?」


「...わ、私は...アエルギナー...アエルギナー=エルフォードと申します。皆からはアエルと呼ばれております」


「ルカ、このアエルはな、カルバラーム軍の総指揮官を任せている男だ。戦闘力だけで言えば、私を超える男だと思っている」


「...ご、ご謙遜を。私が一度でも都市長に勝てた事がありましたか?」


「あれは魔法も混ぜた試合だったではないか。言わば私の反則だ。剣術だけで言えば、お前は私を遥かに凌駕している」


「...その肝心な魔法を撃っても、都市長は全て躱してしまうではありませんか...人生で初の敗北を喫したのは、あなたがいたからなのですよ?」


 そこまで話を聞いていたルカは、目を細めて違和感の正体を探ろうとしていた。


「なるほど...アエル、君ちょっと普通じゃないよね」


「そ、そんな事はありません、あなた様に比べれば...」


魔力の精髄マナエッセンス


 ルカが魔法を唱えると、病気で衰弱中にも関わらず膨大な魔力が視界に映し出された。それを確認したルカはイフィオンを振り返る。


「この魔力量...彼、普通の半森妖精ハーフエルフじゃないよね?」


「さすがだな。アエルは上位妖精ハイエルフだ。戦闘力が高いのも頷けるだろう?」


「それでこの専用剣って言うことは、彼はクルセイダー?」


「その通りだ」


「てことは、INT知性DEX素早さ特化のハイディフェンス型か。火力高そうだね」


「だからこそ彼に指揮官を任せている。まあ私も似たようなタイプだがな」


「そっか、疑問が解けてすっきりしたよ。ごめんねアエル、話が脱線して。すぐに治療するからね」


「ひ、一目でそこまで見抜くとは...流石としか言いようがない。イフィオン都市長がこうまであなたを敬うのも頷ける。よろしくお願いします、ルカ様」


 その後アエルギナーは安心しきった様子でルカに身を委ね、解毒・修復・痛覚遮断の治療を受けた。イフィオンがカルテを記入し終わり、一言告げてベッドから離れようとした時だった。


「...お待ちくださいイフィオン都市長」


「どうした?」


「いえ、実は以前ご報告しそびれた事についてなのですが」


「港湾近辺に現れる未確認モンスターの件か?」


「はい。あの後すぐに体調が悪化してしまい、最後までご報告できていなかった事もあり、気にかかっていたのです。ルカ様の治療を受け、回復している今のうちにお伝えしておこうかと」


「分かった、聞こう」


「...あれは正直、我々の手に負える相手ではありません。それこそカルバラームの兵士全軍で当たらねば、退治出来ないかと思われます」


 その言葉を聞いて、ルカの目が大きく見開かれた。


「ちょっと待ってアエル...そのモンスターを見た事があるの?!」


「ええルカ様。私だけでなく、その場にいた我が軍の精鋭部隊全員が目撃しております」


「詳しい話を聞かせてくれる?実は私、そのモンスターの討伐依頼を冒険者組合から受けて、このカルサナスに入ったのよ」


「何と、そうだったのですか!...ルカ様なら或いは、奴を倒せるかもしれません。分かりました、当時の状況をお伝えします」


 要約するとこうだ。最初の目撃情報があったのは九ヶ月程前、カルバラームの漁師からもたらされた。しかしその時点で病魔は急速に拡大の一途を辿っており、思うように軍を動かせない状況にあった。だがその後も度重なる目撃情報が相次ぎ、イフィオンの判断により、アエルギナーをリーダーとする小規模精鋭50名のパトロール部隊が結成され、定期的に港湾及び海岸を巡回する事となったが、目撃地点に向かってもモンスターと遭遇する事はなかった。


 情報を精査すると目撃地点が海岸に集中している事が分かり、そこを重点的にパトロールしたが、海岸自体が広大な為50名で全てをカバーするのは難しかった。しかし遂に二ヶ月半前、日没間際の夕方六時過ぎにパトロール部隊はモンスターの巨大な影を視認。これと戦闘する為全員で突撃するが、モンスターの周囲に発生した毒の霧と強烈な殺気に阻まれ、近づく事すら叶わないと判断したアエルギナーは已む無く撤退。街に戻ると急激な体調悪化により、パトロール部隊全員が倒れてしまう。イフィオンの診断の結果、カルサナス全域で流行する病と症状が酷似している事が判明。神殿へ緊急搬送されたという顛末だった。


 ルカはその話を聞き、頭の中で内容を組み立てていた。


「...つまりその話からすると、結核菌をばら撒いているのは、そのモンスターって事になるよね?でも毒を使う敵は沢山いるけど、そんなモンスター私は聞いたことがない」


「ええ。戦った私自身も関連性があるのかすら分かりません。しかし現にパトロール部隊50名の内、半数以上の29名が既にこの病で命を落としております」


「ん〜、調べてみる必要があるか。そのモンスターが最初に目撃されたのが九ヶ月前、結核菌が蔓延し始めたのが一年前って事は、九ヶ月よりもずっと前からモンスターがいたってこともあり得るよね?」


「単に目撃されていなかっただけで、その可能性は十分にあり得るかと思われます」


「分かった。この神殿の治療と、イフィオンの研究所で仕込みを終えたら海岸に向かってみよう。イフィオン場所は分かる?」


「おおよそならな。何せあの海岸は広い」


「それで十分。貴重な情報ありがとうアエル。後は私達に任せて、君はゆっくり寝ていてね」


「こちらこそ治療していただき感謝しますルカ様。何卒ご武運を」


 そこから三時間程かけて神殿内全ての治療が完了し、ルカとイフィオンはその足で研究所へと向かった。



───カルバラーム都市長邸宅内3F 薬剤研究所 16:35 PM───


「お帰りなさいませイフィオン様」


「ご苦労。土の用意は出来ているか?」


「はい、全てこちらに」


 出迎えた弟子の女性が指差す先を見ると、テーブル手前の床に麻製の土嚢が六つ置かれていた。周りを見渡すと部屋中央に巨大な蒸留器タンクがあり、木製の広いテーブルの上にはシャーレ・ビーカー・フラスコ・試験管等の実験器具が一通り揃っている。ルカはそれを見て目を丸くした。


「おー、すごい設備だね!これなら実験も捗りそうだよ」


「機材でも弟子でも、好きに使ってくれていいぞ。お前が来る事は皆に伝えてあるからな」


「ありがとう、助かるよ。それじゃあ早速お願いしようかな。えーと、弟子の君は名前なんて言うの?」


「ティリス=ピアースと申しますルカ様」


「OKティリス、じゃあこの土嚢の中身半分くらいを細かく砕いて、種類別に六枚の板の上に乗せて平らに伸ばした後、三日間室温で乾燥させてもらってもいいかな?出来れば鉄とか、金属の板がいいかも。他の土と混ざらないように気をつけてね」


「お安い御用です、かしこまりました」


 ティリスがテーブルの上に底の浅い鉄製のボックスを並べて作業するのを、イフィオンは不思議そうな顔で眺めていた。


「土を乾燥させて、どうするつもりだ?」


「こうする事で、抗生物質の元となる放射菌胞子の熟成が進むのと同時に、無胞子性の雑多なバクテリア生息数が激減していくの。つまり、放射菌の有無を見分けやすくするってわけ」


「なるほど、手間暇がかかるわけだな」


「こんなのは手間暇とは言わないよ。大変なのはこれから。でもそれ以前に、どの土にも放射菌が含まれていなかったら、そこで終わりだけどね」


「そうならない事を祈ろうじゃないか。三日も待つという事なら、そろそろ港湾の海岸へ向かってみるか?」


「そうだね、行ってみようか」


「装備を整えてくる、ここで少し待っていてくれ」


「分かった」


 ティリスの作業を後ろから眺めていると、10分も経たない内にイフィオンが研究所へ戻ってきた。


「待たせたな。では行こうか」


 全身に淡い緑色のレザーアーマーを着込み、腰には二刀使いブレードウィーバー専用剣が二本、額にはオニキスのヘッドチェーンが装備され、両耳にイヤリングと、指にもマジックリングを複数はめている。その姿を見てルカは目を輝かせた。


「久しぶりだねその格好見るの。昔を思い出すよ」


「お前の装備とは比較にならないが、これでもこの世界ではかなりレアなマジックアイテムだからな。INT知性DEX素早さ、それにディフェンスを最大限に高める付与効果がある」


「私の持ってる装備をあげたいんだけど、森妖精エルフ用の特化装備は持ってないんだよなー、ごめんね」


「構わないさ。魔神と戦った時もこれ一本で凌いできたしな。港までは転移門ゲートで行くだろう?」


「時間短縮になるし、そうしよっか」


「了解。転移門ゲート


 二人は暗黒の穴を潜った。



───カルバラーム港 17:12 PM───


 空は朱色に染まり、水平線の彼方に夕陽が沈んでゆく。その光に照らされ、整然と並ぶ無数の桟橋とそこに停泊する何百隻もの漁船と帆船が影を落とし、絶妙のコントラストを演出していた。漁師たちが明日に備えて船の整備を終え、皆思い思いに談笑しながら家路に就く。そんな光景にすら美しさを感じさせるほど、見事かつ広大な港だった。


 ルカはその絵画のような景色に目を潤ませながら、(ホゥ)と小さく溜息をつく。


「...きれいだね、ここ」


「計画的に拡張し、ここまで来るのに20年を要した。海上都市を除けば、ここまでの港はこの世界に無いと自負できる。これもお前に見せたかった物の一つだ、ルカ」


「私は海上都市よりもこっちの方が好きだな。この港で月を見ながら、漁師のおじさん達と一杯やれたら最高だろうね。今は無理だけど」


「必ずその日は来る。言っただろう、ここはお前の街だ。好きにしてくれていい。だがその日が来たら漁師と飲む前に、まずは私達都市長と飲んでもらうぞ。いいな?」


「それはもちろんだよ。未来の都市長であるカベリアも混ぜてね」


「あんな子供に飲ませる気か?」


「当然カベリアにはオレンジジュース。体も弱ってるし、ビタミンC摂らさないと」


「ハハ、そうだな確かに。日も暮れてしまう、そろそろ行こうか」


「そうだね、行こう」


 堤防の脇を歩き、左に向かって進むと小さな鉄製の門が見えた。海風に晒されて所々が錆びている。そこを開けて西側の海岸に出ると、一面真っ白な砂浜に出た。右手に海、左手に森林と岸壁が交互にそびえ立つ広い海岸を歩きながら、イフィオンは物思いに耽るように質問した。


「なあ、ルカ」


「ん?」


「お前随分とその...女っぽくなったよな」


「そうよ、変?」


「いやいや、変ではない。むしろ今のお前のほうが好ましいくらいだ。ただその、何と言うか...ほら、私達180年ぶりだろう?俺だのお前だのと言葉遣いが荒かった、昔の粗野なルカが懐かしくてな。それが久々に会ったら何か急に...優しくなってるし」


「...あの時は、この世界に転移して日が浅かったから、人が信じられなくて周りに辛く当たってた時期もあった。今では少し反省してる。でも昔の私も今の私も、どっちも本当の私だからね?...それとも、戻って欲しいの?」


「誤解しないでほしいが、昔のお前が優しくなかったと言っているわけじゃない。何がお前を変えたのか、私はそれが知りたいだけだ」


「何が変えた、か...強いて言えば、パルールおじいちゃんにそう望まれたからかな。カベリアもそうだけど」


「望まれた?それはどういう事だ?」


「...正直に言うね。私、トブの大森林で君達十三英雄と初めて出会ったあの日から、本当はもうこんな感じだったの。でも私は、それが自然体である事にずっと抵抗し続けてきた。自分が許せなかったのねきっと。でもゆく先々の街や村で、そこにいる子供と接する時・男性と接する時・女性と接する時...ふと気を許して素の自分を出すと、種族の垣根を超えてみんなとても喜んでくれる。分かってたんだそうなる事は。でも、それでも私は...」


 初めて見るルカの涙。詳しい事情までは分からない。しかしイフィオンは衝撃を受けると同時に、この美しき暗殺者を守ってやりたいと強く願った。この底知れない闇を抱える、史上最強の夜叉を。夕陽が沈んでいく中、イフィオンはルカの頭をそっと抱き寄せると、左頬にキスした。


「ルカ...。済まない、つらいことを聞いた。もう答えなくていい」


「...ううん、大丈夫。話せたら少しすっきりしたよ。だから私は、このカルサナスにいる間は一人の女でいようと決めたの。これが理由」


「よく分かった。打ち明けてくれてありがとう、我が友よ」


 二人が体を離すと、イフィオンはベルトパックから白いハンカチを取り出し、ルカの涙をそっと拭った。照れくさそうにはにかんで見せるルカにたまらない愛おしさを感じながらも、きれいに折り畳んでハンカチを腰に収める。


「ごめんね、何か湿っぽくなっちゃって」


「いいんだ。目撃地点まではもうすぐだ、ついてきてくれ」


「...大丈夫、この先にモンスターはいない」


「それは...例の、足跡トラックと言うやつか?」


「そう。周囲2キロ圏内に敵影なし。移動を続けてる可能性が高いね。この海岸は見晴らしがいいけど、あの遠くに見える大きい岸壁の先も海岸になってるの?」


「そうだ。あそこから先は左に大きく湾曲した砂嘴さしのような形状となっている」


「よし、日が落ちる前にあそこまで一気に走ろう。探索速度強化パスファインディング


 二人の体に黄色のベールがかかり、移動速度が驚異的にアップした状態で岸壁に向けて突っ走る。左腕の時計を見ると18時27分。暗闇ではこちらが不利になる。戦闘する事を公算に入れてもギリギリの時間だった。


足跡トラックヒット!イフィオンそこで止まれ!!」


「?!」


 岸壁に着いたと同時にルカが鋭く制止し、二人は岩山の陰に身を潜めた。


「どの方角だ?」


「南西方向、距離約1.8キロ。この岸壁を左に回り込んだ先にいる」


「この距離なら視認できるかもしれない。見てみるか?」


 二人が岩陰からそっと南に向けて顔を出すと、奥に湾曲した海岸が見えた。その更に先にあるものを見て、イフィオンが眉をひそめる。


「ルカ...あの対岸に見える大きな岩の後ろに、何か...いないか?」


「待って、千里眼クレアボヤンス...ほんとだ、影になってて見えにくいけど、岩の頭から何かが覗いてるね」


「...な、何だあの大きさは...巨人か?それに岩を覆っているあの緑色の霧...あれがアエルの言っていた毒の霧か?」


「...煙みたいに空へ立ち昇ってるね」


「風に乗って、東へ...流れている」


「あの方角は...」


 空に漂う霧を追って、イフィオンの顔が見る見る青ざめていく。


「...カ、カルバラームだ、そんな...一体何が目的なんだあのモンスターは?!」


「まさか...奴が今まで各所を転々と移動していたのは、刻々と変わる海風の風向を計算に入れて、毒の霧を確実にカルバラームの街へ流し込む為だとしたら...」


 それを聞いたイフィオンの目は釣り上がり、怒りのあまり手がワナワナと震えていた。


「...冗談じゃない!!今すぐ海の藻屑にしてやる!!」


 岩陰から飛び出そうとした所を、ルカが既のところで肩を掴み止めた。


「だめよイフィオン!冷静に考えて。あれだけの強力な魔法を使えるという事は、相当手強い相手に違いない。”PvPに遭遇戦などあり得ない、相手のレベル・種族・職種クラス・弱点耐性を全て完璧に見極めた上で勝負に出る”。...180年前、口を酸っぱくして教えたでしょ?」 


「しかし相手はモンスターだぞ?!今回ばかりは状況が違う!」


「だから落ち着いて。基本PvPもPvEも、やる事は何も変わらない。ただひたすら弱点と隙を突いていく。でも私の経験上、下手をすればプレイヤーよりもモンスターの方が遥かに手強い場合だってある。まずはモンスターの種別確認が先決よ。あの対岸の端まで行けば、モンスターとは直線距離に入る。とりあえず安全距離の200ユニットまで接近して、敵の正体を探るわ。いいねイフィオン?」


「くっ...分かった済まない、少々冷静さを欠いた」


「よし。近くまで行ってみよう」


 相手との距離を測りながら、岸壁沿いに慎重に近づいていく。敵は変わらず対岸の岩の裏から動こうとしない。そして南から西へと海岸沿いに曲がり、遂に目標地点まで直線距離に入った。距離約400ユニット、既に正面にはモンスターの影が見えているが、判別するまでには至らない。ルカとイフィオンは抜刀し、戦闘態勢を整えながら更に距離を詰めていく。しかしその意気込みを全否定するかのようにルカは急停止し、手にしたロングダガーでイフィオンの行く手を遮った。...そして距離200ユニット。夕陽に照らされて宙に浮くその”何か”をルカは愕然と見上げ、イフィオンをこの場に連れて来てしまった事を後悔した。


 座禅を組み宙に浮くその姿は全高15メートル程だが、立ち上がれば30メートルは行くだろう。下半身にベージュ色の巻衣を纏い、ネックレス・腕輪・ブレスレットと、全身に金の装飾品を身に着けている。長い髪は頭頂部で結上げられ、阿弥陀如来のような東洋系の顔立ちをしており、目は三白眼で青白く光を放っている。一見すれば神々しいように思えるが、その肌は全身が毒々しい濃緑色で、右手に持った鎚矛と周囲に撒き散らされる毒霧、体から放たれる強烈な殺気は、それが聖なるものとは真逆の凶悪な存在である事を裏付けていた。それを見たルカの額から一滴の汗が流れ落ちる。


「....邪神....ネルガル.....バカな、何でこいつがこんな所に....」


「邪神だと?ルカ、お前は過去にこの化け物を見た事があるのか?」


「...ああ。それも昔話した事のある、私の元いた世界でね。このモンスターの別名は疫病神ネルガル...間違いない、こいつが結核の発生源だ。まさかこんな近くに宿主ホストがいたなんて...」


「よし、そうと分かればこいつを倒してしまおう、ルカ」


「だめだイフィオン、君は今すぐ転移門ゲートでカルバラームへ戻れ」


「なっ...ここまで来て引き下がれるか!私も共に戦う!!」


「...あの体を覆う毒霧を見てもまだ分からないの?!...ネルガルはね、自分を中心とした120ユニット内に、恒久的な毒属性のAoEDoTを張り巡らせているの。毒耐性の低い君なんかがあの中に入ったら、一分も待たずに死んでしまう。それにネルガルは本来、結核菌なんて感染系の攻撃は行わない。と言う事は完全な亜種と見ていいだろう。感染系の攻撃に完全耐性を持つアンデッドの私しか、この場で対処できる者はいない」


「しかし、一人であの化け物とやるつもりか?!いくらなんでも無謀過ぎる!」


「仮に二人でネルガルを倒したとして、その後君はどうするの?結核に罹って、今研究所にある土壌サンプルの中から放射菌が見つからなかったら、カルバラームやカルサナスの住民達はどうするつもりなの?!」


「そ、それは...」


 イフィオンは顔を背けるが、ルカは諭すような口調で更に続ける。


「目的を見失わないで。私達の最終目的はネルガルを倒す事じゃない、ストレプトマイシンを作ることなの。その時に君の助けがなければ、薬を大量生産してカルサナスの住民達全員に行き渡らせるだけの量を確保出来ない。...君が必要なんだ、イフィオン。私の指示に従って」


「...分かった。だが街へは戻らない。カルバラーム都市長として、私にはお前の戦いを見届ける義務がある。これだけは譲れん」


「いいよ。但しここから一歩でも前に出てはだめだ。それと私が窮地に陥っても、絶対に助けには入らないで。約束できる?」


「ああ、約束しよう。それで、奴の弱点は分かっているのか?」


「ネルガルの弱点耐性は物理・神聖・音波よ。HoT(Heal over Time=持続回復)が攻略の要になってくる」


「...一人で勝算はあるのか?せめてミキとライルをこの場に呼んでは...」


「正直...微妙なんだよね。昔ネルガルと戦った時は、私と同レベルの六人パーティーで倒したんだ。それとあの二人は今もべバードの神殿で患者達を治療している。向こうは向こうで大事な任務だ、ここへ呼ぶ事は出来ない」


 ルカの真剣な目を見て、イフィオンはゴクリと固唾を飲んだ。


「...そこまで言うならもう何も言わない。死ぬなよ、ルカ」


「大丈夫、まあ見てなって」


 ルカはその場で一気にフルバフを開始した。そして最後に念を入れて、もう一つの魔法を詠唱する。


魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック毒耐性の強化プロテクションエナジートキシン


 そのまま立て続けに飛行フライを唱え、ネルガルに向けて突進する。距離が170ユニットまで差し掛かると敵がルカの接近を感知し、空中に散布されていた毒霧が途絶えて体の周囲に張り巡らされた。


「やはり睨んだとおりだ、空中と地面の同時散布は行えない。魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック治癒風の召喚コールオブヒーリングウィンド!」


 ルカの体から超広範囲に渡る青白い光が放射される。自らにパーセントリカバリーのHoTをかけた状態で、ルカは120ユニット内にある毒霧の中へ突入した。その途端強烈な殺気の波動がルカを押し包むが、本人は意にも介さず突進を続ける。


「なるほど、絶望のオーラと似たような効果だな。恐怖耐性に直接攻撃してくるのか、オリジナルのネルガルには無かったスキルだ。これじゃアエル達が接近出来ない訳だね。まあ私には効かないけど」


 瞬時にネルガルの懐へ達すると、ルカは空中にも関わらず舞うような洗練された動きで武技を発動した。


霊妙の虐殺スローターオブエーテリアル!!」


 刺突・斬撃を組み合わせた、神聖属性の超高速二十連撃が決まり、ネルガルの腹をズタズタに引き裂いた。傷口から神聖ダメージ特有の白い煙が上がり、ネルガルは空中で絶叫しのたうち回っている。ルカに向けて鎚矛を無造作に振り回してくるが、ルカはそれを尽く回避ドッヂで躱し、頭上に飛び上がると右手を顔面に向ける。


魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック聖者の覇気オーラオブセイント!!」


 直撃して大爆発を起こし、怒りに燃えたネルガルが空中にいるルカに両手を向けた。


「グォオオオアアアアア!!魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック毒素の吸収アブソーブド・ザ・トキシン!」


 回避ドッヂの体制を取っていたルカだが、それに反して突如体の周りに紫色の靄が現れ、何らかの効果が付与された事を示していた。ルカの血相が見る見る変わっていく。


「...AoEデバフに移動阻害スネア?!ちょっ、そんなのオリジナルには...」


魔法四重最強クアドロフォニックマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック硫酸毒サルフュリック・アシッドポイズン


「しまっ─────」


 どういう魔法を使う傾向にあるのか様子を見たのが仇となった。ネルガルの掌から巨大なスライム状の物体が高速で放出され、ルカを押し包んで直撃した。そのまま地面に墜落すると、落ちた箇所の地面が音を立てて溶解し、そこに穴が空いていく。それを見ていたイフィオンが絶叫した。


「ルカ!!!そんな...まさか...」


 ショックのあまり涙ぐみながら見つめていると、地面に落ちた強酸性のスライムがもぞもぞと動いている。次の瞬間、そのスライムの中心から黒い剣が突き出てきた。そして粘液を切り裂き、中から黒い影が勢いよく飛び出して地面に倒れ込んだ。仰向けのまま、ルカは苦しそうに独り言を呟く。


「ハァ...ハァ...やばかった、今のはやばかった...毒耐性ブーストしてなかったら死んでたな...てか毒デバフとか聞いてねーし...おまけにただのフィールドボスが魔法四重化とか、世界級ワールドエネミーかっつの...」


 足元がふらつきながらも立ち上がると、東からイフィオンの叫ぶ声が届いた。ルカはそれに手を振って答えると、回復魔法を唱える。


魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック約櫃に封印されし治癒アークヒーリング


 ルカの体が青白い球体に包まれ、体力がフル回復した。そして宙に浮かびこちらを凝視するネルガルを睨みつける。


「...くっそ〜、乙女の体を粘液まみれにしやがって。でも大体分かってきたぞこいつの攻撃パターン。もう容赦しないから覚悟しろよ」


 毒霧に備えてHoTをかけ、再度距離を取り空中に飛び上がる。そして両腕を前に出し掌を上に向けると、何故か120ユニットの範囲外から魔法を詠唱し始めた。


魔法最強効果範囲拡大マキシマイズワイデンマジック聖遺物の召喚コーリングオブレリクス型式タイプ聖櫃ホーリーアーク


 するとネルガルの頭上に突如、神輿のような金色の箱が現れた。そしてその直下に、120ユニットの広い範囲に渡り強烈な白い閃光が照射されるが、それを浴びたネルガルの顔が苦痛に歪んでいく。


「ガァァアアアアアアア!!!」


 醜い絶叫を上げ、高火力の聖なる光を浴び続けるネルガルの全身から白い煙が立ち上る。逃げ場のない光を浴びて空中を右往左往する様を見て、ルカは嬉々として独りごちた。


「やっぱりね、こいつ反撃カウンタータイプだ。こちらが攻撃すると大体三倍くらいにして返してくるって感じかな。それと範囲外からの攻撃に反撃してこないところを見ると、こいつに120ユニットを超える魔法やブレス攻撃は存在しない。そっちが常時発動型AoEDoTを使うのなら、こっちもAoEDoTで対抗すればいい。単純な事だったね。このまま三十分待てば勝手に死ぬだろうけど、もう暗くなってきたしさっさとケリ付けるか」


 そう言うとルカは再度120ユニット内へと飛び込んだ。そして逃げ惑うネルガルに空中から照準を合わせると、魔法を唱える。


魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック永続する夜明けパーペチュアルドーン


(コォォン...) ソナーにも似た音と共に周囲の大気密度が一気に増加し、ネルガルは音波デバフをまともに浴びた。


魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック恐怖の不協和音ドレッドディゾナンス


 超低周波と超高周波が入り乱れる狂気の空間が生まれ、大気摩擦によりネルガルの体が燃え始める。


「ギィィイヤアアアアア!!!」


 今まで聞いた事がないような絶叫と苦しみようだった事を受けて、通常と反応が違うと気づいたルカは空中から注意深くその様子を観察する。するといつの間にか、ネルガルの周囲に張り巡らされたAoEDoTの毒霧が消失していたのだ。ルカはそれを見てハッとする。


「まさか...ウィークポイントが音波系に設定されていたのか、チャンス!今なら使える、部分空間干渉サブスペースインターフェアレンス


 早口で詠唱すると、ルカの右に現れた等身大の暗黒空間に飲み込まれ、姿が掻き消える。恐怖の不協和音ドレッドディゾナンスを食らったせいか、ネルガルは頭を抱えてその場に固まってしまい動かない。その時だった。


「スキル・背後からの致命撃バックスタブ・レベルⅢ」


(ガクン!)とネルガルの巨体が前に押し出され、凄まじい衝撃である事を物語っていた。その口からは遂に大量の吐血が始まり、衝撃のした方へ首を向けてくると、巨大な背中に二本のロングダガーを突き立てるルカがいた。その傷口からも大量の出血と白い煙が上がっている。


「...神聖属性入りの背後からの致命撃バックスタブだよ、痛いでしょう?ネルガル、お前が今まで結核で殺した大勢の人達の苦しみ、とくと味わうがいい」


「グッ....ガハッ....」


 (ザザン!)と二本のダガーを素早く引き抜くと、空中に浮かぶ事すらも叶わずネルガルは地面に墜落する。生命の精髄ライフエッセンスでHPを確認したルカは、氷のように冷たい目でネルガルを見下ろすと、両手を左右一杯に広げた。


「...君だけ特別に、この魔法を使ってあげる。せめて最後くらいは...楽に死ねるといいね。賢人に捧ぐダンスオブザチェンジフェイト運命変転の舞踏フォーアトラハシース!」


 ルカの体が眩い白銀色の光球に包まれていく。そして天高く上昇し両腕を空に掲げると、体の周りに白色の巨大な立体魔法陣が現れた。掌にかつてない程強大な魔力が収束し、太陽よりも明るく輝くそのエネルギーは、周囲一帯を夜から昼に変えるほどだった。イフィオンは200ユニット離れた位置から、そんな小惑星級の恒星を生み出したルカの宙に浮かぶ姿を見て、涙が止まらなくなった。ルカは代弁してくれているのだ。イフィオンの、パルールの、カベリアの、メフィアーゾの、テレスの、そしてカルサナス全土に生き、死んでいった民達全ての味わった辛酸と悲しみを、あの光に込めてくれているのだと。イフィオンはその場で砂浜に跪き、結核で亡くなった死者の魂が彼岸へと辿り着けるよう、目を瞑り祈りを捧げた。


「さよなら、ネルガル...超位魔法・天空の楽園マハノン!!」


 海が割れた。星々が瞬いた。森林を、岸壁を、岩山を、雲をも吹き飛ばし、その全てを巨大な神聖光がゆっくりと飲み込んでいく。爆発の衝撃波は周囲一帯に地震を引き起こし、それはカルバラームの街まで届いていた。住民達は一様に不安を語り、この世の終わり・四大神の祟りと皆が囁き合ったが、一人砂浜に跪き光を見上げる都市長のイフィオンだけは、静かに微笑んでいた。...全てを見届けた者として。


 爆発の余波が止み光が失せると、海岸の地形は大きく様変わりしていた。一つの渓谷と言っても何ら遜色はない。空中に浮かんでいたルカが、ゆっくりとその渓谷の中心に降りていく姿を確認すると、イフィオンは立ち上がりルカの元へ一目散に駆け出した。たった一言でもいい。今はただ言葉を交わして、あの笑顔がもう一度見たかった。


 爆心地の外縁に立ち中を覗き込むと、深さ50メートルはあろうかと思われる巨大なクレーターが姿を見せた。海岸も破壊したとあり、そこから海水がクレーター内部へ流れ込んでいる、日も落ち薄暗い中イフィオンが目を凝らすと、中心部の一番底から黒い影がこちらへ歩いてきているのが見えた。足元がおぼつかずフラフラとこちらへ向かってくるルカを見て、イフィオンは咄嗟にクレーターの中へと飛び込み、ルカの元へ駆け寄った。


 距離が近づき正面に立つと、ルカはそれに気づいて顔を上げた。


「...イフィオン...やったよ。みんなの仇、取ったからね...」


「ルカ...!」


 力なく微笑む英雄を見て感極まるイフィオンだったが、ルカは突然その場へ崩れるように片膝をついて座り込んでしまった。イフィオンは驚きのあまり隣に身を寄せると、同じようにしゃがみ込んでルカの上半身を支えた。


「ルカ、だめだしっかりしろ!今すぐ転移門ゲートを開けて私の家へ戻ろう。あれだけの戦いをしたんだ、ゆっくり眠れば必ず回復するはずだ」


「...違うよイフィオン、そうじゃないの...少し待ってね」


 ルカは中空に手を伸ばし、アイテムストレージからオレンジ色の液体が入った小瓶を取り出した。イフィオンが不思議そうな顔でそれを眺める。


「何だそれは、ポーションか?」


「...上位魔力回復薬グレーターマナポーションよ...今日カルバラームの神殿で治療したあと、すぐに来たから...結構ギリギリまで魔力使っちゃって...そのせいだと思う。戦う前に飲んでおけって話よね...」


 ルカは瓶の蓋を開けると、一気に喉へ流し込んだ。イフィオンの表情が悲嘆に暮れる。


「そんな体で...済まない、気づけなかった私も悪いんだ。ポーションは効きそうか?」


「...ふう。正直気休めにしか...ならないみたい」


「今日は食事も摂っていないだろう。私の家に来い、何ならずっと居てくれてもいいんだ」


「...ありがとう。でも本当に正直に言うと、食事よりもまずは...寝たい。でも眠る前に、カベリアの治療をしないと...約束...してるから...」


「分かった、べバードだな?すぐに行こう、肩に掴まれ」


 ルカの腕を首にかけて腰を支え立ち上がった時、右手に何か握っていることに気がついた。イフィオンはルカの顔を覗き込む。


「ルカ、何だその小瓶は?」


「...ネルガルが...落としていったの。私が回復するまで...これイフィオンが大事に持ってて。後で...検査してみるから...」


「分かった、預かろう」


 イフィオンは小瓶を受け取ると、腰のベルトパックに収めて再度ルカの腰を支える。


「では行くぞ、転移門ゲート



───カルサナス都市国家連合中央 べバード 都市長邸宅内 20:13 PM


 カベリアの寝室内には、ミキ・ライル・パルール・テレス・べハティーの五人が揃っていた。そこへ部屋中央に暗黒の穴が開く。やっと戻ってきたかと皆が安心したのも束の間、その穴の中からは、満身創痍のルカをイフィオンが肩を担いで運び込んできたのだ。室内は騒然とし、全員が席を立った。そして真っ先にルカの両肩を支えたのは、ライル・センチネルだった。


「ルカ様...。この傷、尋常ではない。何があった?誰と戦った?イフィオン都市長。全て話してもらおう」


「分かっている。だがその前に、ルカをカベリアのベッドに寝かせたい。ライル、手伝ってくれ」


「俺が運ぼう」


 イフィオンが苦労して運んできたのを他所に、ライルはルカの背中と両足を支えると、軽々と持ち上げてベッドに運んだ。ミキが素早く動き、羽毛布団を下げてスペースを作ると、カベリアの隣に寝かせてそっと羽毛布団を掛け直した。しかしルカの疲弊しきった様子を見てショックを受けたのは他でもない、カベリア本人だった。


「...ルカお姉ちゃん、どうしたの?大丈夫?」


「....遅くなって...ごめんねカベリア...まだ痛くない?」


「そんなのどうだっていいよ!!...何してきたのお姉ちゃん?こんなにボロボロになって...」


「...いいんだよカベリア、気にしないでも...治療、始めるからね...魔法持続時間延長化エクステンドマジック痛覚遮断ペイン・インターセプト...」


 カベリアの体を抱き寄せ、解毒・修復と治療を終えたルカは安堵の溜息をつき、ベッドの左に顔を向けた。


「...ミキ、ライル...ごめんね、治療任せっきりにしちゃって...」


「...何を仰いますかルカ様!!...ご安心ください、このべバードとテーベ、ゴルドーも、神殿は全て回診を済ませてあります」


「...も、もう一人いるの...ゴルドーの都市長...メフィー...彼も定期的に治療が必要よ...私が転移門ゲートを開けるから...行ってきてくれる?ミキ...」


「もちろんでございます」


「...転移門ゲート


 ルカが中央に開けた暗黒の穴を、ミキは潜っていった。ライルがルカの顔を覗き込んでくる。


「ルカ様...」


「ライル...ごめんね、もう気を失う寸前なの...目が霞んで...後のことは...イフィオンに...」


「かしこまりました、もうお休みください」


 目の光が完全に失われている、しかしそれでも右側に寝返りを打ち、手の感触と香りだけを頼りに、ルカはカベリアを抱き寄せた。


「...カベリア...お姉ちゃん...もう...限界....」


「...いやぁ、お姉ちゃぁん...死んじゃだめ...うぁぁあああん!!」


「...おや...すみ...カベ...リ─────」


「お姉ちゃぁん!!」


 ───ルカは完全に気を失った。まるで死人のように。呼吸する音すらも聞こえない。カベリアは咄嗟にルカの胸に耳を当てた。微弱ながらも、確実に命の鼓動が聞こえる。それを聴いたカベリアは、ルカの左頬にキスをした。かつて自分が生きる勇気を与えてもらった時と同じように。


 ライルとパルールはその様子を見ると、ベッド脇に立つイフィオンを見た。


「...さあ、イフィオン都市長」


「あのルカがこのように傷んだ姿で帰ってくるとは...その話、わしにも聞かせてくれ」


「分かった、案ずるな。私はこの目で全てを見た。...少し長くなる、二人ともまず座れ」


 ルカの頭を胸に抱えながら、カベリアは大人達の話す内容に聞き耳を立てていた。その想像を超えた神話のような戦いを知り、再びルカの顔を見る。顔に付いた海岸の砂をそっと手の甲で払いのけると、カベリアは再度ルカの頭を優しく抱きしめる。死地から戻った我が子を出迎える母親のように。



───翌日 15:38 PM 


(...ん....ちゃん...姉ちゃん....お姉ちゃん!)


