第8話

「高田さん!」


 高田がエレベーターに乗ろうとすると背後から若い女の声がした。

 振り返ると本宮とその他、名前までははっきり思い出せないが顔は見れば何と無く覚えている、というレベルの女性陣が四、五人寄り集まってこちらを伺っている。全員この間の飲み会の帰りに怖いんだか怖くないんだかわからないチンピラグループに高田達が絡まれた時にいたメンバーのはずだ。


「ああ、この間の…」


 と高田が言いかけるや否や全員が高田のすぐ近くまで急接近してきたので、思わず高田は身を後ろに引いた。女性陣の中でも一際目を引く美人の子が興奮した様子で言った。


「この間は本当にありがとうございました!」


 その女の子の言葉が合図でもあったかのように、他の子もいっせいに「ありがとうございました」とまるで音楽の時間の輪唱のように続けた。


「え?」

「高田さんがいなかったらあたしたちどうなってたか…あのあとみんなで考えてぞっとしたんです」

「そうです!だって岩橋さんとか何もしてくれないで黙ってたし、三浦さんとか細口さんとかはあとで聞いたらさっさと店から逃げたらしいじゃないですか!最悪ですよ!」

「あたしたち助けようとしてくれたのは高田さんだけだったんです。だからあたしたちにとって高田さんは命の恩人なんです。本当に感謝してもしきれないです」


 そんな風に捉えられていたのかと高田は後頭部を何か重いものでどすんどすんと殴られたような驚きを受けていた。

 あの場で自分が出しゃばったのはあくまで岩橋をあの場で笑わせるためだったし、結果的にチンピラ連中相手に時間稼ぎをしていたとは言え、全裸で股間に天狗のお面を貼り付けた状態を晒した高田に軽蔑こそすれ、彼女たちが感謝するとは到底思いつかない事態だった。結局、あのあと遠くから一部始終を見ていた別グループが呼んだ最寄りの交番の警察官がやってくるなりチンピラグループは散りじりに逃げて行き、一人ほぼ全裸の高田が逆に職務質問されかけた。感謝されるべきは通報した人であり、警官だ。


「それはどうも…」

「それでですね、ほらあかり、言いなよ」


 本宮に促され、あかりという先ほど興奮した様子で髙田に礼を述べた美人の女の子が顔を真っ赤にさせて小さな声で言った。


「あの、LINE教えてもらえますか?」


 高田が後頭部に感じていたどすんどすんの衝撃ががつんがつんに変わった。

「ああああああLINEというのは、そそそそのつまり…」

「高田さん、どもりすぎ」


 本宮が突っ込むと周囲の女の子がどっと湧いた。あかりと呼ばれた女の子はじっと俯いたままだ。

 なんだなんだこの展開は。嘘だろ。悪い夢だ。罰ゲームだ。誰かが仕向けた罠だ。どこだ、どこだ監視カメラは。


「嫌ですか?」

 

 あかりが小さな声で聞く。


「嫌じゃないよ!いや、俺スマホ持ってたかなと思って」

「持ってたじゃないですか!」

「ああ、そうだった。えーと、デスクにスマホ置いてきちゃって…」

「ありがとうございます!これ、あたしのLINE IDです」

 

 そう言ってあかりは自分のIDが書かれた小さなカードを差し出してきた。高田の鼻先で揺れたあかりの髪からなんとも言えない甘い香りがした。

 デフォルメされたうさぎが2匹、仲よさそうに肩を寄せ合っているカードで、吹き出しの仲にあかりの字でIDが書かれている。高田にとってそれは、人生ではじめてもらう「女性からの手紙」だった。小さく整った字に、高田はただ「女の字だ」という強く思った。

 こんなのもらったのは、中学生の時授業中にメモ帳の切れ端でメッセージのやりとりをこっそりやっていたカップルの間に席替えのときに運悪く挟まれてしまった時以来である。もちろんそのとき高田は伝達役に過ぎなかったので、中身を見ることもなく前の女から来たメモを即座に後ろの男に回すだけだったのだが。そして、それなのにうしろの男に「中見ただろ」と背中をどつかれたのだが。


 ふと顔を上げると、エレベーターホールに岩橋、三浦、細口の三人がやってきたところだった。三人は髙田とその周囲にいる女性陣の姿に気が付くといっせいに歩みを止めてお互いの顔を見合い、そのまま元来た方向へ戻って行ってしまった。

 そこまで気にするなら最初から逃げてんじゃねえよ。

 髙田の中で、岩橋が急速に相手にするまでもない存在に感じられるようになっていた。


 デスクに戻って仕事に取り掛かろうとすると、机の上のスマートフォンがぶるぶると震えた。着信画面には先ほど登録したばかりのあかりのLINE IDと高田自身が慌てて登録したため「あかrさn」となってしまっている文字が浮かび上がっていた。途端に脈打ち始めた鼓動を感じつつ画面を開く。


「この間は本当にありがとうございました!

私は営業の所属でも無いし、なかなか直接高田さんにお会いしてお礼を言える機会もなかったので小百合にお願いして高田さんに会わせて頂いたのですが、いきなり過ぎましたよね…お忙しいのにすみませんでした。

LINE IDを聞いたのは、実はどうしても高田さんにお話したいことがあって…

今度の水曜日、高田さんは何か用事ってありますか?

もし特に何も無ければ、会社が終わったあとにお食事に行きませんか?

用事があるようでしたら全然気にしないでください。もし気が向いたらで結構ですので…。それでは、お返事待ってます。あかり」


  高田はそのメッセージを即座に既読にしてしまったのを後悔した。

 これ、すぐに返事しないと色々相手が気にするパターンのやつじゃん。

 それからため息を一つつくと、スマートフォンを静かに机に置く。


 どうなってんだ。これは。

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