第15話
「これやっぱりちょっと派手じゃないか?」
信平が心配そうに言う。
「大丈夫です。これくらいの方が逆にいいんですって」
高田もそう返したものの、やり過ぎだろうかと不安がよぎった。何にせよ、ここまで来たらもう後戻りは出来ない。準備にまるまる二週間をかけてきた。チャンスは一度。数分間が勝負だった。時計を確認する。いつも通りならもうすぐやってくるはずだ。足音がだんだん近づいてくる。
ドアが開いた。
ビニール袋を下げた智子が目を見開いてこちらを見ている。無理もない。高田は信平と二人、馬鹿でかい蝶ネクタイにキンキラキンのラメの入った安っぽいジャケット、そして真っ白なスラックスにこれもまた真っ白なエナメルの靴を履いて入り口の方へ向かって立っていたのだから。
「なっ…」
智子が何かを言いかけようとしたタイミングを逃さずに高田は切り出した。
「はいどうも~っ」
拍手を始めると信平もパチパチと拍手を始める。
「コウちゃんです」
「ノブちゃんです、それでこいつが」
「誰もいねえよ」
高田がすぱんと頭をはたくと智子が息を飲む音がする。
「ホントにこいつは最近とぼけてましてね」
「いやホント、ボケだからってトボケてちゃいけない」
「お前はホントにボケてんだろ」
「最近取ったんですよ、ボケ三級」
高田は再び頭をはたく。
「ばしばし叩くんじゃないよ、進行するだろ」
「うるせえなもう手遅れだよ馬鹿野郎。まだらにボケやがって」
「あれ、君は小学校の時は一緒だったテッペイくんじゃないか、テッペイくん!こんなところで何してるの?」
「また小学校の時の記憶が出てきてます。はいはい、あれ、君はノブヘイくんじゃないか。僕は今塾の帰りだよ。ノブヘイくんはどうしたの?」
「うん、僕は今血圧の薬もらってきたところだよ」
「ジジイじゃねえか」
すぱんっ。
「ああ、また進行した」
「俺のせいにするんじゃねえよジジイ」
ぷっ、という音がして高田は思わず顔を溝口の方へ向けた。
口元を抑えたままこちらを見ている溝口と目があった。その目元は楽しそうに細められている。
「ではここで一曲、ぼくらはみんな生きている」
「いいよ歌わなくて」
「ぼーくらはみんなー生きているー生きーているから…あれ、俺昼飯食ったっけ」
「ボケてんじゃねえか」
「ボケてんだよ」
「そのボケじゃなくてお前のボケは本当のボケだろ」
「今のは嘘のボケだろ、お芝居のボケだよ」
「境目がわからないんだよ紛らわしいな」
「じゃあお芝居のボケの時はこれからボケますっていうから」
「それじゃあちっとも面白くないだろ!」
「はい、今からボケます。いやー、最近人の名前が思い出せなくてねえ」
「それはただのボケだよ!」
「ん、お前誰だっけ?」
「しっかりしろ!」
あはは、という声が病室に響いた。紛れもなく、溝口の笑い声だった。それは
始めて高田の聞く、溝口の何の衒いもない笑い声だった。
「もうお前とはやってられないよ」
「お願い、漫才しなくていいから介護だけしてくんない?」
「いい加減にしろ!」
「どうも、ありがとうございました~」
そう言うと高田は頭を下げた。
隣では信平も頭を下げている。やや息が荒い。頭を下げる高田の顎から汗がぽたりと床へ落ちた。緊張からか、ほんの少しの間だったにも関わらず額にも脇の下にも背中にも、びっしょりと汗をかいている。
ぱち、ぱちと小さな拍手が聞こえてくる。恐る恐る顔を上げると、溝口がこちらを見て拍手をしていた。
溝口は泣いていた。
おかしくて笑いたいのだが、涙が出てしまってうまく笑えない、というような困った表情のまま、溝口はそれでも一生懸命拍手をしてくれていた。信平も顔を上げると照れ臭そうに頭をかいた。溝口は拍手をやめると、言った。
「お父さん…何してるの?」
信平は少し考えると、ネタ中とは異なる父親の顔を取り戻して言った。
「智子、お父さん本当にボケてるけど、突っ込んでくれるかな?」
溝口は一瞬ぽかんと口を開けたがすぐに微笑むと「いいとも」と答えた。
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