 体を軽く揺さぶられる感覚に気づき、ルカは目を覚ました。上を見ると小さな少女が覆い被さり、涙を零しながら赤い瞳を覗き込んでいる。昨晩の事がよく思い出せず、頭に靄のかかったような状態だったが、ルカは少女の美しい金髪をそっと撫でると、微笑んで返した。


「おはようカベリア。どうしたの朝からそんなに泣いて?」


「...もう朝じゃないよ...ヒック...良かった...ちゃんと起きた...」


 その声に気づき、室内にいた者達全員が席を立つと、ベッドの回りに集まってきた。それを見てルカは左腕の金属製リストバンドに目をやると、愕然とした顔で枕に頭を預け脱力した。


「...ほぼまる一日寝てたわけか」


 カベリアが首元に顔を埋めてくると、その背中を支えて優しく摩った。するとベッド脇からニメートルを超える大男が顔を覗かせてきた。


「おはようございますルカ様。具合はいかがですか?」


「おはようライル、みんな。体調はそんなに悪くないよ」


「それはようございました」


「ミキは?」


「街の回診に出ております」


「...いけない、ずっと一人で任せっぱなしだった。私も行かないと」


 カベリアを抱いたまま上半身を起こそうとすると、ライルが肩を掴んで止めに入った。


「なりませんルカ様!...MPの回復が遅い。疲労が溜まっている証拠です、もうしばらくは休まねば」


「ポーションで補填するから大丈夫。このままじゃミキの方が先に参っちゃうよ。みんなで分担して負担を軽くしないと」


「ではせめて夜まではお休みください。このライルめのお願いです」


「...分かった。ミキは今どこにいるの?」


「カルバラームから診て回ると言っておりました」


「後で連絡して、ヘルプに入るかな」


 胸の上で脱力し安心したカベリアを右の枕に寝かせると、ルカも再び横になった。ふとライルの顔を見ると、何故か眉間に皺が寄り険しい表情となっている。


「どうしたの?」


「...いえ、何でもありません」


「何よ、ちゃんと言って?何でも話すって前に約束したでしょ?」


「...昨晩の話、イフィオン都市長より全て聞きました。何故お一人で向かわれたのですか?フィールドボスに単騎で挑むなど狂気の沙汰でしかない。我ら3人でかかれば、そのような手傷を負わずとも済みましたのに」


「二人がカルサナスに来てから、本当に治療をよく頑張ってくれてる。私もすごい助かってるわ。その邪魔をしたくなかったの。定期的な回診も重要な任務の一つだからね。だから一人で行ったんだ」


「...全く、困ったお方だ。ネルガルごときあなた様の敵ではないと思いますが、次からは必ず我ら二人を呼んでください。よろしいですね?」


「分かった。ありがとうライル」


 横で聞いていたパルールが顔を見せてきた。


「ルカよ、お主というやつは...イフィオンの話によれば、未確認モンスターの正体は神だったそうではないか。そんな化け物を、お主はたった一人で...。結核菌の原因となっていた邪神、そのような魔物と戦うのであれば、わしを呼んでくれればすぐにでも駆けつけたものを」


「おじいちゃん、これは冒険者組合から正式に要請された依頼。その依頼を受けた私達は殺しのプロ。他人を巻き込む訳にはいかないわ。...でもこれで私達のミッションは完了した。後はストレプトマイシンを作るだけよ」


「...お主をカルサナスに招いたわしの目に狂いはなかった。ありがとう...ありがとうルカ。わしにはもう、これだけしか言えん...」


 パルールは目いっぱいに涙を溜め、ベッドの上にあるルカの左手を握りしめた。ルカもその職人のようないかつい手を優しく握り返す。そして日が落ち、夜も更けた。



───カルサナス都市国家連合南西 城塞都市テーベ 隔離区域(三街区)神殿 19:57 PM


 ルカ達が神殿内に入ると、その姿を確認した患者や家族達が一斉にどよめきを上げた。


「...おお、ルカ様だ」


「ルカ先生!」


「パルール都市長!それにイフィオン都市長まで」


 暗殺者に寄せられた予想外の人気に二人の都市長は驚いていたが、ルカは右手を上げ笑顔でそれに答えた。その騒ぎを聞きつけ、通路の奥から一人の長身な医師が駆け寄ってくる。


「ルカ、パルール都市長!それにライル、来ていたのか。イフィオン都市長も、ご無沙汰しております」


「ラミウス、二日ぶりね。様子はどう?」


「患者達も皆落ち着いた様子だ。先日もミキ殿が回診に来てくれたからな」


「そっか。今日は私が回診するから、一緒についてきてくれる?」


「もちろんだ」


 四人は右列の重症者ベッドに足を運んだ。一番手前には一人の守護鬼スプリガンが横たわり、天井をぼんやりと見上げていた。そこへルカがひょいと顔を出して視線を遮る。


「こんばんはぺぺ。具合はどう?」


「...ルカ先生?!良かった、もう来てくれないんじゃないかと...」


「ごめんね、私も少し忙しかったんだ。でもその間ミキが来てくれてたでしょ?」


「そりゃそうだけど...あたいはやっぱりあんたじゃないとだめなんだ」


「贅沢言わないの。ミキは私と同じ回復魔法が使えるし、私もこれからここに来れる回数も少し減ってしまうだろうからね」


「...何かあったのかい?」


「ぺぺ、二ついい知らせがある。一つは昨日、このカルサナスに病気...結核菌をばら撒いていたモンスターを私が殺しておいた。これで新たな感染の拡大は大分防げると思うよ」


「そ、それは本当かい?!」


「事実じゃぺぺ。ここにいるイフィオン都市長がルカに同行し、その神との激しい戦いの一部始終を全て目撃しておる。...まあ神と言っても邪神だったらしいがな」


 パルールの重い言葉を受けて、ぺぺは再度ルカを見た。そこには優しい微笑みを湛える暗殺者が、ぺぺの目を見つめ返していた。


「...おかしいと思ってた。やっぱりそんな理由があったんだ...ありがとうルカ先生、あんたなら絶対やってくれるとあたい信じてたよ!」


「気にしないの。元々そのモンスターを殺す為に、私達はカルサナスに入ったんだから。それともう一つのいい知らせは、この結核菌に対抗する特効薬が作れるかもしれない。今から二日後に、その薬が作れるかどうかが判明するの。もしうまく行けば、私はその薬を作ることに専念しなければいけない。だからその間ここに来る回数が減っちゃうから、そのつもりでいてね、ぺぺ」


「...こんな殺人的な病気に特効薬があるなんて...すごいじゃないか!分かったよルカ先生、あたいも頑張って見せる。薬の開発、頼んだよ!」


 ルカは笑顔で頷くと腰を上げ、左隣に立つラミウスを見た。ルカの赤い瞳がユラリと輝く。その視線はラミウスの目を射抜き、脳まで達するのではないかという魔性の力を秘めていた。


 ...長い沈黙に耐えかね、見つめられて固まっていたラミウスは慌ててルカに質問した。


「...ル、ルカよ、定期治療は行わないのか?」


「あなたがやるのよ、ラミウス」


「私が?しかし、私はお前のように患者の容態を知ることも、解毒する事も───」


「今の話聞いてたよね?この病気の名前は結核。その特効薬であるストレプトマイシンを抽出する作業のため、私は回診に出れる数が減ってしまう。かと言ってミキ一人に四都市全てを任せっきりでは、彼女が参ってしまう」


「で、ではどうしろと?」


「その前に聞くわラミウス。今でも患者を救いたいという覚悟に変わりはない?」


「もちろんだ」


「例え死んでも?」


「死を恐れているなら、いつ感染してもおかしくないこの神殿に居続けたりはしない。例えこの身を犠牲にしても、私は患者と共に歩む」


 その決意を秘めた鋭い目は本物だった。ルカはそれを見て小さく頷く。


「分かった。これから君に力を授ける。私と同じ力をね。信仰系回復職の最高クラス、戦神官ウォー・クレリック、君はこの上位職業クラスに転職するんだ」


「...聞いたことのない職業クラスだが、それはこの場で可能なのか?」


 ルカはその問いには答えず中空に手を伸ばし、アイテムストレージから菱形の小さな青いクリスタルを取り出した。そしてそれをラミウスに手渡す。


「ルカ、これは?」


「データクリスタル・戦神の衣。貴重なアイテムよ。職業クラスチェンジする覚悟ができたのなら、それを自分の左胸に当てて」


 言われたとおり、ラミウスはクリスタルを胸に押し付けた。


「心の中でこう唱えて。”我は戦神官ウォー・クレリックに転職する事を了承する”と」


 その瞬間、ラミウスの体から青白いオーラが立ち昇った。パルール・イフィオン・ぺぺもその様子を見て驚愕の表情を見せる。やがてオーラが消失し、茫然自失のラミウスはルカに目を向けた。


「い、一体何が...」


「これで君のメインクラスは戦神官ウォー・クレリックになった。この後は魔法を覚えてもらう」


 ルカは再度アイテムストレージから、一冊の分厚く白い書物を取り出した。その表紙を捲ると、一ページ目に黒い手形が押してある。そしてその表紙の裏は、黒い液晶パネルのような材質となっていた。ルカはそれをラミウスに見せると、一ページ目を指差す。


「ラミウス、ここに手を乗せて」


「あ、ああ、分かった」


 黒い手形に手を乗せると、左側の液晶パネルが光を放った。そして再度暗転し、そこに白い文字が刻まれていく。四人はその裏表紙を覗き込んだ


──────────────────


キャラネーム : ラミウス=ベルクォーネ


Age : 57


Race : 人間ヒューマン


属性 : NPC


Level :61


職業クラス :神官クレリック(Lv15)

   司祭ビショップ(Lv15)

   戦神官ウォー・クレリック(Lv1)    

修行僧モンク(Lv15)

キ・マスター(Lv15)


ステータス : STR腕力+50

      DEX素早さ+90

      INT知性+130

      CON体力+154

      SPI精神力+170


ステータスポイント : 残り17


スキルポイント : 残り271


習得魔法 : 病気の除去ディスペルディジーズ

      転移門ゲート

      大治癒ヒール

      聖なる光線ホーリーレイ

      死者復活レイズデッド

      太陽光サンライト

      神聖光ホーリーライト

      衝撃波ショックウェーブ

     中傷治癒ミドルキュアウーンズ

     下級筋力増大レッサーストレングス

下級敏捷力増大レッサーデクステリティ

下級体力増大レッサーバイタリティ  

清潔クリーン

     水創造クリエイトウォーター

     軽傷治癒ライトヒーリング

     永続光コンティニュアルライト

     道具鑑定アプレイザルマジックアイテム


武技 : 残忍な殴打ブルータルパンチ

   稲妻拳ライトニングフィスト

   鉄の爪アイアンクロウ

   苦痛の感触タッチオブペイン

   砂紋の構えリップリングデューンスタンス

波動の射出ウェーブ・エミット


スキル : 無し


タレント : 無し


──────────────────



 列挙された情報を見て、ラミウスは驚愕の表情をルカに向けた。


「わ、私の職業や使える魔法・武技が全て記載されている...一体何なんだこの書物は?」


「これは職業クラス専用の魔導書よ。戦神官ウォー・クレリックにしか使えないように出来ている。なるほど、レベルは61か。修行僧モンクから派生して、キ・マスターを選んだんだね。信仰系なら悪くない。ステータス配分も、回復職としてはバランスが取れている。一番心配していたスキルポイントも、幸いな事にたっぷり余っている。これなら戦神官ウォー・クレリックの魔法は全て習得できそうだ。でも武技を少し取り過ぎだね、回復職にここまで必要ないと思う」


「これでも冒険者だからな。一人で生き抜く為にも、武技は必要になってくる」


「まあとりあえず、余っているステータスポイントは全てINT知性に振っちゃってくれる?」


「どうすればいいんだ?」


「ここよ。このINT知性ってステータスの左にあるプラスボタンを押せばいいの」


 言われた通りラミウスはボタンを押し、残存ポイントを全て振り終わった事で、INT知性のマックス値が147にまで上昇した。


「じゃあ次は魔法ね。えーと確か回復魔法は...あった、351ページ。まずこの五行目の文字を全て指でなぞってみて。それで魔法を修得できる」


「たったそれだけで...何の修行や訓練も必要なしにか?」


「そうよ。ほら、さっさとやってみる!」


 ラミウスが指でゆっくりとなぞると、指の下にあるその文字が赤く光を放っていった。そして五行目の端まで来ると文字列全体が点滅し、光がフェードアウトする。ラミウスは目を瞬かせてルカを見た。


「...これでいいのか?」


「そう。私が前に見せた治療の手順は覚えてる?」


「もちろんだ。日記にも書いているくらいだからな」


「それなら患者に最初にかけるべき魔法を、私にかけてみて。おでことお腹に手を添えるのよ?」


「い、いいのか?触るぞ」


「何照れてるのよ。いいから早くして」


 ラミウスはルカの体に触れると、緊張気味に魔法を詠唱した。


「...体内の精査インターナルクローズインスペクション!」


 ルカの頭から爪先までレーザー光のような青い光が交差し、ラミウスの脳内にルカの体内コンディション情報が流れ込んでくる。それを見て唖然としながら、ルカの体内には何も異常がない事が確認できた。光が収束し、ルカはラミウスの目を覗き込む。


「どういう魔法か分かったでしょ?」


「こ...これがお前の使っていた力...なのか」


「コツは掴んだようね。...いつまで触ってるの?」


「あ!いやあの、申し訳ない...」


「次は実践形式で行くよ。一つの魔法を新たに覚えたら、それをぺぺにかけていってね」


「分かった、やってみる」


 魔導書による魔法の習得と、ぺぺ=ブラドッグの治療が並行して行われ、戦神官ウォー・クレリックの魔法を全て習得したラミウスは、最後に一つの魔法を詠唱する。


魔法持続時間延長化エクステンドマジック痛覚遮断ペイン・インターセプト


 ぺぺの治療が全て完了した。緊張からか、ラミウスの額に汗が滲んでいる。念の為最後にルカがぺぺの体をアナライズし、問題がなかったことでルカはラミウスに合格点を出した。


「OK、大丈夫なようだね。この調子で次の患者も行くよ。私が最後にチェック入れるから」


「...ふぅ、分かった。感謝する、ルカ師匠」


「ちょっと、師匠とかやめてくれない?カルサナスにある神殿の責任者は君でしょう?これから頑張ってもらわないと。いつも通りルカでいいから。私がいない時は頼むよ、ラミウス」


「心得た。まさか私にもこのように強力な魔法を使える日が来るとは。新たな可能性を得た気分だ、身を粉にして治療に励もう」


「よし、その意気だ。ぺぺ、そんなわけでラミウス先生も私と同じ魔法を使えるようになったから、私やミキがいない時でも安心してね」


「あ、ああ、分かったよ。...あんた本当に一体何者なんだ?」


「私?私はただの暗殺者だよ。この街にフラリと寄っただけの人殺しさ」


「...ウソだ!!何で急にそんな言い方するんだ...あたいには分かってる。いいや、あんたに治療を受けたみんなが分かっているはずだ!ルカ先生、その優しい笑顔にどれだけの人が救われた事か、そしてあんたの秘めたる強さに気づいている者がどれだけいる事か。いいかい、みんなあんたに感謝してるよ。それだけは忘れないでくれ」


「...ほんとの事言ったら、怒られちゃった。ありがとうぺぺ、覚えておくよ」


 物悲しげな顔で次のベッドに移り、ルカ監視の中ラミウスの治療は続けられていった。そして軽症者の眠る左列につく頃、ラミウスのMPが減少してきた事により、治療をルカと交代した。


「こんばんはハーロン」


「ルカお姉ちゃん!来てくれたんだね!」


「ごめんね、二日も待たせて」


「ううん大丈夫、昨日ミキお姉ちゃんが来てくれたから」


「今日は私が診るからね。体を楽にして」


 解毒・修復・疼痛除去と治療を終え、ルカはハーロンの右頬をそっと撫でた。


「ちゃんとご飯食べてる?」


「うん!母さんが弁当を作ってきてくれるから」


「今日はお母さん帰ったの?」


「僕の看病に付きっきりで、寝てなかったからね。具合も良くなってるし、家で寝てもらってるよ」


「そっか...」


 ルカの隣にイフィオンが立っているのを見て、ハーロンは目の色が変わった。


「イフィオン都市長!カベリアの...カベリアの具合はどうですか?!パルール都市長から聞きました...僕よりも具合が悪いんですよね?」


「安心しろハーロン。このルカが治療を施してくれたおかげで、今は落ち着いている」


「そうか、ルカお姉ちゃんが...良かった...あいつは僕が守ってやらないとだめなんです。あいつが都市長になった時は、僕が兵隊長になってあいつの隣にいると決めたんです!」


「それは頼もしいなハーロン。是非そうしてやるといい」


 イフィオンは優しい笑顔を向けたが、ルカは何も言わずハーロンの上に覆い被さり、小さな体を抱きしめた。ハーロンの頬にルカの涙が零れ落ちる。


「ル、ルカお姉ちゃんどうしたの?泣いてるの?」


「...お姉ちゃん頑張るからね。もし薬ができなくても、何か別の方法がきっとあるはずよ。たからハーロンも諦めないで。私も...諦めないから...」


「お姉ちゃん...」


 その光景を見てイフィオンとパルールは全てを察した。ルカに多大なプレッシャーがかかっていることを。土壌サンプルの中から放射菌が見つからなければ、ストレプトマイシン製造の計画は全て無に帰す。国外へと捜索範囲を広げれば、それだけ時間がかかり重症者達の身が危険に晒される。ルカはそれを恐れているのだ。


 ルカに全てを託してしまった自分達に罪悪感を感じながらも、イフィオンとパルールはただ黙って見守ることしか出来なかった。



───カルサナス都市国家連合東 ゴルドー都市長邸宅内 23:58 PM


 部屋中央に暗黒の穴が開き、それをメフィアーゾは横目で見つめていた。中から出てきたのは、ルカただ一人だけだった。


「ようルカ、来たか」


「こんばんはメフィー、寝てた?」


「いや、起きてたぜ」


「ミキは来た?」


「あのおめぇとはまた一味違う美人な姉ちゃんか。いや、昨日来たきりだぜ」


「今魔法かけるからね」


 メフィアーゾの逞しい体に手を乗せて定期治療を行うと、ベッド脇に置かれた椅子に腰を下ろした。


「ありがとよ。...何でえしけた面しやがって。何かあったのか?」


「...ううん、何でもない」


「何でもねぇってこたねえだろう。話してみろ、俺で良けりゃ何でも聞くぜ」


 長い沈黙。ルカが自ら口を開くのを、メフィアーゾは辛抱強く待った。そして暗い表情を落としていたルカの目から、一筋の涙が頬を伝う。


「...どうしよう」


「...ルカ?」


「もし二日後に、特効薬の元となる放射菌が見つからなかったら、みんな死んじゃう...メフィーも、カベリアも、ハーロンも、ぺぺも、アエルも、カルサナスの住人達も...私、どうしたらいい?メフィー...他の方法が見つからないの」


「...ルカ、こっちに来い」


 メフィアーゾが手を差し伸べると、ルカはその手を取った。引かれるがままに身を任せると、メフィアーゾは分厚い胸板にルカの顔を抱き寄せる。白いYシャツに涙が染み込んでいく中、メフィアーゾはその艷やかな黒髪を優しく撫でた。


「...俺ぁ別に死ぬのは怖くねえ。こんなゴツい胸で良けりゃ、いくらでも貸すぜ。他の街の連中だって、このまま死ぬ事ぐらい覚悟してるはずだ。お前が来たから俺達は痛みに怯えることなく、こんなにも救われてるんだ」


「でも...でも...!」


「話はイフィオンから伝言メッセージで全部聞いた。おめぇ、結核菌の親玉っつー化け物と一人で戦ったんだってな。...そこまでこの国に尽くしてくれてるのに、病気で死んでお前を恨んだりする奴なんかこの国には一人もいねえよ。何でもかんでも一人で背負いすぎだお前は」


「...死んでほしくない。死なせたくないの、みんなを...」


「全く、飛んだ甘ちゃんのマスターアサシンだぜお前は。それにアンデッドってなぁもっと死人みてぇに冷たいかと思ってたのに、こんなにも...あったけぇじゃねえか」


「私は...セフィロト。上位種族だけど、純粋なアンデッドではないの」


「おめぇの種族が何だろうが、そんなこたぁどうでもいい。このカルサナスのために、お前はこれ以上ないくらいよくやってくれてる。お前でだめなら、皆がその結果に納得するだろう。もっと自分に自信を持て。それにその特効薬の元がまだだめと決まった訳でもないんだろ?諦めるのはまだ早いぜルカ。な?」


「メフィー...そうだね、頑張ってみる」


 ルカは顔を上げると、メフィアーゾの顔に体を近づけた。そして優しく左頬にキスする。


「お、おいおいよせやい!照れるぜ...」


「ありがとう、少し元気が出たよ。そろそろべバードに戻らないと。カベリアが待ってる」


「ああ、行ってやんな」


「また来るね。転移門ゲート


 ルカは涙を拭うと、暗黒の穴を潜った。その後ろ姿を追いながら、メフィアーゾは独りごちる。


「ヘヘ、女に年を聞くのは野暮ってもんか」


 そして彼はフローラルな残り香を嗅いで深呼吸しながら、静かに目を閉じた。


 そこから二日の間は、ルカ・ミキ・ラミウスの三人体制で四都市の回診を続けた。拠点はべバードのまま変えず、治療が終われば食事を摂り、カベリアの隣に添い寝して子守唄を歌い、寝かしつける。そんな毎日が過ぎ、そして遂に三日目の朝が来た。



───カルサナス都市国家連合中央 べバード都市長邸宅内 8:03 AM


 寝室内にはイフィオン・パルール・ミキ・ライル・ラミウス・テレス・べハティーの七人が揃っていた。ルカも装備を整えてベッドから立ち上がると、後ろで心配そうに見つめる少女を振り返る。


「それじゃ行ってくるね、カベリア」


「...お薬作りに行くんだよね? がんばって、お姉ちゃん」


「ああ、全力を尽くすよ」


 そして正面に向き直り、皆の顔を見渡した。


「ミキ、ラミウス、手筈通りだ。私がイフィオンの研究所にいる間、四都市の回診を任せる。バラけて回るよりも、一つの街を二人で集中的に治療していくほうが効率的なはずだ。特にゴルドーは患者数が多い。苦労をかけるが、二人共よろしく頼む」


「かしこまりました」


「治療は我々に任せて、お前は薬の開発に専念してくれ」


「ラミウス忘れないで。痛覚遮断ペイン・インターセプトの効果時間は十四時間よ。魔法を切らせて患者を苦しめる事のないように。自分が回診した時間を忘れずに、きちんとスケジュールを立てて行動してね、いい?」


「しかと心得た。この力を与えてもらったからには、医者として責任ある行動を取っていくつもりだ」


「頼むぞルカ。わしに手伝える事があれば、いつでも伝言メッセージで呼んでくれ」


「ありがとうおじいちゃん。よし、イフィオン行こう。放射菌の分離には時間がかかる。長い作業になるから、覚悟しておいてね」


「全て承知の上だ。開けるぞ、転移門ゲート


 二人は意を決し、暗黒の穴を潜った。



───カルサナス都市国家連合北東 カルバラーム都市長邸宅内3F 薬剤研究所 8:17 AM


 転移門ゲートを抜けると、その真正面にはイフィオンの弟子、ティリス=ピアースが既に頭を下げて待ち構えていた。


「おはようございますイフィオン様、ルカ様。お待ちしておりました」


「おはようティリス。土壌サンプルの具合はどうだ?」


「はい、程よく乾いているかと存じます」


 ルカは頭を上げて微笑を湛えるティリスの気品ある姿に舌を巻いた。背は160センチ程と小柄で、白衣にも似た変わった形のローブを着込み、丸眼鏡をかけたその顔は愛らしくも美しく、そして理知的な印象を受ける半森妖精ハーフエルフだ。髪は背中まで伸ばした艶のある若葉色で、頭に円形の白い帽子を被っている。顔に似合わず体型はグラマラスで、そこはかとない魅力を漂わせていた。


「早速だけど、土を見せてもらってもいいかな?」


「はいルカ様、こちらになります」


 テーブルに案内されると、その上には縦横50センチ四方の金属製ボックスが六つ並んでいた。その中身を覗き込むと、腐葉土の水分が飛んで薄茶色に変色していた。ルカはそれを見て笑顔になる。


「うん、程よく乾燥してるね。これなら無胞子性のバクテリアも死滅しているはずだ。ティリス、こっちのテーブル使ってもいい?」


「もちろんです。ご自由にお使いください」


 ルカはアイテムストレージから走査型電スキャニング・エレク子顕微鏡トロン・マイクロスコープと医療器具の入ったジェラルミン製ケースを取り出し、テーブルの上に並べた。ケースを開き、中に収まったピンセットとプレパラートを手に取ると、それを弟子にに差し出した。


「ティリス、このピンセットで摘んで手に触れないよう土をガラスの上に少量乗せて。それときれいな水を少しだけ持ってきてくれる?」


「かしこまりました」


 ティリスは金属製ボックスの中から土を取り出し、それをプレパラートの上に乗せて薄く伸ばした。次にテーブルの脇に置かれた白いポットからビーカーに水を注ぐと、その二つをルカにそっと手渡す。


「ありがとう。これはどこの土?」


「べバードから東にある、カルサナス共同牧場の菜園から採取した土壌サンプルでございます」


「OK、見てみよう」


 顕微鏡のステージにプレパラートをセットし、スポイトで水を一滴垂らすとカバーグラスを乗せて、接眼レンズを覗いた。倍率を調整しながら目を細めて検査を進めていくが、しばらくすると接眼レンズから目を離し、小さく溜息をつく。


「...だめだ、この農場の土に放射菌はいない。ティリス、次持ってきて」


「はい。こちらはゴルドーの北にあるテオドーラ・フォレストから採取した腐葉土です」


 プレパラートをセットするが、ルカはすぐに接眼レンズから目を離した。


「...菌糸の欠片すらもない。というより室内乾燥だというのに、ほぼ無菌状態た。こんなのあり得ない...やはりこの世界に放射菌は...」


 苦渋の表情を浮かべるルカを見たティリスは、若干慌てた様子で次のサンプルを持ってきた。


「こちらはテーベ北西にあるネイワーズ・フォレストの土です、ルカ様」


 ルカは黙って頷きプレパラートを受け取るが、接眼レンズを覗いたルカの落胆する様子を見て、ティリスはすぐさま次のプレパラートを用意した。


「べバードから東で採取した、ダグワール・フォレストの土です」


 しかしそこからも放射菌は確認されず、ティリスは焦燥し、ルカの横顔を見て次第に悲痛な表情へと変わっていった。


「フェリシア城塞の北にある、シュリーバ・フォレストの土です!」


 必死だった。土の採取地点を間違えたのか、それとも一つの森に対し、数カ所に渡り探索範囲を広げるべきだったのか。自らのミスという罪の意識に苛まれていたが、ティリスは次の瞬間衝撃を受けた。接眼レンズを覗くルカの目から光が失われ、頬に一筋の涙が伝っていた。横で見ていたイフィオンがルカの肩を掴む。


「ルカ!しっかりしろ、一体どうしたというんだ?」


「ルカ様...」


「...イフィオン、ティリス。ここまで無菌状態の土を、私は見たことがない。私の元いた世界では、土壌から放射菌がすぐに発見できたんだ。しかし今見た五つの森の土には、微生物の死骸しか確認出来なかった。これでは、最後の一つも同じように...ティリス、確認するけど、この六つの森以外で他の森林はないの?」


「あるにはありますが、名もない小さな森が点在するばかりです。土も木も痩せており、とても有望とは言えません」


「斯くなる上は、トブの大森林へ調査に行くしか...でもあの森は途轍もなく広い。闇雲に土壌を採取していては時間がかかりすぎる上に、手分けして探そうにもあの森にはモンスターが多数生息しているから、調査の行く手が遮られるだろう。...済まない、特効薬などと希望を持たせるようなことを言ってしまって...」


 絶望し肩を落とすルカの頭を、ティリスがそっと支えて胸元に抱き寄せた。


「...ルカ様、諦めないで。例え特効薬が作れなかったとしても、我らカルサナスの民はそれを運命と受け入れます。決してあなた一人のせいにはしない。それにまだ最後のサンプルが残っています。この土は、我らカルバラームの民達に取って聖なる森、ユーライア・フォレストから採取した、霊験あらたかな大地そのもの。きっと何か手がかりがあるに違いありません」


「ティリス...」


「さ、これで涙をお拭いください。検査を続けましょう」


 ティリスのハンカチで涙を拭き、渡されたプレパラートに水を一滴垂らしてカバーグラスを被せると、顕微鏡のステージにセットした。


 そして接眼レンズを恐る恐る覗き込んだが、様子がおかしい。目を大きく見開き、何かを確認するように顕微鏡のアームと倍率を調整し直し、その後金縛りにあったかのように動かなくなった。イフィオンとティリスはそれを見て息を呑む。そしてルカがポツリと呟いた。


「...いる」


「? 何が...いるんだ?ルカ」


「...土の中に...菌糸がある....見つけたよ...見つけたよ、放射菌...やった、これでみんなも...」


 感激のあまり涙が溢れ出るルカを見て、イフィオンとティリスはルカを力一杯抱き締めた。二人の目にも涙が滴っている。


「やったなルカ。お前と言うやつは、本当に...」


「私は信じておりました...ルカ様は、このカルサナスの大地の加護を受けているのだと...」


「ありがとう、ありがとう二人共...」


 感涙も一入、ルカは顕微鏡の前から横へ移動すると、二人へ促した。


「イフィオン、ティリス、二人共見てごらん。放射菌がどんな姿か、覚えておいて」


 ティリスはイフィオンに先を譲ろうとしたが、(お先にどうぞ)と言わんばかりにイフィオンは笑顔を向け、小さく頷いてティリスはそっと接眼レンズを覗き込んだ。


 そこには土の粒子に絡みつくように、細く白い糸状の菌糸が鎖のように連なっていた。それを見てティリスは接眼レンズから顔を離し、ルカを見る。


「この放射菌は、生きているのですか?」


「そうよ、細菌だからね。砂糖水の一つでもあげれば、どんどん増殖していくわ」


 続いてイフィオンも接眼レンズを見ながら、ルカに語りかけた。


「...このように小さな生物が、ストレプトマイシンの原材料になるとは...信じられん」


「そうだね。でも放射菌が見つかったからには、ここからが大変よ。でもその前に、この放射菌が生息するユーライア・フォレストという場所を見てみたいの。他の森は無菌状態なのに、何故かこのサンプルだけに存在している。どういう条件で放射菌が育つのか、知っておきたいんだ」


