第十章
それからも『獣』が現れることはあったが、あの人物は姿を見せない日々が続いた。
二度目ほどではないが、ハナも安定して大きな星状六花の結晶を出せるようになってきて、アルデリアでの日々が日常になっていた。
慣れ親しんだころに、危機はやってくるものである。
*
その日、ハナたちアルペングロー班は非番だった。サギリと二人で街へと繰り出して、休日を楽しんでいた。
アルデリアの文字は、ハナには読めない。だけど国立図書館の蔵書数は多く、本を眺めるだけでもおもしろかった。
「あれ? これ……」
ハナが見ていたのは、一冊の画集だった。古い時代のもののようで、絵の下に書かれている数字はおそらく描かれた年だろう。
「それ、今から二百年前くらいの画家の絵だよ」
「そうなんだ……。この景色って、アルデリアの風景?」
「ううん。その画家は幻想画家って呼ばれててね、架空の景色を描くのが得意だったみたい」
やっぱりとハナは確信する。
「これ、わたしの町の風景だ」
「えぇ!?」
いきなり大声を上げたサギリに、図書館に来ていた人たちの視線が集まった。司書がじろりと睨んできて、ごほんとわざとらしく咳払いをする。
サギリは小さくなって、ハナに身を寄せた。
「じゃあこの画家は、ハナの世界の出身だったってこと?」
「たぶん……。名前とか分かるかな?」
「『クサカ・キミ』って書いてある。分かる?」
「知らない名前だけど、日本人っぽいかな……」
サギリたちには苗字がないと聞いた。それならば、異世界人だと言われても納得する。
「そうなんだ。名前だけじゃ、あたしはこの世界の人かどうか分かんないや」
「そうなの?」
「うん。結晶士は大陸のいろんな国出身の人ばかりだから」
初めて聞く事実に、ハナは首をかしげる。
「サギリはアルデリア出身じゃないの?」
「うん。言ってなかったっけ? この国じゃ、結晶士の力を持った人は生まれないんだよ。他の国でしか生まれない。遺伝とかは関係なくて、突然生まれるみたい。小さいときから力を使える人もいるし、大きくなってから目覚める人もいるんだって」
それでか、とハナは納得する。
サギリたちには家族がいる様子がなかった。亡くなっているのかなと思って気軽には聞けなかったけれど、よその国からこのアルデリアに来ているとするなら納得できる。
「結晶士の力に目覚めたら、アルデリアに来なきゃいけないって決まりだからね。一度結晶士になったら、二度と国へは帰れないから……。この国にはいろんな人がいるけど、もうここがふるさとみたいなものだよ」
思いもよらなかった事実に、ハナは言葉を失った。
サギリは頬杖をついて、なんでもないことかのように言っている。だけどその目はどこか悲しみに満ちていた。
家族と離れ離れで暮らすこと。それがどれほどつらいことか、身にしみて分かっている。
「……つらくないの?」
ハナも似たような立場とはいえ、いつかは帰れるハナとは違う。サギリはもう二度とふるさとの地を踏むことはないのだ。
ハナの言葉に、サギリはふっと笑って言った。
「言ったでしょ? あたし、この生活が気に入ってるんだ。そりゃあ家族に会いたいって、たまには思ったりするけど……。でもつらくはないよ。アルもいるし、ジウもいる。それに、結晶士だったからこそ、ハナにも会えたんだしね」
そう言って笑うサギリの顔には、もうさっきまでの悲しげなものはなかった。きっと本気でそう思っているのだろう。
ハナだってサギリと会えて良かったと思っている。助けてくれたことはもちろんだが、一緒にいて、ここまで安心できる友だちには今まで出会えていなかった気がする。
「わたしも、サギリと会えて良かったよ」
「ほんと? うれしい」
満面の笑みを浮かべるサギリに、ハナは幸せな気持ちになったのだった。
*
図書館を出たハナとサギリは、セントラル広場前のいつものカフェに来ていた。
頼むのはもちろんミルクレープである。今日はホットショコラではなく、ホットミルクにした。
テラス席で二人はおしゃべりに興じる。
