第6話
「おーい高田」
吉岡部長の呼ぶ声がした。高田が席に来て見ると、部長のデスクの傍には入社三年目の細野が青白い顔で俯いたまま所在無さげに立っている。
「なんでしょう?」
「細野、高田に一緒に行ってもらえ」
細野の顔色がさっと変わった。
「何でですか。僕は先方と半年かけて詰めてきました。今更事情を知らない人と一緒に行くなんて…」
「お前だけで進めてたからこうなったんだ」
吉岡部長の声色が変わった。細野の喉元からぐっと言うくぐもった音が聞こえた。言葉を押しとどめて飲み込む音だ。
「とにかく、先方には高田と一緒に行け。高田、落合産業は知ってるな。細野と一緒に謝罪に行って欲しい」
「謝罪ですか?」
なんで俺が?
高田の視線が吉岡部長と細野間でめまぐるしく行き交った。吉岡部長が今度は高田の方を見て言った。
「この間の全体会議、代理で出てもらったそうだな」
「え、ああ、はい」
「その場でお前が言った案を社長があのあと検討して、正式にプロジェクトとして動くことになった。後ほど正式に人事から通達があると思うが、プロジェクトリーダーは高田になった」
「ああ、はい。はい?」
「細野、高田のやり方を見て勉強させてもらえ。頼んだ」
それだけ言うと吉岡部長は再びデスクに目を落として書類をめくり始めてしまった。
高田はまだ頭の整理が出来ていないままだったが、細野の方は事態をすぐに把握したようで、部長の方を一瞬の睨んだかと思うとすぐにその視線を高田の方へ向けた。
「先方には三時にアポ取ってます」
それだけいうと肩先を高田にぶつけるかのように前を通り過ぎて行く自席へ戻って行ってしまった。
呆気にとられていた高田だったが事態の深刻さに気づいて思わず身震いした。
落合産業と言えば大手のクライアントだ。毎年エース級の若手社員が先方の担当者にあの手この手で接待漬けにして何とか契約を取り付けてくることで有名だったはずである。細野も若手の有望株で担当は去年変わったばかりだったが、大幅な納期遅れを出して交渉が難航しているという話を聞いていた。
「あの、部長」
恐る恐る切り出して見る。吉岡部長は目だけを動かしてこちらに何だ?という仕草をとった。
「なぜ私が…」
「高田さん、出ますよ」
出入口の方から細野が苛立ちまぎれに叫んでいた。
「行って参ります…」
そう言うと高田はカバンを持って今にも殴りかかってきそうな気配の細野の元へ向かった。
■
「で、結局納期に間に合うんですか?間に合わないのに、よくこんな風にのこのこ来れますね」
全体的にホームベースみたいなカクカクした顔の若い男はそういうとソファに踏ん反り返って座り直した。
先方の商談室で細野と高田は取引先へであるホームベース男に向かって頭を下げていた。
半年に渡って細野が築き上げていた信頼関係とは何だったのか。高田は他人事ながら細野のことが少しだけ可哀想に思えた。
「この度はこのようなことになってしまって本当に申し訳なく思っております…」
細野が今にも消え入りそうな声で言う。
「なんて?」
ホームベースが上顎を上げ、細野に言った。
マジかこいつ。高田は驚いた。こちらが謝罪しにきたというのに、こんな応対に出る人間がいるものか。これではまるで若手芸人がスベったときの関西の大物司会者のキレ方と同じではないか。
ホームベースはもともとがSっ気のある人間なのか、テンションを上げてきていた。
もともと四角い顔なのに興奮の為か顎が少し前に出て来て台形になりつつある。
細野の顔は真っ青で良くみるとすこし脚が震え出していた。先ほどから百パーセントの他人事として自体を見ていた高田もさすがに居心地が悪くなってきた。
「細野さんさあ、半年間ほんと何してたの?あーほんと、信頼してたのになあ。僕の立場考えてくださいよ。上司からもう滅茶苦茶言われてんですから」
細野の膝の上で握った拳にぐっと力が入るのを高田は見逃さなかった。このままではまずい。細野が何かしてしまう。
「そもそもおたくのキャパシティじゃウチの要求するクオリティに届かないかもしれないってのは最初からわかってたんだよなあ。それをさあ、細野さん。細野さんがなんでもしますからやらせてくださいなんて言うからさあ。詐欺ですよ、詐欺。犯罪ですよ」
細野の震えが止まった。会議室の空調の音が響く。ここだ。
「申し訳ありませんでしたーっ!」
高田は立ち上がって九十度の角度で上半身を折り曲げながらあらん限りの大声で叫んだ。
向かいのソファでホームベースがびくっと体を震わせる気配が伝わる。
「この度は本当にこちらの細野が大変ご迷惑をおかけしました。御社の求めるクオリティにお応えすることが出来ず、お恥ずかしい限りです」
そのままの姿勢で高田はしゃべり続けた。
「このようなことで到底お許しいただけないことは十も、いや百も、いや万も承知でございますが、私共の誠意を見せたいと思います。この度は本当に申し訳ありませんでした!」
高田は土下座した。
「ちょっと」
ホームベースが何か言いかけるがそれを制して高田は喋り続けた。
「私の、私の誠意が南野様にどうぞ伝わりますように!」
そのまま高田は床に向かって両手を先まで足の横につけてピンと張ったまま、背筋を真っ直ぐに伸ばした。
「これが、私の南野様への誠意でございます!私、恥ずかしながら土下座検定1級でございます」
ホームベースが「え、え」と言いながら机の上の名刺を取り上げる音が聞こえる。
そこには名前の横に「社団法人 日本土下座文化保護連盟認定 一級土下座師」と印刷されているはずだった。高田が数十枚作っておいた架空の肩書きが印刷された名刺のうちの一つだ。
「ちょっと高田さん」と困惑気味に小さな声で言う細野の声が聞こえてくる。構わずに高田は続けた。
「この度ぃ!手前どもが三浦様にかけたご迷惑のぉ!その大きさ、それを思うとぉ!私、私もういても立ってもいられずぅ!」
周りで人の話し声が聞こえてくる。高田の大きな声に周囲で会話をしていた社員たちが覗きにやってきたのだ。
「ちょっと、立ってください」
ホームベース三浦がソファを立ち上がってこちらまでやってくる気配がする。しゃがみこもうとする瞬間、高田は立ち上がって三浦の方へ向き直った。高田の顔を見て三浦がぶはっと噴き出す。
「本当に、申し訳ありませんでしたあ!」
「高田さん、でしたっけ…あの、顔…」
三浦は吹き出してしまったことを後悔するような顔をしながら言う。
高田の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっているはずだった。ただ、それ以上に床に顔を密着させる際、おでこの真ん中に偶然机の下に落ちていたピーナッツを挟んでいたため、今そのピーナッツがおでこのど真ん中にくっついたままになっているはずだった。床には大抵何かが落ちている。土下座したとき、高田が探したのは陰毛だったが、この会社、どういうわけだかピーナッツが落ちていた。さしずめこのホームベースが食ってたんだろう。自分で自分の首を絞めやがった。いい気味だ。
周囲で何事かと見守っていた人間たちも高田のおでこにくっついたピーナッツを見るなり、それまで張り詰めていた緊張が一気にほどけるように笑いが起きた。高田の隣では細野が呆れたような顔で「何やってるんですか…」と言いながらも、口元を緩めている。
「私の誠意、三浦様に伝わりましたでしょうか」
高田はおでこにピーナッツをつけたまま、あくまで凛々しい表情を崩さずに続けた。
「はあ、何かもう、いいです」
三浦はそう言うとまた吹き出した。
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