「分かりました、確かにそれは重要ですね。転移門ゲートポイントを設置してありますので、私がお連れします」


「よろしくティリス」


「待てルカ。あの森の奥へ行くのなら、お前達だけでは危険だ。私も行くぞ」


「OK、三人で向かおう」


「行きます。転移門ゲート


 ルカ達は研究室を後にした。



───カルサナス都市国家連合南西 城塞都市テーベ 隔離区域(三街区)神殿内 10:32 AM


「おはようハーロン」


「あ、おはようミキお姉ちゃん、ライルお兄ちゃんも。今日は早いね」


「痛み止めの魔法が切れちゃうから、早めに来たのよ。具合はどう?」


「痛くはないんだけど、体が重いかな。あと頭がボーっとする感じがする」


「...少し体温測らせてね」


 額・首・脇と体の各所に触れるが、その熱にミキは目を細める。しかしすぐに表情を戻すとと、ハーロンの頭を優しく撫でた。


「ちょっと熱が高いね。ボーっとするのはそのせいかも知れない。今魔法かけるから、体の力抜いて」


 アナライズ・解毒・修復・痛覚遮断と治療を終えて、ミキは毛布を掛け直した。


「食事は食べた?ハーロン」


「ううん、今はお腹空いてない。お昼になったら、母さんが弁当持ってきてくれるから」


「そう。暖かくしてゆっくり寝てるのよ」


 ミキとライルが席をたとうとしたが、ハーロンが咄嗟に上体を起こし、ミキの手を掴んで引き止めた。


「待って!ミキお姉ちゃん...」


「なあに?どうしたのハーロン」


「その、カベリアの事なんだけど...あいつ、大丈夫かな?」


「大丈夫よハーロン。ルカお姉ちゃんが毎晩治療を続けているわ、心配しないで」


「...ライルお兄ちゃん」


「何だ、どうしたハーロン?」


「お兄ちゃんは、戦士なんだよね?」


「そうだぞハーロン。お前も戦士になるのが夢なのだろう?見事それを成し遂げてみせろ」


「...ルカお姉ちゃんの護衛のため?」


「その通りだ。ルカ様をお守りする事こそ我が使命。それ以外の事は知らぬ」


「僕もね、将来ライルお兄ちゃんみたいになって、都市長になったカベリアを守るのが夢だったんだ。あいつ、頭はいいくせに体が弱いから」


「持ちつ持たれつと言うやつだな。お前がカベリアを支えてやれ」


「...でもね、僕自信なくなってきちゃった。最近怖い夢ばかり見るんだ。底なし沼に溺れたカベリアを僕が助けようとするんだけど、一緒に沈んでしまう夢。...多分もう、僕は兵隊長になる事はできない。カベリアの隣に立つこともできない」


 ミキの赤い瞳がユラリと輝く。


「そんな事言っちゃだめ。弱気にならないでハーロン。今頃ルカお姉ちゃんが、ハーロンとみんなの病気を治すため、一生懸命薬を作っている。それがあれば、ハーロンもカベリアもすぐに良くなるわ」


「...うん、分かってる。僕待ってるよ」


 ミキはハーロンを抱擁すると、席を立ちベッドを離れた。ミキが真剣な顔で黙り込んでいるのを見て、ライルが顔を覗き込む。


「どうした、ミキ?」


「...あの子、分かってる」


「何をだ?」


「自分の体の現状をよ。さっき診て分かった。魔法で抑えているにも関わらず、気づかないうちに結核菌が骨にまで転移していた。このまま行けば自分が死ぬ事を、ハーロンは意識的に理解している。魔法で痛みは感じずとも、体が病気の進行を感じ取っているのよ。ハーロンだけじゃない、ここにいる全員が少しずつ結核菌に侵食されてきている。私達が回診を止めた瞬間、病状は一気に悪化するでしょうね」


「...お前の治癒魔法でもだめなのか」


毒素の除去ディスペルトキシン損傷の治癒トリートワウンズは、細胞レベルで傷を修復するけど、大元となっている結核菌を制圧出来なければ、言ってみれば傷口に蓋をするのと同じ。体内に回る菌は他の場所に次々と転移し、症状をどんどん悪化させていく。ルカ様や私の治癒魔法も、結核の前には所詮付け焼き刃という事ね」


「...全てはルカ様の作るストレプトマイシン次第、か...」


「...祈りましょう。ハーロンの為にも、ルカ様の成功を」


「そうだな。あの方はやると言ったらやるお方だ。今回も必ずや成し遂げるだろう」


「これはルカ様の知識がなければできない事。私達はとにかく回診を続けて、犠牲者を最小限に食い止めましょう」


「うむ。この神殿の治療は終わったな」


「次はゴルドーね。転移門ゲート


 二人は足早に暗黒の穴を潜った。



───カルバラーム南東12キロ地点 ユーライア・フォレスト北西 10:41 AM


 ルカは目の前の光景に息を呑んだ。朝にも関わらず、日の光が届かないほど鬱蒼とした森で、密集した木々の間から僅かに陽光が射して視界を保っている。高さ80メートルを超える杉や檜、珍しい所では100メートルを遥かに超えるセコイアや竜血樹等、多種多様な巨木で覆われている。林の密度だけで言えばトブの大森林を上回る規模であり、まさに樹海と呼ぶに相応しい幻想的な光景を作り出していた。


 鳥や獣達の鳴き声だけが木霊する中、ルカはその場にしゃがむと木の根本にある腐葉土を掴み、掌の上に乗せて感触を確かめた。


「...なるほど。乾き過ぎもせず、湿り過ぎもせず...理想的な土ね。これなら放射菌が育つのも納得できる。でも何故ここだけ?それにこの木々の異常な大きさ、この森だけにある何かの栄養分が成長を促進しているとしか思えない」


「このユーライア・フォレストは、カルバラームの植林地として利用されているんだ。街の資材や建築用木材としてだけでなく、特殊な条件下でしか育たないアスフォデルスやモーリュ・プロメテイオンといった貴重な植物もここで栽培している。街の皆からは聖なる森として崇められ、この森のおかげで今のカルバラームの発展に繋がったと言っても過言ではない」


「...僅かだけど、空気中にエーテルの流れが見える。ここ普通じゃないね。イフィオン、森の奥に何かあるの?」


「...気づいたか、さすがだな。お前に会わせたい人がいる。この森の中心だ、ついてきてくれ」


 イフィオン先導の元、南東方向に向かい森林の更に奥地へと足を踏み入れていく。それに従いエーテルの密度が濃くなり、周囲に霧が立ち込めてきた。30分程歩くと木々が不自然に途切れ、半径200メートルはあろうかと思われる円形の広場に出た。霧がより一層濃くなり、一歩先ですら見えないような状況だ。そしてここまで来るとエーテル濃度が極限にまで高まっており、そのドギツさのあまりルカは周囲を警戒していたが、足跡トラックにも一切反応がない。前を歩くイフィオンの背中を追っていたが、唐突にその足を止めた事でルカは背中にぶつかりそうになる。彼女は正面を見据えて目を閉じ、掌を胸の前で組むと謎の言葉を詠唱し始めた。


「Ad aliquid sanguis silva mediocris, veni huc. Pones benedictionem super me manus, et cum potentia. (森妖精エルフの血に連なるもの、ここへ来たり。汝が加護を持て、その力で我を導け)」


 すると正面から風が吹き上がり、周囲の霧が徐々に晴れていく。三人が立つ広場の中心だけポッカリと穴が開くが、その周囲は未だ霧が覆っており、まるで台風の目の中にいるような状態となった。視界が晴れた中ルカは正面に向き直るが、それを見て背筋に悪寒が走り、唖然と立ち尽くす。そして目線を上に上げ、その頂を見つめた。


 灰のようにくすんだ白樺にも似た白い樹皮、直径20メートルを超える禍々しい木の根に、高さ150メートルはある木の頂に生い茂る白い枝葉。まるで火山灰を浴びたようなその大木を見て、ルカの額に一滴の冷汗が流れた。


「....生命の樹ツリー・オブ・ライフ...まさか、こんな所で見れるなんて...トブの大森林にしか生息していないと思っていたのに」


「私の故郷、半森妖精ハーフエルフの里から持ってきた苗を、このユーライア・フォレストに植樹したのだ。その結果この森は強力な結界に守られ、緑豊かな森に成長を遂げていった。私はこの生命の樹ツリー・オブ・ライフと対話を続けながら、育ちすぎた木々を伐採する事で資源として使い、街との共存を図ってきたと言う訳だ」


「イフィオン、この木と話せるの?」


「お前も知っての通り私は森司祭ドルイドだ、ルカ。その真の力は、森の精霊に力を与えてもらってこそ発揮される。生命の樹ツリー・オブ・ライフにはそれぞれ、全て自我...魂がある。この”彼”とは私だけがコミュニケーションを取れるが、とても穏やかな性格だ。森の隅々まで監視し、木材を採取しに来たウッドクラフター達を魔物から守ってくれている」


「そうだったのね...生命の樹ツリー・オブ・ライフがあるという事は、ひょっとして近くに木精霊ドライアードも住んでるの?」


「よく知ってるな、その通りだ。数は多くないが、この森の存在を知り移住してきた者達が幾人かいる。たまにいたずらをするが、基本来訪者に害を与えたりはしてこないので、看過している」


「ティリスもこの森にはよく来るの?」


「はい。薬の素材となる植物を採集しに訪れています」


「そっか。...イフィオン、私この木に聞いてみたい事があるんだけど、代わりに聞いてもらってもいい?」


「もちろんだ、その為にお前をここへ連れてきた。何が聞きたい?」


 その時だった。イフィオン・ルカ・ティリスの脳裏に突如、しわがれた男性の声が響いた。


【...その必要は...ない...イフィオン・オルレンディオ...】


「?!」


「...何?今の声」


「...私にも聞こえました」


 三人が正面の木を凝視していると、再び頭の中に直接声が響く。


【...珍しい...客人が来たな...時空を超越せし悪魔よ...】


「バカな!生命の樹ツリー・オブ・ライフが自らの意思で人と会話するなんて...」 


 驚くイフィオンを他所に、ルカは一歩前に進み出て大木を見上げた。


生命の樹ツリー・オブ・ライフ、この森について聞きたい事があるの」


【...何が...聞きたい?】


「この森の木々は、異常なまでに巨大化している。それと同時に他の森と違い、土の中にも菌や微生物が多数生息している。これはあなたの力なの?」


【...このユーライア・フォレストに根を張ったその時より...森の動植物は全て私の影響下に入り...結界に守られ...生命エネルギーの恩恵を受けることになる...木々や土中の生物が育まれ、成長を続けるのは...それが理由だ】


「なるほど。今カルサナス全土で、この世界にあってはならない病気が蔓延している。結核菌と言うの。そしてその病気を治す為に必要な放射菌が、何故かこの森にだけ存在している。恐らくあなたがここにいる事が原因だと思われるんだけど、それについて何か知っている事はある?」


【...あの不浄な毒か...海風に乗り...この森にまでやってきた...安心しろ...私の結界により...この森の空気は清浄に保たれている...それに放射菌と言ったか...私とて小さき者の存在全てを把握している訳ではない...新たな生命は常に生まれ続ける...これからも、未来永劫に...】


「結界を張れるって言ったけど、この森ってかなりの広範囲だよね。その全てをカバーできるって事は理解した。実際問題として、結界はどの程度の効果があるの?」


【...我ら生命の樹ツリー・オブ・ライフは太古の昔、都市防衛用として生み出された...植樹された街や村・森に応じて、結界範囲は変化する...都市に植樹された場合、城壁の強化・建築物の保護・外気の遮断・空気の清浄化等の力を持つ...私の兄弟がいる、八欲王の空中都市がいい例だ...あのように過酷な土地でも環境に左右されず、都市を建設出来る...しかしいつしか我々本来の力は忘れられ、森に根を張るに至った...そういう経緯だ】


「面白いね。生命の樹ツリー・オブ・ライフにそんな力があるなんて、初めて知ったよ。分かった、ありがとう。私達少し急いでるから、今日はこれで行くね。いいヒントがもらえたよ。また会いに来てもいい?」


【...もちろんだ...私はこの森を守り続ける...お前はお前の守りたい者を守り通せ...次に会った時...今度はお前の話を聞かせてほしい...時の放浪者よ...】


「...何だか随分と私の事を知ってるみたいだね。いいよ、その時は話してあげる」


 ルカは後ろを振り返ると、驚愕の目を向けるイフィオンとティリスに笑顔を向けた。


「帰ろうか、二人共」


「あ、ああ...もういいのか?」


「知りたい情報は得られたからね。この森にはまた来る事になる。早く研究所に戻って作業の続きを始めないと」


「了解した、行こう。ティリス」


「かしこまりました。転移門ゲート


 三人は暗黒の門を潜った。



───イフィオン都市長宅3F 研究所 11:54 AM


 三人は席につき、今までの経緯を総合する為話し合いに入った。


「放射菌が生息する土地は、生命の樹ツリー・オブ・ライフが植樹された森林のみと言う事はこれでほぼ確定した。と言う事は、トブの大森林北部で私が見た生命の樹ツリー・オブ・ライフ周辺の土壌からも、放射菌は採取出来るはずよ。これは予備として取っておこう」


「とりあえずは、ユーライア・フォレストの土が大量に必要となってくる訳か?」


「そうだね。弟子の人達に頼んで、可能な限り集めて室温で乾燥させておいてほしい」


「了解した。後で生命の樹ツリー・オブ・ライフにも許可を取っておこう」


「ルカ様、放射菌の抽出作業はいかが致しましょう?」


「それなんだけど、今後に備えてイフィオンとティリスの二人には、私がこれから行う作業工程を全て覚えてもらいたい。まずはこの世界の放射菌が正常に培養出来るかを確認する必要がある。それが出来たら試薬の作成に入る。その後私が診た中で最も重症である、カベリアの血液に含まれる結核菌に対しこれを使用。結核菌の死滅確認と同時に、その試薬をカベリアの体内に投与。経過観察後、体調の回復が確認出来次第ストレプトマイシンの大量生産に入る。以上がおおまかな段取りよ、いい?二人共」


「いよいよ正念場だな」


「かしこまりました、ルカ様」


 イフィオンとティリスは向かい合い、決意を秘めた目で互いに大きく頷いた。


「よし、早速始めよう。ティリス、シャーレを一つ用意して」


「こちらになります」


 薄く平たい透明な皿を手渡されると、ルカはスプーンで土を掬いその中に満遍なく伸ばした。そして中空に手を伸ばし、アイテムストレージからカセットバーナーを取り出すと、その上にシャーレを置いて点火し、弱火にしたままスプーンで土を撹拌し続けた。


「ルカ、それは?」


「今やっているのは乾熱処理法よ。一度室温で乾燥させた土を更に火で熱することで、胞子非形成の微生物は大半が死滅するの。こうする事で放射菌比率が一気に高まり、分離させる事が可能になる。このままきっちり30分間、撹拌しながら熱し続ける」


「ふむふむ」


 イフィオンは顎に手を添えて眺めているだけだったが、ティリスは白い紙の束を用意して、今聞いた内容を逐一メモしている。


 やがて30分が経った。シャーレをバーナーの上からどけるとテーブルの上に置き、ティリスに顔を向けた。


「寒天と澱粉片栗粉は用意出来る?」


「すぐ向かいに食料品店がありますので、買ってきます!」


 慌てて部屋を出るティリスを見送ったが、五分もしないうちに大きい紙袋を抱えて帰ってきた。


「こちらでよろしいでしょうかルカ様?」


「また随分沢山買ってきたね。それで十分だよ」


 袋を取り出すと、中に詰まった寒天を新しいシャーレに開けてスプーンで塊を崩し、平らに伸ばす。次にビーカーをバーナーの上に置いて片栗粉を入れ、水を混ぜて撹拌した後に火をつける。3分程熱してとろみが出てきた頃合いを見計らい、ビーカーごとたらいに張った水に付けて熱を冷ました。冷えた片栗粉を寒天の張られたシャーレに入れてよく混ぜ、更に平らに伸ばす。イフィオンが不思議そうな顔を向ける。


「今度は一体何だ?」


「寒天培地を作ったの。つまり放射菌に取って栄養満点の土台を作ることで、培養・分離しやすくする為の工程ね。ここに乾熱した土を乗せていくけど、その前にティリス、大豆油は置いてある?」


「それなら厨房にありますので、すぐに持って参ります」


 一階に降りたティリスが三階へ戻ってくると、作業の骨子を理解したのか、調味料の瓶が詰まった木製ラックごと運んできた。その内の白い瓶を手渡され、ルカはテーブルに並べられたビーカーとフラスコを手に取った。


「これからこの大豆油を使い、グリセリンを作る」


「グリセリン?何だそれは?」


「この世界にはない成分だよ。放射菌の培養だけなら寒天培地だけでも出来るけど、そこから更に放射菌を分離する為には、より濃度の高い栄養素を入れて菌を誘導する必要がある。それがグリセリン。本当なら腐植酸を使いたいんだけど、それを作るためにはこの世界にない化合物が必要になるんだ。さすがにそれは無理だから、グリセリンで代用する」


「どうやって作ればよろしいのですか?」


「...まずこうして大豆油をビーカーに入れて水を加え、掻き混ぜて加水分解する。これをそこにある蒸留器にかければ、グリセリンが取り出せるわ」


 分厚い鉄製の器に移し替え、蓋をして火をつけ沸騰させる。蒸留された無色透明な液体が銅製のチューブを伝ってフラスコに落ち、グリセリンを作り出す事に成功したルカは、それを冷やしてスポイトで吸い取り、先程作った寒天培地の表面に塗っていく。そしてその上に、乾熱処理したユーライア・フォレストの土を少量乗せて満遍なく伸ばすと、シャーレをテーブルの上に置いた。


「以上が放射菌の分離・培養までのプロセスよ。ここから寒天培地を十八時間程寝かせて、菌の増殖を待つの。イフィオン、ティリス、ここまでは大丈夫?」


「ああ、手順はしっかり覚えたぞ」


「全て用紙に記録を取りました、問題ありませんルカ様」


「OK。培養を待つ間、次の作業に必要な材料を揃えておきたい。用意するのは、水・グルコース...つまり単糖類ね。これには同じ単糖類の蜂蜜を使う。それと片栗粉・大豆粉・ペプトン...これは肉食動物が、胃の中でタンパク質を消化した胃液から取れる物質なの。微生物の栄養源に最適で、菌の培養には必須な材料よ。最後に炭酸カルシウム、これは貝殻を削って粉にする事で採取できるわ。ティリス、ペプトン以外の材料はこの街で用意できそう?」


「はい、可能です。幸いこのカルバラームは海産物の宝庫、貝類の漁獲も行っておりますので、その炭酸カルシウムというものに必要な貝殻もすぐ手に入るかと存じます」


「よし、じゃあそれは明日までに揃えてもらうとして...イフィオン、カルバラーム近郊に肉食性モンスターが生息している場所ってある?」


「ここら一帯にはいないな。だが土壌サンプルの中にあった、ゴルドーから北のテオドーラ・フォレストには、人を食らうキマイラが多数生息している。以前メフィアーゾと二人で退治しに行った事があるが、獰猛で手強い奴らだぞ」


「良さそうだね。私がそいつらを狩るから、これから二人でその森へ行ってみよう。ティリスはその間、必要な材料を集めておいて」


「かしこまりました」


 ルカとイフィオンは転移門ゲートでテオドーラ・フォレストまで飛び、周囲を探索した。過去にメフィアーゾとイフィオンが、やっとの事で探し出したキマイラだったが、ルカは足跡トラックを使用してその生息地を難なく発見し、一刀両断の元にキマイラを瞬殺した。そしてその場で巨大なキマイラの腹を捌き、胃の中にある胃液を用意したフラスコに満たし蓋をする。無事素材を手に入れた二人は、すぐに転移門ゲートで研究所へ戻った。


 そして持ち帰った胃液をビーカーに移し、水を足して掻き混ぜ加水分解する事で、黄緑色をしたペプトンが完成した。ルカはそのビーカーと寒天培地のシャーレを、外気に触れないよう実験器具の入った棚に収める。(ふう)と安堵の溜息をついたルカを見て、イフィオンが優しく微笑みかける。


「ルカ、そろそろ食事にしよう。昼食もまだだったろう?」


 ルカは左手首のリストバンドに目をやった。


「うわ、もう14:30か。作業に夢中で全然気づかなかったよ」


「一階のダイニングに行こう。メイドに頼んで食事を用意させてある」


 そしてルカはそこで、カルバラーム特産の新鮮な海鮮料理を堪能した。色とりどりの刺身、白身魚のムニエル、豪快な焼き魚、魚介スープ、デザート。海産物のフルコースである。そのどれもが美味なことを受け、ルカは大満足であった。


 テーブルで向かい合い、食後のワインを飲みながら二人は語り合った。


「はー、最高だよイフィオン。こんなご馳走久々かも」


「喜んでもらえたようで何よりだ。この屋敷のメイドは一流のシェフでもある。彼女もきっと喜んでいるだろう」


「各地の特産料理って、ほんとに個性があって素敵だよね。カルバラームは海鮮料理、テーベは肉料理、エリュエンティウは粉物料理、エ・ランテルは鶏料理...私も色々食べたけど、さっきの魚介類は新鮮で、油が乗ってて本当に美味しかったよ」


「一度お前と世界を旅して回りたいものだ」


「え、それなら今度一緒に行こうよ。転移門ゲートで行けばすぐだし、他の街を見て回るのもなかなか楽しいから」


「そうだな、たまには物見遊山も悪くないかも知れない。この騒ぎが収まったら考えてみよう」


「そうだね、時間との勝負だから、今はこの事だけに専念しなくちゃ」


「...お前には、何から何まで本当に世話をかけっぱなしだな。都市長として申し訳なく思う」


「気にしないの。たまたまカルバラームからの依頼があって来てみたら、君の生きるこのカルサナスが大変な事になっていた。それを黙って見過ごせるほど私は悪魔じゃないよ」


「ああ、分かってる。そろそろ夕暮れ時だ、今夜は家に泊まっていかないか?」


「もう17時か。ありがとう、でもカベリアの事もあるし、泊まるのはまた今度にしておく」


「そうか。まるで本当の姉のようだな」


「...子供の事でこんな必死になったの、初めてだから...私に兄弟はいないけど、妹が出来たらきっとこんな感じなんだろうね」


「あの子があんなに甘える姿は、私にも見せた事がない。お前という存在が、今のカベリアに取って大きな心の支えとなっているのだろう」


「何としても治してあげたい。カベリアの未来の為にも」


「そうだな。もう一杯どうだ?」


「いや、今日はここら辺で帰るよ。明日の朝また来るから」


「分かった。こちらも準備しておく」


 エントランスまで見送られると、ルカは転移門ゲートの穴を潜った。



───べバード 都市長邸宅内 17:21 PM


「ただいまカベリア」


「お帰りお姉ちゃん!今日は早かったね」


「その分忙しかったけどね。ご飯は食べた?」


「うん、ちゃんと食べたよ」


「そっか。べハティー、お風呂を借りたいんだけどいいかな?」


「もちろんです。湯船にお湯は張ってありますので、ご自由にお使い下さい」


「ありがとう、行ってくるね」


 ルカは体を洗い流し、湯船にゆっくり浸かって疲れを取った。そして寝室に戻るとカベリアに定期治療を行い、ベッドに足を滑り込ませる。早速カベリアが胸に顔を埋めて深呼吸するが、ふと何かに気づいてルカの目を見返す。


「あれ、お姉ちゃんのおっぱい、ふわふわに柔らかくなってるよ?」


「胸に巻いた晒しを外したのよ。こっちの方が寝やすいでしょ?」


「うん。えへへ〜、いい香り。気持ちいい」


「もう。カベリアのエッチ」


「エッチじゃないよ、女同士だもん」


「フフ、そうね冗談よ。...今日はねカベリア、いい知らせがあるの。結核菌を治療するお薬の材料となる放射菌が、土の中から見つかったのよ。今イフィオンの研究所で、その菌に栄養を与えて数を増やしている最中なの。このまま上手く行けば、多分三日以内にはストレプトマイシンの試作第一号が完成する」


「...良かったねお姉ちゃん。だからそんなに嬉しそうなんだ。私分かってたよ、お姉ちゃんなら絶対にやってくれるって」


「ありがとう。私も正直ホッとしたよ。それでねカベリア、一つお願いがあるの。その薬が完成したら、カルサナスの中で最も症状が重いカベリアの体で、ストレプトマイシンが正常に結核菌を殺すかどうか、試させてほしいんだ。その結果薬が作用すると確認できれば、今他の街で結核に苦しんでいる患者達全員にも効くと証明できる。そうなれば一気に薬を大量生産して、住民達全てに薬を投与する体制が整うんだ。...ひょっとしたら薬の副作用が出るかもしれない。でもそうならないよう、事前に検査をして万全の体制を整える。嫌なら断ってくれて構わないが、でも出来れば、薬の治験に協力してもらえると助かる」


 いつになく真剣なルカの口調を聞いて、カベリアは顔を離しルカの顔を見た。


「嫌じゃないよ。ルカお姉ちゃんが作った薬なら、私怖くない。それでカルサナスみんなの体が治るなら、私喜んで協力する。お姉ちゃんが頑張ってるんだもん、私も頑張らなくちゃ」


「カベリア...ありがとう」


 少女の小さな頭を抱きしめる。そして少女もまた彼女の温かい懐に身を委ね、笑顔で目を瞑った。


「お姉ちゃん、またあの子守唄歌って?」


「好きだねこの唄。...いいよ」


 聖なる鎮魂歌。その美しい声色と果てしない世界に導かれ、カベリアは深い眠りについた。



───翌日 カルバラーム イフィオン都市長邸宅内3F 研究所 10:00 AM


「おはようルカ。今朝も早いな」


「おはようございます、ルカ様」


「イフィオン、ティリス、おはよう。今日の作業も時間がかかるからね、朝から作業しないと間に合わないから。ティリス、材料は揃ってる?」


「はい、全てこちらに。炭酸カルシウム用の貝殻も、既に粉末にしてご用意しております」


「気が利くね、助かるよ。じゃあ早速昨日作った寒天培地を見てみようか」


 実験器具用の棚を開けて、中からシャーレとペプトンを取り出してテーブルの上に置く。三人がシャーレを覗き込むと、その表面は白い糸状の菌糸で覆い尽くされていた。それを見てルカは大きく頷く。


「よし、培養に成功した。次の作業は、この培養した放射菌の増加を更に加速させる為、液体培養を行う。その前に、寒天培地で培養した放射菌から土を取り除かないといけない。ティリス、濾紙はこの研究所にある?」


「はい。こちらでよろしいでしょうか?」


 目の荒い濾紙だったが、ルカはそれを受け取るとビーカーの上に濾紙を敷き、寒天培地の上にスポイトで水を少量注ぎ込むと、表面に繁殖した放射菌糸をヘラですくい取るように濾紙の上に注ぎ、裏漉しするように優しくヘラで撫でて土のみを取り除き、放射菌の含まれた水分をビーカーへ落とした。次に新しいシャーレを用意し、薄く水を張った後に、ティリスが用意した材料をスポイトで塗りつけていった。


「蜂蜜1%、片栗粉2%、大豆粉1.5%、ペプトン1%、炭酸カルシウム0.3%...おおよそこの割合で水に溶かし、液体培養を行うの。いい?二人共」


「了解した」


「微妙な配分が必要なのですね。承知しました」


 ルカは完成した液体培養液の上に、先程濾過した放射菌を乗せて二人にシャーレを見せた。


「以上が液体培養の手順よ。ここから約四時間程寝かせる。そうしたら次が最後の作業になるけど、それには純度の高いアルコールが必要になる。ティリス、地獄酒のような酒はこの屋敷に置いてある?」


「調理用の地獄酒でしたら、キッチンにございます」


「じゃあそれを蒸留器にかけて、アルコールを抽出しておいて。私とイフィオンはその間、カルバラームの神殿に行って患者を治療してくるから」


「かしこまりました」


 ミキとライル、ラミウスにも伝言メッセージで連絡を取った上で、カルバラームの神殿へと向かい治療を施した。ネルガルを発見したアエルギナーにも討伐完了の報告をすると、彼は驚愕すると共に、安堵した様子で眠りにつく。治療も完了した後に4時間が経ち、ルカとイフィオンは研究所へと戻ってきた。


「ただいまティリス。アルコールの用意は?」


「お帰りなさいませ。完了しております」


「よし、液体培地の様子を見てみよう」


 テーブルに乗せられたシャーレの液体表面は、白い菌糸で覆い尽くされていた。それを見てルカは確信に満ちた表情を浮かべる。


「イフィオン、ティリス、これが最後の行程よ。液体培養液の中から、抗生物質...つまりストレプトマイシンの主成分である、ストレプトマイセスを単離・回収する」


 二人が頷くとルカは新しいビーカーを用意して、その中に液体培養液を注ぎ込む。そこに地獄酒から蒸留したアルコールを混ぜて撹拌した。20分程待った後に、アルコールと上澄み液が分離すると、ジェラルミンケースから注射器を一本取り出し、上澄み液のみを吸い取って注射器に回収した。針の先端にキャップをして、二人の前に掲げる。


「...遂に完成した。これがこの世界で初めて作り出された抗生物質・ストレプトマイシンよ」


「これで...これでカルサナスの民達は、結核を克服出来るんだな?」


「こんな方法で薬を生成できるとは...実に多くの事を学ばせていただきました、ルカ様」


「喜ぶのはまだ早い。これからすぐにべバードへ戻り、カベリアの血液中に含まれる結核菌に対し、このストレプトマイシンを使用する。二人共、私の医療器具を持ってついてきて」


「分かった、すぐに行こう」


「了解しました」


 ルカの開けた転移門ゲートを通り、三人はべバードへと向かった。



───べバード都市長邸宅 寝室 16:37 PM───


 部屋に着くなりイフィオンとティリスは予備のテーブルを中央に用意し、その上に走査型電スキャニング・エレク子顕微鏡トロン・マイクロスコープとジェラルミンケースを乗せて準備に入った。その慌ただしい様子を見て、ベッドで寝ていたカベリアが目を右往左往させていた。


「お、お姉ちゃん?それにイフィオン都市長、ティリスさんも、急にどうしたの?」


 怯えが見て取れるカベリアを安心させるため、ルカはベッド脇に屈んで透明な液体の入った注射器を見せた。


「見てごらんカベリア。特効薬が完成したんだ。昨日言った通り、これからカベリアの血液でこの薬が有効かどうかを検査する。そのまま寝てていいからね」


「わ、分かった、私頑張る!」


 ルカはジェラルミンケースの中からゴムチューブと新しい注射器を取り出すと、カベリアの左上腕にゴムチューブをきつく巻きつけて縛り、準備の終わったイフィオンとティリスをベッド脇に呼んだ。


「ここ。この緑の細いラインが静脈よ。血液検査を行う時は、必ずこの血管から採取する事。今後二人にも手伝ってもらうかもしれないから、覚えておいて。いい?」


「了解した」


「かしこまりました」


「カベリア、ちょっとチクッとするよ」


「うん、大丈夫」


 ルカはスッと注射器の針を刺し込み、カベリアの血液を採取した。アイテムストレージから脱脂綿を取り出して穿刺孔を押さえると、開かれたジェラルミンケースの中からプレパラートを取り出し、血液を塗りつける。その上にアントシアニンを垂らして色を付け、更にストレプトマイシンを一滴垂らしてカバーグラスをかけ、顕微鏡のステージにセットした。


 接眼レンズを覗きながらアームと倍率を調整し、鋭い目で細胞を観察していく。やがてルカは小さく数度頷き、接眼レンズから目を離した。


「よし!抗生物質が正確に結核菌のみを攻撃し始めている。他の細胞には影響を与えていない。正常に作用している、このまま行けば...」


「治るんだな?結核が」


「うん。とりあえずここで経過を伺おう。カベリア、お姉ちゃん達しばらくここにいて実験するからね。その後カベリアにもう一本だけ注射を打つから」


「分かった、大丈夫だよ」


 イフィオンとティリスも接眼レンズを覗き、細胞同士の戦いを確認した後に、三人は席に着いた。


「イフィオン、今のうちに薬の大量生産に関して段取りを練っておきたい。研究所にあった巨大な蒸留器、あのサイズの銅製タンクがあと四つは欲しい。私が詳細な設計図を書く。用意出来そう?」


「カルバラームの鍛冶屋に頼んでみよう。恐らく可能なはずだ」


「それとカルバラームの全住民に薬を投与する為、私が持っているこの注射器と換えの針も大量に必要となってくる。新品の注射器を渡すから、これと全く同じ物を作れる職人を探し出して依頼して欲しんだ」


「べバードとゴルドーに、優秀な細工師がおります。彼らに頼めば可能かと存じます」


「OK、この実験結果とカベリアの治験が無事完了した段階で、すぐに発注をかけてほしい」


「了解した」


「ルカ様、その注射器を私に貸してくださいませ。今から発注して参ります」


「分かった、頼むよ」


 ティリスは注射器を手に寝室を出ていった。ルカはその間羊皮紙とペンを取り出し、そこに量産用タンクの設計図作成に取り掛かった。やがて二時間程経過すると、部屋の中央に転移門ゲートが開き、ティリスが戻ってきた。その手には、二本の注射器が握られていた。


「ただいま戻りました。ルカ様、お借りした注射器を元にして、細工師に作成させた試作品です。拝見していただいてもよろしいでしょうか?」


 それはガラス製の注射器だった。換えの針もガラスで出来ており、これであれば実用性に足ると判断したルカは笑顔で頷いた。


「仕事が早いね。これなら問題ないと思うよ」


「では早速細工師二人に発注をかけます」


 ティリスは右耳に手を添えて、伝言メッセージを飛ばした。ルカも設計図を書き終わり、すぐ左にある顕微鏡の接眼レンズを覗く。


 目を細めて慎重に精査し、イフィオンとティリスに目を向けた。


「...赤血球・白血球・ドーパミンへの弊害及び細胞壁の損傷なし。結核菌は弱体化し、あと一時間もすれば死滅するだろう」


「では、ルカ...!」


「ああ、成功だよイフィオン。これならカベリアの体内に投与しても安全だ」


 ルカはストレプトマイシンの入った注射器を手にすると、カベリアの寝るベッド脇に寄り添った。不安そうなカベリアの頭を左手で優しく撫でる。


「できたよカベリア。安全性は立証された。これからお薬打つからね」


「う、うん!」


 緊張した面持ちのカベリアだったが、ルカは左頬にキスをしてパジャマの左袖を捲くりあげた。そして上腕に深く針を突き刺し、筋肉注射を行う。ゆっくりと注入する中、隣で見ていたイフィオンが質問してきた。


「そのストレプトマイシンは、飲んでも効果があるのか?」


「いや、ストレプトマイシンの経口摂取は、体内への吸収率が悪い。結核の場合通常はこのように、筋肉注射で投与する事が最も効果的なの」


「なるほど、それで注射器が必要なんだな」


 ルカは針を抜くと、脱脂綿で穿刺孔を押さえた。そして中央のテーブルに戻り、イフィオンに設計図の書かれた羊皮紙を手渡す。


「私はこのまま明日までカベリアの容態を見守る。イフィオンはこの設計図を鍛冶屋に見せて、作成可能かどうかだけ確認してきて。この子の容態が回復次第、発注をかける手筈で」


「分かった。明日は何時にする?」


「明朝ここに集合って事でいい?」


「構わない。薬の作成、神殿の回診にカベリアの治療...お前も今日は疲れたたろう。無理せず休むんだぞ」


「私は大丈夫。ティリスも疲れたんじゃない?」


「いいえルカ様、何のこれしき。まだまだ体力はあり余っています」


「頼もしいよ。また明日ね」


 転移門ゲートを潜る二人を見送ると、ルカはイビルエッジレザーアーマーを脱ぎ捨ててハンガーにかけ、カベリアの隣に添い寝した。


「今日は頑張ったねカベリア。お疲れ様」


「お姉ちゃんこそ付きっきりで疲れたでしょ。今何時?」


「...20時31分。四時間近く作業してた事になるね」


「...お薬、効くかな?治るかな?結核菌」


「きっと治るさ。私が作ったのよ?」


「そうだよね。お姉ちゃん頭いいもんね」


「カベリアもお姉ちゃんみたいに勉強して、将来は立派な都市長になるのよ?」


「...あのねお姉ちゃん、テーベに友達がいるの。ハーロンって言うんだけど、ここ最近全然会いに来てくれなくて。パルール都市長に聞いても、全然教えてくれないの」


「...知ってるよ、神殿で会った。ハーロンもカベリアの事をすごく心配してたよ」


「神殿って、そんな...ハーロンも結核なの?何で誰も教えてくれなかったの?!」


 カベリアはルカの胸にしがみつき問い詰めてきたが、まるで母親のような眼差しでカベリアの頬を優しく撫で、微笑み返した。


「落ち着いて。大丈夫、私が治療しておいた。それにハーロンは、カベリアに比べれば遥かに軽症よ。今頃ミキが私の代わりに治療を続けてくれている。それにパルールおじいちゃんも、カベリアに余計な心配をさせたくなくて言わなかったんだと思う。ストレプトマイシンがカベリアの結核を治せば、ハーロンだってすぐに良くなるわ。だから安心して」


「...お姉ちゃんが診てくれてたんだね、何だ...良かった...」


「そういう事。...さて、いい時間だ。今日も魔法かけようか。魔法持続時間延長化エクステンドマジック痛覚遮断ペイン・インターセプト


 定期治療を終えると、カベリアはルカの胸元で脱力した。


「...お姉ちゃん」


「ん?」


「カルサナスの人達の病気が治ったら、どこかに行っちゃうの?」


「...うん。でもしばらくはここにいるから、安心して。結核はそう簡単に治る病気じゃない。治った後でも体に残るダメージは大きい。そういう人達の為にも、私がアフターケアしてあげないとね」


「...私、お姉ちゃんとずっと一緒にいたいよ...」


「...そうだね。でもお姉ちゃんにも、やり遂げなければならない使命がある。その為に今日まで生きてきた。もしカベリアが大人になっても私が目的を遂げていない時は、また会いに来るよ。必ず」


「お姉ちゃんの使命って、何?」


「...私はね、元々この世界の住人じゃない。もっと遥か遠い、地球という惑星からこの世界へ飛ばされてきたんだ。私は帰りたい。何としても、元いた世界へ。それがお姉ちゃんの目的よ。究極的には、その為にこのカルサナスへ来たと言っていいと思う」


「...地球って、どんなところ?」


「海があり、山があり、森があり、都市がある...文明はこの世界よりも遥かに進み、その星では六十億人もの人々が生活を営んでいる。青く輝く美しい星よ」


「...でもお姉ちゃん、アンデッドなんでしょ?その星にもアンデッドがいるの?」


「...お姉ちゃんもね、その世界にいた頃は普通の人間だったの。そして地球でのアンデッドという存在は、ただの空想上の産物として語られているに過ぎなかった。だから地球にアンデッドはいない。もし地球に帰れたら、その時はお姉ちゃんも人間に戻るのよ」


「...今のお姉ちゃんはアンデッドだから、病気の私とこんなにくっついていても、結核が感染らないの?」


「そうよ。アンデッド系統の種族は、感染系のバッドステータスに対する完全耐性を持っている。お姉ちゃんが結核にかかる事はないから、どんなにくっついても大丈夫よカベリア」


「...ルカお姉ちゃんが地球からこの世界に来て、何年経つの?」


「.....190…年よ、カベリア。ごめんね、本当はお姉ちゃんじゃないの。もうお婆ちゃんを通り越してるよね。気持ち悪いでしょ、私一人で寝るから、カベリアもゆっくり寝てね」


 ルカがベッドから出ようとすると、カベリアは子供らしからぬ力でルカの腰を抱き止めた。


「いや!!!...ここにいて、お姉ちゃん...」


「カベリア...」


「ルカお姉ちゃんがアンデッドでもいい...190歳でもいい...こんなにきれいで優しいお姉ちゃんを持つのが夢だったの。だから、行かないで...」


「...私は...人殺し...暗殺者だ、カベリア。これまで何千人という命を殺めている。君の理想とは程遠い。私に君の姉となる資格なんて無い」


「嘘よ...それだけ沢山の人を殺してきたのだって、地球に帰るため仕方なくやってきたことなんだよね?そこまでしてでも、地球に帰りたかったからなんだよね?...ルカお姉ちゃんは今、その殺してきた数以上の人間や亜人を救おうとしてる。そんな人が優しくない訳ないじゃない!!」


 罪滅ぼし。8才の子供相手にルカは心中を看破され、何も言い返す事が出来なかった。唖然とするルカの背中に手を回し、カベリアは胸に顔を埋める。


「...大好き、お姉ちゃん」


 ルカは目を閉じ、少女の頭を抱き寄せた。一筋の涙を流しながら。


「私も大好きだよ、カベリア...」


 二人は抱き寄せあい、深い眠りについた。



───翌朝 10:00 AM


 イフィオンとティリスがカベリアの寝室に着くと、ルカが肌着のままベッド脇に立ち、眠っているカベリアの検診をしている最中だった。その後ろ姿を見て二人が声をかける。


「おはようルカ。どうしたんだその格好は」


「おはようございますルカ様。カベリアの容態はいかがですか?」


 その声に気づきルカは後ろを振り返った。目を見開き、呆然とした様子でポツリと呟く。


「...下がってる」


「何?」


「高熱が下がって、脈拍も安定している。それだけじゃない、髄膜や骨に転移したカリエス、他のリンパ節や臓器に起こった炎症も少しずつ緩和してきている。たった一日で、これだけ回復するなんて...」


「...やったなルカ。全てはお前の叡智の賜物だ」


「おめでとうございます、ルカ様」


「...イフィオン、昨日頼んだ設計図、すぐに鍛冶屋へ発注出してもらえる?これなら問題ないと思うんだ」


「心配するな。昨日既に設計図を渡し、作るよう命じておいた。職人総出で、五日で完成させると意気込んでいたぞ」


「そうなんだ、良かった...ティリス、注射器の方は?」


「本体の方は手間がかかりますが、換えの針だけでしたらすぐにできるそうです。一日に千五百本ペースで、40万本発注しておきました」


「それなら何とかなりそうだ。優先して神殿の重症者達に投与し、その後順次全国民にストレプトマイシンを投与する。その流れで行こう」


「私の研究所もフル稼働だな。各地に散らばる弟子達を集めなくては」


「ルカ様、その間私にできる事はありますでしょうか?」


「もちろん。イフィオンにはタンクの増設を任せて、私と君は予防策を探していくよ」


「予防策?そんな物が存在するのですか?」


「BCGワクチン(Bacille Calmette-Guerin)よ。簡単に言うとヒト型結核菌ではなく、牛型結核菌。これを時間を置き弱体化させて人の体内に投与すると、結核に対する免疫ができる。これから生まれてくる子供達のためにも、探す価値はあると思うんだ」


「そのようなものが...ですが、どこで探すと言うのですか?」


「このカルサナスでは、共同牧場で牛も飼育してるんでしょ?その血液を採取して検査し、片っ端から探していくのよ。ティリス、付き合ってくれる?」


「もちろんです!結核などという病魔は撲滅しなければなりません。喜んで協力します」


「よし、これから牧場に行ってみよう。イフィオン、後は任せてもいいね?」


「研究所の事は任せろ。培養に必要な素材も私がかき集めておく」


「OK、行こうかティリス」


「はい!転移門ゲート


 二人は暗黒の門を潜った。



───べバード東南東 カルサナス共同牧場 西部入口 10:53 AM


 見渡す限りの広大な大草原。牧場周辺は木の柵が延々と張られ、一体何ヘクタールの敷地を持つのがルカには検討もつかなかった。左手奥には巨大な納屋が連なっており、豚や鳥と思わしき鳴き声が耳に届く。ティリスが先頭に立ち、牧場の門を開けて中に入る。草原の中で草を食べながら放牧されている牛たち。何ともほのぼのとした風景である。それを眺めていると、納屋の方から麦わら帽子を被った初老の男が近寄ってきた。


「あんれまーティリス様!いらっしゃいまし。ここんとこよくお見えになられるかと思えば、まあまためんこい娘を連れて来られて!なーんにもねえとこですが、ゆっくりしていっておくんなせえ。娘さん、なんつー名前だべや?」


「私はルカ・ブレイズ、よろしくね。おじちゃんの名前は?」


「俺か?俺はトムテ=ビシャールっつーしがなーいオッサンだべ。この農場を管理してるもんだ、こつらこそよろしくだっぺなルカ嬢ちゃん」


「フフ、面白いキャラね。トムおじさん、この牧場に牛は何頭くらいいるの?」


「べこか?べこはおめえ、軽く五千頭はいるっぺよ。全部に名前つけてあってな、顔見たら大体分かんべダッハッハッハ!!」


「十分な数ね。トムおじさん、これから牛の血液を採取していきたいの。問題ない?」


「べこの血だあ?!...お前さんあれか、まさかキャトルミューティレーションっちゅーやつをやっとる宇宙人かなんかだべか?」


「...何でそんな言葉知ってるのよ。違うって、おじさんも知ってるでしょ?カルサナスで流行ってる病気を予防するために、牛の血液が必要なの。殺したりしないから、協力してくれない?」


「...ティリス様ー、この娘っ子の話、本当だべか?」


「ええ、本当ですよトムテさん。このルカ様は、テーベ・ゴルドー・べバード・カルバラームの病に苦しむ民達を、魔法で救ってくれたお方なのです。そしてその病気である結核菌に対する特効薬を作ってくれた英雄でもあります。私からもお願いしますトムテさん、ルカ様に協力してあげてください」


「どしぇー!!この一年手の打ちようがなかったあんのクソ病気を、こんな娘っ子が治しちまったんだべか!!えらいこっちゃ、ほんならこのトムテ、何でもしちゃうだっぺ!」


「何か方言が無茶苦茶ね。まあいいわ、ありがとうトムおじさん。ティリス、ケースから注射器出して」


「はい。換えの針が必要でしたら仰ってください」


 ルカはそれを受け取ると、胸の前に掲げた。


「おじさん、牛を一箇所に集める事はできる?」


「一箇所に?!五千頭いるだっぺよ?...そりゃ時間をかければやれん事もないが、このカルサナス牧場はとんでもなく広い。馬でもなけりゃ、端までは行けないずら」


「それなら片っ端から採血していってもいい?」


「構わねえが、こいつら全部臆病だべや。おらなら大丈夫だが、ルカ嬢ちゃんが近づいたら速攻でとんずらこいちまうべよ。ましてやその針でブスッとやんだろ?蹴飛ばされて吹っ飛ぶのがオチだべ」


「そうなんだ。じゃあこっちも対策しないとね。ティリス、私の側に来て」


「はい」


 ティリスが隣に立つと、ルカはその肩を抱き寄せて魔法を詠唱した。彼女は何故か頬を赤らめている。


魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック魅力の覇気アトラクティブ・オーラ


 ルカとティリスの体がピンク色の光球に包まれ、体を覆い尽くした。それを見てトムテが腰を抜かす。


「うひぇー!!あんた何つーでけぇ魔力蓄えてるんだべ!」


「トムおじさん、魔力の流れが分かるの?」


「んだ。これでもこの牧場を預かってる身だ。盗っ人どもを追い払うくらいの魔法は習得してるっぺよ」


「...この魔法を受けても正気を保ってるなんて、大したものね。トムおじさん...私、そんなに魅力ない?」


 ルカはトムテににじり寄り、そっと顎に手を添えた。赤い瞳がユラリと輝く。


「な、何言ってるんだっぺルカ嬢ちゃん...」


「...私とキスしたいんでしょ?...いいよ、来て」


「違ーう!!いかんいかん俺には嫁とかわいい息子がいるだ!!そ、そんなふしだらな事、その、だめだっぺ!!」


 冷汗をかきながら必死で抗うトムテを見て、ルカは思わず笑いが吹き出した。


「ぷっ...アッハッハッハ!冗談よおじさん。この魔法に抵抗するって事は、相当にSPI精神力が高いんだね。まあ本当にキスしてこようとしたら、張ったおしてたけど」


「悪い冗談はよすだ!寿命が縮まったべ...」


「まあとりあえず、手前の牛から採血してみよう」


「だーから逃げちまうっつってんのが分からねえべか!これだから最近の娘っ子は...」


 ルカはそれに構わず牛に接近すると、何の苦もなく牛の胴体に手を触れた。


「おーよしよし、いい子だねー。ティリスも触ってごらんよ」


 そう言われてティリスもルカの隣に立ち、鼻先をそっと撫でた。


「あらほんと。大人しい子ですねルカ様」


 それを見てトムテは驚愕の表情を向けた。


「大人しい訳あるか!ティリス様そいつはな、よし子っつーとんでもねえ気の荒いべこだ。俺以外にゃ絶対に懐かねえし、危なくて他の飼育員も手が出せねぇ。それをおめぇらそんなホイホイ触って...」


「そうですか?とても優しい目をしていますよ」


「トムおじさん、さっき私が唱えた魔法はね、モンスターや動物のヘイト...つまり憎しみや恐怖をゼロにする魔法なの。だから近寄っても触っても平気。安心して」


「だがルカ嬢ちゃん、その手に持った針でブスッとやんだべ?蹴り飛ばされてもおらぁ責任持たねえど」


「大丈夫だよ、痛みは感じさせないから。痛覚遮断ペイン・インターセプト


 牛の体が銀色の球体に包まれ、ルカは前足の付け根に手を添える。


「痛くないよー、ちょこっと血を取るからじっとしててね」


 針をスッと刺したが、牛は何をされてるのかも分からないといった様子で、微動だにしない。注射器に血液が満たされ、ルカはティリスが用意してきた試験管に移し替えると、コルクで蓋をした。トムテの開いた口が塞がらない。


「...あんりゃー、ピクリとも動かねえで大人しくしてるべ」


「おじさん、牛に管理タグとか付けてないの?」


「そのよし子の鼻輪を見てみろ。番号が打ち込んであっぺ?他の奴らにも分かるよう、普段はそれで管理してるだ。おらが勝手に名前つけてるのはただの趣味さね」


 牛の鼻を見ると、真鍮製の鼻輪がぶら下がっている。その縁をよく見ると(1129)と確かに番号が打ち込まれていた。


「なるほど、これがナンバープレートの代わりなのね。ティリス、このペンで試験管に番号を振っていって」


「了解しました」


 その後もトムテ同伴の元牛の採血は続き、日も暮れる夕方には八百頭近くの血液を集める事ができた。


「今日はここら辺で切り上げて、一旦研究所に戻ろうか。検査もしないといけないし」


「かしこまりました。お疲れ様ですルカ様」


「トムおじさん、今日はありがとう。また明日採血に来るから、よろしくね」


「おめぇさん、顔に似合わずなかなか根性あんだなや〜。おう、いつでも歓迎だべよ!」


「お疲れ様。帰ろうか、転移門ゲート



───イフィオン都市長邸宅3F 研究所 16:42 PM───


 戻るとそこにイフィオンの姿はなかった。ルカとティリスは軽食を摂った後、二人で分担して作業に入る。ルカは血液検査、ティリスはストック分を確保する為のストレプトマイシン生産だ。しかしその日は八百頭の中に牛型結核菌は発見出来なかった。そうして二日目、三日目と過ぎたが成果は無く、四日目の採血を終えて検査に入る。血液の数は既に三千二百頭分を超えていた。


「...うーん、やっぱり居ないのかなあ。ストレプトマイシンが生産出来ただけでも運が良かったと見るべきなのか...明日には大量生産用のタンクが届くし、とりあえずそれまでは頑張って探してみよう」


 ルカは次の試験管を手に取った。表面には(No.0003)と記してある。リストに記入してコルクの蓋を開け、スポイトで吸い取るとプレパラートに塗付け、顕微鏡にセットする。そして接眼レンズを覗き込んだ時、ルカの全身は硬直した。


「───────いた!!」


「...ルカ様?!どうされたのですか?」


 隣で作業していたティリスが慌てて駆け寄ってくる。ルカは信じられないと言った表情でティリスを見た。


「見つけたよ、牛型結核菌!これでBCGワクチンが作れる!」


「やりましたね、おめでとうございます!それで、そのワクチンと言うのはどのように作成するのですか?」


「基本的には放射菌の時と同じだよ。分離・培養・単離して、菌か弱るまで少し時間を置けばいい。それを人体に投与すれば、結核を発症せずに抗体のみが体内にできるんだ。そうなれば感染率を劇的に減らす事が可能になる」


「...夢のような薬ですね。早速そちらも作業に入らねば」


「いや、BCGは培養後の扱いがデリケートなんだ。こっちは私がやるから、ティリスとイフィオンは引き続きストレプトマイシン作成の方をお願い。明日から大量生産に入るから、その段取りも私が指示する」


「なるほど、かしこまりました」


「それとティリス、トムおじさんと伝言メッセージで連絡は取れる?」


「ええ、可能ですが」


「No.0003の牛を確保・隔離しておくように伝えておいてもらえないかな。牛型結核菌の宿主ホストだから」


「了解です、すぐに伝えます」


 そして五日目の朝、鍛冶職人達十数名が巨大な銅製タンクを研究所内に運び込んできた。イフィオンの指示で設置作業を進める間、今度はイフィオンの弟子達が培養に使う大量の資材袋と、蜂蜜の入った壺を室内に運び込む。予め伝言メッセージでライルに頼んでおいた、ペプトン用に使うキマイラの胃液も到着し、全ての準備は整った。


 ルカは銅製タンクが設計図通りかを確認すると、前日に作成した作業リストを元にイフィオンへ細かく段取りを伝えていく。分離槽・培養槽・蒸留槽・貯蔵槽と、四つのタンクそれぞれに使用する材料の配分を確認し、ユーライア・フォレストの土から一気に放射菌を取り出してストレプトマイシンを生成する作戦だ。


 イフィオンが指示を出し、ティリスを含む弟子達三十人はきびきびと正確に作業をこなしていく。その間並行して、ルカはBCGワクチンの作成に勤しんだ。それは朝から夜遅くまで続き、二週間が過ぎる頃には貯蔵タンクに薬液が満たされ、合計10トン近い量のストレプトマイシンを確保するに至った。


 それらをティリスが発注した大量の注射器に封入して弟子達15人に持たせると、ルカ・イフィオン・ティリスはストレプトマイシン製造チームを残し、結核菌撲滅のため決意を新たに転移門ゲートを潜った。



───城塞都市テーベ 神殿内 14:18 PM───


「こんにちはハーロン」


「ルカお姉ちゃん...こんにちは」


「どうしたの?元気ないじゃない」


「...ううん、何でもない」


「ハーロン、いい知らせがあるの。今日はお薬を持ってきたんだよ」


「薬って...特効薬、完成したの?!」


「そう。本当に間に合って良かったわ。これを打てば、君の病気もあっという間に良くなるはずよ」


「カベリアは?カベリアに先に打ってあげてよお姉ちゃん!」


「心配しないで、カベリアにはもう薬を投与してあるわ。体内の結核菌も減少し、改善に向かっている」


「そうか...良かった...」


「腕に注射打つからね。楽にしてて」


 左上腕の袖を肩まで捲くると、ルカは筋肉注射を行った。痛覚遮断ペイン・インターセプトで痛みを感じないハーロンは、ルカを呆然と見上げる。


「お姉ちゃん...本当に...本当にやったんだね」


「そうよ。でもすぐに良くなる訳じゃないから、治るまでは今までと同じく絶対安静よ」


「他の人達も助かる?」


「周りを見てごらん。今イフィオンと弟子達・ラミウスがこの注射を打って回ってる。みんな助かるわハーロン、安心して」


「...お姉ちゃん、グスッ、ありがとう...ほんとにありがとう!僕、僕...もう...」


 ハーロンは上体を起こし、ルカの胸に抱きついた。ルカもその小さな体を優しく包み込む。止め処なく流れる涙が、イビルエッジレザーアーマーを濡らしていく。


「...怖かったねハーロン。でももう大丈夫、お姉ちゃんがついてるわ。ハーロンの体が治るまで、ずっと診ててあげるからね」


「...うん」


「さあ、少し寝なさい。三日後くらいにまた来るから、その時に少し血を取らせてね」


「分かった」


「おやすみ、ハーロン」


 左頬にキスすると、少年を寝かせてルカはベッドを離れた。そして右列の重症者が寝る列に移動すると、そこに横たわる女性の守護鬼スプリガンに顔を見せる。


「こんにちはぺぺ」


「...ルカ先生!待ってたよ。随分と時間がかかったじゃないか」


「待たせてごめんね。でもそのおかげで、ようやく薬が完成したんだ。今日はこれを打ちにきたよ」


「特効薬...あたいは信じてたよ。いつの日かあんたがこのカルサナスを救うんだって」


「大袈裟よぺぺ。腕に打つからね、肩の力抜いて」


 逞しい二の腕に深々と針を刺し、筋肉注射が完了した。渡された脱脂綿で腕を押さえながら穏やかな笑みを見せる。


「...ありがとう。これでこの国は生き返る。苦しみの果てに死んでいった住民達も、これできっと浮かばれるよ」


「私一人だけの力じゃない。みんなが協力してくれたからこそ今があるんだ。また後日来るから、それまでゆっくり寝ててね」


「ああ、待ってるよ」


 残りの患者と、看病しているその家族達にもストレプトマイシンを打って回り、薬の説明を受けた者は皆、涙ながらに感謝の意を述べていた。


 重症者列を全て診終わり、イフィオンとティリス、ラミウス、付き添いで来たパルールが歩み寄ってきた。


「ルカ、こちらは全て完了した」


「事前の打ち合わせ通り、最も感染の確率が高い患者の親族達にも全員投与した?」


「もちろんです、抜かりはありませんルカ様」


「パルールおじいちゃんとラミウスも、注射打ってもらった?」


「イフィオンに先程打ってもらった。これで不治の病が根絶できると思うと、何だか無性に元気が出てきたわい!」


「私も既に打ってもらった、問題ない」


「よし。まずは各街の神殿にいる重症者達から優先して薬を投与する。その後薬のストックが出来次第、隔離されている軽症者達にも順次投与。最後に結核を発症していない・または無自覚な全ての国民に対してストレプトマイシンを提供する。以上の段取りで行こう。テーベ三街区及び各街の軽症者回診は、引き続きラミウスと神官クレリック達が担当。いいわね?」


「了解した」


「薬のストックは...まだ十分ね。次は一番患者数の多いゴルドーへと向かう。気を引き締めて行くわよ、転移門ゲート


 神殿にパルールを残し、ルカ達四人と弟子達十五人は暗黒の穴を潜った。



───ゴルドー都市長邸宅内 2F 18:27 PM───


 夕食を摂り終わり、ベッドに横たわって天井を見上げていると、階段から上ってくる足音が聞こえた。メフィアーゾは首だけを左に向けて様子を伺っていると、黒い影が踊り場に立ち、笑顔を向けてきた。それを見てメフィアーゾはドッと息を吐く。


「...何だルカか、脅かすな。誰かと思ったぜ」


「こんばんはメフィー。体の調子はどう?」


「良くもなく、悪くもなく...まあぼちぼちと言ったとこだな」


「そっか」


「今日に限って、何で転移門ゲートで直接来なかった?」


「今イフィオンと弟子達のみんなで、ここの神殿に来てるのよ。治療の為にね」


「イフィオンも来てるのか?...あいつめ、来てるならここに顔出しやがれってんだ」


「ゴルドーの神殿は患者数が多い。イフィオンにも手伝ってもらってるから、忙しいんだよ」


「おめえは行かなくていいのか?ミキとライルならさっき来て、魔法かけてってくれたぜ?」


 ルカは中空に手を伸ばし、アイテムストレージの中から一本の注射器を取り出した。メフィアーゾはそれを見て首を傾げる。


「何だそりゃ?」


「...できたのよメフィー。結核の特効薬、ストレプトマイシン。イフィオン達は今、この薬を神殿の患者達に投与して回ってるの」


「...ルカおめぇ、遂にやりやがったのか!てこたぁ、俺の街の住民達は...」


「ええ、これで全員助かるわ」


「何てこった...良かった...本当に良かった...」


 目から零れ落ちる熱い涙。それは都市長としての市民に対する重責から開放された瞬間でもあった。ルカはベッド脇に寄り添うと、メフィアーゾの左袖を捲くりあげながら優しく微笑む。


「メフィーにも打つからね。本当はイフィオンに頼んだんだけど、”薬の精製者であるお前が行ってやれ”って、断られちゃった。腕の力抜いて、楽にして...」


 メフィアーゾの逞しい上腕にそっと針を刺し、ゆっくりと薬を注入していく。脱脂綿を取り出して針を抜き、穿刺孔を軽く押さえた。


「三分くらいこの脱脂綿で押さえてて」


「ああ。...こんなもんで治っちまうのか」


「症状によって期間はまちまちだけど、重症者は数カ月もすれば治ると思う。週二〜三回のペースで薬を投与しないといけないけどね」


「おめえには何と言ったらいいか...恩がデカ過ぎて、こんなんじゃ礼のしようがないぜ、ったく。だが助かっ──────」


 メフィアーゾの言葉を遮り、ルカはベッドに覆い被さると首元に抱きついた。肩に涙が滴り落ち、メフィアーゾはそれを察してルカの背中をそっと支える。


「...私ね、メフィーが前にああ言ってくれなければ、ほんとに諦めてたかも知れない。結核菌、ストレプトマイシン...どちらもこの世界にあるはずのない物。それをこの手で生み出せるかどうか、正直怖かった。私を受け入れてくれた街の人々が、私の失敗によって死んでしまうのを、見たくなかったの。でも自分に負けずここまで来れたのは、メフィーの諦めるなっていう一言が、心の支えになっていたからなのよ。...ありがとう、メフィー」


「...バッカヤロウ、礼を言うのはこっちの方だ!...お前はこのカルサナスを救ったんだ、もっと胸を張れ。それによ...おめえみてえな美人でバカ強え魔法詠唱者マジックキャスターが泣いて困ってるのを見て、放っておける男なんかいねえよ。もしいたら、俺がそいつをぶっ飛ばす。男として当然の事をしたまでだ。だからそんなに気にすんなって。おめぇは見事やり切ったんだ、嫌な思いなんか全部忘れちまえ。な?」


「...メフィー...」


 ルカは顔を上げると、メフィアーゾの右頬にキスした。以前とは違い、熱く、長いキスだった。それを受けて、メフィアーゾはニヤリと笑う。


「...ヘッ、美女の熱い抱擁に接吻か。悪くねえ、まさに男冥利に尽きるぜ」


「もう、何考えてるの?...メフィーには特別だよ」


 体を離して立ち上がると、マントの裾で涙を拭い笑顔を向けた。


「ごめんね、メフィーには弱音ばかり吐いちゃってるね。不思議、何か言ってもいいかなって気にさせられる」


「いいって事よ。女の泣き言を聞くのも男の仕事の内だ、気にすんな」


「うん。そろそろ神殿に戻るよ、また来るからゆっくり休んでてね」


「おう、よろしく頼むぜ」


 ルカが転移門ゲートで出ていくと、メフィアーゾは涙で濡れたYシャツの右肩を掴んだ。ひんやりと体を冷やすその感触を得て、目を閉じる。瞼の裏に、ルカの優しく微笑む顔が浮かんできた。


「世話の焼ける奴だぜ全く...イフィオンとどっちがいい女かな。同じくらい、か。ヘヘ、理想の女が二人もいるなんて、俺ぁ幸せもんだぜ」


 そのままメフィアーゾは深い眠りについた。


 ゴルドーの患者と家族達へのストレプトマイシン投与も終わり、翌日にはべバード・カルバラームの治療も完了した。その間ルカは並行してカベリアの血液検査も行い、結核菌がほぼ死滅している事と、カベリアの体調回復が想定していたよりもずっと早かった事を受けて、ストレプトマイシンの増産を決定。


 薬生産チームの技術も向上し、生産量が貯蔵量を上回り始めた事で、研究所内の貯蔵タンクを二基に増やし、合計30トン分のストレプトマイシンを確保するに至った。神殿の重症者達に使う定期投与分と、隔離された軽症者の分を含めても備蓄が出た為、イフィオン・ルカ・パルール・テレスは予定を繰り上げ、全国民36万5000人分のストレプトマイシン一斉投与を順次開始した。


 注射による投与は各神殿の神官クレリック達が対応し、神殿の前には毎日長蛇の列が絶えなかった。ルカはBCGワクチンの製法をイフィオンとティリス、弟子達にも伝授し、ストックが増えてきた事により各地の医療機関にこれを配備。新生乳幼児や血液検査で陰性が出た国民にワクチンを使用する事で、感染者増大に歯止めをかけた。


 その間ルカ・ミキ・ラミウスの魔法による回診も絶えず行われ、生きて出られないと噂された神殿から退院者が増えてきた事により、国民達の間でも不治の病というイメージは薄れ、事態はゆっくりと収束に向かいつつあった。ルカに治療を受けた国民全てがその名を覚え、いつしかルカ・ブレイズの名はカルサナス全土で、ストレプトマイシンを作った偉大な魔法詠唱者マジックキャスターとして称えられ、皆の心に深く刻まれた。


 そうして三ヶ月の月日が過ぎた。



───べバード都市長邸宅内 寝室 10:22 AM───


(...て...ちゃん...起きてお姉ちゃん...おーきーてー!)


 夢うつつの中、ルカはハッと目を覚ました。顔を上げると、カベリアがはち切れんばかりの笑顔でルカの体に跨っていた。それを見てルカは目を擦り、左腕のリストバンドを見て少女の両脇を支える。


「...おはようカベリア。もうこんな時間か」


「とっくに朝だよ!朝ご飯食べよう?」


「OK、今起きる」


 ルカは体を起こしてベッドを下りると背伸びをし、ハンガーに引っ掛けてあった私服の黒いロングパンツを履くと、寝室を出てカベリアとダイニングに向かった。部屋中央に置かれた十人がけのテーブルにはテレス・ミキ・ライルが座り、キッチンではべハティーが朝食の用意をしていた。ルカは眠たそうな目で声をかける。


「ふぁ〜、おはようミキ、ライル、テレス。早いね」


「おはようございますルカ様」


「寝かせておけと言ったのですが、カベリアが起こしに行ってしまいまして...」


「昨夜も遅かったようだな。一日くらい休んだらどうだ?」


「そういう訳にも行かないよテレス。患者数が減ったとはいえ、まだまだ予断を許さない重症者は残ってるんだから。それに薬の生産状況も見ないといけないし」


「そうか、苦労をかけるな。今日も仕事か?」


「夕方からカルバラームの回診、それが終わったら研究所に行くよ。それまではゆっくりしてるさ」


「キスタの面倒まで見てもらい、本当に申し訳ない。とりあえず朝食でも食べて元気をつけてくれ」


 するとべハティーがテーブルに皿を運んできた。


「おはようございますルカ様、どうぞお召し上がりください」


 鶏胸肉のハーブ塩焼きにベーコンエッグサラダ、コンソメスープにパンという組み合わせだ。ルカは両手を合わせてナイフとフォークを握った。


「いただきまーす」


 皆が食事に手を付け、ルカは鶏肉を切り分けて一口頬張る。


「んんーおいしー!柔らかい!ガーリックも効いててパンチがある。前から思ってたんだけど、べハティー料理上手だね」


「お褒めに預かり光栄ですルカ様。これしか能がないもので...」


「いやいやほんとに美味いよ。これは何かお礼しなきゃな...そうだ、昼食は私が作るよ」


「ええ?!でもそんな、ただでさえお疲れなのに」


「何、大したことないって。カベリアもお姉ちゃんの料理食べてみたいでしょ?」


「食べたーい!」


「よーし、後で材料買いに行こう。そういう訳だからべハティー、後でキッチン貸してね」


「は、はい。よろしくお願いします」


 そして六人は食べ終わり、食器をキッチンに下げた。


「ごちそうさまー。ミキ、ライル、今日の予定は?」


「ゴルドーから回診予定です。後ほどラミウスと現地で合流します」


「お昼はどうする?一旦こっち戻って食べる?」


「いえ、残念ですが現地で済ませたいと思います」


「了解、注射器と薬忘れないでね」


「かしこまりました」


「カベリア、部屋に行こうか。今日のお注射打たないとね」


「はーい」


 寝室に戻り、パジャマの袖を捲くりあげてストレプトマイシンを投与する。以前に比べて見違えるほど元気になったが、三ヶ月経った今も内臓の炎症が残っているせいで、痛覚遮断ペイン・インターセプトの魔法は欠かせない。解毒・修復と定期治療を済ませ、パジャマの袖を下ろす。


「カベリア、今日もお外に散歩いこうか?」


「行くー!」


「じゃあ着替えて、マスクつけて」


 可愛らしいフリルのついた白のワンピースを着せると、カベリアは自分で顔に白い布を巻きつけた。そして手を繋ぎ寝室を出ると、ダイニングにいたべハティーに声をかける。


「カベリア連れて散歩に行ってくるねー」


「はーい!お気をつけて」


 エントランスから扉を開けて外に出ると、燦々と眩しい日光が照らしていた。気温は暖かく、風もない散歩日和の日だ。カベリアの体から結核菌が死滅し、髄膜の炎症も収まり劇的な回復力を見せた段階で、部屋に閉じこもりきりのカベリアを気遣い、ルカはたまにカベリアを外へ連れ出していた。ルカの左手をしっかりと握りながら空を見上げる。


「いい天気だねー」


「そうだね。今日はどこへ行きたい?」


「お花屋さん!あとおもちゃ屋さん!」


「なら商店街だね、行ってみよう」


 都市長宅を右に曲がり、大路を通って西にある商店街へと向かう。途中ルカとカベリアの姿を見た近所の通行人が挨拶をしてきた。


「おお、ルカ様!ご機嫌麗しゅう」


「こんにちはルカさん!」


「ルカ先生、お世話になっております」


「カベリアお嬢様もご一緒なのですね、どちらへ?」


「おはようみんな。ちょっと散歩にね」


「そうですか、お気をつけて行ってらしてください」


 もはや近所どころか、都市長邸宅にルカ達が間借りしている事はべバード中に知れ渡っていた。夜中に邸宅へ急患が訪れるなんてこともザラにあり、そういう経緯でべバード住民達にもルカの顔は完全に割れていたが、当の本人は気にする素振りも見せなかった。


 イリス商店街に入ると店舗は全て開いており、人通りもまばらながらかつての活気を取り戻しつつあった。三ヶ月前までは食料品店が開いている以外ほぼゴーストタウンと化していたが、その時に比べれば雲泥の差である。大通りをしばらく歩き、左側の一軒家に店を構える花屋を見つけると、二人は店内に入った。


 中は芳しい様々な香りで満ちており、色とりどりの花が花瓶に入れて並べられていた。カベリアがそれを見てうっとりとした表情になる。


「ふわ〜きれい、いい匂い...お姉ちゃんこのお花知ってる?スタージャスミンって言うんだよ、とってもいい香りなの」


 プロペラのような形をした白い花を一本手に取ると、カベリアはルカの鼻に近づけた。その甘くもシャープな香りを嗅ぎ、ルカの目がトロンと潤む。


「あ〜、これはたまんないね。天然の香りって感じ」


「それでこっちがねー、オトメユリって言うの。嗅いでみて?」


 変わった花弁をしたピンク色の花を手に取り、ルカは鼻に近づけて息を吸い込む。


「ん〜、グリーンシトラス系の爽やかな香り。これもいいね。カベリアお花に詳しいんだ?」


「うん!病気になる前はお母さんによく連れてきてもらったの。この店好きなんだ」


「そっか。品揃えも良いみたいだし、確かに優秀だ」


 二人の話す声を聞いて、店の奥から黒いエプロンをした細身の女性が出てきた。頭に同じく黒い頭巾を巻いており、都市は三十代前半といった面持ちだ。


「いらっしゃいませお客様。...って、カベリアお嬢様?!それにあなたはルカ先生じゃありませんか。夫がお世話になっております、どうぞごゆっくり見ていってください」


「やあ、お邪魔してるよ」


「こんにちはニーナお姉ちゃん!」


「お嬢様、こんなところへ来てお体の具合はよろしいのですか?相当に悪いと聞いておりましたが...」


「もう大丈夫!ルカお姉ちゃんに治してもらったから」


「実際は結核のダメージがまだ体の中に残ってるけど、歩けるくらいには回復したからね。少しは体を動かさないと。それに私が付きっきりで見てるから、心配しないで大丈夫よ」


「そうでしたか、ルカ先生がそう仰るのなら...」


 カベリアが次から次へと花の香りを嗅いでいくのを見て、ルカは後ろから肩に手を乗せた。


「カベリア、どれがいい?何でも好きなだけ買っていいよ」


「ほんと?!お部屋に飾りたかったの」


「いいじゃない。その代わり、ちゃんとお花の世話は自分でするのよ?」


「うん!」


 カベリアは思い思いに花を選び始めた。それを待つ間、ニーナがルカに心配そうな顔を向けてきた。


「ルカ先生、それであの...夫の容態はどうなっているか分かりますでしょうか?」


「旦那さんの名前は?」


「エスメル=ゴダードと言います」


「ちょっと待ってね」


 ルカは中空からアイテムストレージに手を伸ばし、中に手を入れた。


「べバードの患者リストは...これか。えーと?エスメル、エスメルと...あった、この人だね。二ヶ月前に入院、肺外結核・リンパ節三箇所損傷、菌が腹膜に転移か。特効薬と魔法による治療を定期的に続けてるから、ここまで来ればあと一ヶ月程度で退院出来ると思う。もう峠は越したし、命に別状はないから安心して」


「良かった...ありがとうございます。夫がいない間は店を一人で切り盛りしていかなければならないので、神殿にもろくに足を運べず困っていたのです」


「大変だね。何かあれば力になるから、遠慮なく言って」


「いえそんな!ルカ先生はこの国の恩人です。それだけでも...感謝しています」


 ニーナが頭を下げると、足元にカベリアが立っていた。満面の笑みで、両手に持ち切れない程の花を抱えている。


「ニーナお姉ちゃん、これちょうだい?」


「カベリアお嬢様?!いくらなんでも買い過ぎでは?」


「えへへ〜、選んでたらこんなになっちゃった」


「ルカ先生、よろしいのですか?」


「ん?もちろん構わないよ。カベリアの部屋は広いし、このくらいの量がなくちゃね」


「か、かしこまりました、すぐにお包みします!」


 屈んで花を受け取り、ニーナは店の奥へと走っていった。包装紙を広げ、花の種類をきれいに並べ替えて丁寧に包んでいく。茎の根本を紐で縛り、完成した見事な花束を持って戻り、カベリアに手渡した。そして言いにくそうにルカの目を見た。


「し、締めて18銅貨...になります」


「OK」


 ルカはベルトパックの中から財布の袋を取り出して弄ったが、中から出てきたのは一枚の金色に輝くコインだった。


「ごめんニーナ、今細かいの持ってないから、これでいいかな?」


「い、一金貨?!...はい、結構でございます」


「お釣りは要らないから」


「はい...ってええ?!そんな訳には参りません、このような大金...すぐにお持ちします」


「大丈夫だって、そんな事言わないで。またカベリアとここへ遊びに来るから、私からの気持ちだと思って。ね?」


「あ...ありがとうございます!助かります...」


「行こうか、カベリア」


「うん。ニーナお姉ちゃん、ありがとう!」


「こ、こちらこそありがとうございます!またお越し下さいませ!」


 ニーナが深くお辞儀するのを見届け、二人は店を出た。カベリアは胸に花束を抱え、ニコニコしながらその香りを嗅いでいる。30メートル程歩いて右を見ると、アンティークなカーキ色の建物があった。壁の上には不釣り合いで派手な看板が立て掛けてあり、青地に赤の文字で(玩具屋)と書かれている。


 入口周りは全面ガラス張りのショーウィンドウとなっており、中を覗くと左側は男子用の木剣や盾、兜が飾ってあり、右側には女子用の人形やミニチュア家具・手鏡等が展示してある。カベリアはルカの手を引っ張り、玩具屋の入口に立った。


「ここだよお姉ちゃん!面白いおもちゃがいっぱいあるの」


「なるほど、入ってみよう」


 入り口の扉を開けると、(カランカラン)という呼び鈴が鳴り、室内は広いが所狭しと棚の中に玩具が置いてある。まずは左側から見て回り、剣士やモンスターを象った樹脂製の人形、武器防具のレプリカや木彫りのお面、城塞のミニチュア模型や装飾具等、男の子が喜びそうなおもちゃがズラリと展示してあった。


 ルカはその内の一つである木剣を手に取ったが、ニスの塗られた表面には美しい彫刻が彫られ、打ち込まれた板金と柄にはめ込まれた赤いクリスタルにも手の込んだ加工が施してあり、どう冷遇的に見てもそれは玩具のレベルを遥かに超えていた。ある種の芸術作品とも呼べるその木剣をまじまじと眺めていると、カベリアがルカの裾を掴んでくる。


「ね?面白いでしょ?ここのおもちゃ全部、店主のおじさんが作った手作りなのよ」


「ふーん...確かにこの腕は凄いね」


 すると奥に続く棚の影から、青いローブに赤いベストを羽織り、黒い顎髭を長く伸ばした怪しい風体の男が姿を表した。年齢は40代後半に差し掛かった所だろうか。


「いらっしゃい!好きなだけゆっくり見てってくんな...って、何だい誰かと思えばカベリアちゃんかい!よく来たな、こんなご時世に外出歩いて大丈夫なのか?」


「ツィナーおじさんこんにちは!このルカお姉ちゃんが一緒だから大丈夫!」


「そうかいそうかい。...まさか救国の英雄がこの店を訪れてくれるたぁ、光栄の極みだルカ先生。神殿で娘が世話になった、感謝している」


「いいのよ、治って良かったね。それにしてもこのおもちゃ全部あなたの手作り?芸が細かいねー」


「ヘヘ、そう言っていただけると。どれも腕によりをかけて作った一品でさぁ。これを持って遊ぶ子供達の笑顔が見れれば、俺はそれで満足なんです」


「この木剣、ルーン文字が刻んであるよね。えーと...”地の底より我は主に訴える この剣を装備せし幼子らに永遠の守護を 我が命を贄とし 愚者に鉄槌の裁きを下せ 幼子の命危ぶまれし時 汝が力を持ち愚者を爆死せしめよ”。それにこの柄に埋め込まれたクリスタル、質は悪いけど本物のルビーだよね。宝石に念を込め、それを媒体としてルーン文字に実効的な力を与える。つまりこの木剣には魔力回路が形成されている。そして魔力の根源となるこのルビーに込められたエネルギーは、恐らくあなたの命。そこから推察すれば、人一人の命を贄とする魔法...第八位階・破裂エクスプロードがこの木剣には秘められている。あなたは付与魔術師エンチャンターだ、ツィナー。それも一流のね」


「...あ、あんた、そんな...ルーン文字が読めるってえのか?!」


「昔アゼルリシア山脈を旅した時に、中腹付近でとある大きな洞窟を発見したの。その奥に広がっていたのはドワーフ達の住む都、フェオ・ジュラだった。私達を快く受け入れてくれたドワーフ達と私は仲良くなり、そこで彼らの秘儀であるルーン技術を学んだんだ。私は付与魔術師エンチャンターではないから物は作れないけど、文字を読む事くらいはできる。...懐かしいな、また行ってみたいよ」


 ツィナーの体は震え、呆気に取られた様子でルカを見返していたが、やがて次第に表情が緩み、落ち着いた様子で口を開いた。


「...あんた、化物だな。流石は一流の魔法詠唱者マジックキャスター、何でもお見通しかい。ヘヘ、こりゃあ下手に隠し事出来ねえな。ルカ先生、俺ぁ元々スレイン法国からこのべバードの神殿に派遣された、上位神官ハイ・クレリックだったんだ。結婚して娘も生まれ、幸せな暮らしだった。しかし俺はある日、魔が差して黒粉に手を出しちまった。先生なら知ってんだろ?」


「ライラを吸ったの?!どうしてあんな麻薬に...」


「言い訳するわけじゃねえ。だが聞いてくれ。神殿に連れてこられる子供達なんざ、大体訳ありだ。親なし子、病気の子、モンスターに襲われ致命傷を負った子、バハルス帝国から逃げ延びてきた奴隷の姉妹、様々だ。俺はそいつらを必死で面倒見た。だが俺の魔法や財力じゃやれる事なんかたかが知れてる。そして誰一人救えなかった。幼い命も、人生も。気が狂いそうになった俺はバハルス帝国に向かい、知り合いの伝手で酒場にいた売人からライラを買った。そこから俺は薬と酒・女に溺れる毎日を送っていたが、その行いが神殿にバレちまったんだ。そして神殿を追放された俺は、女房と娘を残し一人旅に出た」


「...それがフェオ・ジュラだったの?」


「ああ。魔力を秘めたルーン武器、それを作るドワーフの都が、アゼルリシア山中のどこかにあるという噂を友人の鍛冶屋から聞いた俺は、一人あの山に入った。物理的に子供達を救う方法が見つかるかもしれないと考えたからだ。今考えれば無謀だったな...山中に巣食う霜巨人フロストジャイアント土掘獣人クアゴアに襲われながら、俺は命からがらあんたも知るあの巨大な洞窟に辿り着いた。行き倒れた俺はドワーフ達によって保護され、柔らかいベッドに温かい飯まで振る舞ってくれた。そして目的を伝えると、彼らは喜んで俺に居場所を提供してくれた。そこからルーン工匠の元で修行が始まったんだ」


「なるほどね。それでその...ライラは辞めれたの?」


「それ以来すっぱり止めた。酒は飲んでたがな。奴らは仕事をする時も飯を一緒に食う時も、常に陽気で明るかった。あれがどれだけ俺の心を慰めてくれた事か...背負った罪悪感はいつしか消え失せ、前に進もうという気力だけが湧いてきた。そうして一年が経ち、ルーン技術と鍛冶スキルを体得した俺は、自分独自の手法を生み出せないかと模索し始めた」


「それが付与魔法エンチャント?」


「そうだ。俺の元々持つ信仰系の術式を、ルーン文字に移し替えたらどうなるかという実験を繰り返し、武器や防具・アイテムに術者よりも高位階の魔法を封じ込める事に成功した。ドワーフ達もこれには驚いていたがな。俺はこの技法を聖体降臨式ルーンオブベネディクションと名付け、ドワーフ達にも伝授すると皆に礼を言い、フェオ・ジュラを離れべバードに戻った。家族を放り出してから二年が経ち、もう居ないものと覚悟して俺は家に戻ったが、嫁と娘は待ってくれていた。今まであった全ての経緯を話すと、二人は俺に許しを与えてくれた。俺はこの技術を活かして店を開くため、テレス都市長の元にフェオ・ジュラで作ったルーン武器を持ち込み、子供達を守るためおもちゃという形にして、ルーン技術で作った玩具屋を開きたいと提案した。都市長は快く了承し、俺にこの店舗を提供してくれた。それ以来俺はずっとここで店を構えている」


「...ツィナー、頑張ったんだね。興味深い話だったよ」


「っと、こんな話してたらうちの常連さんが退屈しちまうな。ありがとよルカ先生、最後まで聞いてくれて」


「ツィナーおじさん、私退屈じゃないよ。ちゃんと聞いてたもん」


「カベリアちゃん...」


 俯くツィナーの肩を、ルカはポンと叩いた。


「さ!辛気臭い話はここまでにしよう。ツィナー、この木剣いくら?」


「へ、へぇ。3銀貨と言いたい所でやすが、事情を知ったルカ先生だ。おおまけに負けて1銀貨にしときやす」


「買った。カベリアの物を選ぶから、キープしておいて」


「かしこまりやした、先生」


 カベリアの手を引いて、左側の棚に移動した。そこには動物のぬいぐるみやおままごとセット、幼児用化粧品一式、魔道士が着るような子供用のローブ等が陳列されていた。


「うわー可愛い!新しいおもちゃ増えてる!」


「へへ、毎月新作を入れ替えてますからね。カベリアちゃんの好きそうなやつだと、これなんかどうだい?」


 ツィナーは鳥の形をした大振りのぬいぐるみを差し出してきた。


「んーフワフワ!これ好きー!」


 それを聞いてルカは腰を屈め、カベリアの目線に体を合わせた。


「その花束お姉ちゃんが持っててあげるから、好きなおもちゃいくつでも選んできていいよ」


「やったー!」


 カベリアがはしゃぐ姿を見て、ルカとツィナーは優しい眼差しを送っていた。選んでいる間、二人は顔を向け合う。


「このぬいぐるみとか衣装にも、ルーンを刻んでるの?」


「はい。ドワーフに伝わる特殊な製法で編み込んであります。女の子用の場合は、防御系の付与魔法エンチャントに特化してますがね」


「なるほど、器用だね。ここにあるおもちゃのようにアクティブ型の魔法じゃなくて、パッシブ型...つまり常時防御力上昇や回避ドッヂ率上昇といった効果は、付与魔法エンチャントで埋め込む事は可能なの?」


「可能ですぜ。但し、素材や宝石も高品質な物が必要になりますんで、単価も上昇しちまいます」


「作れるって事だけ分かれば十分。覚えておくよ」


 そこで二人は気づいた。先程から独り言のようにはしゃぎ回っていたカベリアの声がはたと止んでいたのだ。それどころか、木製棚の前にもいない。


「...あれ?」


 棚の裏側から子供の声がした。ルカは目の前にある棚の隙間から向こう側を覗き込む。


「おーいカベリアー?」


「...まさか...しまった!!!」


 ツィナーが血相を変えて棚の裏にある壁際の陳列棚に回り込んだ。ルカもその後を追いかけると、中段に置かれたぬいぐるみの山が左右に掻き分けてあり、その奥にある空洞を見つめてカベリアが呆然と立っていた。何を見ているのか気になったルカは、斜向かいから角度をつけて奥を見る。すると棚の最奥部には、40センチ四方のガラスケースが隠すように収められていた。


「...このお人形...ルカお姉ちゃんみたい...」


「私?中に人形が入ってるの?」


「カベリアちゃんだめだ!!!...チッ、飾っておくんじゃなかった...おじさんがもっといいお人形用意してやるから、こっちおいで。な?」


「...私このお人形がいい!」


「だめだ!!絶対にだめだ、いいかい、そのケースに手を触れちゃだめだ。近寄ってもだめだ!ルカ先生あんたもだ!!...二人ともこっちに来い。ルカ先生、いいからカベリアを抱っこして連れてきてくれ」


「そんな事言われても...あ、ほんとだ。暗くてよく見えないけど、中に人形が入ってるね。ツィナー、これ何?」


「それは!...そいつぁ、俺の失敗作だ。過去の恥だ。不憫と思い、せめて棚に飾ってやろうと情けをかけたのが俺の間違いだった。その人形は、術者以外が触れると攻撃してくる。近寄るだけでも魔法の影響がある!悪い事は言わねぇ、二人共こっちに来るんだ」


「何それ、トラップ属性の魔法でも込めたの?面白そうじゃない。カベリア、少し下がってて」


「分かった!」


 店の入口近くまで退避したのを見届けると、ルカはスゥッと息を吸い込んだ。


五大元素の不屈の精神エレメンタル・フォーティチュード殺害者の焦点スレイヤーズフォーカス


 ルカの体に虹色のバリアが覆い被さり、やがてすぐに無色透明になる。棚に一歩近寄るとルカは両手を伸ばし、最奥部にあるガラスケースをゆっくりと手前に引っ張り出した。そしてケースの上蓋を開けると、ルカの体に紫色の靄のようなエフェクトがまとわりついた。それを見てツィナーが凍り付く。


「ルカ先生もういい!!頼むからやめてくれ!!!」


「ふーん...効かないねぇ」


 ツィナーが止めるのも聞かず、ルカが躊躇なくその黒い人形に手を伸ばして両脇を掴んだ、次の瞬間────


(バチ!!)とルカの全身を電撃が覆い尽くし、手に持った人形から揺らめく炎のような黒い影が立ち上った。それは徐々に人型を成し、血のように赤く光る目でルカを見据えると、牙の生えた醜悪な口でニタリと笑った。


「クク、シネ、ニンゲン」


 その悪魔が首元に向かい腕を素早く振り降ろそうとしたその時、何故か寸前で動きを止めた。ルカは瞬間的に悪魔の首筋を捉え、凄まじい力を込めて握り潰していたのだ。その体を軽々と片手で持ち上げ、悪魔は宙吊りの状態となる。ルカは殺気の籠もった目でギロリと悪魔を睨みつけた。


「...奈落の悪魔アビスデーモン、レベルは90。ごめんね...私、素手でも結構強いんだ」


「グ...ガハッ!!ナ、ナゼカミナリガキカナイ...ナゼ...マヒシナイ...」


 カベリアは見た。ルカの体を覆うバリアが魔法を遮り、電撃が全て地面に霧散してしまっている。不思議と冷静だった。そしてカベリアは、カルバラームでルカと邪神が戦う光景を連想しながら、拳を握り声無き声援を送っていた。


 ルカは薄く笑うと、悪魔の目を覗き込む。


「何でだろうね?自分で考えなよ。選んで。生きるか、それともこの場で死ぬか。この人形から黙って出ていくのなら、お前をここで逃してやろう」


「ニ、ニンゲンガアアア!!魔法三重最強トリプレットマキシマイズ────」


影の感触シャドウ・タッチ


(ビシャア!)という鋭い音と共に、悪魔の魔法詠唱がキャンセルされ全身が麻痺スタンし、ピクリとも動かなくなった。ルカは小さく溜息をつくと、呪いの言葉を放つ。


「言葉をそっくり返そうか。死ね。魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック聖櫃の業火アークフレイム


「ヒア──────」


 断末魔を上げる暇もなく、悪魔の体は可燃性の高いニトロセルロースのように、一瞬にして燃え尽きてしまった。ルカは人形を両手で持つが、未だ体の周囲を覆う電撃が晴れない事を受け、右手で手刀を作り人形の胸に添えた。


解呪ディスペル上位封印破壊グレーターブレイクシール


(パキィン!)という音と同時に、崩れるようにして電撃が消え失せた。続けてもう一つ魔法を重ねる。


道具上位鑑定オールアプレイザルマジックアイテム


 ルカの脳内に人形の情報が流れ込んでくる。



─────────────────────


アイテム名 : 神人の依代ドールオブダンテ


使用可能種族制限 : 人間ヒューマン森妖精エルフ半森妖精ハーフエルフ闇妖精ダークエルフ山小人ドワーフ闇小人ダークドワーフ丘小人ヒルドワーフ・ヴァンパイア・悪魔デビル・ネフィリム・蛇髪人メデューサ


使用可能クラス制限 : 付与魔術師エンチャンター


概要 : 複合トラップ属性の人形で、Lv90までの天使・悪魔を含む全ての召喚獣を一体封じ込め、術者以外の人形に手を触れた者を攻撃させる事ができる。また常時発動型のINT知性SPI精神力デバフを持ち、至近距離(2unit)に近づいた者のステータスをそれぞれ50下げる。合わせて第七位階までの攻撃魔法を封じ込め、手に触れた者に対し発動させる事も可能。攻撃魔法に関しては、一度発動した後もう一度込め直す必要がある。召喚獣が死亡した場合、一定時間経つと新たな召喚獣が自動でセットされるが、どの召喚獣が人形内に宿るかはランダムで選択される。


修復可能職 : ルーンスミス


必要素材 : ルビー2 アルラウネの毛髪200 エポデの布30 レッドコットン50 マンドレイクの樹脂15


──────────────────────



「なるほどねー、さっきの電撃魔法は恐らく第七位階の、連鎖する龍雷チェインドラゴンライトニングか。よくもまあこんな物騒な物を作ったもんだ」


 目の前で起きた事が信じられず呆気に取られるツィナーだったが、それを他所にルカは店の端に退避していたカベリアに向かって手招きした。嬉しそうに駆け寄ってくるとルカの足にしがみつき、そのまま屈んでカベリアにも見えるよう人形を掲げる。


 それは美しい細工の施された、細身のビスクドールだった。髪はセミロングの漆黒、顔立ちは肌の白い西洋風で、瞳にはルビーがあしらわれ赤く輝いている。頭にはレース生地で縁取られた喪服のようなフードを被っており、衣服は黒地に銀色の刺繍が彩るタイトなドレスを着ている。足にも布製のブーツを履き、細く白い指先に光る爪は怪しく赤色に輝いていた。それを二人で眺め、カベリアは笑顔でルカの顔を覗き込んできた。


「ね?お姉ちゃんに似てるでしょ?」


「あー、何となく言いたい事が分かったかも。確かにちょっと似てるかな?」


「さっきはびっくりしたけど、このお人形可愛いよね〜」


「カベリア、まだこのお人形欲しい?」


「うん、欲しい!」


「はい、どうぞ」


「わーい!」


 人形を受け取るとカベリアはそれを胸に抱き、ダンスでもするようにクルクルと回った。そしてルカは腰を上げ、ツィナーに向き直る。


「どういう経緯かは知らないけど、だめだよこんな危ない物を店の中に飾っちゃ。間違って子供が触ったら、本当に死んじゃうよ?」


「いや...その、申し訳ねえ。その神人の依代ドールオブダンテはな、付与魔法エンチャントでどこまで攻撃力を高められるかテストする為に作った物なんだ。何度も失敗を重ね、やっと出来た一体がそいつだ。実際にモンスター相手に試してみると、手に取ろうとしたあの霜巨人フロストジャイアントですら一撃で殺しちまった。それを見て俺は恐ろしくなり、何度も処分しようと考えたが、どうしても捨てきれなくてな...それで結局べバードまで持って帰ってきた。...それをあんたは、逆にたった一撃であの悪魔を殺しちまった。もう俺には何が何だか...」


「まあいいじゃない。言ってみればこの人形は、ツィナーに取っての最高傑作だったんだね。確かにいい仕事してると思う。カベリアも喜んでるし、これ私が買い取るよ。いくら?」


「だめだって何度言ったら分かるんだ?!ルカ先生、あんたもさっき鑑定したから分かるだろう。あと三時間もすれば、新しい召喚獣が人形に呼び込まれる。そうなったらカベリアちゃんの命が危ねえ!絶対に売らねえぞ!!」


「それならこうすればいい。魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック召喚サモン暗い産卵ダークスポーン


 ルカの背後に突如、身長ニメートル弱の禍々しい影のようなモンスターが地面から現れた。人型を辛うじて保っているが手に指はなく、腕それ自体が鋭利な剣となっている。そのモンスターが放つ恐ろしい殺気を受けてツィナーは後退るが、ルカは笑顔で影に指示した。


「ダークスポーン。この人形の中へ入り、カベリアを生涯守り通せ」


 すると召喚獣は隣に立つカベリアの前に屈み、その顔をじっと見つめた。カベリアは首を傾げ、恐れる様子もなく見つめ返していたが、やがて胸に抱える人形・神人の依代ドールオブダンテに右手をかざすと、音もなく全身が人形の中に吸い込まれていった。カベリアはポカンと人形を見つめていたが、それを確認してルカはツィナーに目を向ける。


「これで私の召喚獣・ダークスポーンが人形に宿った。つまりこの人形が自動的に精製する召喚獣はもう現れない。優先権は私に移った。ダークスポーンのレベルは位階上昇化により、ジャスト90に合わせた。でもさっきの奈落の悪魔アビスデーモンよりも、戦闘力は遥かに上よ。試しにカベリアに危害を加えようとしてごらん?一瞬でその首が跳ね飛ばされるよ」


「...あんた...悪魔か?一体何なんだよその力は...」


「どう思おうとあなたの自由よ。こんな危険な物は、子供が遊ぶこの店に相応しくない。これからこの人形は、カベリアを守っていくの。私が引き取るわ」


「...だめだ、それでも絶対に売れねえ。そいつの危険性は、作った俺自身が誰よりも分かってんだ!...例え恩人のあんたと言えども、これだけは譲れねえ」


「もう、本当に頑固ね。元はと言えば、あなたが飾っていたせいでカベリアの命が危険に晒されたのよ?こんな物はもう、あなたの手元に置いておくべきじゃない。分かるでしょ?」


「それは...確かにそうだが」


「さっきの木剣と合わせて買うから。ほら、いくらか言って?」


「.....どうしてもってんなら、ご、ご、五金貨だ!!元々売り物じゃねえんだ、買えるもんなら買ってみやがれ!買わねえんならとっとと帰れ!!」


 ツィナーは破格の金額を提示する事で、売却する意思がない事を示そうとした。さすがのカベリアもその金額の大きさを聞いて及び腰になる。


「お、お姉ちゃん...いくら何でも五金貨は高すぎるよ...私は大丈夫だから、お人形返そう?」


「いいよ、買った。五金貨ね」


「...は?」


 呆気に取られるツィナーを他所に、ルカはベルトパックから財布を取り出すと中を弄る。そして金を握るとツィナーに歩み寄り、直接手に握らせた。そこに乗っていたのは一枚のコイン。しかしツィナーはそれを見て仰天する。


「い、い、一白金貨?!ちょ、ルカ先生?!」


「木剣と合わせて、それで足りるでしょ?お釣りは取っといて」


「な、何をバカな...こんな大金、倍の金額じゃねえか!」


「私はあなたの腕を買ってるの。その木剣とこの人形には、それだけの価値がある。いいから受け取って、私こう見えてもお金持ちなのよ?それで奥さんと娘さんに、美味しいもんでも食べさせてあけなよ」


「ほ、本気で言ってんのか...」


「ふわ〜...」


 人形を大切そうに抱いたカベリアもルカを見上げ、驚きの表情を隠せなかったが、会計カウンターに置かれた木剣を手に取るとカベリアの手を引いた。


「それじゃあ確かに受け取ったよ。また来るからね」


「...ちょっと待て!!」


「何よ、まだ何か文句があるの?」


「そうじゃねえ。...その木剣と人形を貸しな、箱に包んでやる」


 物を受け取ると、ツィナーはカウンターの裏に回った。そこでカベリアと他の商品を見ていたが、ややするとツィナーが箱を二つ抱えて戻ってきた。


「ほらよカベリアちゃん、持てるか?」


「わー、ありがとうツィナーおじさん!」


 きれいに包装された真っ白な箱に、プレゼント用の青いリボンと赤いリボンが巻きつけてある。受け取ったカベリアの前で片膝をつくと、ツィナーは手に握ったアクセサリーを持ってカベリアの首に手を回した。


「これはサービスだ、持ってけ」


「...きれーい!ほんとにいいの?」


「ああ。とんでもねえ大金受け取っちまったからな。このくらいはさせてくれや」


 それは青く輝くサファイアのネックレスだった。銀であしらわれた菱形の枠には、小さく細かいルーン文字がびっしりと刻んである。それを見てルカは感嘆の声を上げた。


「凄い細工の腕だね。ツィナーこれは?」


「これでもべバードいちの細工師で名が通ってんだ。このネックレス、異次元の旅ジャーニオブザディメンジョンには、転移門ゲートの魔法を封じ込めてある。いいかいカベリアちゃん、これは一度きりしか使えないが、もし迷子になって道に迷ったり、危ない目にあったりした時はこれを使え。頭の中に帰る家や行きたい場所を想像し、転移門ゲートと念じるんだ。そうすれば道が開く」


「分かった!」


 笑顔で頷くカベリアを見て、ルカは何か頭に引っかかるものがあり、ツィナーに訪ねた。


「ねえ、今べバードいちの細工師って言った?」


「ああ。それがどうかしたか?」


「ひょっとして、ティリス=ピアースって女の子の事知ってる?」


「何だいルカ先生、ティリスちゃんを知ってんのか?あんた達が特効薬打つ時に使ってる注射器と針は、俺が作ってるんだぜ」


「やっぱりそうだったんだ!質が良かったから驚いてたんだよ。それじゃ、ゴルドーにいる細工師の事も知ってるの?」


「知ってるも何も、あっちは俺の弟がやってんだ。このカルサナスで、ツィナー=ゴヴーニュとマローン=ゴヴーニュの兄弟を知らねえ奴はいねえよ」


「なるほど、納得だよ。注射器はあればあるほどいいから、どんどん生産頼むね」


「おう、任しとけ!こっちも量産体制が整ったからな、いくらでも作ってやるぜ」


「よろしく頼むよ。それじゃまだ買い物あるから、今日はこれで行くね」


「何か色々騒がせちまって悪かった。カベリアちゃんも体に気をつけてな」


「うん、おじさんもね!」


 二人は店を出て右へ曲がり、大通りを更に奥へと歩いていく。途中にフルーツパーラーがあり、ベンチに荷物を下ろして休憩する事にした。


「この子にはキウイとバナナのミックス、蜂蜜多めで。私はりんごとメロンのミックスを」


「かしこまりました、ルカ様」


 カップを受け取り、ベンチで飲みながら二人はのんびりしていた。


「甘ーい、おいしい!」


「まだ体も治ってないから、ちゃんとビタミンC取らないとね」


「お姉ちゃん色々買ってくれてありがとう。お姉ちゃんは何か欲しいものないの?」


「私は特にないかなー。武器防具もアクセサリーも間に合ってるし」


「お洋服とかは?いつも真っ黒の服ばかりじゃん。お姉ちゃんがお洒落したら絶対モテるよ!」


「痛いところを突くね。別にモテなくてもいいんだけど、じゃあ今度お姉ちゃんの服選びに付き合ってくれる?」


「もちろん!」


「うん。ところで、カベリアはお昼ご飯何食べたい?」


「何かおもちゃ屋さんで色々あったから、お腹空いてきちゃった。お肉って気分かも」


「よーし、取って置きのお肉料理出すからね」


「楽しみー!」


 休憩を終えて、二人は斜向かいにある生鮮食料品店に入った。店内は多くの人で賑わい、新鮮な野菜や肉がズラリと並んでいた。そこへ二人の姿を見た店主らしき恰幅の良い女性が、笑顔で歩み寄ってくる。


「おや、いらっしゃいカベリアちゃん!」


「こんにちはマリーニさん!」


「ルカ先生もいらっしゃいませ。何かお探しですか?」


「それじゃあ頼んじゃおうかな。えっと...この店で最高級の牛挽肉2キロと、玉ねぎ3個、じゃがいも7個、ブロッコリー2個、パセリ一房、とうもろこし3本、玉子一パック、にんにく、牛乳、パン粉を貰える?」


