第九章
それからのハナは、人が変わったかのようだった。
「はい。それくらいできるなら、もう大丈夫かもしれませんね」
リアン先生の言葉に、ハナは目をしばたたかせた。
訓練所でのリアン先生の特訓。この数日で、ハナは身を守れるほどの大きさの結晶を出せるようになっていた。
ただ、最初に出したようなたくさんの花弁を持つ巨大な結晶ではない。シンプルな形の星状六花だった。
「……これで大丈夫ですか?」
ハナは上がっていた息を整えて、リアン先生に問い掛ける。
「えぇ。結晶はそれだけで『獣』に対向しうる力になります。もちろん、盾は大きく、剣は鋭いことに越したことはありません。でもあなたの結晶は、充分力になりますよ」
それを聞いたハナは、ほっと息をつく。やっとみんなのところに追いつけたのだ。
リアン先生は片手を頬に当て続ける。
「それにしても、あなたの巨大な星状六花というものを、この目で見てみたかったです。相当美しいとか」
「だ、誰がそんなことを言ったんですか……」
いまだその力をハナは発揮できていない。まぐれだったかもしれないことが広まっているようで、焦ってしまう。
リアン先生がくすりと笑った。
「大丈夫。いつかあなたの真の力を発揮できる日が来ます。それまで鍛錬を怠らないことですよ?」
「はい!」
こうしてハナの訓練が終わった。
*
ハナは城壁の前に立っていた。
天気は晴れ。朝の気持ちよい風が吹いていて、ハナの初任務を後押ししているようだ。
今日からアルペングロー班に合流である。
「えっとね、あたしたちの普段の仕事は見張りなの。城壁の上から雪原を監視して、『獣』の襲来に備える。合い間合い間で鍛錬、ってとこかな」
思っていたよりも、地味な仕事なのかもしれない。
それが顔に出ていたのだろうか。アルペングローがハナにびしっと指を突きつけた。
「『獣』はいつ現れるか分からねぇ。油断してると食われるぞ」
「はい!」
食べられるかもしれないという感覚は、ハナもまだ覚えている。油断していてはいけないと、ハナは気合いを入れなおした。
「もーアル! ハナをビビらせないの!」
「だって油断が命取りだろ」
「そうだけど、言い方ってもんがあるでしょ! ハナ、大丈夫だからね。あたしたちがついてるし、サポートするよ」
「うん……。だけどわたしも一応は結晶士だから。戦力になれるようにがんばるよ」
ハナがぎゅっとこぶしを握って言うと、サギリは目を潤ませた。
「もーハナ! いい子! 大好き!」
そう叫んで抱きついてくる。ハナは目を白黒させるしかなかった。
アルペングローが隣に立つジウをニヤニヤ見る。
「おまえもいかなくていいの?」
「……うるさいアル」
ジウはぷいっとそっぽを向いて、城壁の階段へと向かう。アルペングローはおかしそうに笑いながら、その背中を追った。
その日は何事もなく一日を終えた。
アルペングローが訓練をつけてくれたが、彼の剣は強く、ハナは何度も星状六花を割る羽目になってしまった。
その度にサギリの怒号が飛んだのだが、本気で相手をしてくれるほうがハナにはありがたい。『獣』は手加減してくれるわけではないのだ。どんな攻撃にも対応できるようになっておかなければならない。
「ハナ、もう寝ちゃった?」
消灯時間を過ぎて、二段ベッドの上からサギリが声を掛けてきた。
「ううん、まだ起きてるよ」
月の光がまばゆい。カーテン越しにも満月のあかりが漏れてきていた。
サギリが顔を覗かせるかなと思ったが、どうやら寝たまま話を続けるようだ。
「あのね。あたし、ハナには絶対に元の世界に戻ってほしいんだ」
急になにを言い出すのだろう。サギリの意図が見えず、ハナは続きを待った。
「これだけ仲良くなっちゃったから、お別れする日が来るのがちょっと淋しいけど、やっぱり自分の家に帰れないってのは悲しいじゃん? だから、あたしはハナに協力する。それだけは、忘れないで」
いつものサギリとは様子が違う気がした。
なぜだろう、ハナのことを思っている言葉なのに、自分自身に言い聞かせているように聞こえる。
ハナは身を起こした。
「サギリ……?」
ベッド上の様子をうかがうが、寝息だけが聞こえる。もう眠ってしまったようだ。
起こすのは忍びない。ハナはもう一度布団をかぶり、眠りについたのだった。
*
それからしばらくは、なにも起こらない日が続いた。
アルペングロー班が当番の日は『獣』の襲来もなく、女王様からなにか分かったかの知らせもない。
