Yog「Folkloea」

シオ・カラネ

プロローグ

 夢を見た。砕かれた硝子の水晶があちこちに散らばっていて、灰色の太陽の光を浴びて退廃的な光景を映し出していた。俺が一歩を踏み出すと、砕かれた水晶は乾いた音を立てる。どこからか立ち込める煙には、不思議と臭いがなかった。


 これが夢だからか。自分の意思が希薄になった身体で、覚束無い足取りで、どこを目指すわけでもなく、俺はただ歩いている。代わり映えのない景色。廃墟と化した街並みは、記憶の中には見当たらなかったけれど、どこか懐かしさを感じさせる哀愁がそこには漂っていた。かつての繁栄の形跡を鑑みるに、それは悲劇的であるはずなのに、憐憫の情はこれと言って浮かんでは来ない。あるのは、虚無にも似た足場のない浮遊感。遠くで竜の鳴く声がした。不思議だ。ここに来てからそればかり呟いているが、いや、しかし、竜など一度も見たことのない自分が、遠くから朧げに聞こえるその鳴き声を聞いて、寸分の疑いも無く竜であると答えられることなど、不思議とは言わず何と言うべきか。


 夢を見た。まるで悪夢だ。人気の無い空っぽの廃墟を、ただ目的も無く歩かされている。疲労感は無かった。しかし、歩けども歩けども晴れることのない煙掛かったこの世界は、心の端をガリガリと削られるような不快さが立ち込めていた。


 不意に、足が止まった。止めたのは自分だ。だが、今この身体を動かしているのが、自分だとは到底信じられなかった。視線を上げると、そこには濃密な死が佇んでいる。最初に見えたのは、大きな髑髏。次第にそれは輪郭を帯びて、巨大な竜であることを認識させた。御伽噺の中でしか登場しないはずの存在に、あって然るべき恐怖や違和感は無く、ごく自然的な当然さを持って、その竜はそこに佇んでいた。


 それは遺骨だ。これはもう生気を失っている。触れれば塵になって消えてしまいそうなほどの脆さだと言うことが、簡単に見て取れた。一陣の風で跡形も無く吹き飛んでしまうのではないかと思うほどに、竜の心はここにない。それでも、この竜がこうして佇んでいるのには、何か理由があるのだろう。しかし、侵入者であるはずの俺に対して、骨だけの竜は沈黙を貫いた。触ろうとはしなかったが、存在の鬱陶しさを竜は感じていたはずだ。


 厄介な死骸だと思った。彼の心は、ある一点だけを見つめている。それ故に、自分の死さえも気付かずに、ただ茫然と立ち尽くしているのだ。だが、その身体は既に骨ばかり。何千年とそうしていたのか、竜はそこにいるだけで破滅を呼ぶ呪いになっていた。


 不愉快さが脳を割って滲み出た。空っぽの意識を、負の感情が連鎖的に駆け巡る。不気味であった。不快であった。到底、生きる者には許しがたい光景であった。死んでいるのに生きているなんて、生命に対する冒涜だ。言葉にしたつもりでも、ここでは、喉を通して声にはならずに、ぼとりと気持ちと共に地面に落ちていく。破片となった硝子の水晶は、全体的に黒ずんでいた。


 夢を見た。誰かの視点。ひどく暖かな視界。竜へと語り掛ける声がある。そこには期待、に見せかけた何かの感情が込められている。


「哀れなプロネウス。私のためにー……」


 どこかで聞いたような声だった/初めて聞いた声だった。透き通り、耳を心地よく刺激する。清廉であり官能的。それは■■と許容するのに相応しい威厳を持って語られた。


 気が付けば、夢は醒め掛かっていた。暗闇が落ちていた。既に自分という身体は失われて、徐々に空と溶け合っていく。ボロボロの竜骨は、初めて見たときと一切変わらない場所で、最初からそう定められていたかのように、空を見上げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Yog「Folkloea」 シオ・カラネ @sio-karane

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る