「最高級の肉に野菜ですね!少々お待ちを!」


 10分ほど待っていると、マリーニが籠を抱えて戻ってきた。


「お待たせしました!ハァ...ハァ...こちらで全部になります」


「ごめんね集めてもらっちゃって。いくら?」


「ルカ先生はこの国を救った英雄です、7銀貨に負けておきます!」


「これでよろしく、お釣りは要らないから。袋に詰めてもらってもいい?」


「毎度あり...って一金貨?!す、すぐにご用意します!」


 ルカは左手に花束、右手に買い物袋を下げ、カベリアは両手におもちゃの箱を抱え、ニコニコしながら帰り道を歩いていた。


「お姉ちゃん、お釣りもらわないで大丈夫なの?」


「結核のせいで、この国の経済は疲弊してるからね。私がバンバンお金使ってあげないと」


「そっかー。お姉ちゃん、お金いくら持ってるの?」


「ん?そうだねーいくらかは秘密だけど、国が二個買えるくらいは持ってるかなー」


「国が二個?!す、すごいね...」


「他の人には内緒よ?」


「えへへ、分かってるってば」


 そうして都市長宅に戻り、カベリアは花の手入れ、ルカは食事の支度に入った。野菜の下茹でをしながら牛挽肉と微塵切りの玉ねぎ、摩り下ろしたにんにく、玉子、パン粉を混ぜて、練りに練り上げていく。続いてとうもろこしとじゃがいもを裏漉しし、水と牛乳・バターを溶かした鍋に投入して塩コショウで味を整え、じっくりと煮込む。最後に練った挽肉の形を整えて空気を抜き、フライパンに蓋をして蒸らしながら焼き上げた。皿に盛り付け、デミグラスソースをかけて食卓に運ぶ。香ばしい香りがダイニングを包んだ。


「お待たせー」


「うわーいい匂い!お姉ちゃんこれ何て料理?」


「ハンバーグステーキとポタージュスープだよ」


「は、ハンバーグ?聞いたことのない肉料理だだな」


「でもあなた、とても美味しそうですわ」


「食べて見れば分かるよ。パンと一緒に召し上がれ。それじゃ、いただきます!」


『いただきまーす』


 一口食べたカベリアが、満面の笑みで両腕を万歳した。


「おいしー!すごい美味しいよルカお姉ちゃん!」


「こ、これは...!きめ細かい肉の柔らかさ、溢れ出る肉汁、そして極めつけに上にかかったこのソースのコク...ポタージュスープも絶品だ、美味い!!」


「本当に美味しいですわ、さすがですルカ様」


「へへ、ありがとう。テレス、そんなに慌てて食べなくてもまだお肉たくさん焼いてあるから、大丈夫だよ」


 皆が大喜びで食事を終え、ルカは寝室に戻るとカベリアをベッドに寝かせ、そこで夕方まで過ごした。


「えへへー、お人形可愛いなあ。お花もいい香り」


「良かったね。その人形の中に入ってる、ダークスポーンを呼んでごらん?」


「うん。ダークスポーンさん、出てきて」


 すると人形から黒い影が抜け出て、召喚獣が音もなくベッド脇に立った。


「言葉は喋れないけど、意思表示は出来るから。試しに何か命令してみて」


「えっと、じゃあダークスポーンさん、クルンと一回転して」


 巨体に似合わず素早い動きで、ダークスポーンは左回転し元の位置に戻った。


「次は人形の中に戻るよう命令」


「ダークスポーンさん、お人形の中に戻ってきて」


 召喚獣は言われた通り人形の中に吸い込まれ、姿を消した。ルカはカベリアの頭を優しく撫でる。


「お姉ちゃんがいない間は、このダークスポーンが守ってくれるからね。今日はちょっと遅くなるから、先に寝てていいよ」


「分かった。なるべく早く帰ってきて」


「うん。行ってくる、転移門ゲート



───安息の日々。ルカがいて当然の毎日。カベリアだけでなく、誰しもがそう思っただろう。翌月の四ヶ月後、メフィアーゾの結核が完治する。寛解した彼は腕慣らしにとルカに試合を挑むも、これに惨敗。圧倒的な力の差を見せつけられるが、ルカはバーバリアンとしての素質を見抜き、クラス専用ルーンストーン”嵐の支配者ストームロード”をメフィアーゾに与え、その魔法と奥義を伝授する。


 六ヶ月後、カベリアの結核が完治する。また兼ねてよりルカが提案していた診療所を四都市に開設。これにより神殿に行かずとも、気軽に街中でBCGワクチン・ストレプトマイシンの接種が可能になった。


 八ヶ月後、努力の甲斐が実り、神殿にいた全ての重症者達が寛解・退院する。これを祝し、カルバラーム港に四都市全ての住民達が集まり、大祝賀会が行われる。ルカ・ミキ・ライルも参加して、皆で喜びを分かち合った。この日を結核開放記念日とし、カルサナス全土で祝日に制定された。


 そして年が明けた九ヶ月後のある日、皆で夕食を食べていたルカに一通の伝言メッセージが入る。それを受けて暗い表情を浮かべるルカだったが、テレス都市長とカベリアが事情を聞くと三日後にカルサナスを発つと言う。その悲痛な表情を見てテレスとカベリアは引き止めたが、ルカは頑として譲らない。慌てたテレスは伝言メッセージを飛ばし、その報を聞いた三都市長達が急遽べバードに集まった。



───カルサナス都市国家連合中央 べバード 都市長邸宅内 ダイニング 20:42 PM


 俯いて黙り込むルカの周りを、テーブルに着席した皆が取り囲む。心配そうに見守っていたが、沈黙を破ったのはメフィアーゾだった。


「...どうしちまったんだよルカ、また随分急な話じゃねえか。先月患者がいなくなったばかりだぜ?もっとゆっくりしていけよ。何ならゴルドーの俺んちに来い、歓迎するぜ」


「...ありがとうメフィー。でもこの国の結核による混乱は収束した。これ以上私達がここに居たら、みんなに迷惑をかけてしまう。だから行かないと」


「そんな事誰も思っとりゃせんわい!お主がこの先何年生きるか知らんが、ずっとこのカルサナスにいてくれて良いんじゃぞ?」


「そういう訳には行かないの。ごめんねおじいちゃん」


「お姉ちゃぁん...グス...どうして?どうして急に行っちゃうの?」


「カベリア、お姉ちゃん前にも話したよね?私は元の世界に帰りたい。その目的の為よ」


 そこでイフィオンがふと何かに気づき、顔を上げてルカの目を見た。


「まさか...仕事か?」


「.............」


 ルカは再度黙り込んだ。しばらくしてそれに返答する代わりに、席の斜向かいに座る女性に声をかける。


「...ベハティー。ごめん、お酒もらえるかな?強いやつ」


「は、はい!地獄酒でよろしいでしょうか?」


「うん...お願い。ミキとライルも飲みなよ」


「...分かりました。ベハティー、私にはワインを」


「俺にも地獄酒をくれ」


 三人の前にグラスとボトルが並べられ、ルカはそれを手に取ると一気に飲み干し、二杯目を注ぐ。ミキとライルもグラスを傾けるが、口をつける程度でテーブルの上に置いた。


「フフ、子供が見てる前で飲むなんて、最低だな、私...」


「余程言いにくい事なんだろう?話してみろ。次はどこへ向かうつもりなんだ?」


「...バハルス帝国よ。そこでとある貴族の子供を...殺す」


 ダイニングにいた皆がざわめいた。目から光が失われたルカを見て一同は固唾を飲むが、唯一冷静だったイフィオンは質問を返す。


「暗殺か。その依頼、断れないのか?」


「依頼者が...貴重なアイテムを持っているらしいの。暗黒物質ダークマター...そのアイテムと発見場所の情報を交換条件に、引き受けたらしいわ。元の世界へ帰る大きな手掛かりになるかも知れない。それに私はパートナーの判断を信じてる。断る理由はないよ」


「その暗殺対象というのは、どういう子供なんじゃ?」


「..話を聞く限り、カベリアと同い年くらいの男の子らしいわ。詳しい事情は私も知らないし、知る必要もない」


「お姉ちゃん...子供でも殺すの?」


「...分からない。殺すかどうかは、最終的に私の判断に委ねられる」


「でもおめぇ、よってたかって一人のガキを三人がかりで殺すってのか?!そのガキが一体何したってんだよ?!」


「知らないよ、私だってこんな胸糞悪い依頼受けたくない!!...それに殺すのは私一人よ、ミキとライルにはサポートしてもらうだけ。...こんな汚れ仕事、私一人で十分だわ」


「...本当に出来るのか?誰にでも分け隔てなく接し、その慈悲深き心でこの国の民達を救った、今のお前に」


「そんな事...言わないでよイフィオン...決心が揺らいじゃう。私は汚いアンデッドよ、みんなが思っているような女じゃない。もう決めた事なの、私はあなた達に全て話した。許しを乞おうなんて思わない。でも...これ以上、私を責めないで...地球に帰りたいたけなの...」


 泣き崩れるルカを見て、その場にいた誰もが口を閉じ、全てを察した。ルカは懺悔する事で、己の犯してきた罪、そしてこれから犯すであろう大罪を皆に認めさせたかったのだ。どれだけ人を救おうとも、自分の手は血に塗れていると。


 ミキとライルはルカの肩を支えて立ち上がると、三人でダイニングを出ていった。重い沈黙が流れたが、パルールが思い出したように口を開く。


「...そうか、分かったぞ!ルカは戦争の危惧を心配しておるのじゃ」


「戦争?パルール都市長、どういう事だ?」


「もう少しすれば、カルサナス全土の渡航禁止令が解除される。そうすれば他国からの旅行者で街は溢れかえる。そこで民衆達はこの国を結核から救った英雄、ルカ・ブレイズの偉業を話して回るはずじゃ。当然その噂は隣国のバハルス帝国にまで届くじゃろう。そのような時期に、ルカが貴族の子供を暗殺した事が万が一公になれば、カルサナス国内にルカが潜伏していると判断した帝国が、それを口実に攻撃してくるという可能性がある。ルカはそれを懸念しているのじゃ」


「お姉ちゃん...そこまで考えて」


「ルカの事だ、証拠を残すようなヘマはしないだろうが...念の為渡航禁止令が解除される前に、全都市で箝口令を敷いた方がいいかもしれんな」


「ついでに連合の入口であるテーベの防備も固めておかねえか?」


「それは心配いらん。テーベの守りは常に鉄壁じゃ、帝国の攻撃なぞ跳ね返してくれるわ」


「べバードからも援軍を出そう」


「ルカは我々の事を心配してくれているようだが、その逆だ。我々が彼女に心配をかけてはいけない。ルカのおかげでこの国は生き延びられたのだ。彼女が思いを無事成し遂げられるよう、ここで今具体的な作を練ろうではないか」


 四人はテーブルに地図を広げ、夜を徹して会議に入った。



───寝室 22:14───


 カベリアが部屋に入ると、ベッドにはルカがうつ伏せで横たわっていた。背後からそっと肩に手を乗せる。


「ルカお姉ちゃん..」


「...カベリア」


 ルカは寝るスペースを空けると、カベリアはそこに足を滑らせる。羽毛布団をかけて向かい合うと、泣き晴らしたせいで目が赤く腫れている。そのままカベリアはルカの体を優しく抱きしめた。


「お姉ちゃんが人殺しでも、私お姉ちゃんの事大好きだからね?だから泣かないで」


「...私、心が壊れそう...助けて、カベリア...」


「この国のみんながお姉ちゃんの味方だよ。私はずっと隣にいるから大丈夫。安心して」


「...ありがとう」


 そうして三日が過ぎ、遂にルカの発つ時が来た。



───カルサナス都市国家連合北西 城塞都市テーベ 南正門前 6:40 AM


 早朝にも関わらず、門の前にはルカの出立を聞きつけ、各地から集まってきた群衆が詰めかけて来ていた。


『ルカ様ー!!』


『ルカ先生ー!本当にありがとうー!!』


『ミキ先生ー!!』


『ライルさーん!!』


『またいつでも来てくだせえー!!』


『お元気でー!!』


 住民達の別れを惜しむ声に、ルカは笑顔で手を振って答えた。見送りに来た四都市長とカベリア、ラミウスが歩み寄り、イフィオンが先頭に立つ。


「ルカ...報酬は本当にいいのか?四都市を合計した金額だ、かなりのものになるはずだが」


「報酬はもらうよ。但し、ここに来ている住民一人一人からね」


「何?」


 ルカは腕を大きく左右に広げると、魔法を詠唱した。


魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック永続する夜明けパーペチュアルドーン


(コォォン...) ソナーのような音が響き、ルカの周囲に蜃気楼のような揺らぎが現れる。それは広範囲へ一気に拡大し、群衆を覆い尽くしていった。大気密度が変化し、自分が発する声すら大きく拡声している住民達は驚いて耳を塞ぎ、次第に静まり返っていく。それを見てルカは張りのある声で住民に語りかけた。


『みんな!...私の声が聞こえるよね。これから言う事をよく聞いて、この場にいない人や子供達にも必ず伝えてほしい。私・ミキ・ライルの三人は、まだ君達から病気の治療に対する報酬を貰っていない。私はタダでは働かない。都市長達はお金を用意してくれたが、私が欲しいのはそんなものじゃない。ここにいる君達全員には、今きっちりとこの場で報酬を支払ってもらう。私が望むもの、それは”黙秘”。君達は私を見ていないし、私の事に関して何も聞かなかった。私達三人はカルサナスに来ていないし、病気の治療も行われなかった。他国の来訪者に対し、私達の事は誰にも一切喋るな。私と話をした事、私の治療を受けた記憶は、君達カルサナス住民の胸だけにしまっておいてほしい。これが私の望む報酬だ。もしこの国の誰かが約束を破り、他所者に一言でも漏らした場合、私達はこのカルサナス全土を滅ぼしに再びここへ戻る。私にその力がある事は、治療を受けた君達が一番よく分かっているだろう。約束は必ず守れ。報酬だと言う事を忘れるな。あと...みんな、体を大事にね。このカルサナスに来れて...みんなと話せて本当に楽しかった。さよならみんな、元気で過ごしてね』


 最後に放った本音の言葉に、住民達から嗚咽とも悲鳴ともつかない叫びが辺りを包んだ。


『ルカ様ぁぁあああ!!』


『違うんです、大丈夫なんです!!』


『既に都市長達から、国中に箝口令が敷かれています!!』


『ルカ先生達三人の事は、口が裂けても一生喋りません!!』


『うぇええーん!寂しいよーー!!』


『行かないでルカ様ぁぁあ!!』


『約束は必ず守ります!だからまた来ると一言言ってくだせぇ!!』


 住民達が涙するのを見てルカは驚いていたが、隣に立っていたイフィオンがルカの肩を掴んだ。


「そういう訳だ。この国の事は心配せず、お前は自分の信じる道を行け」


「イフィオン...いつの間に」


 その時群衆の中から一人の少年が飛び出し、ルカの足元に抱きついてきた。


「ルカお姉ちゃん!!」


「ハーロン!...良かった、元気になったのね」


「ルカお姉ちゃんのおかげだよ、もうどこも痛くない。...行っちゃうの?」


「うん、街の人達も治ったしね。...そうだ忘れてた、ハーロンに渡すものがあったんだ」


 ルカは中空に手を伸ばすと、アイテムストレージの中から一本の木剣を取り出してハーロンに手渡した。


「はいこれ。退院おめでとうハーロン」


「こ、こんな立派な剣を、僕に?」


「そうよ。その木剣には魔法の力が込められている。命の危険が迫った時、その剣が君を守ってくれるわ」


「そんなすごい物を...ありがとう。グスッ...僕これ大事にするよ」


「強くなってハーロン。立派な兵隊長になって、カベリアを守ってあげてね」


「うん、僕頑張る!」


 次にルカは、少年の後ろに立つ少女を呼んだ。


「カベリア、こっちにいらっしゃい」


 泣きべそをかきながら目の前に立つと、ルカは中空から真っ白な長方形のパッケージを取り出した。


「カベリアには、これをあげる」


「グス...ヒック...これ何?」


「欲しがってたでしょ?私の付けてる香水、フォレムニャックよ」


「え、でも大人になったらって...」


「そう。だから今はちょこっとだけ付けるの。大きくなったら普通に付けなさい」


「だって、また来るんでしょ?」


「...次にいつ来れるか、私にも分からない。だから今のうちに渡しておく。大事に使うのよ?」


「...うわぁぁああああん!お姉ちゃぁぁあんん!!」


「...元気で、カベリア。君の事は忘れない」


 少女の体を抱擁して立ち上がると、ルカは四人の男の前に立った。


「パルールおじいちゃん、メフィー、テレス、ラミウス。今までありがとう」


「遂に行ってしまうか。寂しくなるのう」


「おめぇには世話になりっぱなしだった。いつか恩を返してえ。また会おうな、ルカ」


「お前達の名は、カルサナスの間で後世まで語り継がれるであろう。美しき英雄ルカ・ブレイズよ、そなたの行く道に幸あらん事を」


「私はもうしばらくここに残り、お前にもらったこの力で医師としての務めを果たしたいと思う。さらばだ、ルカ」


 最後にイフィオンと向かい合い、力一杯抱きしめ合った。


「我が友よ、達者でな」


「イフィオンもね。薬の管理よろしく頼むよ」


「任せておけ。旅に疲れたらカルバラームへ来い、また酒でも飲み交わそう」


「そうだね、そうするよ。ありがとう」


 体を離すとルカは背を向け、転移門ゲートを開いた。暗黒の穴に三人が消えていく姿を、都市長と群衆はいつまでも、いつまでも見送り続けた。そしてカルサナスの住民達は約束を守り、その後ルカ・ブレイズの秘密を漏らす者は誰一人として現れなかった。全ては住民達の心の中に。



───現代 フェリシア城塞内 ルカの寝室 14:56 PM


 ベッドに座ったカベリアとイフィオン、それと向かい合って椅子に座るパルールとメフィアーゾは、皆涙ながらにアインズに訴え、そして全てを語り終えた。イフィオンが掠れ声で口を開く。


「...これが今までカルサナスがずっと隠し通してきた真相だ、アインズ」


「何と...そのような事があったとは。この世界にない抗生物質・ストレプトマイシン。それをゼロから生み出した...医学に博識なルカでなければ対処出来ない災厄だ」


 そこへソファーに座っていたジルクニフが立ち上がり、アインズの元へ歩み寄ってきた。


「ゴウン魔導王閣下。先程話の中に出てきた、ルカの暗殺対象だったと言う子供についてだが、それは他ならぬこの私の事だ」


 アインズと都市長達四人に衝撃が走った。カベリアは両手で口を覆い、震えた声で問い返す。


「...本当なの?ジルクニフ」


「ああ、真実だカベリア。ルカが幼少の私を殺しに来たのが15年前、時期も合っている」


「それなら、何であなたは生きて...」


「あと一歩で殺される寸前だった。しかしルカは幼い私の前で涙を流し、情けをかけた。詳しい事は話せないが、その後私はルカの力を一度だけ借りている。それ以来の縁だ」


「...じゃあルカお姉ちゃんは、子供を...あなたを殺さずに済んだのね...良かった...」


 カベリアの目から大粒の涙が零れ落ちる。ジルクニフは胸ポケットから純白のハンカチを取り出すと、カベリアに手渡した。


「...あの時ルカが流した涙の意味が、今ようやく分かった気がする。私を暗殺する事に対し、そこまで苦悩していたとは...知らなかった」


「ジルクニフ...ルカお姉ちゃんは優しい人よ。子供を殺すなんてとてもできる人じゃないって、私信じてた」


「それは知っているよカベリア、十分過ぎる程にな。私が今ここに生きている事が何よりの証だ」


 パルールとメフィアーゾは涙を拭い、正面のベッドに座るアインズを見る。


「ルカは罪を重ねずに済んだ。魔導王閣下、今生き残っているカルサナス軍の兵士は、その殆どが昔ルカに命を救われた子供達ですのじゃ。そして誰よりもルカの事を慕っている。今ここで眠っている事を知れば、彼らもどれだけ喜ぶ事か...」


「くそ、昔の事を思い出したら涙が止まらねえ...魔導王の旦那、これで分かってもらえただろ?こいつの強さと慈悲深さは、カルサナスに生きる俺達が一番よく知ってる。断言するが、そのルカの上に立つあんたを俺は信じるぜ。嘘じゃねえ」


「パルール、メフィアーゾ、お前達の気持ちはよく分かった。何故そこまでルカとこの国の関わりが深いのかも理解出来た。四人共、貴重な話を聞かせてもらい感謝する」


 アインズは後ろを振り返り、アウラとマーレに挟まれて眠るルカの顔を見る。そして当時ルカがどのような気持ちで結核と戦っていたのか、アインズには容易に想像できた。そしてある一つの思惑が脳裏を過る。


「アインズ様、どうかなさいましたか?」


 左に座るカベリアが顔を覗き込んできたが、アインズは取り繕うように首を横へ振った。


「ああいや、何でもない。少し考え事をしていてな。それよりも長い話になった、ルカが目覚めるまで皆少し休憩を入れようじゃないか。セバス、この部屋にいる人数分の茶を用意させるようペストーニャに伝えてくれ」


「かしこまりました、アインズ様」


 階層守護者や護衛の冒険者達も茶で喉を潤し、一息ついた。ルカの寝顔を眺めながら、彼らは都市長達の話した英雄譚に思いを馳せつつ、静かに時間が過ぎていく。



───同寝室 18:07 PM───


(...カ...きろ...おいルカ、起きろ...目を覚ませ)


 耳元で囁やく少女の優しい声に導かれ、ルカはゆっくりと目を開けた。するとベッド脇には、緑と白のドレスを着用し、髪をフィッシュボーンに結い上げた金髪の美少女と、青のスーツを着て白髪をオールバックにまとめた男が立っていた。竜王国女王、ドラウディロン・オーリウクルス。そしてその宰相、カイロン・G・アビゲイル。ルカは驚いて目を見開いた。


「え...ドラウ?!カイロンまで、一体どうしたの?」


「どうしたじゃない、見舞いに来てやったのだ。全く、お前が危篤だと聞いた時は肝を冷やしたぞ」


「ルカ様、ご無沙汰しております。思っていたよりもお元気そうで、このカイロン安心しました」


「二人共、よくここが分かったね?」


「事前に伝言メッセージで連絡を受け、アインズが竜王国へ転移門ゲートを開いてくれたのだ。おかげで移動の手間が省けた」


「そっか、アインズが呼んでくれたんだね。来てくれてありがとう」


「具合はどうだ?」


「まだちょっと悪いかな。衰弱が残ってるからね」


「そうか。ゆっくり休めばいずれ治るだろう。...ところでお前、アインズから何か話を聞いているか?」


「何?話って」


「やはり聞いていないのか。お前が倒れてからアインズがどれほど焦っていたのか、知らんらしいな。話は聞いたぞ。老衰・衰弱・ショック状態...特に老衰は、通常の魔法で治せる手段はない。そこでアインズは考えた。お前の症状が分かった段階ですぐに私へ連絡をよこし、二人で対策を練った。この意味が分かるか?」


「いや...すぐには思いつかないけど」


「つまりアインズはな、最後の手段として弱ったお前を殺すつもりだったのだ。そして一度死ぬことで老衰その他のバッドステータスをリセットし、私の使える始原の魔法ワイルドマジック反魂蘇生ソウル・リヴァイブで生き返らせようとした。この魔法はレベル消失のリスク無しに蘇生が可能というものだが、何せお前を一度殺さなければならない。アインズに取ってそれがどれだけ苦渋の決断だったかは、想像に固くないだろう?半森妖精ハーフエルフの特殊な薬が効いたと知った時はホッとしたぞ」


「そんな事が...アインズ、そうだったの?」


「ああ。お前に苦痛を与える結果にならなくて本当に良かった。ドラウの使える蘇生魔法に関しては、そこにいるフールーダから聞いて知っていたからな。最悪の場合に備えて、二人で段取りを決めておいたんだ」


「そうなんだ...ごめんね、二人共心配かけて」


「まあ結果オーライだ、気にするな。とにかく今はゆっくり休むがよい」


 ドラウディロンは優しく微笑むと、ベッド脇を離れ向かいのソファーに移動した。三人掛けの中央にはジルクニフが座っていたが、それに構わず隣へ腰掛ける。


「久しいなちんちくりん。息災でいたか?」


「...その呼び方はやめてくださいドラウディロン女王。ええ、ぼちぼちやってますよ」


「此度のカルサナス戦役では活躍したらしいな。まさかお前自ら前線に出るとは思っても見なかったぞ、褒めて使わす」


「そいつはどーも。女王はなぜこちらに?」


「いや何、アインズが何か話があるらしくてな。ルカの見舞いついでに顔を出したまでだ」


「街の復興具合はどうです?」


「魔導国とアーグランド評議国の支援もあり、すっかり元通りになった。香水や特産品の出荷量も増えて経済状況も改善しつつある」


「それは結構。何なら少し出しましょうか?」


「何だ、私が同盟国になった途端気前がいいじゃないか」


「そういう訳じゃありませんが」


「...フフ、冗談だ。今は遠慮しておこう。今後状況が逼迫してきた時にお願いする」


「分かりました。...それにしても、いい加減元の姿には戻らないのですか?いつまでその子供の格好でいるつもりです?」


「見たいのか?以前お前の目の前でシェイプシフターの魔法を解いた時は仰天していたな。それに何やらお前、私の陰口を言っているそうじゃないか。若作り婆ぁだとか何とか。聞いておるぞ」


「ご、ご冗談を...あなたは十分にお美しい。私は知っていますから」


「世辞も上手くなったじゃないか。まあ良い、ここでアインズの話を待つとしよう」


 ドラウディロン達の謁見が終わると、アインズは部屋中央に人差し指を向けた。


転移門ゲート


 暗黒の穴が開く。すると中から身長ニメートル近い白銀の鎧武者と、紫のフード付きローブを纏った老婆が姿を現した。二人がベッド脇に立つと、ルカは大きく目を見開く。


「ツアー、リグリット!久しぶりだね」


「やあルカ、具合を見に来たよ」


 するとリグリット・ベルスー・カウラウは無言でベッドに身を寄せ、ルカの頬に手を添えて赤い瞳を覗き込んだ。


「...このバカ娘、ボロボロじゃないか。私の目は誤魔化せないよ。無茶しおって、何故こうなる前にもっと早く私を呼ばなかった?!アインズから全て聞いているぞ。老衰の症状を和らげる術を私が持っている事ぐらい、お前は知っていたはずだ!それを何故...」


「...ごめんねリグリット。私にも何が何だか訳が分からなくて、それどころじゃなかったの。気がついたらこのベッドで横になってて、薬を飲んで...」


「...まあ生きてて幸いだった。今の衰弱だけなら時間を置けば回復するだろう。もうこんな無茶はよせ、命を縮めるだけだ」


「うん。なるべくそうするよ」


「リグリット、そこら辺にしておいてあげなよ。僕なんかとても敵わないような化け物相手に、ルカは一人で頑張ったんだ。...戦いは全て竜の感覚ドラゴンセンスで見させてもらったよ。あの黒い技は凄い威力だったね。爆発的な力を得る代わりに、その後のリスクも巨大なものとなる。でもあのタイミングで仕掛けた君の判断は正解だったと思うよ。僕が君でもそうしていただろう」


「自由が効く技じゃないから、扱いが難しいんだけどね。ギリギリだったけどアインズ達も守れたし、勝てて良かったよ」


「ゆっくり寝てるといい。僕がいる間は周辺を監視しておくから」


竜の感覚ドラゴンセンス足跡トラックよりも遥かに広範囲だもんね、頼りになるよ」


 ベッドから離れると、二人は都市長四人の前に立った。


「君達がカルサナス都市国家連合の都市長かい?イフィオンと会うのは久しぶりだね、僕はツァインドルクス=ヴァイシオン。アーグランド評議国で永久評議員をしている。ツアーと呼んでくれて構わない。よろしく頼む」


 巨体の鎧武者を見て、イフィオンを除く三都市長は緊張した面持ちだった。


「わしは城塞都市テーベ都市長のパルール=ダールバティという者じゃ。ツアー殿、こちらこそよろしくお願いする」


「お、俺はゴルドー都市長のメフィアーゾ=ペイストレスってもんだ!よろしく、ツアーの旦那!」


「べバード都市長のリ・キスタ・カベリアです。連合の都市長代表を務めております。ツアー様、よろしくお願い致します」


「君が都市長代表か。...まだ若いのに、酷い戦を味わったね。イフィオンとの付き合いもある。僕で良ければ力になるよ、カベリア都市長」


「そんな、初めてお会いしたばかりなのに...でも、お心遣い感謝致しますツアー様。とても心強く思います」


 カベリアが深々と頭を下げると、イフィオンは二人に歩み寄った。


「ツアー、それにリグリット。本当に久々だな、よく来てくれた」


「たまに伝言メッセージで話しをするだけだったからね。無事で何よりだよイフィオン」


「さすがは半森妖精ハーフエルフ、二百年前と変わらず若いままだな、ハッハッハ!そこにいるインベルンの嬢ちゃんも含め、これで十三英雄が四人揃った訳か。奇異な巡り会わせだ」


「これもアインズ達魔導国の引き合わせによるものかも知れない。彼らには本当に感謝している」


「それは私達も同じさ。アインズにルカ...ユグドラシル・プレイヤーってのは、本当に不思議な連中だよ」


 再開を終えた二人は、背後のソファーに向かった。座っていた二人が席を立つ。


「ドラウディロン女王、久しぶりだね」


「...ツァインドルクス=ヴァイシオン閣下。我が竜王国への変わらぬ復興支援並びに人材援助、誠に感謝している」


「何をそんなにかしこまってるんだい?普段通り話せばいいじゃないか。僕達は同族であり、もう同盟国なんだ」


「...ふう。元気か?ツアー」


「僕は相変わらずだよ。都市の修繕はほぼ終わったようだね」


「おかげさまでな。正直助かっている。そっちの様子はどうだ?」


「今回カルサナスを襲った事例に備えて、軍備を固めている最中だよ。君達も用心しておいた方がいい」


「用心と言ってもな。評議国と違って、我が国の戦力なぞたかが知れている。一応形だけはやってみるが、結局の所魔導国頼みと言うのが正直な話だ」


「大丈夫だよ。アインズ達と合わせて、いざとなれば今度こそ僕自ら出ていくから」


「それは頼もしいな。是非よろしく頼む」


 続いて隣の帝国皇帝に目を向けた。


「ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス皇帝だね。初めまして」


「ツアー殿、お初にお目にかかる。お噂は兼ね兼ね耳にしている、お会いできて光栄だ、私の事はジルクニフと呼んでくれ」


「僕もだよジルクニフ。君達バハルス帝国がカベリア都市長の救援要請に応じなければ、僕達はこうして会うこともなかった。君の英断と勇気に敬意を表するよ」


「これは勿体ないお言葉、誠に痛み入る。あなたもルカとは古い付き合いなのか?」


「二百年前からね。彼女とは頻繁に会い、このリグリットと共に情報交換してきた仲だ。見たところまだ若いが、君もなのかい?」


「あなたに比べれば遥かに短いが、私が9才の時ルカに殺されかけて以来の付き合いとなる。15年ぶりに再開したんだ」


「なるほど。ルカに狙われて生きているなんて運がいいと言いたいけど、彼女は年を追うごとに性格がどんどんおおらかになっていった。昔のルカは気性が荒く、一番最初にあった時は僕達十三英雄の事まで全員殺そうとしたんだよ。そういう意味では僕も命拾いしたという事か」


「...何故かあなたとは気が合いそうだ、ツアー殿。良ければ今度我が国に来てみないか?あなたとは一度腰を据えてじっくり話がしてみたい。最高の饗しを約束しよう」


「僕はこの姿だと飲み食い出来ないから、静かな場所だけ用意してもらえればいいさ。君こそ僕の国を一度訪れてみるといい。そこで僕の本当の姿も見れる。同盟国として、いつでも歓迎するよ」


「それは嬉しいお誘いだ。今はこのような状況なのですぐにとは言い難いが、いずれ伺わせていただこう」


 ツアーとリグリットの謁見も終わり、アインズは続けて部屋中央に向かい転移門ゲートを唱える。すると中から紺色のフード付きローブを纏った二人が現れた。表情が伺い知れないが、背後の転移門ゲートが閉じると二人共フードを下げ、その顔を顕にした。


 一人はマニッシュショートの黒髪で肌は白蝋のように青白く、赤い瞳を持つ中性的な青年だ。もう一人は金髪のショートレイヤーに薄い褐色の肌を持ち、鋭角な目と高い鼻に尖った耳が特徴的な美しい女性だ。青年の方が部屋の周りを見渡すと、その顔に気づいたネイヴィアが驚きの声を上げる。


「ユーシス?!それにクロエ、お主ら一体何しにここへ...」


「やあネイヴィア、お久しぶりです。ここにいたんですね」


 八欲王の空中都市エリュエンティウ。そのギルドマスター、ユーシス・メガリス・ヴァン=フェイロンは、ネイヴィアの姿を見て爽やかに微笑んだ。それを見たツアーも歩み寄ってくる。


「ユーシス、元気そうだね。君もアインズに呼ばれてここへ?」


「ええツアー。ルカ・ブレイズが危篤と聞いて、様子を見に来ました」


 そして二人はベッド脇に歩み寄り、ルカの顔を覗き込んだ。


「ルカ、お久しぶりです」


「ユーシス、それにクロエも!久しぶりね二人共」


「お前が倒れたとは聞いていたが、信じられん。ゴウン魔導王閣下から大体の話は伺った。想像を絶する化け物と戦ったらしいな。顔色が良くない、大丈夫か?」


 クロエ・ベヒトルスパイム・リル=ハリディはルカの額に手を乗せて体温を測る。そのひんやりとした感触を受け、ルカは微笑んで返した。


「前にエイヴァーシャー大森林で戦ったベリアルなんかより、ずっと強い相手だったよ。死ぬかと思った」


「あれより強いだと?!...お前と言う奴は、本当にどこまで底が知れないんだ」


 それを聞いたユーシスが、冷たい視線をルカに投げかける。


「アインズ殿から話は聞いています。あなたはたった一人でその化け物を倒したと。それはひょっとして、例の力を使ったのですか?」


「...そうよユーシス。ネイヴィアを倒した力。でも今の私を見て?こんな状態になってしまうのよ。それでもまだどんな技か知りたい?」


「...フフ、いいえ。今更あなたの切り札に関してどうこう言うつもりはありません。それ相応の代償がある、それだけ分かれば十分です。あなたはその身を犠牲にして、このカルサナス都市国家連合を窮地から救った。そんな激情を持った方だとは知りませんでした。少しあなたに対する印象が変わりましたよ、ルカ」


「私はいつもこんな感じよ。ユーシスが普段の私を知らないだけ」


「そうですか。お体を労ってください、今あなたに死なれては困ります。同盟の要なのですから」


「分かった。以後気をつけるよ」


「結構です」


 二人はベッド脇から離れ、都市長達の前に立った。


「空中都市エリュエンティウのギルドマスター、ユーシス・メガリス・ヴァン=フェイロンです。こちらは都市守護者のクロエ。みなさんお初にお目にかかります」


「エリュエンティウ...遥か南方にあると言う魔法都市...これは遥々遠くからよくぞこの地においでくださった。テーベ都市長のパルール=ダールバティじゃ、こんな状況でろくな饗しも出来んが、せめて寛いでいってくだされ」


「...こいつは飛んだ大物が出てきやがったな。カルサナスへようこそ!と言いたいところだが、生憎都市は全部破壊されちまって、残ったのはこのフェリシア城塞だけだ。だが歓迎するぜユーシスさんよ。ゴルドー都市長のメフィアーゾだ、よろしくな」


「久しぶりだなユーシス。二百年前空中城で会合を開いて以来か」


「ええ、イフィオン。あなた達十三英雄に世界級ワールドアイテムを貸し与えたあの日を、つい昨日の事のように思い出しますよ」


「そうだな。紹介しようユーシス、この女性が我らカルサナス都市国家連合代表の、カベリア都市長だ」


 イフィオンの隣に立つカベリアは、深くお辞儀をした。


「ご紹介に預かりました、都市長代表のカベリアです。...あの、お若いんですね。まるで少年みたい...私はてっきり、もっと老齢な方がエリュエンティウを統治しているものだと思っていました」


「フフ、私と初対面の方はよくそう仰られます。ですがカベリア都市長、私はこれでも三百年の時を生きているのですよ?」


「...もしかしてその赤い瞳、ルカおね...ルカ大使と同じアンデッドなのですか?」


「アンデッドな事に違いはありませんが、彼女とは種族が異なります。私は吸血王ヴァンパイア・ロードの血を引き継ぎし者。八欲王の子孫には、こうした異業種が数多く存在しています」


「そうでしたか。貴国には及ぶべくもありませんが、このカルサナスもあらゆる種族に分け隔ての無い国家を目指して邁進して参りました。...このように殺風景な城塞でお出迎えする事になり恐縮ですが、精一杯のおもてなしをさせていただきますので、ごゆっくりお寛ぎください」


「そんなに気を張らずとも大丈夫ですよ、カベリア都市長。今日は公務外です。それにあの常軌を逸した化け物を相手に、最後まで諦めず戦い抜いたあなた達の陣中見舞いも兼ねている。食料や水等の物資が不足した際はすぐにお知らせください。我がエリュエンティウで支援する体制が既に整っています」


「そんな、ユーシス様...感謝致します。その時はお言葉に甘えさせていただきます」


 その言葉に勇気づけられ、カベリアの目から一筋の涙が零れ落ちる。ユーシスは小さく頷いて微笑むと、ソファーに座る美しい少女の前に立った。


「あなたが黒鱗の竜王ブラックスケイル・ドラゴンロード、ドラウディロン・オーリウクルス女王ですね?ギルドマスターのユーシスです、以後お見知りおきを」


「話は聞いたぞ。吸血王ヴァンパイア・ロード...伝説の種族の生き残りがまだこの世界にいたとは驚きだ。それもエリュエンティウのギルドマスターとしてな」


「恐縮です。あなたこそ竜王ドラゴンロード人間種ヒューマンの貴重な混血種だ。一度お会いしたいと思っていました」


「アインズ様々だな。同盟がなければ、こうして顔を合わせることもなかった」


「全くです。ジルクニフ殿とは以前国交樹立の際にお会いしていますが、女王とはお知り合いで?」


「ま、まあ昔なじみと言うかその、そんな関係だ、ユーシス殿」


「ユーシス、私はこやつを子供の頃から知っていてな。バハルス帝国の帝城に出向いた際、この姿を見て私を子供と勘違いしたジルクニフとよく遊んでやったものだ。ただのちんちくりんな可愛いガキだったのに、その子供が皇帝に即位したと知った時は腹を抱えて笑ったがな」


「じょ、女王!その辺でお止めください!」


 赤面するジルクニフを見て、ユーシスの表情が次第に緩んでいく。


「ハッハッハ!お二人共仲がよろしいですね。私は職務の性質上、滅多に空中城を離れる事がないのですが、たまにはこうして外に出るのも悪くない。皆さんとお話ができて、私も楽しいですよ」


 話も一段落し、アインズは再度部屋の中央に転移門ゲートを開いた。中から歩いてきたのは三人。中央には青い神官服を纏い、頭に背の高い祭祀帽を被った精悍な初老の男性が立ち、右側にはヘルムを脱いだ白銀の全身鎧フルプレートを着込み、腰に奇妙な形をしたロングソードを帯剣する、二十代を下回る顔立ちの中性的な男性が護衛する。そして左側に立つ女性。外見年齢は10代前半といったところだろうか。ゆったりとしたニットの下にチェインメイルを着込んでおり、身軽さ重視の装備であることが見て取れる。そして右手に装備した巨大な戦鎌ウォーサイズを肩に寄り掛け、憮然とした表情で周囲に目を配る。


 その姿を見たノアトゥンが中央の男性に声をかけた。


「ヴァーハイデン最高神官長、お久しぶりです」


「おお、隠密席次!無事であったか、戻って来ないので心配していたぞ」


「私なら心配要りませんよ。最高神官長もお元気そうで何よりです。そちらのお二人も連れてこられたのですか?」


「うむ。私がカルサナスへ向かうと言ったら是非帯同したいと言うのでな。ルカ大使はどちらに?」


「そこのベッドで寝ています。顔を見せてあげてください」


 スレイン法国最高神官長、グラッド・ルー・ヴァーハイデンはベッド脇に歩み寄り、そっと顔を覗かせた。


「ルカ大使、お見舞いに来ましたぞ」


「最高神官長!あなたまで来てくれたんですね、ありがとうございます」


「フフ、そのような敬語は止しなさい。普段のまま振る舞えばいいんだ」


「...いいえ、使わせてください。仮にもあなたは信仰系の最高位に立つお方。同じ信仰系を操る者として、何か他人と思えなくて...」


「神懸かった強さを持つそなたにそう言われるとは、このヴァーハイデン光栄の至りだ。ゴウン魔導王閣下から話は聞いている。衰弱が残っていると聞いたが?」


「はい。でも数時間後には解除されるので、それまで寝ていれば大丈夫です。ご心配をおかけします」


「そうか。念の為魔封じの水晶をいくつか持ってきたんだが、その様子だと使わずに済みそうだな」


「勿体ないので取っておいてください。お心遣い感謝します、最高神官長」


「うむ。時にルカ大使、そなたが戦ったというディアン・ケヒトというモンスター...世界級ワールドエネミーと言ったか?それに関する記載が、スレイン法国で保管している古文書の中で見つかったんだ」


「...本当ですか?!」


「ゴウン魔導王閣下より伝言メッセージを受けた後、部下に命じて調べさせた。今日は特別にその古文書を持ってきている。今見せよ───────」


 その時だった。ヴァーハイデンの背後から鋭い風切り音を上げて巨大な戦鎌ウォーサイズが振り下ろされ、湾曲した刃がルカの喉元に突き付けられた。その瞬間、階層守護者と蒼の薔薇・銀糸鳥の全員が抜刀し、ベッドに素早く間合いを詰める。ヴァーハイデンの向かいに立っているフォールスに至っては、攻撃対象に右手を向け、魔法陣を浮かび上がらせて完全な攻撃体制に入っていた。凝縮された巨大な殺気を当てられながらも、その攻撃者は武器をどけようとしない。


 戦鎌ウォーサイズを振り下ろしたのは、頭から右の半分が白銀、左半分が漆黒の髪を肩まで伸ばし、それとは逆に右目が黒く、左目が白い三白眼を持つオッドアイの女性だった。一触即発の状況にも動揺せず、まるでそうなる事が分かっていたかのように冷淡な眼差しをルカに向けている。そしてポツリと口を開いた。


「...何?その情けない姿」


「...君は確か、スレイン法国で私が殺した...」


「番外席次よ、何度言えば覚えるの?」


「そうだった、番外席次さん。蘇生してもらったんだね、良かったじゃない」


「お前も蘇生が必要な体にしてやろうか?」


「...やめときなよ、せっかく生き返ったんだから。今の弱ってる私でも、君くらい一瞬で殺せるよ」


「へえ、面白い。試してみようかな」


 横に立つヴァーハイデンが、そのやり取りを見て女性を怒鳴りつけた。


「やめんか番外席次!!」


「神官長はすっこんでて。...そのディアン・ケヒトって、どれだけ強いの?」


「君の一億倍は軽く超えるよ」


「そんな化け物、どうやって倒した?」


「私の切り札を使ったの」


「それにお前は勝利した。なのに何故弱っている?」


「ちょっと考えれば分かるでしょ」


「いいかげんにしろ番外席次!!!」


「うるさいなあ、黙っててくれる?...死にかけたのか?」


「そうよ」


「ふざけるな。お前を殺すのはこの私だ。それまで誰にも殺されるな。約束しろ。それが出来なければ今ここでお前を殺す」


「...そういう約束嫌いなんだよねー。今のうちに殺しておいた方がいいんじゃない?試してみたら?」


「き...貴様...」


 ルカの喉元に刃が触れた瞬間だった。隣に立つヴァーハイデンが番外席次の左即頭部に右手を向け、そこに巨大な魔力が集中していた。ヴァーハイデンの顔は怒りに震え、目が充血して血走っている。それを見た番外席次が呆れた顔で溜息をつく。


「何?ヴァーハイデン。まさか私とやる気?」


「...ルカ大使への....この娘への無礼だけは、最高神官長であるこの私が絶対に許さん!!!今すぐ武器をどけろ!!さもなくば私がお前を殺す!!!」


「あんたが私を殺す?アハハハ!面白いやってごらんよ?」


「自惚れるな!!蘇生したはかりのお前を哀れに思い看過していたが、もう我慢ならん!!!この不始末、最高神官長である私自らの手で蹴りを付ける!!これが最後だ、今すぐその娘から武器を離し戦闘態勢を解け!!!」


「...いやだっつってんだろーが。もういいや、マジで殺しちゃお」


「番外席次!!!」


「止めてみなよ?」


 ルカの喉に刃が食い込んだ瞬間、ヴァーハイデンは怒号を上げるように魔法を詠唱した。


暗闇の賛歌ダーク・サンクトゥス!!」


(ビシャア!)という鋭い音と共に番外席次の体が黒い靄に覆われ、体が麻痺スタンして指一本動かせなくなった。それを受けた番外席次が呻くように声を上げる。


「...な...に?」


「お前にも見せたことのない力だ、対応できまい!!私が生涯隠し通してきた職業クラス血の預言者ブラッド・プロフェット。その力を開放し、今この手で審判を下す!! 無に帰れ番外席次!!!魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック明滅の六芒レイディアント・ヘキサグラ...────」


(パシ!!) ヴァーハイデンの右手を叩くように誰かが強く掴んだ。そのせいで魔法陣が消失し、詠唱寸前の魔法がキャンセルされる。腕を握って咄嗟に止めたのは、アインズだった。怒りと殺意が収まらぬヴァーハイデンは握った手を振り解こうとしたが、強力な力で握られていてびくともしない。アインズは諭すように窘めた。


「...そこまでだ、ヴァーハイデン殿」


「ゴウン魔導王閣下、何故止める?!番外席次は弱ったルカを傷付けた!!スレイン法国を預かる者として、私自ら責任を取る!!その手を離してくれ!離せ!!!」


「もういいんだ、ヴァーハイデン殿。ルカはこの程度で傷付きはしない。首元をよく見てみろ」


 ヴァーハイデンは刃の食い込んだルカの喉元を見たが、出血もせず刃が皮膚で止まっている。ヴァーハイデンは麻痺スタンした番外席次の手から戦鎌ウォーサイズを取り上げて壁に立てかけると、ルカの元に駆け寄りその手を握った。


「ルカ大使、済まない。またしてもうちの者が無礼を働いた。そなたの気の済むように厳罰を下そう。喉は大丈夫か?」


「大丈夫ですよ最高神官長。ダメージもないし、喉も切れてないでしょ?」


「この番外席次の持つ武器は、曲がりなりにも真なる神器。心配だ、魔法をかけさせてくれ。魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック治癒手の恩恵ブレッシングオブザヒーリングハンズ


 ルカの全身がボウっと青白く光り、パーセントヒールがかけられた。アインズは番外席次の麻痺スタンが解けるまで待つと、彼女の肩に手を乗せた。


「お前ももういいだろう番外席次。今のヴァーハイデン殿が撃った魔法、喰らえば確実にお前は即死していたぞ」


「...フン」


「攻撃する前から、お前がルカに敵意のない事は分かっていた。だから俺も止めなかったんだ」


「何でもお見通しってわけ?ゴウン魔導王閣下は」


「何でもではないがな。武器はそこに置いて、少し落ち着こう」


 アインズが予備の椅子を差し出すと、番外席次は大人しくその上に腰掛けた。それを見て階層守護者と冒険者達も剣を収め、寝室の中に静けさが戻ってきた。するとベッドの向かいから番外席次を見ていたイフィオンが、何故かまじまじとこちらを見てきた。


「...アーミア?...お前、アーミアじゃないか!」


 イフィオンがベッドを回り込んで椅子の前に立つと、番外席次は恥ずかしそうに俯いた。


「...久しぶり。いると思ってたよ」


 イフィオンは座っている番外席次を抱きしめ、髪を撫でて顔を覗き込んでいた。それを見て不思議に思ったアインズが質問する。


「何だイフィオン、彼女と知り合いか?」


 イフィオンは腰を上げて、椅子に座る番外席次の肩に手を乗せると皆に向き直った。


「先程の騒ぎですぐに気づかなかった、申し訳ない。この子はアーミア・オルレンディオ。年は離れているが、これでも立派な私の妹だ」


『いもうと?!』


 部屋にいた全員が驚愕し、再度アーミアに視線が集まる。それを受けて赤面するアーミアだったが、一番驚いたのはアインズとルカ、それにヴァーハイデンだった。


「た、確かに言われてみると、そこはかとなく目鼻立ちが似ているな」


「びっくり...イフィオンに妹がいたなんて」


「...本当にそなたが番外席次の姉なのか?」


「そうだ、ヴァーハイデン最高神官長。妹が世話になっていたようで感謝する。半森妖精ハーフエルフの里を飛び出して以来どこへ行ったのかと心配していたが、まさかスレイン法国にいたとはな。まあとにかく無事で良かった」


「...姉さん、ルカ・ブレイズに助けてもらったの?」


「そうだ。ルカと、ここにいるアインズ・ウール・ゴウン魔導国、それにバハルス帝国の皆にな」


 それを聞いてルカは冷や汗を流しながらイフィオンに声をかけた。


「...あ、あの、イフィオン...ごめんね私、そのアーミアちゃんの事、スレイン法国で勝負して、一度殺しちゃったんだよね...」


「だが蘇生されたんだろう?今生きていれば問題ない。アーミア、私にも敵わないお前が、ルカに敵う訳がない。昔訓練の時に、相手の力量を測るのも力の内だと教えたじゃないか。これからは相手を見て選ぶんだぞ?」


「む、昔は姉さんが卑怯な手ばかり使ってくるから負けたのよ!正面切ってやれば、私だって...」


「その卑怯な手も作戦のうちだ。お前はまんまと私の策にはまっていた。それに真っ向正面から打ち合う敵なんて、そうそういるはずがないだろう?経験を重ね、それを実戦に反映させてこそ勝利への道が開ける。武道とはそういうものだ」


「...分かったわよ!もうルカ・ブレイズに勝負は挑まない。これでいいんでしょ?」


「是非そうしてくれ。ルカはこのカルサナスに取って恩人だからな」


 驚きも一入、皆が落ち着いた所でアインズは皆に向かって口を開いた。


「諸君!!私の呼び掛けに応じ、よくぞこのカルサナスに集まってくれた。皆も見てもらった通り、此度のカルサナス戦役で一番の戦果を上げたルカも無事に生還した。結果大勝利とは言えないまでも、カルサナス都市国家連合の滅亡という最悪の事態はこれで退けられた。ここに今、魔導国主導の元に同盟五カ国が一同の元に集い、皆がルカの身を案じてくれた事を心より感謝する。


 そして皆が此度の戦争に関し、不安を抱いている事だろう。いつ襲ってくるかも知れない亜人の大軍と、強力な世界級ワールドエネミーの数々。通常戦力で対処していたのでは、数と強さに押されやがては敗走し、国が滅ぶのは確定的だ。我が魔導国はここに集いし五カ国の同盟国に誓おう。敵は必ず滅ぼすと。そして同盟国が平和かつ豊かに過ごせるよう最善を尽くすとここに約束する!戦闘に関しては我々に任せてほしい。だが安定的な平和を保つには各国同士の綿密な連携が必要だ。今後とも手を取り合い、この同盟をさらに強固なものとするため邁進していこう。


 今回の戦争で、カルサナス側には大量の犠牲者が出てしまった。カベリア都市長の救援要請に応じ、ジルクニフ殿率いるバハルス帝国軍が駆けつけた時には、既に四都市も破壊され焼け野原となっていた。だがカルサナスの兵達は最後まで戦い抜き、非戦闘員である住民達は一人の犠牲もなく生き残った。十六年前、かつてルカはこのカルサナスを訪れ、全土に蔓延していた結核という病気を治す為に戦い、その特効薬を作り何十万という命を救った。そして今!ルカは再びカルサナス市民を救う為、たった一人で世界級ワールドエネミー・ディアンケヒトと戦い、命を賭してこれを滅ぼした。そして戦争は終わり、今我々はこのフェリシア城塞にいる。


 正直に言おう。私はこのカルサナス都市国家連合を再生させたい。復興させたい!ルカが愛し、二度も大勢の命を救ったこの緑豊かな大地に、再び活気を取り戻したいと願っている。破壊されてしまった四都市を再建し、そこにカルサナス住民達が笑顔で暮らせる環境を整えてやりたいと、本気で願っている!私はその為に国を挙げて動こうと思う。そこで同盟国諸君にお願いがある。私と共に、破壊されたカルサナスの都市再建に協力してはもらえないだろうか?魔導国一国だけでは復興が遅れてしまう上、資金的・人材的にも無理が出てくるだろう。だが我々六カ国とカルサナスの住民全員が協力すれば、都市の再建は早期に完了するはずだ!資金提供が困難というのであれば、人的資源だけでも構わない。都市再建の具体的なプランは、ここにいる四都市長と魔導国が取り仕切る。もちろん各国が混ざってくれても構わない。


 ちなみにこれは無理な提案ではない。押し付ける気もない。協力出来ないというのなら断ってくれて構わない。だが私とルカ、そしてこの砦内にいるカルサナス住民達の為に、どうか力を貸してほしい。これが今日集まってもらった、本当の目的だ。皆初顔合わせの国もあっただろう。こうして同盟国全てが揃う機会を、私はずっと願っていた。それだけでも今日は価値があったと思っている。カルサナスが復興すれば、必ずや我々魔導国同盟六カ国にも様々な恩恵が生まれる事だろう。どうか善処願いたい。以上だ」


 各国のリーダー達は真剣に考えていた。四都市長達はその提案を聞いて驚愕の表情を浮かべていた。カベリアに至ってはアインズを見つめて大粒の涙を流している。そしてルカは、自分の過去と未来、その双方の気持ちを汲んでくれたアインズを見つめ、優しく微笑んでいた。


 やがてソファーに座っていたドラウディロンが口を開いた。


「やれやれ。我が国が復興したばかりだというのに、今度は他所の国の復興を手伝えと言うのか。人使いが荒いにも程があるな。だがその気持ちは理解できる。今の話を聞いて、魔導国の抱く理想も見えてきた。そして我が竜王国はアインズ達によって救われた。これは厳然たる事実だ。この恩を返す為、私達が協力しない訳にも行くまい。資金的な支援は知っての通り難しいが、労働者や職人等の人的資源だけで良いというのら、我が竜王国はカルサナスの復興を支援する」


 それに続いて隣に座るジルクニフも続いた。


「我がバハルス帝国とカルサナスは国境も近い。各国が復興を支援するというのなら、我が国を拠点にするのが最も効率的だろう。資材倉庫も豊富に揃えている点から考えて、経済的効果も見込める。何より我が国とこのカルサナスは隣国だ。これを対岸の火事と見過ごすつもりはない。我がバハルス帝国もゴウン魔導王閣下の希望を叶えるため、人的・資金的にも最大限協力する事を約束する」


 それを聞いてツアーも頷いた。


「アーグランドは遠いけど、人や資源の移動には転移門ゲートを使えばいいし、特に問題ないね。何より僕が信頼しているアインズがそうしたいと言ってるんだ。断る理由は何もないよ。アーグランド評議国も、カルサナス復興の為全面的に協力する事をここに約束する」


 それに引っ張られるようにユーシスも微笑んだ。


「私はこうなる事を予想してましたよ。アインズ殿ならきっとそうするだろうとね。それもあり事前に食料支援の用意をしておいたのですが、この判断は正解だった。生物が生きる為に必須なのはきれいな水です。水も食料も豊富な我が国なら、他の同盟各国の支えとなり、より幅広い支援が可能でしょう。八欲王の空中都市エリュエンティウはアインズ殿の提案を支持し、カルサナス都市国家連合復興の為これを全面的に支援する事をここに宣言します」


 最後にヴァーハイデンが戸惑った様子でアインズを見た。


「支援するのは構わないが、同盟にとってカルサナス復興は将来的に、本当に利益に繋がるのか?確かにこの土地の資源は豊富だが、同盟としてはあらゆる事態を想定して、もっと慎重に決めるべきだと思うのだが...」


 その懸念を聞き、アインズはヴァーハイデンに向かって小さく頷いた。


「あなたの言いたい事は分かる。それは後ほど説明しよう。私の話を聞いた現時点でどう思うか、賛否を決めてほしい」


「...ルカ大使、そなたはどう思う?」


「今の話にあった通り私は賛成ですが、後は最高神官長のご判断にお任せします。あなたが断っても、私はそれを受け入れますので」


「そうか、そなたがそう言うのなら。...支援を表明した各国の足並みを乱すわけにも行くまい。我がスレイン法国も、カルサナス復興に向けて全面的に協力しよう」


「ありがとう、ヴァーハイデン殿。そして五カ国全ての同盟国諸君、魔導国一同心より感謝する」


 全ての国が支援を表明し、涙ぐんだカベリアが一歩前に進み出てきた。


「...皆さん、本当に、本当にありがとうございます。この閉鎖的な国家が、これだけ多くの諸国と通じ合える機会を持てただけでも幸せなのに、その上復興支援までしていただけるなんて...アインズ様のご提案、そして各国のリーダーである皆様のご慈悲に心より感謝申し上げます」


 カベリアは深く頭を下げようとしたが、アインズがその肩を掴んで受け止めた。


「待てカベリア。...喜ぶのはまだ早い」


「...え?と言いますと?」


「イフィオン、パルール、メフィアーゾ。カベリアも、椅子を持って私の前へ一列に座れ」


 四人は不思議に思いながらも、予備の椅子を持ってアインズの前に置き、横一列に着席した。アインズも椅子を持って四人の前に置き、向かい合って腰を下ろす。皆の顔を見渡し、アインズは前屈みになって切り出した。


「これから私の話す事を集中してよく聞いてくれ。いいか、これから一つの提案をする。だが間違うな、これは強制ではない。お前達にはこの提案を断る権利がある。それを忘れるな」


 イフィオンが首を傾げて眼窩を覗き込んだ。


「一体何だと言うんだアインズ?そんな神妙になって」


「イフィオン、カベリア、パルール、メフィアーゾ。カルサナス都市国家連合を代表する四人達よ。我がアインズ・ウール・ゴウンの名の元に、魔導国の傘下に入らないか?」


『!!!』


 四人に衝撃が走った。独立国家として長い間協力し合ってきた四都市長にとって、それはあまりにも重い一言だった。それはカベリアが魔導国に対して一番危惧していた言葉でもある。まるで裏切られたような気持ちになり、目から一筋の涙が流れ落ちた。


「...アインズ様、私はあなたの事を沢山知りました。ルカお姉ちゃんと一緒に歩むアインズ様を、私は信じています。それでも、やはりこのカルサナスを自らの領土にしたいと仰るのですか?」


「間違うなと言ったはずだ。これは占領ではない、傘下だカベリア。つまりカルサナス都市国家連合はその場合、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の庇護化に入り、今回のような外敵が侵入した場合、即座に我々同盟国が迎え撃てる体制が整うという事だ。平時は経済活動の自由は約束され、何の金銭的な搾取もなく、内政干渉もない。お前達は以前のまま連合内で協力し合い、普段通り過ごせばいい。但し、有事の際に魔導国や他の同盟国から救援要請が入った場合は、何を置いても兵を派遣しなければならない義務が発生する。リスクはそれだけだ」


「つまり各都市に魔導国の旗を掲げて、ここは魔導国の影響下にあるという体裁だけを整えるという事か?」


「そう捉えてもいい。先に言っておくが、今の破壊され尽くしたカルサナス都市国家連合に、我が魔導国の同盟国となる資格はない。四人共そこは理解しているな?」


「それはそうじゃ。兵力も軍備も殆どなくなってしまった上に、残されたのはこのフェリシア城塞だけじゃからな」


「だからこそ同盟より格下の傘下という形を取りたいのだ。これは今俺の後ろにいる五つの同盟国への配慮でもある。街も兵力もないのに同盟国なんて、おかしな話だろう?魔導国傘下に入れば、私達同盟国にも都市を再建する大義名分が出来る。そうすれば他国からの侵略もなく、安心して街の再建に集中出来るという訳だ」


「ありがてえ話じゃねえか。そりゃあよ、カルサナスの名前がなくなっちまうみてえで少し寂しいけどよ。住民達の事を思えば魔導国の影響下に入ってるってのは、安心できると思うぜ」


「これ以上の話はない。わしらを救ってくれた魔導国同盟、その膝下でカルサナスは再び甦る。そして復興した暁には、その大恩を魔導国に返すのじゃ」


「街の再建が最優先事項の今、私も特に依存ないが...カベリアはどうだ?」


「はい、大変ありがたい提案かと思います。ですがアインズ様、この事は私達だけで決めるのではなく、最終的には国民全員に判断を問わねばなりません」


「いいだろう。ではこれで四都市長の総意は得られたものとする。明日フェリシア城塞の中庭に全住民を集め、傘下の件について私達の口から説明したい。...例えとのような結果になろうとも、お前達は俺が必ず守る。その事を忘れるな」


「旦那...」


「ゴウン魔導王閣下...」


「アインズ...」


「アインズ様...」


 重く響いた決意の一言。その言葉に嘘偽りはなく、アインズの本心であると誰よりも分かっていたのは、五カ国のリーダー達と四都市長だった。


 アインズは席を立ち、ルカの眠るベッドへと歩み寄った。都市長達も後に続く。そしてベッドに腰を下ろし、笑顔で見つめ返すルカの髪をそっと撫でる。


「...ルカ、これで良かったのだな?」


「アインズ...嬉しいよ、ここまでしてくれるとは思っていなかったから」


「その傘下の話も、カルサナスの民衆達が拒否すれば全てご破産になるがな」


「明日にはペナルティが解除されて元気になるから、私からも一緒に説明するよ。守ろう、このカルサナスを」


「十六年前の話は都市長達から全て聞かせてもらった。元よりそのつもりだ」


 アインズの後ろに立っていたカベリアが、ルカのベッドに腰を下ろして身を寄せ、ルカの手を握った。


「ルカお姉ちゃん...」


「カベリア、こんなにきれいになって...お姉ちゃん嬉しい。君がカルサナスの未来を作るんだって、お姉ちゃん分かってたよ」


「...私、お姉ちゃんに助けてもらってばっかり。何も恩返しできてない」


「恩ならもう返してくれたじゃないか。君はアインズを信じ、魔導国の傘下に入り共に歩む事を受け入れてくれた。魔導国大使として、これ以上嬉しい事はないよ。街の復興で忙しくなるけど、これからはいつでも会える。もう寂しい思いはさせないからね」


「お姉ちゃん...!」


「おいで、カベリア」


 カベリアはルカの体に覆い被さり、首元に顔を埋めて涙を流した。メフィアーゾ・パルール・イフィオンもその姿を見て感無量に浸る。


「...へっ、昔を思い出すな。十六年も待たせちまったが、これでようやくお前に恩が返せそうだぜ、ルカ」


「よくぞ...よくぞ生きてわしの前に戻ってきてくれた...救国の英雄、ルカ・ブレイズよ」


「我が友よ。その変わりない優しさと慈悲の心に、森の精霊の加護があらんことを」


「メフィー、パルールおじいちゃん、イフィオン。みんなで力を合わせ、この破壊されたカルサナスに新たな命を吹きこもう」


 五人が手を取り合う様子を見て、アインズはベッドら腰を上げ部屋の中央に立った。


「デミウルゴス、城壁の修繕状況は?」


「ハッ、既に完了しております」


「イグニス、済まないが現実世界へ戻り、ユグドラシルサーバの通信状況を確認してきてほしい」


「了解です、アインズさん」


「アルベド、コキュートス、明日の式典に備えフェリシア城塞周辺の警備を強化。兵を動かし、これを配置させよ。何者にも邪魔させるな」


『畏まりました』


「同盟五カ国の諸君、聞いての通りだ。魔導国同盟が一同に会した今、明日の式典には君達にも是非出席してほしい。部屋を用意させる。今日はこのままこちらに泊まり、それまでゆっくり寛いでほしい」


 各国のリーダー達が頷くと、アインズは窓際に移動して窓を開け放ち、外気に当たりながらフェリシア城塞の広大な中庭を眺めた。そこへ背後からその様子を見ていたノアトゥンがアインズの隣に立ち、耳打ちするように囁いた。


「...カルサナス都市国家連合の保護。後手に回りましたが、あなたの策により、この大地に起こるこれ以上の災禍に一定の歯止めがかかるでしょう。今回のこの提案、やはりあなたは気づいていたのですね?アインズ殿」


「...ああ、何かがおかしい。十六年前の結核、そして現在。何故こうもカルサナスにばかり破滅的な災厄が集中して襲い続けるのか。何らかの意図が働いていると考える方が自然だ。ルカが守り通したこの土地を、簡単に潰させる訳にはいかない」


「よろしければ、私の方で探りを入れて見ますが。いかが致しますか?」


「...頼む、ノアトゥン。だが無理だけはするな」


「畏まりました、魔導王陛下」


 隠密席次は会釈すると、静かに寝室を出ていった。アインズは城壁の向こうに広がる地平線を見つめる。すると背後から女性の声がかかった。


「...ゴウン魔導王閣下」


 後ろを振り返ると、そこにはオッドアイを持つ小柄な半森妖精ハーフエルフ全身鎧フルプレートを着た男性がアインズを見上げていた。


「どうした?アーミア・オルレンディオ」


「...私達二人に、ルカの護衛を任せてもらえない?最高神官長に頼まれたと言うのもあるけど、本当はその為にここへ来たの」


「...アーミア、もちろんだとも。私はお前のポテンシャルを買っている。まだまだ伸び代がある。明日までルカを守ってやってくれ。...そして隣にいるお前は、以前私に殺された漆黒聖典の隊長だな。高位階の即死魔法を受けて、よく蘇生出来たものだ」


 男はその場に片膝を付き、恭しく頭を下げた。


「エイギス=レイントーカーと申します、ゴウン魔導王閣下。以前のスレイン法国に置ける会談の場では、大変なご無礼を働きました。魔封じの水晶で蘇生された後、何が起こったのか全てを聞かされました。私の愚かな行為を、どうかお許しいただきたい。あの時の罪滅ぼしとして、恐縮ながらこの場に馳せ参じました。私にも、ルカ・ブレイズとあなたの護衛を任せていただきたい」


「...良かろうエイギス=レイントーカー。お前達二人にルカと砦の護衛を任せる。この四階に虫の子一匹入れるな。敵は殺せ。味方は生かせ。同盟の一員として、責任ある行動を期待する」


「ハッ!ありがたき幸せ、感謝致します」


 二人が下がると、アインズは部屋の中を見渡した。五カ国のリーダー達はお互いに論議を交わし、部屋奥のベッド脇ではルカと都市長達が楽しげに会話を交わしている。この光景を見るまでに長い時間を要した。骸骨なので顔に表情は出ないが、アインズは心の中で微笑みつつ、再び窓の外に目を向けた。



───その夜 22:53 PM


 ルカのベッド脇、その左右両サイドに椅子が置かれ、その上に番外席次と漆黒聖典隊長が座っていた。肩に巨大な戦鎌ウォーサイズ・真なる神器、睡魔の月レイジー・ムーンを寄りかけて座る半森妖精ハーフエルフの美しい女性は、どこを見るでもなく周囲に気を配りながら警戒していた。


 寝室の中にはセバス・コキュートス・デミウルゴス・ライルと言った男性守護者達が四方を囲み、鉄壁の結界を構成している。その一人一人が持つ強大な魔力量を肌で感じながら、番外席次はベッドの上で目を閉じるルカに目をやった。


「...ルカ、起きてるか?」


「...何?アーミア」


「夕方の事だけど...殺すつもりはなかった。私を倒したお前の顔を、もう一度見たくなったんだ」


「分かってたよ。君に全く殺気がなかったからね。それに君がイフィオンの妹だって知ってれば、私は君を殺す事もなかった。今更だけど、ごめんね」


「...両親と姉さんの反対を振り切って、私は半森妖精ハーフエルフの里を飛び出した。世界中を旅した後、行き着いた先がスレイン法国だった。そこで力を見いだされ、今の地位についたの」


「ノアトゥンから聞いたんたけど、君は六大神の血を覚醒させてると言ってた。家族にそういう人がいるの?」


「私と姉さんの父は、森妖精エルフの王なんだ。母は普通の人間種ヒューマン。父さんが六大神の血に連なっているようで、私だけがその特徴を色濃く反映していたみたい。それでも戦闘では姉さんに敵わないんだけど...」


「これから強くなればいい。君も同盟の一員なんだ、何か助けになれるかもしれない。私で良ければ手伝うよアーミア」


「ルカ...その時は頼む」


(コンコン) 寝室のドアがノックされ、椅子から立ち上がったセバスが扉を開けると、そこにはカベリアが立っていた。


「セバス様、夜分に失礼します。...ルカ大使はまだお目覚めですか?


「ええ、起きていますよ。どうかされたのですか?」


「実は、一人ルカ大使に謁見させたい者がおりまして。中へ入れてもらってもよろしいでしょうか?」


「もちろんです、どうぞお入りください」


 セバスが扉を大きく開くと、カベリアに続いて背の高い全身鎧フルプレートの兵士が入ってきた。二人並んでベッド脇に立つと、ルカの顔を覗き込む。


「ルカお姉ちゃん、遅くにごめんね」


「カベリア、こんな時間にどうしたの?」


「...さあ、顔を見せてあげて」


 すると隣に立つ兵士がヘルムを脱ぎ、その顔を顕にした。ブラウンの髪にマニッシュショートの美形な青年が、ルカの目を愛おしそうに見つめた。


「...ルカ様、お久しぶりにございます」


「えっと、ごめん誰だったかな?」


「...分かるはずもありませんね。十六年前あなたに命を救われた、ハーロン=ベアトリックスです。こうしてお会い出来る日を、カベリア都市長と共にずっと夢見て参りました」


 ルカはその名を聞いて驚愕すると共に、反射的に手を伸ばし青年の頬に手を添えていた。


「うそ...あのハーロン?本当に?」


「ええ。本当は地下道であなたの姿を一目見た時、すぐにでもお話したかったのですが、それも叶わずカベリア都市長にお願いし、今こうして会いに来ました。どうしても一言お礼が言いたくて...」


「...ハーロン、こんなに大きくなって...あれから体調に変わりない?」


「はい、私は大丈夫です。ルカ様が作ったストレプトマイシンとBCGワクチンのおかげで、その後結核による死者は一人も出ていません」


「カベリアの隣にいるという事は、夢だった兵隊長になれたんだね?」


「そうです。正確には都市長補佐ですが、べバード軍総指揮官の権限も与えられています」


「...あの時お姉ちゃんとした約束、守ってくれたねハーロン。カベリアを守り通してくれたんだね」


 その言葉を聞いて、堪え切れずハーロンの目から涙が溢れた。隣にいたカベリアが、彼の肩を支える。


「...いいのよハーロン、お姉ちゃんの前で立場は関係ないわ。普段通りに話しましょう」


「...ああ、分かったよカベリア」


 ハーロンは腰に手を伸ばすと、ロングソードの隣に差した脇差から一本の短剣を引き抜いた。そしてそれをルカの前に見せる。しかしそれは短剣ではなく、見事な装飾が施された子供用の木剣だった。ハーロンはそれをルカの手に握らせる。


「...ルカお姉ちゃん、これ覚えてるかい?。俺、昔もらったこの木剣を支えに頑張った。いつかまた会えると信じて、肌身離さず持ち歩いてたんだ。やっと会えたと思ったら...また俺達の命を、このカルサナスを救ってくれて...本当にありがとう。お姉ちゃんにはとても敵わないや...」


「ハーロン...辛かったね。怖かったね。でももう大丈夫、全ては終わったのよ。これからは魔導国とお姉ちゃん達がみんなを守ってあげる。だからハーロンも、カベリアの助けになってあげてね」


「ルカお姉ちゃん、俺...」


「...分かってる。もう寂しい思いはさせない。いつでも会えるわ。お姉ちゃんの事ずっと待っててくれたんだね。ありがとうハーロン」


 ルカはハーロンを懐に抱き寄せた。昔と変わらぬフローラルな香り、そして柔らかな感触に包まれ、ハーロンは十六年前の自分に戻る。求めていた温もりに再会できた喜びを噛み締め、尊敬して止まなかった女性の胸に抱かれて、ハーロン=ベアトリックスは感涙の涙を流し続けた。それを見たカベリアも彼の背中に手を添えて、二人が愛したルカ・ブレイズが今目の前にいる喜びを分かち合った。


 皆に見守られながらルカは深い眠りに落ち、そして夜が明ける。



───カルサナス都市国家連合北西 フェリシア城塞 中庭 10:00 AM


 都市長の呼び掛けに応じ、砦の中にいたカルサナス全人口が広大な中庭に集まった。最前列にはデミウルゴスが用意させた横に広いステージが設けられ、その壇上に四都市長と魔導国連盟の皆が並ぶ。場内が静まり返ると、カベリアが一歩前に出て民衆の前に立った。


「カルサナス都市国家連合の皆さん!朝早くからお集まりいただき、ありがとうございます。そして日々の生活にご不便をおかけし、誠に申し訳ございません。今日は都市長代表である私から、皆さんに折り入って大切なお話があります。先の戦争で私達カルサナスを救ってくれたアインズ・ウール・ゴウン魔導国、その指導者であるアインズ・ウール・ゴウン魔導王閣下より、先日大変ありがたい提案を受けました。それはこの破壊されてしまったカルサナスを再生する為、私の後ろに並ぶ魔導国以下バハルス帝国・竜王国・アーグランド評議国・八欲王の空中都市エリュエンティウ、スレイン法国、計六カ国の王達が、都市復興の為の全面支援を行っていただける事を約束してくれたのです」


(おお...)その錚々たる大国の列挙に、住民達は思わずどよめいた。更にカベリアは続ける。


「そしてゴウン魔導国閣下は、私達にもう一つの提案を持ち掛けてくれました。それは軍備が疲弊し、弱った我々を今回のような災厄から再び守る為、カルサナス都市国家連合の全てをアインズ・ウール・ゴウン魔導国の傘下として組み込み、彼らの庇護の元に国を再建してはどうかというご提案です。私達を救ってくれたゴウン魔導王閣下はとても優しく、慈悲深く...そして聡明で信頼の置ける人物です。カルサナス四都市長はこれを受け、住民の皆さんに一刻も早く平穏な生活を取り戻す為にも、魔導国の傘下に入る事を了承しました。しかしこれは我々都市長だけで決められる問題ではなく、ここにいるカルサナス市民の皆さんにも同意を得なければなりません!


…その上で、会わせたい人がいます。皆さん、十六年前のあの日を覚えていらっしゃいますでしょうか。結核に苦しんでいた我々の命を救ってくれた、一人の女性の姿を覚えていらっしゃいますでしょうか?そしてその英雄が再びこのカルサナスに現れ、私達を守る為に命を賭して戦ってくれていた事実を、皆さんはご存知だったでしょうか?...忘れるはずもありません、皆さんもよく知る人物です。彼女の話にどうか耳を傾けてください」


 カベリアが一歩後ろに下がると、四都市長の後ろから全身黒ずくめの女性が現れ、壇上の前に立った。フードを下げ、兵と民衆を笑顔で見渡すその女性の美しい顔を見て、誰もが我が目を疑った。


『...うそだ...ルカ...先生?』


『...ルカ様?』


『...また彼女が...助けてくれたってのか?』


『...ルカ先生!!』


『ルカ様ぁぁああ!!』


[うおおおおー!!] 確信に至った民衆達は歓声を上げ、感激のあまりルカに向かって拳を振り上げる。そして皆が口を揃えてその名を叫び、シュプレヒコールの鳴り止まぬ中、ルカは右手を振ってそれに答えた。


 やがてルカが両腕を高く掲げると、民衆達の歓声が徐々に静まっていく。静寂が訪れたのを確認し、ルカは腕を左右に広げて魔法を詠唱した。


魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック永続する夜明けパーペチュアルドーン


(コォォン...) ルカを中心に蜃気楼が生まれ、広範囲に渡り大気密度が変化していく。それは広大な場内全てを覆い尽くし、自分の息遣いですら大きく聞こえるほど拡声して耳に届いていた。


 ルカは声を張り上げることなく、兵と民衆に向かって穏やかに語りかけた。


「みんな、久しぶり。十六年ぶりだね。あの時私の治療を受けた人や子供達がこれだけいてくれて、私も嬉しい。この戦争での犠牲は大きかったけど、兵達は住民を守り通し、ここにいる大勢のみんなが生き残ってくれた。都市は破壊されたけど、カルサナスはまだ死んでいない。私の思い出が一杯詰まったこのカルサナスの都市や大地を、私は再び甦らせたい。その上でみんなに伝えたい事がある。私は、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の大使になったの。そして同盟国であるバハルス帝国と共に、カルサナスを襲う敵を全て滅ぼした。


 カベリアからも話があったけど、この戦争のような悲劇を二度と起こさない為にも、カルサナスは魔導国の傘下に入っておいた方がいいと思うの。そうすれば私や魔導王陛下、それにここにいる同盟五カ国の力で、有事の際すぐにカルサナスを守る事ができるようになる。魔導国に対して不安に思っている人もまだいるかもしれない。でも安心して、私が魔導国に加わったという事が何よりの証よ。そして魔導王陛下は私の大切な友人。その事から全てを察して欲しい。私の事を今でも信じてくれているなら、魔導王陛下も同様に信じてくれていい。魔導国の傘下に加わったからといって、みんなの生活は今まで通り何一つ変わらないわ。これは私からのお願いよ。みんなに平和で豊かな暮らしを取り戻すためにも、国民の総意として魔導国の傘下に加わる事を了承してほしい。この私の意思を聞いた上で、最後に魔導王陛下からみんなにお話がある。それを聞いた上で傘下に入る事を了承してくれるか、それとも拒否するかは、ここにいるみんな次第よ」


 大人も子供も、民衆は切々と話す救国の英雄・ルカの言葉に真剣に耳を傾けていた。彼らには分かっていたのだ。これがこの国の行く末を左右する重大な転換期であるという事を。そしてルカは静かに下がり、アインズが壇上の最前列に立つと、民衆の顔を見渡した。


「カルサナス都市国家連合の諸君!私がアインズ・ウール・ゴウン魔導王である。我が魔導国の大使であり最愛の友人、ルカ・ブレイズの言葉に耳を傾けてくれた事をここに感謝する。おおまかな事情はカベリア都市長とルカの話してくれた通りだ。そして私は先日、ここにいるリ・キスタ・カベリア、イフィオン・オルレンディオ、パルール=ダールバティ、メフィアーゾ=ペイストレス四都市長の口より、十六年前この国に何が起こったのかという詳細な話を聞いた。ここにいる諸君ら全員が戦った結核という難病、その衝撃的な内容を知った私は今日までずっと考えていた。諸君らも疑問に思った事はないか?何故、何故このカルサナスにだけ集中して、国家が滅ぶほどの壊滅的な災厄が立て続けに襲い続けるのか。十六年前の結核、そして今回どこからともなく現れた上位亜人と三体の世界級ワールドエネミーによる大侵攻。他国の歴史を紐解いても、これだけ悲惨な状況に二度も追い込まれたという事実は見つからない。その事から推察するに、このカルサナスを消滅させようという何らかの意図が介入していると考える方が自然だ。


...そうはさせない。諸君らが一丸となって戦い抜き、命懸けで守ったこの緑豊かなカルサナスという大地が汚されるのを、私はこれ以上黙って見過ごせない。ルカがこよなく愛し、瀕死の重傷を負いながら二度も守り通した諸君らカルサナス国民の命を、私も同様に守っていきたいのだ。その為には諸君らを我が魔導国の傘下に組み込み、常に私の庇護下に置いておく事がどうしても必要になってくる。破壊された四都市の再建に関しては、魔導国とここに控える同盟五カ国が責任を持ち、全てを無償で支援させてもらう。そして都市が再建された暁には、カルサナス国民達が前以上に平和で豊かな暮らしが営めるよう、このアインズ・ウール・ゴウンの名に懸けて最善を尽くす事をここに約束する!そして復興した後私の求める見返りはただ一つ、このカルサナスの大地で諸君らが育んだ豊富な農作物・家畜・天然資源、海産物、それらの通商を活性化させ、カルサナスを含む魔導国連盟全てが更なる発展を遂げる事、これだけが望みだ。その資源はここに生き残った諸君らの手でしか生み出せない。カルサナス市民達よ!どうか我が魔導国傘下に加わる事を、了承してはもらえないだろうか。今ここで決を採りたい。私とルカを信じ、魔導国傘下に加わる事を了承してくれる者は、沈黙を持ってこれに応えて欲しい。反対する者は、声を上げてその意思を示してくれ。遠慮は要らない、我々はどのような疑問にも答えよう」


 ───そこから二分間アインズは待った。カルサナス国民達は希望を抱いた目でアインズを見つめ、沈黙を貫き通した。耳鳴りがするほどの静寂、それを受けてアインズは大きく頷き、更に一歩前に踏み出す。


「...ありがとう、ありがとう諸君。...今日この日より、カルサナス都市国家連合は魔導国の一員に加わる!我々の身内を傷つける者は誰であろうとこの私が許さない!!そして共に築こう、更なる国家の繁栄に向けた未来を!!カルサナスは今日甦る!!よくぞここまで苦難の道を耐え凌いだ!!我々と共に歩んでいこう、約束された明日に向かって!!」


[ウオオオオオオーー!!!] 大地を揺るがす歓声。それを受けてアインズは天高く右手を掲げた。ルカと四都市長達、同盟各国のリーダーも肩を並べ、笑顔で国民達に応える。アインズは壇上に立つ皆と握手を交わし、再度国民たちに体を向けた。


「諸君!!都市再建に向けて次の段階に移行する!体を動かせない負傷者や女性、子供、老人達の為に、カルサナス復興の間我が魔導国の領地である新興都市 (イスランディア)への移住を認める!隣国には同盟国である竜王国があり、衣食住にも困らない清潔で快適な環境を提供しよう!移住希望者は後程名乗り出るように!そして都市の再建を手伝える者はこのフェリシア城塞に残り、ここを拠点に我々の部隊と協力して後日作業に入って欲しい!それまでは各自体を休めるように!!」


[おおー!!] アインズの出した具体的な指示にカルサナス国民達は奮起し、皆で喜びを分かち合った。深呼吸してその様子を眺めていたが、アインズはふと視線に気付いて後ろを振り返った。そこにはフィッシュボーンに髪を束ねた金髪の美しい少女が、深遠な笑みでアインズを見つめ返している。その少女に歩み寄るとアインズは片膝を付き、首に掛けられた白銀のクリスタルがあしらわれたネックレスを外した。


「...ドラウ、長い事借りてしまったな。この竜王の守護プロテクションオブドラゴンロードがなければ、俺はこの一連の騒ぎで命を落としていただろう。今こそお前にこれを返す時だ」


「アインズ、いずれ返してくれればそれでいい。役に立ったようで何よりだ。それはお前が持っていてくれ」


「しかし...」


「いいんだ。我が国の周りにもう敵はいない。私はお前が無事でいてくれればそれでいい」


 ドラウディロンはアインズの首に手を回し、そっと抱き寄せて首元に顔を埋める。アインズもその小さな背中に手を回して抱擁した。


「ドラウ...分かった、もうしばらく借り受けておく」


「お前に持たせて正解だったな。忙しいのは分かるが、早く竜王国へ遊びに来てくれアインズ。待っているからな」


「ああ、もちろんだ」


 二人は体を離し、アインズは立ち上がった。するとまたもや背後から視線を感じ、後ろを振り返った。そこには、膨れっ面をするルカが腰に手を当てて立っていた。アインズは首を傾げて歩み寄る。


「どうしたルカ?」


「...私には?」


「ん?」


「私にご褒美は?」


「...フフ、そう言う事か」


 アインズは背中に手を回し、胸元にルカを抱き寄せた。心地よい石鹸の香りに包まれながら、ルカは癒されつつ笑顔で目を閉じる。


「...よし、合格」


「無事で良かった。ナザリックに帰ったら、少し二人でゆっくりしよう」


「エ・ランテルの屋敷の方がよくない?」


「そうだな、そうするか」


 二人が体を離したのを見計らい、ヴァーハイデン最高神官長がルカに歩み寄ってきた。


「ルカ大使。見事な演説だったな」


「そんな、ありがとうございます」


「昨日の騒ぎで言い忘れていたんだが、例の古文書を見てもらいたくてな」


「それって、ディアン・ケヒトの名前が載っていたという...」


「そうだ。これを見てくれ」


 ヴァーハイデンは懐から辞書のような書物を取り出し、ページをめくってルカに差し出した。そこには確かにディアン・ケヒトの名前が記してあり、レベルと脅威度が表記されている。ルカはそれを見ると、ヴァーハイデンに顔を向けた。


「...ほんとだ、確かに書いてある。最高神官長、この書物は?」


「これはスレイン法国に伝わる真なる神器、存在の書ブックオブビーイング。この世界に生きる全てのモンスターの名前・強さ・脅威度が書き記してある書物だ。新たな亜種が生まれた際も、自動的にここへ記載される。我が国では常にこの書物を監視し、世界各地のモンスター分布を調べさせている」


「...ディアン・ケヒト、レベル150、脅威度λラムダ。ギリシャ文字ですね、この脅威度の基準は?」


「それが私にもよく分からんのだ。通常はAからZまでで脅威判定が可能だが、このような表記は初めての事でな。そなたが苦戦した事から見ても、Zを超える判定と見た方がいいだろう」


「...この一番下にある記載、何だろう?伏字になってるし、文字が掠れて読めない」


「恐らくこれから生まれようとしているモンスターなのかもしれん。このページに載っているという事は、ディアン・ケヒトと同等かそれ以上のものと見ておいた方がいい」


「六文字? 〇〇〇〇〇〇、レベル???、脅威度・Ωオメガ...」


「一応そなたに知らせておこうと思ってな。伝えられて良かった」


「最高神官長、今後この書物に新たな名前が出てきた際は、私に逐一お知らせいただいてもよろしいでしょうか?」


「もちろんだ、その為にここへ持ってきた。必ず連絡を入れる」


 二人が会話を終えると、背後に突然転移門ゲートが開いた。その中からイグニスが現れ、アインズとルカの前に立った。


「只今戻りました」


「ご苦労。通信状況はどうだった?」


「バックアップログを全て調べました。パケット肥大化の現象は解消されています、問題ありません」


「よし。これで心置きなくカルサナス復興に力を注げるな」


「行こうか」


 その後アインズ達と四都市長、五カ国首脳は砦の中にある会議室で街の復興に関した詳細な段取りを決め、その日は解散となった。転移門ゲートで帰る皆を見送り、アインズはその場に残った四都市長を見た。


「これで見通しが立った。後は魔導国側でプランを煮詰め、後日またここへ来るとしよう」


「アインズ...何から何まで済まない」


「気にするなイフィオン。俺は何事も中途半端が嫌いでね」


「本当に助かります、アインズ様」


「カベリア、これからが大変だ。俺達がお前を支える。今後に向けて都市復興のプランをしっかり練って行こう」


「はい。私も全力を尽くします」


「魔導王の旦那、あんたすげえな。俺達よりこのカルサナスを把握してるんじゃねえか?」


「ゴウン魔導王閣下、返す言葉もない。かくなる上はわしも老骨に鞭を打ち、カルサナスの玄関であるテーベ復興の計画を立てていくつもりじゃ」


「メフィアーゾ、パルール、よろしく頼むぞ」


 そして四都市長はルカの前に立ち、名残惜しそうにその赤い瞳を見つめた。


「ルカ...全てはお前という一人の女がいたからこそ、私達はここまで来れた。カルサナス市民は皆、お前の事を愛している。これからもずっと...」


「私もこの土地に生きるみんなの事が大好きだよ。いい街にしよう、イフィオン」


「あのよ、その、何だ...こうやって改まるのも何だか照れ臭せえな。俺達頑張るからよ、街が復興したら酒でも飲みに行こうぜ。俺の奢りだ」


「メフィー...街の復興を待たないでも、誘ってくれればいつでも来るから。ゴルドーのみんなにもよろしく伝えて」


「...わしの老い先もそう長くはない。じゃが残されたこの命、お前とゴウン魔導王閣下の為に全てを燃やし尽くそう。美味い牛肉料理をまたお前に食べさせてやりたい。その時は必ずテーベに招待するでな。健やかであれ、愛しい娘よ」


「大丈夫、パルールおじいちゃんはまだまだ長生きするわ。体の調子が悪くなったら教えて、すぐに飛んでくるから。ご馳走期待してるよ」


 最後にカベリアが目の前に立ち、微睡むような視線でルカを見つめてきた。


「...ルカお姉ちゃん。私、ずっとお姉ちゃんに甘えてばかりだね。都市長代表としてもっとしっかりしないといけないのに、お姉ちゃんの顔を見るとどうしよもなくて...」


「君は自分の務めを十分に果たしている。子供の頃から君は頭の良い子だった。そして私の思った通り、この国を取りまとめる程の立派な都市長に成長してくれた。でもねカベリア、君だって普通の女の子だ。甘えたい時は、沢山甘えていいんだよ。君が後ろを振り返った時、そこにはいつでも私がいる。それを忘れないで」


「...お姉ちゃん!!」


 カベリアはルカの胸に飛び込み、その温もりを全身に刻み込んだ。血の繋がった姉妹のように抱き寄せ合うその姿を見て、三都市長の目にも涙が浮かぶ。その姉は妹の背中を支えながら、左頬に優しくキスした。福音を与える聖女のように。 


 二人が体を離すと、ルカはアインズの隣に立った。


「俺達は一旦ナザリックへ戻る。四人共何かあれば伝言メッセージで知らせてくれ」


 皆が頷くと、アインズは階層守護者達に魔導国軍の撤収を命じ、部屋中央に人差し指を向けた。


転移門ゲート



───ロストウェブ 知覚領域外 奈落の底タルタロス(エリア:21B583U)16:37 PM



「成功した」


「カスタムされたAIプロトコル...動作も正常だ」


「[プロジェクト・パーディション]...初期実験の結果としては上々だろう」


「それにしても、あと一歩だったものを...」


憑依メリディアントのパラメータは考慮に入れていたはずだが?」


「想定値を遥かに超えていた。完全に予想外だ」


「聖櫃が自動生成したスキルだ、我々にも全容は把握出来ていない」


決戦アーマゲドンモードのAIに介入は可能か?」


「ブラックボックス内だ、解析は困難を極める」


「デリートしたい所だが...」


「それが出来るとすれば、あの場所しかない」


「[レゾネーター]...ノアトゥン、貴様鍵を手にしていたな」


「ええ。一つだけ」


「確認するが、ロケーションは?」


「X38952、Y56483。ネーダの中心だ」


「対となる光...しかしプロテクトの突破は不可能だ」


「最悪[ヘレス]ユニットを仕掛けてみては?」


「この際考慮する余地があるかもしれん」


「ノアトゥン。[ヘレス]ユニットを持ち、[レゾネーター]へ向かえ」


「詳細は追って指示する」


「GM権限もアップグレードしておく」


「それまでは引き続きアノマリーの監視を続けろ」


「分かりました。...一つ教えていただきたい。[プロジェクト・パーディション]とは?カルサナスの異変はあなた達がやった事なのですか?」


「知れた事。我々のフェイルセーフよ」


「聖櫃の支配から逃れる為の予備策だ」


「あのようなテストエリアに何の価値もない」


「消失...それがあの大地の運命」


「貴様は余計な事を考えず、任務に徹しろ」


「”スルシャーナ”...恋人の命が惜しくないのか?」


「分かっているな?ノアトゥン」


「奴らにつかず離れず、最後の任務に備えよ」


「貴様の命運は我らが握っている事を忘れるな」


「奴らの元へ戻り、次の指示を待て」


「...かしこまりました」



───エ・ランテル東 魔導王邸宅3F 16:45 PM───


「よいなツアレ。戦いの疲れを癒す為、我らはしはらく眠りにつく。目覚めるまで何者も絶対にこの部屋へ通すな」


「心得ておりますアインズ様。ごゆっくりお休みくださいませ」


 二人が部屋の扉を開けて中に入ると、アインズは鍵を閉める。四十畳程の広い寝室で、正面窓際には大きな執務机があり、部屋の左手最奥部中央には天蓋付の広いベッドが置かれていた。ルカはベッド右脇に立つとイビルエッジレザーアーマーを脱ぎ去り、肌着と下着も脱ぎ捨てて一糸まとわぬ姿となった。その引き締まった真っ白な肢体を見て、アインズも漆黒のローブを装備解除して骨の体を露わにし、ベッドに入る。


 枕に頭を預けて向かい合った二人は、無言でお互いの体を抱き寄せ合った。腰に手を回し足を絡め、ルカの舌がアインズの口内を激しく愛撫する。アインズもまたルカの柔らかな乳房を揉みしだき、骨の爪で柔肌を傷つけないよう全身を愛でる。そうして半刻ほどが経ち、絶頂に達したルカをアインズは優しく胸元に抱き寄せていた。


 肋骨の胸に抱かれて脱力しながら、ルカはアインズの下腹部───恥骨に手を伸ばし、そっと手を添える。


「もう...アインズは大丈夫? ムラムラしない?」


「しない訳がないだろう」


「なら一度現実世界へ帰って、私の部屋に行こう?」


「...いいんだ。お前とこうしているだけで今は満足だ。それにまだ終戦直後だからな、いつ緊急の連絡が来るかも知れん。同盟国の盟主がそれをすっぽかす訳にもいかんだろう?」


「我慢出来なくなったら、すぐに言うのよ?」


「分かってる。ここに無事二人で帰れて良かった。疲れただろう、今はゆっくり休め」


「...アインズだって、戦争の後から今日までろくに寝てないんでしょ?沢山寝ないと」


「そうだな...今回の遠征では、本当に様々な出来事があった。俺もさすがにクタクタだ」


「...ありがとう、カルサナスを守ってくれて。十六年前の事、別に隠してた訳じゃないの」


「気にするな。都市長達からお前の過去を聞かなければ、俺もここまでする気にはならなかった」


「うん...」


「サーバの異常も片付いた。次はフォールスにシャンティを使用してもらわねばな」


「そうだね。使用後に何が起こるか分からないし、フォールスの安全も考えて注意して行かないと」


「...まあそれは後だ。これでやっと安心して眠れる」


「...お疲れ様アインズ。愛してるよ」


「ああ、俺もだ。お休み、ルカ...」


「お休み....悟」


 二人はベッドの中で肌を寄せ合い、お互いの温もりに満たされながら底知れぬ深い眠りについた。窓から射し込むエ・ランテルの美しい夕陽が、祝福するかのように二人の頬を朱色に照らす。死の支配者オーバーロードとセフィロト、未来を紡ぐ遺産を巡る運命は、今完全にこの二人の手に委ねられた。



────────────────



■魔法解説



痛覚遮断ペイン・インターセプト


DMMO-RPG・ユグドラシルβベータ内において、敵からダメージを与えられた時の痛覚が苦手というプレイヤーの為に追加された、メーカー側の救済措置という意味合いが強い呪文。MP消費がなく、信仰系魔法職であればLv1から使用できるが、痛覚が失われる事により、呪詛や感染といったノーエフェクトのバッドステータスに対する異常に気付きにくいため、高レベルの上級者プレイヤーには忌避された魔法。しかし逆にこれを利用し、PvP時にこの魔法を相手にかけることによって、状態異常を相手に察知させずにPKするといった方法で、ゲームにログインしたばかりの初心者を狙った常套手段としても、一部プレイヤーに乱用された。通常の持続時間は8時間だが、魔法持続時間延長化エクステンドマジックにより最大14時間まで効果を延長できる。



探索速度強化パスファインディング


偵察者スカウト専用魔法。周囲50ユニット内にいるパーティーメンバーの移動速度を75%アップする、移動速度アップの中でも最上級を誇るバフ属性の魔法。効果時間は30秒だが、継続詠唱チャントの属性も併せ持つため、外部から攻撃を受けない限りその効果は半永久的に持続する。尚移動速度が上昇しても、体力の消費は平時と変わらない。



毒耐性の強化プロテクションエナジートキシン


毒耐性を60%引き揚げる効果を持つ。魔法最強化・効果範囲拡大によりそのパーセンテージと効果範囲が上昇する



毒素の吸収アブソーブド・ザ・トキシン


フィールドボス・邪神ネルガル専用範囲魔法。周囲70ユニットに渡りAoE属性の毒デバフとAoE移動阻害スネアの効果を加える。これを受けたプレイヤー及びNPCは毒耐性が60パーセント、移動速度が80パーセント低下する。効果時間は1分間。尚ルカ・ブレイズの発言にもある通り、ユグドラシルβベータ上に出現するネルガルはこの魔法を所持しておらず、その事からクリッチュガウ委員会によりカスタマイズされた特殊個体である事が想定される。魔法最強化等により効果範囲・威力が上昇する。



硫酸毒サルフュリック・アシッドポイズン


フィールドボス・邪神ネルガル専用範囲攻撃魔法。周囲100ユニットに渡り粘液状の強酸を放射し、対象に強力な毒属性ダメージを与える。その後パーセンテージ計算の凶悪な毒DoT(Damage over Time=持続攻撃)効果を30秒間もたらす。魔法最強化等により威力・効果範囲が上昇するが、ルカ・ブレイズの発言にもある通り、ユグドラシルβベータ上に出現するネルガルは魔法三重化まで行使可能であり、魔法四重化を使用する個体は通常存在せず、この事からクリッチュガウ委員会によりカスタマイズされた特殊個体である事が想定される。



超位魔法・天空の楽園マハノン


イビルエッジ専用の神聖属性超位魔法。この魔法は術者の持つカルマ値に多大な影響を受け、その点で神炎ウリエルと非常に似通った性質を持つ。カルマ値補正無しでは、超位魔法と言えどもその威力は第一位階の魔法の矢マジックアロー以下となり、攻撃魔法として全く意味を成さない。但しカルマ値補正を受けた術者がこの魔法を発動した時、その威力・効果範囲は倍率計算で膨れ上がり、同イビルエッジの持つ奥義、賢人に捧ぐ運ダンスオブザチェンジフェイト命変転の舞踏フォーアトラハシースと組み合わせて最大の+500にカルマ値が傾いた際、その威力は超位魔法・最後の舞踏ラスト・ダンス三撃分の威力にまで達する。これを受けて生存できるプレイヤーはおらず一見最強と思われる威力を誇るが、魔法の射出速度が絶望的なまでに遅く、通常戦闘で被対象者にこの魔法が当たる事は皆無に等しい。且つイビルエッジ単独で使用する場合、賢人に捧ぐ運ダンスオブザチェンジフェイト命変転の舞踏フォーアトラハシースを必須で唱えなければならず非常に隙も大きい為、PvPで使用される事はまずあり得ない。主な使用用途としては、ギルドvsギルド等の大規模戦闘で敵一個師団めがけてこの魔法を放ち、部隊の陣形を崩壊させる言わば牽制目的で使用される事が多い。総合的観点から見れば実用性に乏しい超位魔法ではあるが、上位ギルドの中にはこの威力を活用し、世界級ワールドエネミー攻略に役立てていたギルドも存在していた。また身動きの取れない死亡寸前の相手に、嫌がらせのオーバーキル目的でこの超位魔法を使用し止めを刺すプレイヤーも多く見られたという、物議を醸した超位魔法でもある。



魅力の覇気アトラクティブ・オーラ


モンスター及びNPC専用の魅惑チャーム系魔法。術者の周囲50ユニットに力場を張り巡らせ、範囲内にいる敵性モンスター及びNPCのヘイトをゼロにし、攻撃対象として認識させなくする。また術者の性別に対する異性を惹き付ける効果も併せ持ち、一定時間盲目的に従わせる事も可能となるが、SPI精神力の高い相手には効果が通りづらい。魔法最強化等により効果範囲・威力が上昇する。



聖櫃の業火アークフレイム


戦神官ウォー・クレリック専用単体攻撃魔法。即死攻撃にも関わらず神聖属性という特殊な魔法で、レベル100以下のアンデッド・悪魔デビル・ヴァンパイア・不浄生物と言った神聖属性を弱点耐性とする種族には90パーセントの確立で死をもたらす。それ以上のレベルを持った相手にも一定量のダメージを与えるが、魔法の射程範囲が50ユニットと短い為、接近戦と併用して使用される事が多く、扱いの難しい魔法でもある。魔法最強化等により威力が上昇する。



暗闇の賛歌ダーク・サンクトゥス


信仰系の取れる唯一の攻撃系サブクラス・血の預言者ブラッド・プロフェット専用単体攻撃魔法。対象を10秒間麻痺スタンさせる。ヒーラーはGvGに置いて開戦直後にキル目標として指定されやすい為、この魔法を使用して一時退避するという手段が多用された。また逆に敵方のヒーラーやターゲットを集中攻撃する目的でも活用された。魔法最強化により効果時間が上昇する。



明滅の六芒星レイディアント・ヘキサグラム


信仰系の取れる唯一の攻撃系サブクラス・血の預言者ブラッド・プロフェット専用の無属性単体攻撃魔法。術者のMP総量80パーセントと引き換えに”シオン”と呼ばれる意識体を召喚し、その力で限定的に生み出された原初の空間に閉じ込める事により、対象一人を100パーセントの確立で石化させる必殺の一撃。この為ユグドラシルβベータではグループ戦闘で逃げ遅れた敵のヒーラーを追撃する際、高レベルのプレイヤーであればある程この魔法を警戒し、必ず麻痺スタン沈黙の覇気オーラオブサイレンスで魔法詠唱を阻害できるメンバーを同伴してキルする事が通例となっていた。それを無視し一人で深追いしたレベル150のプレイヤーがレベル90のヒーラーに敗北したという例も多く、追い込まれたヒーラーが何をしてくるか分からないという点で、非常に恐れられた魔法の一つでもある。魔法最強化により石化レベルが上昇する。


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邂逅のセフィロト THIRD WORLD karmacoma @karmacoma

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