夏空 -君の物語-

岩尾浩

君は笑って。

『ねぇ、今日は何する?』


彼女は何事もないように言った・・・かもしれない。


「え?何って、こうやって暇してるとも」


あたりまえだよ、と僕は言う。


『そっか、嬉しい』


「でも、あれからもう・・・」


『もう、何言ってんの。前向いていかないとでしょうが!』


「ごめんごめん・・・。でもやっぱり忘れられないや・・・」


『あれは本当にごめんって・・・』


「そんな顔すんなって」


『本当に顔見えてるの~?』


「ごめん、うそ」


えー、なんて言いながら君は多分笑い、それにつられて僕も笑う。

8月のある日、ここは海の岬の近く。僕は顔を上げ、海を見る。


「見てみなよ、あれ」


『どれ?見えないって!』


「ごめんごめん。いやね、船が見えたからさ」


『どんな船?』


「んー、そうだなー。貨物船・・・あ、いや大型の観光船かな・・・」


『へー、って!私には見えないんだって!!』


「ごめんごめん」


静寂が辺りを包む。海の波音が、永遠に響くような――


『あの時・・・私がちゃんとしてたら・・・』


そんなことは・・・と、独り言のように呟く。やっぱりちょっと空気が重くなるな。


「それじゃ、そろそろ行くよ。子供を迎えに行かなきゃ」


『そっかー。あ!そうだ!私の子が不幸になるようなことしたら、私、絶対に許さないからね!』


「安心しろって。俺がそんなことするやつだと思ってたのかよ」


『うーそ。冗談だよ』


はぁ、行くとは言ったが、やっぱりまだ居るか。30分くらい余裕をもって着く予定だったから、ちょっとくらい大丈夫だろう。その間に、ちょっと思い出した。


――あの日、あれは些細ささいな事故の筈だった。誰も死ぬことのない、ただの事故。

出産間近だった君はたしか、夕飯の買い物に行った――そう聞いた。いつも通り。


しかし、人気ひとけのない路地に出た、その刹那。車が君に襲いかかった――すまないが、これも人から聞いた話だ。


それはそう、よくあるような交通事故だったそうだ。だったら。君のお腹に赤ちゃんが居なかったら、君がそのまま1時間も、その場に放置されていなかったら。君は見つけられたとき、かすれた声で言ったと、聞いた。


『子供だけでいいから、助けてやってくれ』


と。

結局、1時間も放置された君の出血量で二人とも助かる確率は、極めて低かった。そんなことは分かってた。そして、君がお腹の子を優先することも、僕は分かってた。

でも・・・でも・・・


「やっぱり君には生きてて欲しかった・・・」


答えはない。


「ごめん。そんなこと言っても変わんないよね・・・」


それでも君は黙ったままだ。仕方がないか。


「それじゃあ、本当に行くよ。また来るからね」


後ろを振り返る。そこには、小さな墓がある。名前は、君のものだ。


振り返っても、後悔しても、君はいない。


「さて、行くか」


腰を上げて、海とは反対方向に歩き出す。


『頑張れよ――――!!』


夏、蝉の声がどこまでも響く。その声に紛れて、響くのは懐かしいあの声――

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