当番ではない日に、『獣』の襲来はあっているらしい。万一のときのために結晶士は基本的には宿舎近くにいなくてはならないのだが、ハナたちが召集されることはなかった。
そしてその日はやってきた。
いつものように、城壁の上から見張りをしていたときのことだった。森のほうを見渡していたハナは、ぞくりと走った悪寒に身を震わせた。
「サギリ、なにか来る……」
サギリの行動は早かった。
アルペングローとジウを呼び、ロープ近くに控える。四人の目は、森を向いている。
木々の間で、きらりと銀の色が光った。
「来るよ!」
サギリの声とともに、『獣』が姿を現した。
サギリたちが勢いよくロープを伝って降りていく。ハナもそれに続いた。
「ハナは絶対むりをしないこと! ジウから離れないでね!」
走りながら言うサギリ、ハナはうなずく。さりげなくジウがそばに来て、ハナの少し前を走ってくれた。
現れた『獣』は四匹。軽い足音を立てて、こちらに走ってくる。
それが二・二に分かれた。どうやらこちらの戦力を削ぐつもりらしい。
それは向こうも同じだ。
「ハナ! 盾を!」
ジウが立ち止まり、ハナに指示を出す。ハナは雪原に踏ん張り、右手に左手を添える。そして現れた結晶は、大きいけれど花弁の少ないものだった。
「充分」
ハナが悔しさに顔をゆがめたのに気づいたのだろう。ジウがはげましの声を送る。
ジウはすでに針状結晶を出していた。透明にきらめくその剣は、ジウの身長よりも長い。そんな剣を自在に操れるのだろうか。
心配は必要なかった。飛び掛ってきた『獣』を、ジウは自分に近づけさせることなく切りつけていく。
もう一匹がハナへと迫る。ハナは地面に足を踏ん張り、盾を構える。盾に阻まれた『獣』は、身を引いて唸り声を上げた。
自分の力が通じた。ハナは安心するが、盾には小さなひびが入っている。これではもたない。心拍数がいやな感じに上がっていく。
「ハナ、作り直すんだ!」
ジウの声にはっとする。
ジウは『獣』の一匹を相手していた。そんな余裕はないはずなのに、ハナの様子も気づかってくれていた。
自分でなんとかしなければ。
ハナは思い直して、一度結晶を解く。
『獣』がこちらに向かってくる。丸腰になったのを好機ととらえたのだろう。
ハナは息を吸って、そして吐く。浅い呼吸は視界を鈍らせるとアルペングローも言っていた。
しっかり敵を見て、動きを予測する。目を逸らしちゃいけない。
ハナは両手を構えた。
「はっ!」
その瞬間、まわりの空気が変わった。大気中の水蒸気が、一気にハナの元へと集まる。
ハナの手元でパキパキと氷が固まっていく。
そして現れたのは、巨大な星状六花の結晶だった。
六つの花弁は長く伸び、そこから幾重もの枝が伸びている。それは複雑な模様を描いており、まさに星状六花の名に相応しいものだった。
走って来ていた『獣』は立ち止まれない。ハナの星状六花の盾に、思いっきりぶつかった。跳ね飛ばされて、雪原に転がる。そしてそのまま動かなくなった。
「ハナ! 大丈夫!?」
ジウが駆けつけてくる。離れたところには、もう一匹の『獣』が血を流して倒れていた。
もう二匹も倒したサギリとアルペングローも駆け寄ってくる。
「う、うん……。大丈夫……」
ハナはいまだ星状六花の盾を手にしていた。身の丈よりも大きな盾に、サギリはおおっと声を上げる。
「すごいねぇ、ハナ。やっぱりハナの実力は本物だった」
「で、でも……。わたし、どうしてこの盾を出せたのか分からなくて……」
「そういうモンだよ。俺たちは、気づいたら結晶を出せるようになっていた」
アルペングローの言葉に、ジウもサギリもうんうんとうなずく。そういうものなんだろうか。
ハナは辺りを見渡した。動かなくなった『獣』がそこには倒れている。
思わず森のほうを見やる。そこにはもう、なんの気配もしなかった。
「シン?」
隣にジウがやって来て、問い掛ける。
そう、ハナは無意識に真の姿を追っていた。
「うん……。今日はいないみたい」
残念なような、ほっとしたかのような、複雑な想いがハナの胸の中をめぐる。
もし会えたら、なんと言ったらいいのだろうか。
まだあの人物が真だと決まったわけではないけれど、ハナは迷わずにはいられなかった。
目を伏せるハナを、ジウはなにも言えずに見つめていた。
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