「でさ、ハナはジウのことどう思ってるの?」
やぶから棒に聞かれて、ハナはケーキをのどに詰まらせかけた。
「ど、どうって……?」
「決まってるじゃーん。好きなの?」
今度こそ、かんぺきにむせた。サギリが背中をさすってくれる。
ハナは涙目になりながら、顔を上げた。
「どうもこうもないよ。そりゃあきらいじゃないけど……」
「でもジウの気持ちには気づいてるんでしょ? はぁ、ハナってば罪な女! ジウとシンに想われて……」
サギリは手を組んでうっとりとするけれど、真の名前を聞いて、ハナはため息をつきそうになった。
「真くんとは……そんな関係じゃないよ……」
ハナの完全な片想いだ。一歩通行の想い。
真はハナを嫌っていたし、避けていた。せめて友だちとして仲良くできたら良かったけれど、もうどうすることもできなかった。
話すことすらできなかったのだ。あの日、チャイムを押すことも勇気が必要だった。
今になって思う。たとえ勇気がいることであったとしても、気持ちを伝えなければならなかったのだ。
いつなにが起こるか分からない。こうして会えなくなって、初めて後悔した。嫌われてもなんでも、思っていることを伝えれば良かった。
「シンってどんな人?」
サギリは両手で頬杖をついて、にこやかに聞いてくる。ハナはしどろもどろになりながら答えた。
「えっとね、運動神経が良くて、かっこいいんだよ。ちょっと口がわるいから誤解されやすいけど、本当は優しいの。小さいときの話なんだけどね、わたし、迷子になったことがあったの。そのとき真くんは探しに来てくれて、手を引いて家まで連れて帰ってきてくれたんだ。思えばわたし、あのとき真くんのことが好きになったんだ」
思い出しても笑みが零れてしまう。
あのとき真は、自分も慣れない土地で不安だったのだと思う。それでも、泣きじゃくるハナの手を引いて、一生懸命歩いてくれた。
あの手の暖かさと、頼もしく感じた背中が忘れられない。
「なんだー。シンもハナのこと好きなんじゃん!」
「小さいときは、ね……。今じゃ目も合わせられないんだよ」
「ハナってば恋する乙女! かわいい!」
そう言ってサギリはハナの頭を抱き寄せる。ハナはこのスキンシップがきらいじゃなくなっていた。
ようやく解放してくれたサギリは、人差し指をあごに当ててうなる。
「うーん。この分じゃ、ジウのほうが分がわるいかもね」
「だからまだジウにはなにも言われたわけじゃないし……」
ハナが焦りながら反論したそのときだった。
かん高い指笛の音が聞こえた。
「今のは……」
「『獣』の襲撃だ! ハナ、行こう!」
二人は立ち上がって駆け出した。
*
辿り着いた城壁の上では、多くの結晶士が眼下を見下ろしていた。
アルペングローとジウの姿を見つけて、ハナたちは駆け寄る。
「アル、ジウ、なにがあったの? どうしてみんな出て行かないの?」
「サギリ……。あれを見ろよ」
ハナは下を覗きこむ。
そこには『獣』の群れの姿があった。門の前に並ぶその数は、おおよそ百匹。
その『獣』を従えるように立っていたのは――。
「真くん……」
この距離で間違えるはずがない。あれは真本人だ。
だがハナの見知った姿ではなかった。銀の毛皮を身にまとい、こちらを無表情で見上げる真。その耳は、『獣』と同じ形をしていた。
「人間どもに告げる! この門を開けよ!」
誰も返事をすることができなかった。
人語を解する『獣』など、見たことがなかったのだ。いや、あれは『獣』なのだろうか。人と同じ顔を持ち、二本の足で立っている。そしてしゃべる言葉は人と同じ。
耳の形こそ違うけれど、どう判断したものか、誰も答えられる者がいなかった。
「……三日後、また参る。それまでに返事を決めておけ。そう女王に告げよ」
そうして真は『獣』にまたがると、『獣』を引き連れ森へと帰っていった。
ハナはなにも言うことができなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます